静かに音せぬ道場に 母の命日

   おおばゆり

 北海道の山野に 自生して咲くオオバユリ

 

 

 

          静かに音せぬ道場に 母の命日

 

 早いもので、来年の今日、母の三十三回忌である。あっと言う間の年月であった。三十三回忌が終わると、弔い上げとなり永代供養に移ると言う。七夕の日、小暑となり、愈々夏らしくなって、そして昨日まで入谷・鬼子母神では朝顔市があった。浅草寺でも今日は酸漿(ほおずき)市が賑々しくやられていることであろう。毎年こうした東京の夏の風物詩を聞くにつれ、僕の心中は塞ぐ。何年経とうが、年々記憶が鮮明になるばかりで、確かに僕の中には、まだまだ母が生きているのである。鴎外忌の日でもある。

 ぼんさんの都合で、自宅での法要は午前11時からとなっていたので、朝から大忙し。先ず杏には、真っ赤な金魚さんが描いてある作務衣と紅い鼻緒のジョジョを履かせ、脱げないように踵の部分に白い紐を通して結ってあげた。嬉しかったのか、杏は家中を立っては歩き、しゃがんでは立って歩いていた。妻には先日オーダーで作った生成りの夏用マタニティ・ドレスと、それに合わせた「もじり織」の藍染ストールと純白のローヒールではどう?と聞いたが、あなたが和服で行くから、ウチも浴衣で行きたいねんとどうしてもそう言うので、急遽「竺仙」の錦絽の浴衣で、柄は吹き寄せ松葉を選び、帯は勿論博多帯で半幅の臙脂色で、麻の葉柄に水や千鳥が描かれている帯を選ぶ。畳表右近の雪駄に小千谷縮で肌に当たる部分がビロードの履物も選んだ。麻仕立てのレースの日傘も合わせた。僕も「竺仙」の浴衣で、網代と波濤の柄を選び、博多帯は濃紺で二本の献上柄で縦に配色柄で井桁に組み合わせた織柄のを選らび、無論信玄袋は津軽の古銀刺しで、会津桐製の下駄で正絹の黒の鼻緒の履物を選ぶ。折り畳み式のベビーカーを個人タクシーに乗せ、杏用の色んなグッズが入っているシルキーなナイロントートバッグも持って、蒸し暑さを避けるかのように朝早め、僕たちは実家に向かった。

 実家に着くと、昨日山から帰ったばかりだと言って、父は玄関で元気そうに出迎えてくれたが、杏が急に泣き出した。父の顔は髭面で、真っ黒に日焼けしていたからに相違ない。漸く泣き止んだ杏はちゃっかり父に抱かれている。「おぉ可愛いおべべねぇ」と叔母も嬉しそう。僕たち二人は去年買ったばかりのお揃いの象牙の数珠を持って、母の仏間に入ると、あちこちから届いていた生花が飾られていて、既に焼香の薫りが立ち込めていた。二人で母の話をしながらしばらくしていると、ぼんさんがやって来て、直ぐに読経が始まり、呆気なく法要は終わった。杏を背負いながら、叔母は既にお料理を済ませていたらしく、大きな屋久島の縄文杉のテーブル(戦前に祖父が購入したらしい)に色々な手料理が並んでいた。ぼんさんと一緒に僕たちも戴いた。杏には杏用の水菓子とヨーグルトや桃のジュースが置いてある。主食は藍色の江戸切子のガラス容器に入った稲庭饂飩で、氷を砕いたのと煮付け木耳と刻み大葉と何分かに分けた西瓜が乗ってある。つけあわせは、刻み海苔とオクラの小口切りと浅葱の刻んだんのと白胡麻を炒ったのが、江戸切子の饂飩猪口の傍に添えてある。なるべく簡素にしたらしく、色んな浅漬けと叔母特製の海老の佃煮と浅蜊と葱の味噌炊きと、山菜と鰊の干物の炊き合わせがあったが、どれも薄味で繊細な味で美味しかった。最後に水菓子も出て来た。来年の三十三回忌の打ち合わせなど父に任せ、叔母と妻と杏が楽しげに遊んでいる。今日のお墓参りは直ぐ来るお盆と一緒にすることになっていたようだ。僕だけ、再び母の仏間に行き、眼を瞑り般若心経を唱える。すると「梁塵秘抄」の中から、「静かに音せぬ道場に 佛に花香(はなこう)奉(たてまつ)り 心を静めて暫らくも 讀めばぞ佛は見えたまふ」の一唱が想い出される。ひと滴、涙がウッカリ零れ落ち、未だ我れ的には区切りがついていないことを強かに知った。既にお盆の準備がしてあって、廻り灯篭の灯火を観ていると、何だかイノチの循環を感じざるを得ず、妻や杏や、再び新しく生まれて来るイノチに、イノチの循環として母に深く感謝し賜ひしたりき。庭の紅白の夾竹桃が満開となり、藍色の朝顔は驚くほどに大きく背丈を伸ばしている。池には睡蓮が色とりどりに満開で、しばらくぶりにほっとする実家の風景であった。

 最近の杏は、顔を見ると大か小か直ぐ分かるようになっている。全く世話のやけない子で、綿製のオムツも次第に用が少なくなっているが、まだまだ一歳になったばかりで安心は出来ない。何を口にしてしまうか分からない心配もあるが、ちょこまかと歩いている姿を見ていると殆ど見飽きることはない。一所懸命に話そうとしているものの、殆ど独特の杏語でよく分からない。久し振りに着た浴衣の妻は、父を「お父さんお父さん」と懐くもんだから、杏とともに可愛くてしょうがないらしい。さてあなたとそろそろプールでリハビリしようねと背後で父の声を聞き、実家を後にした。いつもの個人タクシーを呼んで、車中の人になる直前、何処からか強い梔子の香りが漂って来た。母が生きている時、梔子の実を使って、金団(きんとん)を色鮮やかに作るのが実に上手だったなぁと再び母を思い出す。道に迷わないように、この梔子の花も、母にとっては盆花の一つとなるのだろうか。そして確かに母は僕の心の中で生きていた。

 折角めかし込んでいるんだからと妻にせがまれ、やはり浅草の酸漿市に行くことになった。浅草寺に、最も近い東武デパート前の花川戸でタクシーを降り、そこで待ち時間をとって戴けた。浅草寺の境内はごった返していて人息れでむっとしたが、ベビーカーの杏は特別驚く様子もなく、ただ眼をぱちくりしている。何とか本殿前に進み、僕たちは観音さまにお祈りをした。杏にもお手手を合わせてやりお祈りを済ませ、酸漿の房を数本買うと、浅草寺の真横から出て再びタクシーへ。9日か10日の、どちらかのご縁日にお祈りすると、4万6000日参拝したことになるんだよと言うと、笑いながらやっぱり来てよかったと妻の言い、下鴨神社で土用の丑の日にある「御手洗祭り」が頻りに懐かしがっている様子であった。偶には京都に帰ろうよと誘いかけると、やることがいっぱいあるからと言って、まったく妻の首は縦には振られることはなかった。次第に江戸情緒にも慣れて来た所為か、江戸小紋の型押し絵柄がとっても似合っている。後ろから見ると、襟元からすぅっと見える項に、どきっとするような色香が漂う時がある。母が遣わした天女である、と空想しつつ、独り含み笑いを浮かべている。

 

 今宵のBGMは Schumann作曲の「Dreaming」

広告
カテゴリー: メモリー パーマリンク

静かに音せぬ道場に 母の命日 への6件のフィードバック

  1. 道草 より:

    年経るに連れいっそう思慕が募る母上。やはり母の存在は大きいものなのか、と昨年に3回忌を過ぎたばかりの私は、その事に未だ思い足りぬ我が身を少しばかり恥じております。33回忌は世間の一つの区切りに過ぎず、硯水亭さんとそのご家族にとっては新たな出発点であるやも知れません。我が家では、父が逝って既に45年が経ちました。昨今は、親不孝であった我が身を懺悔すべく、父の遺稿を整理してブログに残す程度で恥ずかしくもお茶を濁しております。幼くして別れられた母上への追慕は、慕い追ってこそ深く大きくなるもの。奥様お子様共通の思慕思念として、これからも大切に育んで行かれますことを祈っております。「追憶の母」   田中冬二  麦は黄ばみかけてゐるトマトの小さな風車のやうな花が咲き蛙がないてゐる山椒の葉がひかり うどの葉がひかり薄月夜 どこかに追憶の母がたつてゐるやうである

  2. 文殊 より:

    道草先生 何だか変なのですが、一向に薄れて来ないんです。益々観音菩薩になって行くようで、堪りません。父と母はそれはそれは仲がよかったんです。何度か再婚の話がある時も、どうせ反対するからと、全部僕に自信なさげに、父は話していました。恋愛の極みだったのよと叔母も証言しているぐらいですから、母以上の人に出会わなかったということになるんでしょうかね。父は、永年書いた日記のようなものや論文めいたものを最期に残して逝くからねと、このところ頻りに言っていますが、何、このままなら100歳まで生きるような元気さです。僕も、母の分まで生きて欲しいと念じているところです。母は妻・倭文子や娘・杏に変身して生まれ変わって来たモノと、どこかで信じているんです。すると不思議に生命が繋がっているような気がして来ます。イノチって不思議なものですね。 何だか最近の妻は江戸情緒にもすっかりはまりつつあり、来月にはしばらく東大に通えなくなるからと、まだ史料編纂所へ通っています。居心地いいと言っています。東京には東京の良さがあるのでしょうか。江戸小紋も、よく似合うようになりました。まだお酒は解禁されていないのですが、偶に我慢出来ない時があって、どうも具合悪いですね。でもあれもこれも徐々に慣らして行こうと思っています。 田中冬二さんの詩は素敵ですねぇ。最後の一行、ぐっと来ました。有難う御座いました。

  3. 良枝 より:

    普賢 文殊さまきゃぁぁ!!天女ですって。羨ましい・・素直に羨ましいです。私も努力しなければ。見た目が追いつかないで言うのもなんですが、知性も付けなきゃ色気は香らない物です。あぁ、本当に、努力有るのみです 苦笑お母様といい、奥様といい、どちらも魅力的な女性と来たら杏ちゃんの成長がますます楽しみですね。

  4. 文殊 より:

          りんこしゃん 天女は我が妻のことだけではありません。勿論りんこしゃまも入っています。人類は女性からのみ生まれて来るもので、娘・杏を見るだけでも、どうしても不思議なイノチの営みを感じます。凄いですよね、女性は。僕は不思議でなりませぬ。多分僕は若くして母を亡くしましたから、永遠のマザコンでしょう。でもそれでいいのです。 妻の身長は176センチで、僕が185センチですから背高のっぽ同士です。多分杏も大きく育ってくれるのでしょう。妻は常に冷静で、学問ひと筋です。僕はそれを支えるだけで歓びを感じます。ただ今ムービープラスHDで「ヘンダーソン夫人の贈り物」と言う素敵な映画を見ながらオサンドンをしています。今夜は妻が大好きなイタリアンです。プランターで栽培しているハーブをたっぷり使って作ります。30年物のバルサミコも大活躍。エキストラ・バージン・オイルもたっぷりと使います。生ハムも出しましょう。 僕は妻や杏が楽しんでくれるものは何でも出来そうです。楽しんでもらうことが何よりの嬉しいことです。妻は勉強に忙しい人ですから、色気はありませんが、どことなく色香はあると思っています。りんこしゃんだって、絶対素敵な方だなぁと思っています。母は演劇趣味で、僕をロマネスク建築に目覚めさせた人でした。母も色気はなかったのですが、たっぷりと色香はあったと自慢したいです。御免なさいね、自慢話ばっかりで、でもね、りんこしゃんちも、きっと素敵な素晴らしいご家族になると信じます。お互いに頑張りましょう。そろそろ最後の調理の仕上げに掛かります。今日も有難う御座いました。ペコリ!!!

  5. (Kazane) より:

    こんばんは。もう三十三回忌なのですね。やはり命日にはいろいろなことが思い出されますよね。お母様、きっと皆さんの幸せそうな様子を喜ばれていることでしょう。天女のような素敵な奥様と出会われて、本当に良かったですね♪でも、天女と感じられる、硯水亭さんの心がまた素敵ですよね☆ 杏ちゃんもどんどん成長されているようですし、これからがますます楽しみですね^^

  6. 文殊 より:

          風音さま 早いものですね。風音さまも確かお父上さまでしたでしょうか。何年経ってもきっと想い出されるものでしょう。特にいいところだけが妙に大きくなって残りますね。 天女だなんて大袈裟ですが、僕たち夫婦は一定の距離感を大切にしています。彼女の勉強部屋には入りませんし、プライバシーを徹底して守っています。お互いになんですが、そうするといつまでも新鮮な気分になるものです。朝から寝る時の、ご挨拶まできちんとします。それが天女を想い出させるのでしょう。風音さまも、天女中の天女ですよ、お空とあんなに仲良く出来るのですから。 おかげさまで、杏は想像以上に成長が早いような気がします。ええ、楽しみです。これもひとえに、風音さまや皆さまの応援のお陰だと心から感謝しています!

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中