八朔

 

 

 

 

  八朔(はっさく)

 

 

 この時季になると、田んぼの稲にようよう実がついて来る、「田の実」にかけて「頼み」とし、

京都・祇園では芸妓さんがみな黒紋付の正装に意を尽くし、日頃お世話になっている御茶屋さんや御師匠さんへ挨拶廻りをする。

午前10時頃から、多分1時間ちょっとぐらいだから、午前中で終わるのだが、多くの写真家(アマチュア含め)が祇園に集結し、

今頃きっと大騒ぎの時分になっているに違いない。この暑さにもめげず、芸妓さんたちは毅然として美しい。皆「絽」の正装である。

 

今朝最も嬉しいニュースに、岩手県早池峰山の山伏神楽が来月ユネスコの「無形文化遺産」として登録されるだろうとあった。

世に、ご紹介なされた亡き本田安次先生は、草葉の陰からきっと大喜びなさっているに違いない。一説には能楽発生以前の芸能である。

昨晩、花巻の早池峰神社例大祭の宵宮で、岳(たけ)と大償(おおつぐない)の二流のお神楽が揃って奉納されたと言う。

ワクワクするような話題で、「鐘巻(かねまき)」や「早蕨(さわらび)」などの曲が、僕は大好きだが、本祭の為、式樂六番に限られ演じられるであろう。

一番「鶏舞」、二番「翁舞」、三番「三番叟舞」、四番「八幡舞」、五番「山ノ神舞」、六番「天岩戸開き舞」など六番が正式な式樂で、

今日が本番の大祭である。太鼓のあの早いテンポ、笛の見事さ、そうして舞の繊細さ及びパワフルさが神社境内いっぱいに響き渡るはずである。

 

尚、葉月一日の今日は、「諏訪御舟祭り」や「川崎身代わり不動尊土用大護摩」や「大宮氷川神社例大祭」があり、

愈々夏祭り本番到来とあいなろう。我が家にじっとしていても、早池峰神楽の舞の所作が、ついに身体ごと動いてしまうことである。

心が騒いで騒いで、ねぇ杏よ~~~、チチ堪らんぜよ~~~! 杏よ、チチと踊ろっ!!!

 

 

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八朔 への2件のフィードバック

  1. 道草 より:

    八朔が「田の実」の節句を発祥とするなら、本来は旧暦の8月こそ相応しいのでしょう。新暦は如何なる祭事であっても、注釈がないと認識及ばずの感がどうね否めません。この「たのみ」は「頼み」にも掛けられ、公家や武家の世界でも「頼み合っている人」に感謝する風習があったとか。8月1日は如何なる絽の着物でも、正装した舞妓さんは大変でしょう。それでもいつもと変わらぬ涼しげな振る舞いには驚嘆するばかりです。最近は周辺まで見に出掛けることもなくなりましたが、家元の井上家は既に五世とのこと。「おめでとうさんどす」「相変わりもせずおたの申します」「おきばりやす」の遣り取りが、遠くから聞こえてきそうな気がします。昼前から激しい雷雨がありました。舞妓さんら大丈夫だったか、と居ながらにして要らぬ心配をしております。「八朔や町人ながら京留守居」炭太祇。

  2. 文殊 より:

          道草先生 全くその通りです。旧暦に意味があるのであって、何でも変えられて堪りませんです。町名変更なども、全く堪らないことばっかりですね。本来なら「八朔」は旧暦で申し上げれば、9月19日の、ちょうど朔の日です。ちなみに七夕さまの再接近も旧暦ですから、8月26日となります。七夕さまのお二人は本来既婚者であり、何かの運命が二人の仲を裂いたのでしょう。もう二度と逢うことがなかったことから、古来より同情するむきがあり、そこから天の川に橋をかけるカササギ伝説が生まれたことは既にご存知のことでしょう。八月の朔の日だから八朔なのに、もういい加減なもんです。 今朝の先生の記事に、自分勝手なことばかりを書いておりまして、本当に済みません。上桂川もそうであるように、水体系が色んな地域で崩れつつあります。まさしく日本文化の、極端な衰退を暗示しているようでなりません。日本文化はまさに水の文化であると断言してもよく、稲作文化が根付いたのも、滔々と流れ来る水がったからであり、文化の発展や遡上も殆どが水の文化から根本が成り立っております。いいところを突かれたと先生の感性に痛く感心させられたものでした。実はそこまで書きたかったのですが、途中で終わってしまって、大変失礼致しました。先生のお嘆きは至極もっともなことだと心から同感する一人です。 八朔のご挨拶廻りは雨が降る前に終わったようです。よかったです。夏は夏用の粧(けはい)があるそうで、昔から較べると、随分楽になったことでしょう。舞妓の未成年者でも、黒紋付を着られる年二回のチャンスですから、お水あげ前の妓たちにとっては、大変楽しみなひと時でありましょう。男衆(おとこしゅ)さんたちは朝から大汗をかいて頑張る日で、寧ろそちらのほうが大変かも知れませんですね。(笑い) ただこの時季に戴ける舞妓はんたちの団扇が毎年楽しみです。それぞれの花街で、独特な名前があるもので、感心することが多いです。伝統のなせるわざなのでしょうか。それとも明治時代に、花街が一新されてからでしょうか。歌舞練場は、単に芸事だけではなく、一般社会に適合するように、言わば職業訓練所のようなものだったはずでしょう。井上流が、観世流と姻戚関係を持つようになったのも、その頃からでした。能楽と舞踊は本来違うものですから、舞踊が堅くなる芸風にするのは好きではありません。上方舞のほうを僕は好みますが、今日もおいで戴き、本当に有難う御座いました!

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