草木塔(そうもくとう)・行屋(ぎょうや)・かてもの 米沢の民人に眞の魂の薫り聞きたり

 2010

  「行屋」と呼ばれる小さな小屋で 山岳信仰に行く前の禊(みそぎ)をする大切な場所 (伝国の杜 庭園展示)

 

 

 

 

         草木塔(そうもくとう)・行屋(ぎょうや)・かてもの

                    ~米沢の民人に 眞の魂の薫り聞きたり~

 

 うっかりすると、見逃してしまうような事柄に対しても、米沢は素晴らしい感動の連続がありました。謙信公の家訓十六ヶ条を最も遵守し、そこに気高い魂を護持したのは、米沢上杉藩初代となる景勝でありました。寡黙な武将で、無駄口を一切たたくことはありませんでした。その寡黙さ故、秀吉から一目置かれ、畢竟直江兼続は、どうしても己が直接の配下に置きたかった人物でした。兼続の、謙信公、及び景勝公に対する忠誠心は半端なものではなく、尊敬する親方様がいてこその己なりとキッパリとしていました。幾ら金銀財宝や禄高など、全くもって要らぬお世話でした。謙信公の仏道へ帰依する心得が、景勝・兼続二人の主従関係をより一層堅いものにしていたと言ってもいいでしょう。米沢に三年ほど前から先乗りをしていた兼続は、徳川家康とよしみを組んでいた最上義光が当面の敵将でした。佐渡金山の管理は当然のこと、この主従のものでしたが、鶴岡や酒田を中心とした庄内地方は予てから義光が狙いを定め、まさに進軍中でした。そこで兼続は庄内地方を制圧するために、どうしても出羽三山の山伏・修験者との草の根を味方につける必要があったのです。そして謙信公が帰依する高野山信仰を具現化しなければなりませんでした。改めて藩内の精神的基盤作りも必須のことだったようです。

 先ず目に付けたのは、既に存在していた民間信仰です。いきなり出羽三山の信仰に行く前に、欠かせないのは既にあった端山(はやま)・深山(みやま)の山岳信仰でした。山脈に連なる山々で里に近く、あまり高くなく美しい山が端山と呼ばれ、里に住む人々には特に親しまれていました。端山の奥にさらに高く聳えるのが深山です。この重複するように結び会う端山と深山の形が出羽の住人に、篤い信仰心を育んで来たのでした。恐らく人にとって最大の関心事は「生と死」の問題でさったでしょう。かつて端山の近くに住む里人も、死と死後の世界のことを葬送の中で想念したのではありますまいか。里人が死ぬとその屍は端山の麓に葬りました。肉体が腐敗する頃、その人の霊魂は肉体を離れ。美しい端山の頂きに登ると考えられました。端山に登った霊魂は、残して来た子供や家族や親族を山頂からじっと見守り続け、三十三年間、その頂きに止まるとも言われておりました。そしてさらに高い深山に登り、そこから天のアノ世に行くと考えると考えられていたのです。天に昇った先祖の霊魂は、お正月にお彼岸にお盆にと年に数回里に帰り、家族と交じり、死者と生者は永遠に関わり、語り継がれると考えられていたのです。そのことは、死は決してすべての終りではなく、コノ世の単なる一つの終息であると意味です。この考えは人生最大の苦である死を乗り越える人間の叡智であるように思われてなりません。端山・深山信仰の名残は今でも各地に御座います。米沢地方の「羽山と吾妻山」、長井地方の「葉山と朝日岳」、上山地方の「葉山と蔵王山」、村山地方の「葉山と月山」、庄内地方のでは「羽黒山と月山」「葉山と麻耶山」などでしょうか。優れた御山に対する崇敬の念は、人々の心に深く影響し精神世界を育てたものだと容易に考えられます。又こうした精神世界こそ、日本人の心の原風景になっていることでしょう。

 さて出羽ノ国の美しい山岳景観は、民人たちに豊かな精神文化を育んで参りました。特に、端山・深山と呼ばれる山と山とが重層する姿は、死者と生者との関わりを想像させる端山・深山信仰を育んで来たのです。出羽を代表する出羽三山信仰の草創も、端山・深山信仰がその基にあったと思われてなりません。即ち、村山地方の端山(葉山)深山(月山)と庄内地方の端山(羽黒山)深山(月山)が月山で重複し、「羽黒山・月山・葉山」の出羽三山が形成され、湯殿山は総奥の院として篤く祠られて来ました。出羽三山信仰の形態は、人生を過去世(羽黒山)、現世(葉山)、来世(月山)と考える三世救済から生まれており、殆ど崩せない信仰形態なのです。ところが、出羽三山の一山である葉山は、葉山修験道の拠点となり、その麓にある寒河江の慈恩寺との関係が深まる中で、独立するしかなく、三山より離れてしまいました。そのために一山を探しに、白羽の矢が鳥海山が当たり、出羽三山は一時「羽黒山、月山、鳥海山」となりました。しかし、鳥海山は主峰である月山から距離も遠く、高さも月山より高く、永きに渡って出羽三山の一山となれなかったようです。また一山探しになりまして、月山の近くの薬師岳が選ばれました。理由は、最初の葉山も現世救済の仏である薬師如来が祠られ、次の鳥海山も月光川、日光川の両菩薩を従える薬師如来であったからですが、すぐ傍らに薬師岳より高い湯殿山がありましたので、湯殿山を加え、現在の出羽三山・「羽黒山、月山、湯殿山」として形を整えて行ったものと考えられます。

 総奥の院たる湯殿山の信仰の篤さを表しているものに、数多くの石碑があります。出羽の国だけで最も多い石碑は「湯殿山」碑でありまして、湯殿信仰の深さを雄弁に物語っているように思われます。湯殿山は出羽三山の総奥の院として、東日本のみならず全国から一心に篤い信仰を集め、江戸期の丑年ご縁年には一年間に十五万人の参詣者があったと言われ、まさしく日本を代表する聖地の一つであったのでしょう。湯殿信仰は自然崇拝と祖霊崇拝という日本人の二つの原始信仰であります。参詣は素足になり、神主の拔いで体を清めて中に入る。先ず頂きから熱湯が噴き出ている茶褐色の大きな岩のご神体にお詣りする。この信仰は日本人が永く続けてきた自然崇拝の象徴である巨岩信仰で、大神神社の盤座(いわくら)や京都上賀茂神社の盤座などと同じ信仰でありましょう。ご神体のご礼拝がすむと奥にある岩供養と呼ばれる先祖供養の場所に進みます。売店で線香、蝋燭、梵天、塔婆と人形(ひとがた)の紙を売っております。お塔婆に託したご先祖の霊は、梵天の鳥に案内され、阿弥陀如来を祀る月山に登る祖霊信仰となるのです。明治政府が神仏分離を強行しましたが、出羽三山、特に湯殿山には「神仏習合」の形を守り残した全国でも稀有な信仰地であるのです。人の命は、親から生れ、親は更にその親からへと無限に先祖の命が、その流れの恵みにあり、その命は自然の空気や水や植物・動物の自然の恵みによって生かされていることになります。湯殿に残る祖霊崇拝と自然崇拝の二つの原始信仰は、人間の生命の存在を諭す哲学的意味を現代に訴えているように思えてなりませぬ。

  ここまで長く民間信仰をご説明申し上げたことに理由があります。実は兼続の執政は、そこから始まったからなのです。それまでは米沢には、ご説明申し上げたように、端山・深山信仰しかありませんでした。兼続が出羽の信仰に着目したのは、二つの大きな目的があります。出羽を征するのに、山岳修験者の協力が絶対に必要だったことです。それと人心掌握が必要だったことでありましょう。兼続自身端山である兜山に登ってから米沢の都市計画を始めました。そうして出羽三山の信仰を米沢にもたらせたのは、基本的な人心を一掃する目的が最重要な課題だったのです。かくして兼続の思惑は当たりました。ウコギの栽培や、鷹山の時の所謂「かてもの」の原形を、兼続は為しえていたのでした。学問だって、鷹山が江戸から学者を招いて藩校の礎をしたのは、兼続のほうが断然先んじています。彼は学問が大好きで、国宝級の漢籍や韓本を集め、熱心に修得していたのです。九代目鷹山が藩校である米沢・興譲館と立設するに及んで、細江氏を招いたことはつとに有名な話ですが、兼続にしたって、禅林文庫を開き、学問に非常に熱心でした。つまり申し上げたいことは、鷹山の施政の根本は既に兼続によって基礎が作られていたものだったのです。精神的土壌にあるいい例は「草木供養塔」であります。長々とご説明申し仕上げましたが、日本に類例がない草木を供養する「草木供養塔」の根本精神は、鷹山にではなく、何と兼続が蒔いた種にあったのです。出羽三山の根本精神を広め、そこで兼続が万物にイノチありと教えた、高邁な兼続の精神を鷹山が学んだ結果だったのです。

 米沢市田沢の最古の草木塔

鷹山時代に初めて建立された「草木供養塔」 これは最も古い草木塔 建立年1823年(文政6年)8月

 

 草木にもイノチが宿り、草木の供養を祈って再生を願う塔です。米沢を中心に70箇所ほどの塔がありますが、山伏の影響があったり、真言密教の影響があったり、塔は様々で、草木供養塔は単に草木塔に変遷していますが、何と言う優しさでありましょう。日本広しと言えども、米沢中心に置賜にしか、これらの塔は確認されておりません。更に伐採した木々を、春先の水量が多い時に流す「木流し」の無事安寧を願った人たちの祈りでもあったのでしょうか。僕たち夫婦はこれに接し、何度感動したことでしょう。米沢の民人の、心根の優しい思いを受け取ることが出来ます。そしてこのことが今最も大切にすべきことではないかと思い至ったことでもありました。

 

 

(左) 佛歌が書かれている草木塔   (右) 草木塔中最大の大きさを誇る 信仰の深さが分かる

 

 左の供養塔には「一仏成道観見法界」「草木国土悉皆成仏(そうもくこくどしっかいじょうぶつ)」とお経の一節が刻まれています。仏教の「草木はもちろん土にいたるまで、すべて仏なり」といった教えの影響がみられ、そこに湯殿山の信仰の深さがここ米沢にまで達していたことになるでしょう。これに兼続の教えの影響が強くあったからです。無論この塔は鷹山の時代からの産物です。江戸屋敷の火事や市内の大火事で、御料所内の立派な木々が打ち倒され、その木々の悲鳴を聞いた方々の思いもあったでしょうか。春先、川に流す木々を運搬する方々への安全祈願でもあったでしょう。でもヤオヨロズの神々たちの為せる業だったかも知れません。僕たち夫婦はこの塔に立ち尽くし、今や無くなりし神代の心得が、いと懐かしく、又嬉しくもありました。こんな心情が米沢の民衆の土地に生きていたなんて、少々悪いのですが、藩主さまのご遺徳を偲ぶより、どんなに心地よかったことでしょう。

 それと「かてもの」の存在も感動致しました。「かてもの」とは御飯に足して増幅し食べるものを指しますが、驚くことに、これも又鷹山がらみのことでありました。為せることは何でもやった鷹山は、御用医師などに依頼し、植物の効用や機能を徹底して調べさせたのです。完成するまでに実に20年の歳月を費やしました。一般の農作物が不作の時でも成育して、比較的よい収穫を上げられる作物や山野に自生する植物で飢饉の際に食糧になるものを、救荒または備荒食品といいます。現在の食糧の豊かな時代に暮らす私たちにとっては、あまり耳慣れないことばとなってきました。

 時代を遡り江戸時代の1767年、当置賜地方では米沢藩九代藩主 上杉治憲(鷹山公)により数々の遺業のひとつとして、飢饉克服のためのきめ細かな備荒対策が施されました。救荒食品の知識の普及と各自の備蓄を勧める目的で、1783年には「飯粮集」、1802年には「かてもの」が発行されました。当時の日本はまだ植物学の知識も低く、まして雪国の一地方において、家老を中心に医師たちの手で文献や体験を頼りに、両者をあわせ約五十科百四十四種にもおよぶ救荒植物を取り上げて、普及書として人々のためにまとめ上げたことは、鷹山の偉業の一つと言えるでしょう。従って救荒食品の知識の普及と各自の備蓄が勧められることとなり、1833年天保の大飢饉の時にも、領内においてたった一人の餓死者や離散者を出さずにすんだと言われています。その後も天災にともなう凶作・飢饉の度に、「かてもの」を頼りにかて飯・かて粥・おみそうず・ご飯にかわるかいもち(そばの粉食形態)などで、明治時代を通り過ぎてきました。

 この地方の人々は山の豊かな自然の恵みである山菜を食べる食文化を受け継いで、今日に至っています。今でも「かてもの」の一部の食品は、人々の生活の中で綿々と受け継がれて、アサツキ・ウコギ・カシロ(食用菊)・南原の手打ちそば・雪菜など当置賜地方の特産品となっているものもあります。以下に、「飯粮集」「かてもの」にあげられていた植物をあげてみることにします。

  ※以下、主に置賜地方での呼び名にしてあります。

 

   <かてもの>

  植物名※  科  食用部位など 

  スギナ  スギナ科  若芽。消化が悪く、老人や子供には不向き
  ツクシ  スギナ科  胞子嚢を取り去るとおいしい。 
  ゼンマイ  ゼンマイ科  茹でたものを乾燥してから、再び水煮して戻してから食する。 
  ワラビ ウラボシ科  灰汁抜きが必要。(ワラビの料理) 
  コゴミ  ウラボシ科  茹でて水にさわして、すぐ食べられる。 
  カヤノミ  イチイ科  種実。炒って皮を取り去り調理する。 
  クルミ  クルミ科  種実の子葉部 
  ハシバミ  カバノキ科  
  ドロブ  ヤナギ科  若葉 
  ブナ  ブナ科  種実・若葉 
  コナラ=シダミ  ブナ科  コナラの実をシダミと言い、灰水で長時間煮て水でさわすことを繰り返し渋を出してから食用にする。 
  クヌギ=ヂダグリ  ブナ科  実。コナラと同じに処理する。 
  クリ  ブナ科  
  クワ  クワ科  若葉。やや硬い。 
  コウゾ=カウス  クワ科  若葉。硬い。 
  ミヤマ=アイコ  イラクサ科  現在では山菜の王者とも言われる。 
  ミズナ  イラクサ科  茎。赤みず(=ウワバミソウ)は茎が赤く、煮物・油炒めなどで食べる。青みず(=ヤマトキホコリ)は、茎が緑色で、浸し物・みそ汁などで食べる。塩蔵する (青ミズナの料理) 
  イタドリ  タデ科  若芽。塩蔵したり茹でてから水にさわして調理。シュウ酸を多く含むので、過食すると下痢をする。(イタドリの料理) 
  ギシギシ  タデ科  若芽。イタドリと同じ扱い。 
  ソバ  タデ科  
  ミソソバ=ウシヒタイ  タデ科  葉・茎 
  アカザ  アカザ科  若葉・芯。茹でてさわして食す。 
  ホウキギ=ハハキキ  アカザ科  若葉は茹でてさわして食す。種実はトンブリとも言われ、今はその風味が楽しまれている。 
  イヌビユ=ハビャウ  ヒユ科  葉を茹でて、浸し物・油炒めして食べる。 
  ヤマゴボウ=トウゴボウ  ヤマゴボウ科  芽を茹でてから水にさわし、乾かして貯えた。根は有毒。葉は下痢やじん麻疹を起こす。マルミノヤマゴボウは有毒。 
  スベリヒユ  スベリヒユ科  シュウ酸を多く含むので、妊婦は食べない方がよいと記してある。茹でてそのまま乾かすと、葉が落ちてしまうが、塩を加えまぶしてから乾かすと葉が落ちないという経験的な知恵も記されている。 
  ハコベ=アサシラゲ  ナデシコ科  昔から春の七草の一つ。茹でる時に臭みがあっても水にさわせば消えて栄養価の高い野草。種実を小鳥が好んでついばむ。 
  ハス ヒツジグサ科  今でも普段に、根は生食や煮て食す。若葉は茹でたり、乾かして粉にして食す。 
  コウホネ=カワホネ  ヒツジグサ科  根茎を刻み灰汁水で茹でてさわしてから調理する。猛毒のドクゼリの根と間違わないように記してある。乾燥したものは、川骨=せんこつと呼ばれて、打撲・月経不順などに薬用として利用。 
  ナズナ=ナツナ  アブラナ科  春の七草の一つ。味噌汁・浸し物に加えて香りを楽しむ。 
  ハタケナ  アブラナ科  コマツナまたはアブラナと推測される。 
  カブ=カブラ  アブラナ科  寒地でも栽培に適している。現在では途絶えたが米沢市遠山地区で毎年種子が採取され特産品として遠山かぶが栽培された。 
  チシャ=チサ  キク科  葉野菜として栽培されていた。栄養価が高い。カキチシャと推測される。乳汁を分泌し、あくがやや強い。 
  ダイコン=タンコン  アブラナ科  奈良時代から栽培され、春の七草の一つ。米沢市南原地区には、弘法大根と称した海岸に自生するハマダイコンが栽培された形跡があり、今でも自生状態で見受けられる。また、米沢市万世地区梓山には、梓山大根と呼ばれる大根が特産品として人々に親しまれ栽培されたが、いまはその面影も薄れた。 
  トリアシショウマ=トリアシ  ユキノシタ科  若芽を茹でてから水でさわし、浸し物・和え物にして食す。いまでも好んで食べられている山菜。若芽が鳥の足のように三つに分かれているところから付いた名。 
  ウツギ  ユキノシタ科  若葉。硬い。利尿薬として煎じて飲用。 
  ツルアジサイ=ツタの葉  ユキノシタ科  若葉を茹でて水でさわして食す。胡瓜のような香味。 
  カワラサイコ  バラ科  若葉を灰汁水で茹でて水でさわして食す。米沢市松川・鬼面川に自生していた多年草。河川改修に伴い生育場所が減少し、現在は稀少植物。 
  ヤブキショウマ=イワダラ  バラ科  現在は、山菜として人気が高い。 
  ワレモコウ=ノコギリハ  バラ科  茹でて水にさわして食す。干して臼でつき米粉と混ぜ団子にしてきな粉で食したり、味噌を合わせて焼餅にした。なおナガボシワレモコウ・スカシタゴボウなども考えられる。 
  イヌエンジュ=エンジュの葉  マメ科  若葉 
  フジ=フジの葉  マメ科  若葉を灰汁水で煮て、2~3日水でさわして食す。 
  ホド  マメ科  塊根・葉共によく煮て水でさわし、塩を加えて食す。焼いても食べられる。また乾燥して保存も可。 
  サイカチ  マメ科  若葉を、塩一つまみ入れた熱湯で茹でてさわして和え物にして食す。果実を石鹸の代用品として使った時代もある。人家や神社仏閣に栽植されていた。 
  ネム  マメ科  葉を茹でて水でさわして食す。 
  メドハギ  マメ科  毒性はないが葉が薄く繊維質が多くあまり役立たなかったと思われる。
  カワラケツメイ=カワラチャ  マメ科  若苗・新芽は浸し物や天ぷらとして食す。また秋に全草を刈り取り乾燥して刻み、昔からお茶の代用とした。弘法茶の名もある。薬用として腎臓病・利尿によい。 
  クズ=クズの葉  マメ科  新芽・若葉は塩を入れた湯で茹でて、ごま和え・煮びたし・油炒めで食す。花は天ぷらにして食す。根からは薬効成分も含まれるでん粉が採られ、葛粉として利用される。 
  アズキ=アツキの葉
  ササギ=ササゲの葉
  ダイズ=マメの葉  マメ科  葉 
  コクサギ  ミカン科  脾臓・胃の弱い人は食すなと記してあるが、茎葉に悪臭・種々のアルカロイドを含み有毒で、腹痛を起こしたのではないか。 
  ウルシ  ウルシ科  危険!新芽を採取し茹でてさわして食したと思われるが、時期・食べ方を誤ると嘔吐・下痢になる。現在は食用植物からはずされている。 
  カントウマユミ=マユミ  ニシキギ科  若葉 
  ムクゲ  アオイ科  葉。木皮・根・花蕾は、胃腸カタル・腸出血・下痢・嘔吐などの薬用として用いられている。 
  イチビ  アオイ科  実。生食・干して挽き粉にし餅団子にして食す。 
  トチノキ  トチノキ科  実。トチ餅として今でも食べられるが、かなりの時間とアク抜きの手間がかかる。 
  ブドウ=ブドウの葉  ブドウ科  葉。灰汁水で煮て水でさわし、苦味を取り去ってから食す。 
  マタタビ  サルナシ科  若葉。塩なくは食うべからずと記してある。 
  ウド  ウコギ科  
  タラノキ=タラ  ウコギ科  若芽をタラノメといい、今では山菜の中でも人気が高い。味噌和えもよいと記してある。 
  ヒメウコギ=ウコギ  ウコギ科  若い芽と葉。ヤマウコギも食された。(ウコギの料理) 
  ニンジン  セリ科 
  シャク=ノニンジン  セリ科  若苗を採り、茹でてからさわして浸し物・和え物にして食する。今も山菜として利用。 
  ミツバ=ミツバゼリ  セリ科  葉・根共に食すと記してある。 
  ヒメアオキ=アオキバ  ミズキ科  毒性はないが、苦味がかなり強い。 
  リョウブ=サルナメシ  リョウブ科  若葉。毒性はないが、茹でても硬い。 
  カキ  カキノキ科  実。 
  ガガイモ=ゴンガラビ  ガガイモ科  若芽を茹でて、水でさわして浸し物にする。特有の甘味がありおいしい。ガガイモと若芽が類似しているイケマは、若芽の時は毒性があまりないので、ガガイモと混同して採取され食用となる。 
  ヒルガオ ・コヒルガオ =アメフリバナ  ヒルガオ科  若葉・地下茎。茹でたあと、浸し物・和え物で食す。あまり長く食べない方がよいと記してある。 
  ネナシカズラ  ヒルガオ科  若い蔓を茹でてさわして食すと記してある。現在では、種子を薬用(強精・強壮)として利用。 
  ウツボグサ=ウハノチ  シソ科  若葉を灰汁水で茹でて水に二晩ほどさらして食す。現在では全草を薬用(利尿薬)として利用。 
  ナス=ナスの葉  ナス科  葉を細かく刻み、茹でて水にさわして食した。 
  クコ ナス科  葉は茹でて食した。また、果実・葉は薬用(疲労回復・消炎・利尿)作用があり、乾燥してお茶ですでに飲用されていた。 
  キリ  ゴマノハグサ科  若葉を茹でて食すと記してある。細毛が密生して食べ難かったと思われる。 
  オオバコ=シャセンソウ  オオバコ科  食味に癖がなく、安全な食草。 
  スイカズラ  スイカズラ科  新芽・若葉をひとつまみの塩を入れて茹でてさわしてから、浸し物・油炒めにして食す。香りのよい花は、ホワイトリカ-に浸して花酒を作れる。 
  タニウツギ=ヤマウツギ  スイカズラ科  若葉。しかし米沢地方では、この木の枝でお骨を拾う箸を作ったことから、仏木と呼び縁起の悪い木とした。毒性はない。 
  オミナエシ=オミナメシ  オミナエシ科  若葉。秋の七草の一つだが、残念なことに今では山形県の稀生植物のひとつ。漢方で根を敗醤(はいしょう=この草を乾燥させると、醤油の腐った匂いがする)と言い、薬用(利尿剤)として用いられる。 
  オトコエシ=ヲヲヅチハ  オミナエシ科  若葉を茹でて、二、三度水にさわして食すと記してあるが、やや硬く味もあまり良くない。 
  キカラスウリ=カラスウリの葉  ウリ科  若葉を食す。果実・種子・根を薬用(黄疸・利尿・解熱・咳止め)として用いる。また、塊根から天爪粉(=てんかふん)というでん粉を製し、小児のあせもに(=天然のベビ-パウダ-)用いられた。 
  ユウガオ  ウリ科  果実は細長い。干瓢の原料。細かに刻んでも、干してもよいと記してある。 
  スイカ  ウリ科  江戸時代の初め頃に琉球より渡来し、江戸時代には各地に産地が生まれていたようだ。 
  マクワウリ=マクワ  ウリ科  1630年頃にすでに栽培されていた。昔のマクワウリは、果実が熟すると水分甘味香気を有するが、美味ではなかった。 
  ヘチマ  ウリ科  若い果実は苦味がなく、皮をとり揚げ物・汁の実・漬物にて食す。完熟した果実を水に浸して繊維をとる。江戸時代の初め頃に、南方より輸入された植物。 
  フクベ=カンピョウ=カンヒヤウ  ウリ科  果実が平たい球形をしたユウガオの変種。果実は苦味が強く、果皮は堅い。昔は干瓢の材料に、また熟したものは中をくり抜き炭入れ・火鉢・置物などの細工物の材料とした。 
  トウガン=カモフリ  ウリ科  果肉は味が淡白で、煮物・汁の実・漬物などよく食べられる。江戸時代の初め頃に中国より伝わる。 
  ニホンカボチャ=ボウブラ  ウリ科  栽培が容易で栄養価に富み、米の糧としてとても役立ったと思われる。300年位前にポルトガル船により、日本へもたらされた。 
  シロウリ=シロフリ  ウリ科  果実を漬物にして食す。奈良漬の材料として知られる。 
  キュウリ=キウリ  ウリ科  若い実は生食。熟果は煮物・漬物。天平時代に中国より伝わる。 
  ツリガネニンジン=トトキ  キキョウ科  若葉・若芽を茹でて水にさわして苦味をとり、食す。 
  キキョウ  キキョウ科  若葉と根を食すと記してある。秋の七草の一つ。 
    ソバナ=アマナ  キキョウ科  若苗・花を食す。 
  オヤマボクチ=ヤマゴボウ  ヤマゴボウ科  中国渡来のヤマゴボウ(=根・茎葉には毒性あり。利用時期・調理法を誤ると腹痛・下痢を起こす。)ではないと考えられ、米沢地方に自生するオヤマボクチと考えられる。若葉は茹でてさわして、米の粉とつき団子にして食す。根は漬物にして食す。(現在のヤマゴボウの漬物は、モリアザミ,キク科の根が多く利用されている。) 
  ナンブアザミ・ダキバヒメアザミ・サワアザミ・モリアザミ=アザミ  キク科  葉を取り除き茎を塩蔵して、積雪で新鮮な野菜の不足する冬の季節に、煮付け・油いりして食す。灰汁が強く繊維も多いが、今でも食べられる。(アザミの料理) 
  コオニタビラコ  キク科 
  オニタビラコ=タビラコ  キク科  花が咲く前の軟らかいときに摘み、やや苦いが食用となる。 
  タウコギ=カラスノヤ  キク科  若苗。 
  フキ  キク科  (フキの料理) 
  エゾタンポポ=クジナ  キク科  若葉は浸し物・和え物・サラダにして食す。根は乾燥して健胃・胃痛・消化促進・催乳に用いる。 
  カントウヨメナ ・ユウガギク =ヨメナ  キク科  若葉。昔から春の摘み草の一つ。 
  ハンゴンソウ=ヘビアサ  キク科  若い茎葉を摘み、浸し物・煮物で食す。今でも、茹でたものを乾燥して貯える。多食は避けたほうがよい。 
  オケラ  キク科  若い苗。根茎を漢方で白朮(=びゃくじゅつ)と言い、健胃・利尿薬に用いる。屠蘇散(とそさん=延命長寿を願うの漢方薬で年頭を祝うお酒が広く知られる。)・蚊やりの材料ともなる。 
  イヌトホナ=ドホラナ  キク科  東北地方の日本海側の雪国に分布している植物。多食はしない方がよく、茹でてから水でさわして塩をまぜて用いる時はよいと記してあり、最近の薬草学より若干毒性があり、多食を避けた方がよいことがわかったことと合わせて考えても、文書の素晴らしさがうかがえる。 
  ヨモギ  キク科  里のヨモギと山のヤマヨモギ(=やや香りが強く、灰汁もあるので水でよくさわす。)が食された。 
  カワラホウコ=カワラシチコ  キク科  茎・葉を灰汁水で茹でて水にさわし、米の粉と混ぜて餅団子にして食す。 
  コウゾリナ=カヤナ  キク科  若苗・茎頂の芯を茹でてから水でさわし食す。 
  ごまな=サワクキタチ  キク科  春の若芽を茹でて、浸し物・和え物にして食す。 
  サワオグルマ=ヤチブキ  キク科  若い葉・茎を茹でて食す。 
  ノコンギク=ノギク  キク科  若芽を茹でて水でさわして食す。 
  ホウコグサ(ハハコグサ)=シチコ  キク科  春の七草の一つで、ゴギョウのこと。白い細かい綿毛が茹でるとつなぎとなり、米の粉などとつき混ぜて、団子や草もちの材料となる。 
  ベニバナ=コウクワ  キク科  若苗。中国・朝鮮を経て日本へ飛鳥時代に渡来し、花は染料として用いられる。 
  メナモミ  キク科  春に若葉を茹で水にさわしてから食す。漢方で全草を乾燥して、腫瘍・利尿・消炎・解熱などに用いる。 
  ヨブスマソウ=ハトナ  キク科  
  ゴボウ  キク科  山・荒野・やぶ地に自然生で栽培を奨励することが記してある。930年頃に中国から伝わった古くから栽培されている野菜。 
  クワイ  オモダカ科  塊茎。干して貯蔵できる。 
  ガマ=ガバノツノ  ガマ科  根元から出る若芽や太い根を、灰汁水で茹でて水にさわしてまた蒸したりして食す。米の粉に混ぜて団子にしても食した。 
  マコモ=カツギ  イネ科  芽。葉・茎を乾かして仏前に敷き、ガツギゴモを作ったりした。 
  アシ(ヨシ)=ヨシノツノ  イネ科  若芽。肉厚くして軟らかいとも、記してある。 
  チガヤ=チガヤノメ  イネ科  芽を灰汁水で茹でて水にさわし食す。また、若い花穂は甘い粘液を含み子供たちはツバナと称しなめたりした。 
  チカラシバ=ミチシバ  イネ科  
  アブラガヤ=ハラナ  カヤツリグサ科  
  ショウブ=セキショウ  サトイモ科  根茎を食す。また根茎には芳香があり、漢方で健胃・鎮痛・腹痛に用いた。また五月五日の節句の日に、邪気を払うために、葉・根を入れて風呂を沸かした。菖蒲湯と称し、浴用として用いられた。 
  サトイモ  サトイモ科  子芋。親芋。茎・葉柄も生や乾燥して食する。中国より日本に伝わる。 
  ヒメザゼンソウ=エゴナ  サトイモ科  えごくて、食べ難い。春に芽・苗を茹でてから水にさわし食すと記してある。 
  ツユクサ  ツユクサ科  若芽・若苗を茹でてさわして食す。また、花の色素は瑠璃色で美しく、古くは摺り染めに用いたり、友禅の下絵の具材になった。 
  ヤブカンゾウ ・ノカンゾウ ・ニッコウキスゲ=カンゾウ  ユリ科  若葉・若苗を塩一つまみを入れて茹でて水でさわし、浸し物・和え物にして食す。花は蕾の時に、茹でてから乾燥して貯える。過食すると消化不良・下痢を起こす。米沢地方では、原野に八重咲きのヤブカンゾウ、山麓にノカンゾウ、山峡にニッコウキスゲが分布する雪国ならではの植生をみることができる。 
  トウギボウシ・オオバギボウシ・ミズギボウシ・コバギボウシ・タチギボウシ=ウルイ  ユリ科  若葉を茹でて、浸し物・煮物・和え物・汁物などとして食す。美味しい。 
  ナルコユリ  ユリ科  若苗を茹でて水にさわして食す。甘味がある。漢方で根茎を黄精(=おうせい)といい、滋養・強壮薬に用いる。 
  アマドコロ=アマトコロ  ユリ科  若苗を塩一つまみを入れて茹でて水でさわし、浸し物・和え物にして食す。 
  カタクリ=カタタゴ  ユリ科  花・葉・茎は茹でて干し貯えた。茹でて水にさわし食べると、甘い食味を感じるが下痢を起こすので多食はしない。地下塊根からでん粉をとり、片栗粉と称す。万葉の頃より親しまれている植物ですが、最近は激減しているので、大切にしたい。 
  アサツキ  ユリ科  春先、鱗茎や若芽を茹でてさわして、浸し物・和え物にして食す。 
  ノビル=ノノヒル  ユリ科  若葉・鱗茎を茹でて浸し物にしたり、生で味噌をつけて食す。 
  ギョウジャニンニク=ウシヒル  ユリ科  全体にニンニク臭があり、若い根を食す。その名の起こりは江戸時代に山岳信仰の行者達が強壮薬として盛んに食べたことによる。 
  ヤマユリ ・ヒメサユリ ・コオニユリ・オニユリ=ユリ  ユリ科  鱗茎。ユリの名のあるものは、何ユリでも食すと記してある。これらのユリは、最近は激減しているので、大切にしたいものです。 
  シオデ・タチシオデ=シオデユリ科  今でも人気の高い山菜。 
  ニラ  ユリ科  
  ネギ  ユリ科  
  オニドコロ=トコロ  ヤマノイモ科  根茎。味が苦いので木灰汁で煮て、1~2晩流水でさわし苦味を除いて食す。 
  ヤマイモ  ヤマノイモ科  自然薯のこと。根の部分を煮て食べたり、とろろにして食す。茎にできた珠芽をムカゴと言い、煎って食す。このムカゴを荒地・藪地を掘り返して蒔いておけば、ヤマイモが年々太く育ち飢えを助けるので、救荒植物として栽培するようにと、記してある。 
  ツクネイモ=ツクイモ  ヤマノイモ科  こぶしのような形をした粘り気の強い薯で、とろろで食すると最高に美味しい。 
  オニノヤガラ=ヌスビトノアシ  ラン科  根。塊茎を塩を入れた熱湯で茹でて、水にさわして食すと記してある。また、根茎を漢方で天麻(=てんま)といい、強壮・頭痛に用いる。数も減少し大切にしたい植物。 

 ※以下の2件は猛毒植物の記載である。

 
  トリカブト=カフレブス  キンポウゲ科  これを食せば即死すると記してある。若芽の時、ニリンソウやモミジガサ(シドキ)と間違えて食す危険性がある。 
  ハシリドコロ=ミネコサズ  ナス科  フキに似たり。これを食せば即死すと記してある。若苗の時葉が広がらずに出でくる姿がフキににているからと考えられ、誤食すれば死に至る。 

  尚 他に禽獣のいことが細かく書かれてある

 以上こと細かに精査し、印刷して藩内に配っています。他藩では飢饉の際、多くの餓死者を出したりしておりますが、上杉藩ではたった一人の餓死者も出さなかったことは驚嘆に値するのではないでしょうか。今、僕たちは上杉伯爵邸に気軽に「かてもの料理」を戴けることですが、減封に耐え、明治まで続いた上杉家一党の裂帛の藩政をただ黙して食べ、往時を偲ぶのみであります。

  兼続は、謙信公の教え通り、ウコギの植栽を越後から持って来ていた。思うに、鷹山公の手法の、その多くは兼続を踏襲したものであったと想像されます。兼続が種を蒔き、鷹山公は花を咲かせ、実をつけたのでした。それだけに兼続の先見の明と器量の大きさが伝わってあまりあります。単なる戦国の一武将であったかも知れませんが、彼の見据えた歴史観は、僕たちに重く警鐘を鳴らし、多くの課題を投げ続けているようです。いずれも謙信公の御姿が垣間見れるお話だったのですが・・・・。

 

CIMG4253   CIMG4374 の補正

ウコギ 殆ど生垣になって食用とす     美味しいサッパリ味のウコギ茶

 

 

 本日のBGMは Chopinの「La Campanella」

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草木塔(そうもくとう)・行屋(ぎょうや)・かてもの 米沢の民人に眞の魂の薫り聞きたり への4件のフィードバック

  1. 草弥 より:

    ■松本さま。コメント欄が開放されましたので、初コメントします。私の方へいただいたコメントの返事は、そちらに置いてあります。コメント無し、で「覗いて」みるだけというのが多いと思いますが、「訪問者リスト」に「足跡」が残りますので、悪いことはできません。よろしくお願いいたします。では、また。

  2. 文殊 より:

    Sohyaさま 有難う御座います。この再開設は、Sohyaさまのひと言が大きかったんです。いつまでも閉鎖しているのは何だか卑怯なような気になりましたのです。こっちのほうは閉鎖してて、勝手にあがって、コメントするのは何となく失礼に思えたからであります。どうぞこれからもよろしくご指導賜りまするよう御願い申し上げます。有難う御座いました!

  3. 良枝 より:

    普賢 文殊さまこんにちわ。りんこです。コメント欄が解放になったんですね。わーい 笑私の通っていた大学のゼミで同期のお姉さんの卒論が出羽三山についての物でした。その時、私は薬師如来についてかじっていたので、湯殿山と薬師如来に関してとやかく調べた記憶があります。悉皆成仏ってイイ言葉ですね。私、仏教大好きなので 笑

  4. 文殊 より:

           りんこしゃん 出羽三山は、話題の宝庫になるぐらい面白いです。古代の人たちと、僕たちの現代を結び付けられているような不思議さがあります。過去、現在、未来とした明確なビジョンも素敵なことです。 日本全国歩き回るますと、月山・湯殿山・羽黒山の詣でた石碑がいかに多いのでしょう。出羽の信仰はいかにも、僕たちに分かり易く、その神秘を説いているように思われます。多分、難しいことはなしにして、この尊大さを今にも伝えているようでなりません。 月山信仰は自然に対する信仰そのものだのでしょう。凄いことです。 今夜も来て戴いて、ホンに有難うさんでした。

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