「秩父山中 花のあとさき ~ムツばあさんのいない春」 鑑賞後記

  

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  ムツばあさん        モミジ広場にどなたか植樹しカードを置いていった       夫の小林公一さん

「故ムツ様 ムツさんのお花に会いに来ました ご冥福をお祈りします 平成21・4・9」の文字が 新しく植樹された樹間に読み取れる

 

 

 

 秩父山中 花のあとさき ~ムツばあさんのいない春 鑑賞後記

 

 先日、オフィスに出ようとしたら、突如秩父のムツばあさんの映像があるという。僕は早速ビデオに撮って出掛けた。いつかの再放送かとてっきりそう思っていた。帰って直ぐビデオを観た。何とまぁ、あのお元気なムツばあさんが亡くなくなられたというお知らせと、追悼する番組構成になっていた。それだけでも胸がいっぱいなのに、番組は出逢いの時から、最期のムツばあさんの後ろ姿まで映し出し、しみじみとした情感を残した。今年の1月に亡くなられたのである。夫・公一さんは平成18年9月にご逝去されたことは何かの報道で知っていたが、まさかムツばあさんまで亡くなるとは、僕は思わず絶句した。思えばこの取材は足掛け8年になろうか、以前何度もこのご夫妻を追い掛けた番組が放映されていた。決してヒーロー・ヒロインではない過疎の村の花咲じいさんとばあさんのお話である。幽かな記憶によると、秩父山中にお花の桃源郷があるというものではなかったか。僕は、仕事柄ずっと注視して観ていた。そして今回の悲報を聞くに及んで万感の思いがつのるのみである。

 

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 番組がムツばあさんと逢った平成13年頃のムツばあさんと 秩父市吉田太田部楢尾(おおたぶならお)の小さな集落

 

 お二人の生活の基盤が激変したのは、部落の眼下に見える下久保ダムの完成の時からであった。それまでは桑畑と養蚕と、炭焼きと、杉の栽培、及び伐採などの林業が主体であった。それまでは約700人の方々が生活し、林業や炭焼きに勤しみ、戦後の住宅ブームの時は高値で何もかも売れ、大変な需要があったようである。だがダムが出来、公一・ムツ夫妻の地べたが道路に取られ、それから生活が一変した。何もかもが安値になり、人々は、ダムのお陰で完成した頑強な吊り橋のお陰で、マイクロ・バスが通り、人手は皆町へ行ってしまった。一時700人もいた部落には嘗ての景気が戻って来ることは全くなかった。来春には帰って来るからと言って、冬到来の直前、一人一人と、この山里を後にしたのだった。そして今では所帯数たったの5軒、人数にして7人しか生活していない。大袈裟な過疎化の問題を、この番組では声高に言っていないが、過疎の現状と今後の問題が慄然と浮きぼりにされて行く。

 

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     杉伐採作業の現場           養蚕用の桑の葉が肩にギシリと食いくむ     蚕と桑の葉の匂いがムンムンとした作業場

 

 今から150年前、先祖が南斜面のいいところに畑を開墾し、材木生産者として村は立派に成り立っていたが、一方段々畑での仕事もあった。だが現在作物を作ってもすべては自家製で、自宅専用のモノとしかならない。売れるまで行かないのだ。そこで公一・ムツ夫妻は、段々畑に花木を植え、一個、また一個と、山に返す決心をする。ダム建設後だから、もう35年は過ぎているだろうか。何とこのご夫妻は約1万本の花木を自分たちの段々畑に植えて来たと言う。道理で以前の放送では「桃源郷」と表現してあったと記憶する。無論このご夫妻はガーディナーでもなく、専門の設計屋でもない。心の赴くままに、石積みした段々畑を、花木を植え替えて来たのだった。

 春は、花桃や櫻や連翹や、多くの花々が咲き乱れる。初夏には山モミジの葉が雨に濡れて美しい。秋には、ご夫妻が拘ったモミジ広場のテーブルと椅子の周辺には真っ赤な紅葉が華やぎをもたらす。いつしか春夏秋冬、それぞれに素敵な空間に育っていた。驚くことに、後に残された武さんや良一さんまで、よくここまで植えたものだと感心し、どこをどういじったらいいかなどと困惑していたぐらいである。

 

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春 花の饗宴 決して広くはないが 素晴らしい素敵空間 どうしてここまで出来たのだろうか

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ほぼ村の中心にあるモミジ広場 その周辺の風景と 二人で作ったテーブルと椅子

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特に色鮮やかな紅葉を 山から採取して 植えそろえたという イロハ紅葉から 山紅葉から 多種植えてあった

 

 それまでのムツさんの生涯も決して平凡ではなかった。山一つ越えた隣村からの遅い結婚であった。少女時代から極度の近視で、小学校を出ると、みんなは町の製糸工場に就職したが、ムツさんは子守や奉公をして青春時代を過ごしている。結婚した時は26歳であったから、今の時代からしても遅い結婚となろう。結婚をして結婚式の写真すら贅沢と思われていたのを、夫・公一さんは半日掛けて町の写真屋に出掛け、ムツさんの結婚写真を撮っている。意外に思ったのは、その実年齢である。18歳の時の写真(多分見合い用か)、26歳で結婚をした時の写真、そうして子宝に恵まれた時の30を過ぎてからの写真、意外や意外、僕たちがよく知っているムツばあさんより、遥かに老けて見えるから不思議だ。やはり高村光太郎の「智恵子抄」ではないが、オンナが付属品を取っ払って行くと、こうも若々しく魅力に満ち溢れた女になるものか、小生はただ驚くだけである。若い時は色んな存念があったのだろう。しかし嫁に来て苦労し、それを全部乗り越えたところに本当の女性の魅力が隠されているのではなかろうかと。驚き桃の木山椒の木と受け取り、又至極嬉しく痛快でもある。

 

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   18歳の時の写真                  結婚式後の写真              子宝に恵まれた30過ぎの写真

 

 ムツばあさんはきっと幸せな人生だったに違いない。夫・公一さんをムツさんは「口数の少ない人だったけれど、心根の優しい人だった」と述懐し賞賛している。おって夫婦仲が想像されるだろう。夫・公一さんは取材が始まって5年後、平成18年9月にご他界した。その時のムツさんはずっと塞ぎがちで、すっかり気弱になっていた。取材班がそのことを言うと、ムツさんは一年したら、平気になるでよと友達から言われていると気丈に語っていたが、その年の冬、長男から誘われるまま、夫の写真とご位牌を綺麗にしまって、村を後にするのだった。例に従い、「来春帰って来るでよ」と、前の家の武さんご夫妻に言い残し、町に住む息子の車両に乗り込むのだった。

 

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        夫・公一さんの遺影         公一さんとの思い出の最期の花桃の木の植樹  人生は呆気ねぇよと言った時のムツさんの表情

 

 その次の年5月、ムツさんは楢尾に帰っていた。まるで公一さんを亡くされた人に見えないくらいにお元気であった。主人・公一さんの介護でたった一年見ないうちに、下草や蔓が伸び放題になっているのを嘆きながら、せっせと下草採りをして働いていた。ムツさんは言う。ここを通り掛かった人が綺麗な花が咲いているなぁと振り返ってくれたらいいと。そしてここには、ちゃんと生きた足跡があったと感じてくれれば幸いだと。大それたことは一切ないのだ。ただそのことだけである。番組では繰り返し言う。ムツさんたちがこの村に残したものは何だったのか、或いは私たちの心に残したものは何だったのかと。でも時は粛々と進む。村に残った武さんや良一さんが後の手入れをしていた。何十もあった村の祭りでたった一つだけ残った「山の神祭」。武さんは語る。ここにお花を観に来てくれる人はみんないい人だでよ、心底、心の綺麗な人ばっかりだでと言って、下草刈や蔓の伐採などを良一さんと二人でムツさん亡き後をやっている。だが80を過ぎた武さんだって、後どのくらいやれるか全く保証はないのである。ムツばあさんの残したものは素晴らしくよくて大きいものだけれど、いずれ誰の手に掛かることがなく、このままであったならば、蔓が生え下草が伸び放題になってやがて自然のままになって行くことだろうと。でも武さんは、「ムツさんの跡をどうしたらいいか、みんなで考えてるけど、何とか花をもたしてやりてぇわなぁ、何とかなるわさ、又何とかしなくちゃしょうがないわなぁ。みんながここで生きている以上はな」と心強い。又武さんは沢に行き、沢カニをいじっては言う。~親がねぇところに、子はいねぇからなぁ」と。ムツばあさんの魅力でもってきたものはみんなで守って行くべきだと。何とか、その辺にキーが隠されているのだろうか。

 

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武さん                         良一さん                        山の神祭

 

 平成19年5月、NHK取材班の一行は楢尾にいた。息子の家に帰っていたムツさんが帰っていたからだ。公一さんと思い出の最期の花桃の苗木を、最期まで守った「すわのくぼの畑」のど真ん中に植樹した。取材班と竹の子採りに出向く。綺麗な品物を売るお店に行くのと違って、何でも身体を動かさなくちゃなぁ、どうしようもないだよと言って、そしてムツさんが足早に去る畑の道を最期に、ムツさんに逢うことは、その後一度としてなかった。ムツさんが言った。「ぅん、そう。畑を山に戻して、安気するだぁ。のんびりするよぉ。草むしりばりして、花を咲かせて山に戻す。それをいつか山に人が戻って来た時、綺麗な花が咲いていたら、どんなに嬉しかろう」。僕は、ムツさんの忘れ得ぬそんな言葉を思い出しつつ、ムツさんは私たちの心に何を残したのだろうとずっと考え続けている。花を残したのか、人を残したのか。

 

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5年経ったら花をつけると言っていた花桃は僅か3年で花が開いた 大好きな花木ばかり何と1万本も植樹す

 

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左、最期の石版へ「セトの畠です」の書付 皆さんはこれに花を手向け 合掌する いつも出掛ける際に石版にチョークで書いて出た

 

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最期の後ろ姿 どんな斜面でも 早脚で歩いた この姿が忘れられない いつも履いていた白い長靴

 

  この番組で何度か繰り返し言われたこと、ムツさんはこの部落に何を残したのだろうか、そして私たちの心に何を残したのだろうと、そんな問いにまだはっきりとした答えが見つかっていない。急な斜面にへばりつくようにある楢尾の村は今日も美しい風景を見せているのだろうか。過疎は全国どこにでもある現代日本の代表的風景だが、政治が悪いのか、何が不足しているのか、私たちは愈々決着つけなければならない時であるのだろう。一過性でファンが来ても仕方が無いわけで、根本から何がいけないのか、どうすればいいのか、私たちみんなの切実な問題であるのは確かなことのようだ。

 

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跡を絶たないファンたち ムツばあさんの石版に合掌したり 白い花束をお供えする方もおいでである 武さんは皆優しい人たちだと

 

 再放送のお知らせ;7月26日(日) 15:00~16:15まで 「秩父山中 花のあとさき~ムツばあさんのいない春」がNHKハイビジョンで放映されます。

 又大好きな佐藤初女さんの活動の拠点「森のイスキア」より 食べることの尊さ、イノチの尊厳を訴える番組が直ぐにあります。「初女さんのおむすび~岩木山麓・ぬくもりの食卓」は 明日7月24日 14:00~15:30まで御座いますので、こちらの再放送もどうぞ御覧下さりたく!こちらもNHK BSハイビジョン放送です!間に合えばいいのですが・・・・。

 (これら全映像はテレビ画面からの取り込みです。どうしても上手く行きません。写真の画像はいいのですが、PCに取り込むと途端に画像が落ちてしまいます。心からご容赦賜りたく!)

 今日のBGMは 小椋佳さんの「歓送の歌」

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「秩父山中 花のあとさき ~ムツばあさんのいない春」 鑑賞後記 への4件のフィードバック

  1. 道草 より:

    全国に限界集落が続出しているそんな中でも、こうして心から古里を自然を愛して生涯を終える人もあるのだ、と正に感無量です。私の古里の宇津(村)でも、人口はこの半世紀で半分近くに減りました。新生児の出生は毎年1人か2人。このままでは、後半世紀で廃村の惧れがあるだろうと言われております。下流にダムが完成して道路が作られ、近郊の町へ短時間で出られるようになりました。毎日の買い物も出来ます。その気になれば通勤も自宅から可能です。かつては、隣村との往き来は急峻な峠を歩いて越えるしか無かったことを思えば、住民の生活はし易くなったことは事実です。それにも拘わらず人口が減り続けるのは、農業や林業では暮らしていけないからです。私の同級生が40年ばかり前に、子供達のために持ち山に北山杉を植林しました。その友人は既に亡くなりましたが、杉の木は美事に育っています。しかし、杉山は放置されたままです。息子は3人居るのですが、2人はサラリーマンになって家を出て、1人が母親と自宅に住んで居るものの、常は隣町へ通勤しています。杉の木は伐っても売れないので放置するしかない、と奥さんは淋しそうでした。伴侶の残した遺産が無になったとなれば、寂しさや悔しさどころか暗澹たる心境だと思います。加えて、子供達も都会へ離れて行く、となれば尚更でしょう。松山も手入れが出来ず(しても無駄)、次々と枯れ始めているそうです。終戦直後に国が奨励して植林した杉や桧の常緑樹が蔓延して落葉樹が育たず、餌の木の実が減ったため熊・猪・鹿・猿などが里へ降りて来て、農作物や庭園の被害は今や甚大なものがあります。京北地区でも、少数ながら他所から移り住む人があるようです。それらの人達は手に職業を持っているか市内や近郊への勤務者で、農業や林業で暮らす人は居りません。古里にもムツばあさんの様に注目はされなくても、自然を慈しんで生活している人達も居ると思います。ボランティア的に植樹をしたり環境保全に意を注いでいる人もあります。ただ、それらは個人の善意に成り立っており、行政しとしてどれだけ真剣に取り組もうとしているかは、積年の問題ながら方向性は明確ではないようです。ムツばあさんの在所の住人が7名の老人だけであれば、行く末は目に見えています。簡単に不景気の波を受けて失業者が続出する現状にあって、昔の様に「土」に生きる方策を本当に真剣に取り組む時に来ているのでは、とも思います。物の豊かさから心の豊かさへ方向転換しないと、ムツさんの様な生き方は遠くなるばかりに思えます。ムツばあさんが年を取るに連れて若返り、そしていつまでも若さを保てたのは、そんな生き方を実行したからこそでしょうから。「二度とない人生だから」 坂村真民二度とない人生だから一輪の花にも無限の愛をそそいでゆこう一羽の鳥の声にも無心の耳をかたむけてゆこう二度とない人生だから一匹のこおろぎでもふみころさないようにこころしてゆこうどんなにかよろこぶことだろう二度とない人生だから一ぺんでも多く便りをしよう返事は必ず書くことにしよう二度とない人生だからまず一番身近な者たちにできるだけのことをしよう貧しいけれどこころ豊かに接してゆこう二度とない人生だからつゆくさのつゆにもめぐりあいのふしぎを思い足をとどめてみつめてゆこう二度とない人生だからのぼる日 しずむ日まるい月 かけてゆく月四季それぞれの星々の光にふれてわがこころをあらいきよめてゆこう二度とない人生だから戦争のない世の実現に努力しそういう詩を一遍でも多く作ってゆこうわたしが死んだらあとをついでくれる若い人たちのためにこの大願を書きつづけてゆこう

  2. 良枝 より:

    普賢 文殊さまありがたいです。再放送のことまでのせてくれていて。CMは見たまま放送を見逃してしまうんですよねいつも 苦笑日曜日、どうにかして見たいものです。政治の善し悪しといえば、これからちょっとした決戦が始まりますね。どう転がって、どうなっていくのかしばらくはよくよく考えようと思います。しかし、自然との共生をしている先輩方の生活を紹介していただけるのは本当にありがたいですね。やはりNHKは流石です。

  3. 文殊 より:

         道草先生 本当によくおいで戴きました。感謝致しております。先ほど自宅に帰り、青森の「森のイスキア」を主宰されていらっしゃる佐藤初女さんのビデオをl少しだけ観ました。まさかムツばあさんのように亡くなられたのではないかと今朝から胸騒ぎがしてならなかったのです。そしたら僕の心配は無用だったようです。飽くまでも以前の再放送でした。今回は本当に驚いたんですよ。何度もムツばあさんの映像を観ていますから、よもやそんなことはと思わず絶句したほどでした。 先生の疎開先でのこともそうでしょう。最も顕著に、その同じようなことが分かるのは、北海道です。札幌に一極集中し、富良野とか知床とか、ごく一部分は別にして、恐ろしくどこへ行っても閑散としています。高倉健さんの映画で出て来たあの銭函の駅だって、隣の小樽に食われてしまって、駅するもない有様です。ぽっぽ屋で使われた駅もありません。海沿いの単線を独り電車に乗り、彷徨しますと、この辺の方は何で食べているのだろうかと。牧場地帯に行っても、ジャガ芋生産地に行っても寂れ果てたものです。まさしく先生が仰られている通り、日本全国どこでも似たような有様です。 やはりグローバル化が叫ばれ、農家だけを庇護出来なくなって来た昭和30年代半ば辺りから、微妙に、そして大きく社会構造が変化して参りました。やはり白洲次郎が心配した部分は実にそこだったはずです。グローバル化する前に、やることがあったのです。減反をする前に作付け種類を変容させるとか、山村の農家でも、地域が一体となって、大きな眼で見れば、一つの集合体のような山村を形成する必要があったのです。需給率が4割を割ってしまいました。政府は慌てて、減反計画の見直しをしようとしているようですが、麦やトウモロコシへの転用だってよかったのではなかったんでしょうか。或いは減反をしないで、少々高い買い物ですが、お米の生産をそのままにして、何か普遍なモノを守るべきだったのではないんでしょうか。 明治の頃は生糸の生産が莫大な富を産みました。横浜正金銀行はいち早く絹の町・フランスのリヨンに支店を設けました。そこに若い文学青年だった永井荷風散人が行っていたのをご存知だと思いますが、時代時代に多少の変遷はあるものの、日本人として決して妥協出来ない部分を保守すべきではなかったかと、今更ながらに悔しく存じます。 多くのダム建設も、原子力発電所が主流になったら、もう要らないというのでしょうか。開口健先生を筆頭に、椎名誠さんや野田智佑さんや夢枕獏さんや、多くの仲間たちと亡き主人が戦ったあの長良川河口堰反対運動は何だったのでしょうか。桑名工業地帯に水を供給するためとしていますが、とっくの昔に水の需要は無くなっていました。有明海の埋め立てだって可笑しいじゃありませんか。日本人の背骨と魂はどこに消えたのでしょう。 変革と変わらぬモノ、それぞれ特性や貴重な部分の区別が一切出来なくなり、この楢尾の部落でも殆どのお祭がなくなりました。関東一円にある三頭だての獅子頭だけが現存しておりましたが、山ノ神信仰のみが生きていました。急激にお祭は衰退し或いは既に廃棄されています。商業的に成り立つお祭だけが幅を利かせています。もっとも裏づけとなる庶民信仰がすっかりなくなったからでもありますが、明治時代の廃物棄却を、私たちの時代に平気でやっているような恐れを感じてなりません。 ムツばあさんは、そんな小難しいことは全くなかったのですが、でもムツばあさんの言葉をもう一度噛み砕いて見ると、何と凄い哲学的な言葉が多いのでした。前のお宅の武(80歳)さんの言葉もそうです。驚くほどでした。何故このような辺境に暮らし、その暮らしを愛し、決して山を降りようとしなかったムツさんと公一さんのご夫妻は、まさしく天寿をまっとうされ、山ノ神さまの御懐に抱かれたことでしょう。 「親がいるから、子が出来る」、たったこのひと言ですら、私たちは忘れかけているように思われ、堪らなく様々なことを思い起させました。本当に、先生も仰っていらっしゃることとおんなじです。くだらない政争をしている場合ではありません。日本人が実質豊かな国へ変貌するのに、山村の、これらの問題も解決出来ないようでは、国会議員は解体したほうが早いかも知れませんね。 それにしても、ムツばあさんは、18より26、26より35、そしてあの80を過ぎた頃の顔が本当に素敵でした。付属品を全部捨て、芯の部分だけで生きると、あんないいお顔になるのでしょうね。若々しく、最期の最期までシャキシャキとして歩いておりました。武さんだって、殆ど809歳を過ぎているとは思えません。必ず20は若く見えます。先生!まだまだこの日本の行く末を見なければなりません。先生のお仕事は魂の救済でしょうか。コツコツをと書かれ、そしていつの間にか身体と心の芯まで沁み入るような毎回の素敵な文章は先生でなければ書けません。先生には先生のお仕事がまだたくさんあると存じます。嗅げながら、心から応援申し上げますので、今後ともよろしく御願い申し上げます。本日は、又先生らしいマトを得た文章でした。嬉しく感じましたし、いつも読み慣れた眞民先生の詩歌ですが、今日ばかりは全く違った印象で、心に残りました。有難う御座いました!

  4. 文殊 より:

        りんこしゃん 来て下さって、有難う!多分皆さんがうっかり見逃すんではないかと思って、余計なことをしたまでです。でも、先ほどまであった佐藤初女先生の再放送まで、多分皆さんが間に合ったかと思うと嬉しいです。 ムツさんはごく普通のお婆ちゃんです。でもね、洒落てて、軽妙で、明るく、すってきなんですよ。ひと言ひと言がね、魅力に溢れているんです。ムツばあさんだけが突出しているようですが、先に亡くなられた公一さんは、ムツばあさんが「口数は少なかったけど、心根のいい人だったよ」と。そしてね、その後、ムツばあさんが眼にみえるように気弱になって行き、結局普通にお元気だったのは、ご主人の死から、たった一年間ではなかったでしょうか。額面では三年後のムツばあさんの死ですが、実際はたった一年こっきりの独りの余生だったように思われます。凄く仲がよかったもの。僕たちも、ああいう風に肖りたいと常に思っているのですが。ムツさんが若き日にした苦労を思えば、何でも出来そうな気になってきます。 政治の季節ですね。過疎化の問題や大切な農業・漁業の問題は地味な部分ですが、そこをしっかりと見つめて参りたいと存じます。医者不足、特に産婦人科医の不足なんて、政治的な配慮に欠けた典型です。孤島の医療問題だけではなく、今や私たち都市で住む人間にも深く関わっているのですからね。 りんこしゃんねぇ、このムツばあさんを追っ掛けして撮ったのは実に8年に及ぶんですよ。全くです。さすがにNHKだと認識を新たにした次第です。よかったら初女先生も注目してくださいね。彼女も若い時に長患いをしましたから、経歴はスープのお料理やエッセイでお馴染みの辰巳芳子さんとそっくりなんですよ。でも佐藤さんはクリスチャンですから、発想はやや違っていますが、初女先生の手作りオニギリの感覚を是非御覧になられて、試しにお作りになって下さいね。 今日もおいで戴きまして、心から感謝申し上げます!しゃん!!

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