平和ボケ国家の核問題 1945・8 Hiroshima&Nagasaki イノチに代えて許すまじ

 

 

 

 

 

       平和ボケ国家として核問題

                  1945・8 Hiroshima&Nagasaki イノチに代えて許すまじ

 

 

    <自慢するかのように、戦争を知らない僕たちが、このままでいいのだろうか>

 アメリカの国家防衛システムとはどのようなものだろうか。アメリカ政府は2001年に、「核戦略見直し報告」(Nuclear Posture Review 以降 NPRと略記)を議会事務局に提出した。当初この計画は機密扱いであったが、漏洩し、アメリカ国内では周知の事実となって今日まで来ている。途中、時の国務長官であったラムズフェルドによって、後に具体性を持って発表されるに及んだが、具体的には三つある。(1)攻撃システム(核兵器と通常兵器) (2)防衛システム(対ミサイル防衛システムと他の防衛力) (3)新たな脅威に対応する防衛インフラ(新核兵器の開発・製造と核実験の再開)、その三点である。これだけ見れば別段問題ではないかのように見える。そして後に公評され、NPRは新しい防衛システムとして掲げられるようになった。更にアメリカが核を使用出来る条件として三つが加えられている。(1)通常の兵器では破壊しきれない標的への攻撃 (2)核や生物・化学兵器を使う攻撃に対する報復 (3)予期しない軍事上の情勢変化 その三点である。問題はそれの(3)で、表現が非常に曖昧で微妙な表現となっていることだ。イラクのフセイン政府のように核(大量殺戮兵器)を開発しているかどうかまだまだ判然としない段階で、経済的に弱者のイラクなどの他国に対して核兵器使用可能になっている点ではないだろうか。

 アメリカ国務省は、世界各国から直結しているかのように驚くべき速さで情報を収集し分析し、核大国の威信にかけてブッシュ前大統領のように無神経に核廃棄物利用の兵器で大量殺戮を容認して来た。事実イラクで劣化ウラン弾を約2000万㌧に及ぶ大量に使用済み核が使用されていたのを、一体誰が黙認していると言うのだろうか。もともとそういう思想・信条があったからではなかろうか。そもそもアメリカの国民全体が危うい存在ではないかと疑いたくなる始末である。一方日本国民や日本国のことは一切情報収集しない。何故かと言えば、日本国民は国内事情だけ情報を得たがり、日本の政治も政治家も各メディアや新聞報道機関も殆どグローバル的視点を持たない報道であり、情報収集能力がないと心底を見透かされているからでもあり、唯一の被爆国としてどんなに核爆弾の恐ろしかったかを声高に張り上げても、アメリカ・メディアは何一つ報道しないばかりか反応すらしない。事実広島や長崎の原爆慰霊祭にただ一度も公式に大使公使などが出席したことはない。日本が、世界観や事実関係にきっちり基づいた評論や、或いは世界で筋が通る国家戦略は一切持っていないからである。意地悪なアメリカ国民の一部に、もし世界に核戦争が起こったら、ゴキブリと日本だけが生き残るであろうと平気で揶揄して憚らないのが現状で、何とも悔しいのだ。日本人として剥き出しの疎外感を感じざるを得ない、そう言ったことがそら恐ろしい事実であり、日本をそうとしか見ていないことに愕然とし、個人的に大なる憤怒を禁じ得ない。それだけにこうした原爆被災記念日に、日本国民、取り分け若者たちは平和ボケの中でどっかりと胡坐をかいているのだろうか。

 僕達は戦争を知らない。実感がないだけに評論するのが気後れするということだろうか。だがそれは違う。戦争を知らない世代だからこそ、多くの事実関係にしっかりと眼を見開き、後の世代にきちんとこうした大事なことを引き継いでいかなければならない。お陰で、あちこちで公文書や機密書類が存在していたことが分かり公開される機会が増え、一層切迫した形で、僕らは今や公然と知ることが出来る。だが一部には完全に平和ボケから抜け出せないで、悪いことに過日、日本政府があれほど強引に推し進めた侵略戦争の実態を知ろうともしない人が一般的で、かつてのあの戦争は侵略戦争であったと声高に言えば、右翼の街宣車がすっ飛んで来て、スピーカーでがなり散らされる始末もあろう。戦後赤化する恐れを感じた政府の一部が、祖国分断の危機に備えて裏で支えた遺物で、もはや到底容認出来ない代物である。隣国に未だに休戦中でしかない共産国家(正確には独裁主義国家)北朝鮮が存在しているからか、「右翼」は死語になっていない。もっとも韓国の事情と、我が国の事情は聊か異なっているのも事実であるが。

 

     <原発・核施設の恐ろしさ 及び人類共通の悲劇的終末へ>

 ところで、2000年6月アメリカ・ワシントン州(東部にある首都ワシントンD・Cではなく、イチロー選手がいるシアトル近郊の町で州のこと)にあり、アメリカ最大規模の核生産基地であるハンフォード核施設内で大火災が発生した。火災は、6月27日(火)、核施設境界付近での、トラックと車の衝突事故を発端として起こった。日本の新聞各紙では、全く紹介されていなかったが、アメリカのニュースでは連日トップ扱いの記事で大きく報道された。AP通信やCNN等の情報によると、大火災は、ハンフォード核施設(990㎞四方)の約半分のヨモギに火が燃え移った。そして、3カ所の古い核廃棄物貯蔵施設にまで達したとの報道もある。この大火災は、30日(土)になって漸くおさまったが、リッチランド市から西へ約16㎞離れたベントン市では、25件の民家が全焼し、約7000人の住民に避難命令が出されたようだ。火の勢いは激しく、煙を吸ったりして13人が負傷し、内1人は大やけどをおって重体と。約8000人いるハンフォードの労働者は木曜日と金曜日は、自宅待機となった。そして後日この核施設は閉鎖を余儀なくされた、と。

 ハンフォードは、1942年に出来たマンハッタン計画(オッペンハイマー教授の総指揮で核弾頭が研究され開発し、中でもこのハンフォードの核施設(広島・長崎に落とされた原爆を製造した場所である)のもとに、核兵器用プルトニウムを大量に生産されていた。無論永い間地元の住民には内密であったのは言うまでもない。一方この製造施設は、米国内最大規模の放射性核廃棄物貯蔵施設でもある。何千万ガロンという核廃棄物は、わずか6フィート(約1,8メートル)の地下に、177の貯蔵タンクにぎっしりとつめられている。但しその中でも三分の一はタンクが老朽化し、当然漏れているのである。そのタイミングでの火災で流れ出した放射性核物質に、この貯蔵タンクの2マイルにまで取水口があるコロンビア川が近づいていた。核廃棄物タンク爆発の危険や懸念もあったという。エネルギー省長官は、急遽ハンフォードを訪れ、「放射能の放出はない」とさかんに喧伝していた。州の保健省は、火災の直後から放射能のサンプリング調査を始め、放出の兆候は全然ないとしているものの、草木と空気の別のモニタリングを計画しているという。それも奇怪なことで怪しいものがある。核施設の土壌や草木に含まれている放射性物質が、火災によってまき散らされた可能性も大きく、多分計り知れないことだろう。ハンフォード核施設の風下住民は核被害に漸く気付き、一時は深刻なパニックを起こし補償問題にまで発展したが、何とその訴状はアッサリ棄却され、現在にまで至っている。何の補償があるわけではなく、現在稼動をやめた施設をまるで何もなかったように盛んに隠蔽工作をしているだけである。近くのリンゴ園や牛肉生産業者やジャガ芋業者は全く無関心で、万一日本が買ってくれなかったら大恐慌になってしまうと鼻息が荒い。無論一方では浄化作業が懸命に続けられているが、浄化作業の監督や責任者は「決して浄化されることはない」ときっぱりと断言しているからそら恐ろしいことである。近くのコロンビア川から取水している市の水道に、核施設から地下水を通り、水道水はいずれ間違いなく核汚染されるであろう。その時水道局は一体どう判断するのだろうか。創ったアメリカでさえ実態は、深刻な核汚染で困っている国家なのである。

 つまり広島・長崎で、幾ら声高に反核を主張しても、アメリカの新聞や国務省では一切ニュースとして取り上げられることはない。それどころか、オッペンハイマーと一緒に原爆を開発した科学者が広島を訪れた時に発した言葉は衝撃的で忘れられない発言であった。「日本が戦争をやめなかったから、原爆を使用するしかなかった。お陰で終戦出来たんだろう。我々アメリカ人のどこが悪いのか、当然こうなってしかるべきだったんだ、何一つ疚しいことはない」とキッパリ。しかし原発、或いは核施設によって残存する放射能廃棄物は想像を遥かに超え、地球全体規模の生物汚染の最も大きな原因として、人類の悲劇をただ黙認しているかのようであり、我と我が身をも許し難いように思えてならない。あのチェルノブイリ原発事故もそうだが、1991年の湾岸戦争でアメリカは約500万㌧、そして翌々年のイラク侵攻でアメリカが、何と約2000万㌧もの劣化ウラン弾をイラクの天空から撒き散らせた。劣化ウラン弾は戦車の分厚い壁や地下深く入った軍事施設を破壊するのに最も適当であったからだと。それでも今も軍部や政府筋は核兵器を使ったとさえ公式的に認められていない。何と言う傲慢さだろうか。そしてイラク侵攻後から、イラク国内で突然乳幼児に変化が起こり、眼球がないとか片足がないとかの奇形児が生まれたり、白血病や乳ガン患者が激増し、信じられないような複合組み合わせガン患者も合わせて、何とそれまで通年の180倍にも急激に激増したデータがある。チグリス・ユーフラテス川河口から取水し、歴史上ずっと営農して来られた人々は、環境が被爆していると知りつつも何一つ手当てすることが出来ないでいる。野菜や果樹は通常より450倍もの放射性物質を摂り入れる性質があるが、それを摂取するしかないのが現状で、灌漑用水のみならず飲料水としても川の水は当然核によって酷く汚染されている実情なのである。その結果が、多くのガン患者や白血病や複合ガン患者が驚くべき多数出たのに対し、長年にわたる経済封鎖のために抗生物質(特に核開発につながるとして)などの薬品は圧倒的に少なく、否ないと言っても言い過ぎではない。その上抗体に極めて弱い子供たちや、生殖機能を数多く持つ女性や染色体を通じて母胎が侵されていることなどを余りにも知られていない。知らされていない。アメリカの国家体質は、派手なアクションを売り物のハリウッド活劇を観ても明らかなように、何か一つの正義があれば何をやっても許されるような精神的風土であるためだろうか。原住民を抹殺しながら入植して来た暗い過去の歴史を持つ国家ならではのことである。多少の犠牲は当たり前で、何とも腹立たしい限りである。

 

    <日本の戦争責任の原点>

 今度の戦争はでっち上げた盧溝橋事件から日中戦争は始まったとよく言われているが、僕は全くそうは思っていない。そしてそうなるのが運命だったなどと言う運命論者で済まそうとも全く考えていない。その遥か以前から兆候があったと指摘したい。明治4年、公家出身の岩倉具視を代表とした大規模な使節団、所謂岩倉使節団一行はアメリカに渡り、或る思惑を携えていた。横浜で江戸末期の1858年7月に締結された日米修好通商条約(完全なる不平等条約)の見直しを、国家同士対等の立場である条約へと改変もしくはやり直しを迫りたかった。その条約に、関税権と領事権の二点が甚だしくなかったからである。関税権がなければ国内は混乱する坩堝となるばかりである。領事権がなければ、外国人の犯罪を日本国内では裁けないからである。一行はアメリカの方々で熱烈な歓迎を受けたものの、首都ワシントンD・Cでは一瞥されただけで、あっさり一蹴され、まるっきり相手にされなかった。天皇の国璽刻印がなく、一行を全権大使と受け取られなかったからである。無論大久保と伊藤の二名が、四ヶ月の永きを掛け太平洋を往復し、それを取って来たのだが、時既に遅く話し合いは終結していた。そこで一行は世界実情を見学へ使節団の目途を切り替え、アメリカを後にした四人(+大久保利光・伊藤博文・木戸孝允など)を筆頭に、実に大勢で12ヶ国を歴訪するに至る。イギリスのタイムズ紙は一行を評して「中国とは全く違い、先進諸国の文明や産業を謙虚に学んで吸収する大いなる意欲がある」と絶賛し論評している。一行は各国の先進技術や軍備や資本のシステムさえ勉強することとあいなった。彼らは驚きの目を持ってつぶさに見学し、取り入れたい意欲がみなぎっていた。そうして一行に最も印象深く衝撃を与えたのは、ドイツを一国家として統一を成し遂げた時の宰相・ビスマルクであった。「大国の論理、つまり覇権主義の妥当性と、強きが故に弱小国家を踏みにじることが出来る論理と弱小国家は得てして受け入れ難い伝承を先に重んじることとの違い、そしてその強さの背景には軍事力が必須欠くべからざるもの」をはっきりと教授され指摘されたのであった。そうして1年9ヶ月の長き視察を終え、一行は日本に帰った。

 この後、日本は「殖産興業」「富国強兵」の二大看板を旗印に掲げ前進することになる。直後の井上馨は文明開化を徹底して推し進め、かの有名な鹿鳴館を建て、毎夜各国の大使級要人などを接待し舞踏会を催し、銀座など表通りは華やかな煉瓦作りの洋風建物(通りの一面だけ)が出来、ドイツからドットなどの新進気鋭の設計者を招き、官庁の中央集権を進めた都市設計に掛かった。無論海軍を中心に急激な軍備の増強も果たした。そして手始めにその時アジアで唯一の鎖国を守っていた朝鮮半島に軍艦を出し、李氏王朝の混乱に乗じ、鎖国を解いてみせたのだった。朝鮮とは、斎物浦条約(さいもっぽ=観名 チェルボ)の他、他のアジア諸国がそうであったように、不平等条約の極みである日朝修好条規を締結している。そもそもこの辺から可笑しいのだが、属国であったはずの朝鮮が不平等条約によって取られたと言う憤慨が、清王朝にはあったのだろう。表向き朝鮮は独立国家であるとしたこの修好条項の中身に酷く憤慨したのだった。そして間もなく日清戦争へ突入して行く。連戦連勝で、日本軍はあっと言う間に清王朝を打倒し、下関・春帆楼において下関講和会議が開かれ、澎湖諸島と遼東半島と台湾の領有権を獲得する。2億両(テール)の倍賞も得た。世界は海軍で圧倒的な軍事力を持っていたとされる清王朝がむべもなく敗戦したとなると、世界中が蜂の子をつついたように、中国本土全般にわたって、列強各国は租借権と言う名目で全土を実行支配しチリジリとなるばかりの中国・清王朝末期であった。そこで欧州列強諸国は三国干渉と言う疑義を日本政府に突き出し、遼東半島を日本が手放すや否や、即刻ロシアがそこを租借し、欧州列強の好き放題な国家となって行った。今にも列強諸国の分裂国家になるところであった。あらんことか日本からしたら眼の上のタンコブのようなロシアが南下するのを看過出来なかった日本は、遂に軍隊を出動させ激突する日露戦争が勃発してしまうことになる。圧倒的と思われたロシア軍、特に無敵艦隊視されたバルチック艦隊37隻は、小回りの利く日本海軍に散々苦しめられ、そのうちたった3隻だけがウレジウォストックに帰れたと言う。「元寇」に続き、「神風伝説」が生まれた瞬間の戦争でもあった。日本軍の大勝利で、日本国民は熱狂し歓喜した。但し日露戦争は日英同盟を後ろ盾に、アメリカの銀行王フッツから、資金の大半を出して貰った背景があったことを明記しておく。更に欧州列強の植民地支配を、小さな国家である我が国が保証し担保したことも断じて忘れてはならない。アジア諸国への認識や配慮が甚だ希薄だったことが、その後大きく火種を残したことは言うまでもない。性急過ぎるほど性急に薄っぺらな西洋化のまま、列強諸国と肩を並べたという勘違いは第二次世界大戦で、日本が手痛い敗北を喫するするまで、誰もが気付くことはなかった。但しそのことに逸早く気付いていたのは、アメリカの哲学者デューイや、あのラフカディオ・ハーン(小泉八雲)や、ポルトガルからやって来た外交官・モラエス(本国へ「日本通信」として送っていた)などで、早くからいずれ手厳しいしっぺ返しを喰らうだろうと予見していた。

 僕は日本近代史の中で、日露戦争の後始末が日本のターニング・ポイントとなったのではないかと、今でもそう推測している。急いで西洋化し、列強に追いつけ追い越せ一辺倒で、実にこの後列強各国と条約を締結し直し、朝鮮半島の領有権を認めさせ、漸く対等で各国との条約を締結し直したが、列強各国の利権や覇権をも認めたものであった。アジアの諸国は列強各国から植民地主義の只中におかれた中で、日本のみ列強各国と並ぶことを考えた明治政府を、日露戦争終焉直後、一時熱狂的に強い日本を賛美していたアジア各国は、すばやく落胆のドン底に落とされた時間は僅かなものであった。対仏、対英、対露、対蘭、対独など、多くの植民地支配主義に何故呼応して日本は列強と肩を並べらければならなかったのか。日本には余りにも資源が乏しい国家で、泥棒のような植民地支配を模倣しなければならなかったに他ならないが、ドイツ帝国時代の国家像をお手本とした岩倉具視一行の欧米視察団の影響が強かったからでもあるだろう。最悪なことに、朝鮮半島の併合の道をひたひたと走っていた所為でもあった。アジア諸国の中で、植民地にならず、日本だけが突出して西洋化出来たことに、アジアの人々は全く無縁であった。反日感情の芽生えと同時に、アジア各国の反日感情の原点は、ここにある。すべてはそこから出発している。そうしてその時点から、太平洋戦争における軍部の独走、強いて言えば暴走まで一貫して許してしまうことになるのだ。愚直な一般国民には何一つ詳細に知らせることなく、軍部のセクショナリズムと、殆どの情報を非公開のまま、完全に昭和天皇の時代に無条件敗戦するまで、本当の真相までは程遠く、国民は殆ど気付くことはなかったと言えようか。急ぎ過ぎた時代に翻弄されたのは一般の国民であり、戦死者の四分の一は実に民間人であったのだから実に恐ろしいことで、更にもっと恐ろしいことは躍らされた日本国民にだって大なる罪があったのではなかろうかと考えたい。ただ知らなかっただけでは全く済まされることではなかろうか。

 

    <非核三原則の形骸化とその恐怖>

 唯一の被爆国として、そして憲法第九条において、非戦国家であり、非核三原則を堅持するのは当然のことである。僕はどちらかと言うと決して左翼ではないが、あの白洲次郎が心配したことが明らかに現実味を帯びて来て、憂慮している憂国者の一人である。十数年前、僕たち主従は暑い真夏の盛りに、あの広島の空の下にいた。その日もこんなに澄んだ青空であっただろう。ピカッと閃光が輝いた瞬間、真っ赤な雲がリング状に広がり、そのリングの中に真っ白いキノコ雲が二重三重と重なって広大な空に向かって立ち上って行く。そして真っ赤な大きな太陽のような雲となり広島の空を覆いつくしたのだあった。一瞬にして非戦闘員である民間人やあらゆる生命体が虐殺・抹殺されることとなった。その現場にいなかった方々でさえ原爆投下後、医者や看護士や身内の方々として当地を訪問し、大勢の方々が体内被曝することになった。資料館で散々泣いた僕たち二人は、その脚で長崎へ。ここでも平和祈念塔へ向かって歩き続けた。クリスチャンが圧倒的に多く心優しいこの長崎の地へも容赦なかった。広島(広島平和記念資料館)でも、長崎((国立長崎原爆死没者追悼平和記念館)でも、それぞれの平和記念館に眼をそむけることなく、滴る涙を押さえかねつ見続けた。二人とも完黙したままで、そして最後薩摩へ。知覧町の特攻平和記念館へと。敗戦を百も承知で、敗戦を目前にして多くの若者を死出の旅に旅発たせた特攻隊の舞台となった知覧。若者は靖国で安らかに逢おうと互いに誓い合いながら、片道燃料しか入っていない飛行機の操縦桿を握らせたのだった。たったひと握りの将校のために、まるきりの憤死であったのだ。まる一週間ほど、僕たちは喋ることは殆どなかったように思う。被曝者追悼へのと断固たる非戦の誓いは表裏一体そのものであったと強かに知る羽目となったのは言うまでもないことである。

 「君は、広島・長崎の平和記念館を観たことがあるかい、観ようと思わないかい!」

 いつだったかNHKテレビの実況中継で流された被爆者と原爆を研究し製造したアメリカの核科学者の両者が、広島の現地で対談している番組を思い出していた。その時アメリカ人核科学者が発言をした。原爆投下は誤っていたのではないかとの質問に対し、その返事は、「全くの罪悪感もないし、投下されたのは、日本軍が早く投降しなかったから仕方がなかったんじゃないか、悪いのは日本ほうだった」と殆ど悪びれた様子はなかったように記憶している。正義のためなら、どんな手段を使ってもいいというのがアメリカ人の一般的常識というか風潮なのだろうか。こんな雑駁な国家に成り果てたアメリカに対しても、僕は希望を捨てていない。無責任な評論もしない。だって僕たちには、僕たちの後を託す子供たちがいる限り。従って原爆を製造したアメリカ人科学者の証言に、僕たちの未来を担う日本国の命運を果たしてすべてを委ねていいものかどうかを深く考えさせられた一場面であったように思う。そうして僕たち若者に戦争の影が極端に薄くなりつつあり、平和ボケの渦中にあって、貴重な戦争体験がいつしか風化してしまうのではないだろうかと、心配と危険性がないわけではない。

 否、それは若者だけの問題ではない。国際報道を荒っぽくしか報じることがない新聞各社も、テレビ局各社も情けないと思う。日本が何故戦争を繰り返さなければならなかったか、そして戦後どのような歩み方をしたのか、国内々のニュース中心で汲々として報道している各報道機関の諸君!あなた方が報じたことはアメリカ国務省には無論のこと、世界には先ず報道されることがなく、殆ど重要に扱われていない事実にどのように思っているだろうか。立場が立場であるだけに実に腹立たしく思う時がある。グローバル的値打ちある報道が圧倒的に少ないことに深く反省すべきではなかろうか。暑い真夏に衆議院総選挙があり、熱戦を繰り広げているが、どこの政党がどうとは言わない。でも政治の根本を先んじて知っているのだろうか、或いは意図的に封印しているからなのか、分からないことばかりで、率先して根本的諸問題に対し積極的な発言をして欲しいと心から念ずるのは、当然のことだろう。政治家諸君!僕たち国民は馬鹿ではない、まやかし半分の福祉だけで判断しないことを心得よ!政治家なら真に国際人としての、僕たち日本国民の立ち位置をはっきりと示すべき時である。日本は未だに精神的鎖国を続けていると揶揄され見做されている。国際事情即国内事情であると言うのは今度の国際金融危機でしっかりと学習出来ているはずなのに、あちらでもこちらでも国際感覚の音痴ばかりが眼について仕方がない。世界からどのように見られているかを、少しは反省すべきであろう。あの軍国主義は世界を殆ど知らなかった帰結であったのだから、然るべき方は大いに反省をして戴きたいものだ。

 非核三原則ですら今や風前の灯火常態で、「持たず、作らず、持ちこませず」と言った文言は既に空洞化している。中でも「持ち込ませず」はあってなきがが如くであるだろう。アメリカ海軍基地にある大型航空母艦に艦載された飛行機に核弾頭が積載されているのは至極自然な成り行きで、日本政府は米軍に査察どころか、一切聴聞すらしていないのではなかろうか。ならばアメリカ軍の核の傘の中に入ってしまえば、近隣諸国に核武装があってとしても大丈夫だという能天気な議論がどうやら大手を振って歩き始めているかのようである。集団的自衛権と言う不可解な文言の中に、とっくに組み込まれているけれど、憲法と照らし合わせれば畢竟矛盾の山だらけではなかろうか。知らないうちに恐ろしいことにはまってやしないだろうか。

 

    <体内被曝及び低線量被爆の恐怖>

 ここまで書くと、僕はコミュニストか社会主義者かと疑われかねない。イデオロギーにドップリ浸かりっ放しの日本共産党こそ最大の能天気集団で、大嫌いである。かつての社会党であった社民党は現在の北朝鮮労働党(金正日独裁政権)と永く友党で、拉致問題などを含め、最低でも自己総括しなければならないのに、一切知らんぷりをして土井かた子は消えてしまった。今でもそのままであり、無責任の極みである。郵政民営化に今でも真反対の国民新党は論外である。民主党は重大な責任を背負っている。だからこそ党を挙げて一枚岩になってくれるだろうか。新党を立ち上げた渡辺氏の「みんなの党」はキャスティング・ボートを握れれば大いに賛辞を送りたいものだが。公明党は国民目線を守って自民党と一緒に闘っているものの、野党になった暁には果たして変幻して行くのだろうか。自民党は自ら永年に亘って蓄積して来たオリのようなものを、自らが自らで反省し出直す覚悟があるだろうか。と、まぁ僕は現在無党派であるかも知れないが、自分では積極的無党派層の一人だと自認したいところである。でもさほど自慢することではない。

 翻って本論に戻そう。日本の法律に気化した原子力は定めなき聖域に入っていて保証されているのに驚く。煙は出ないのに、何故かどこの原子力発電所(以下 原発)にも煙突がついている。そこが問題なのである。アメリカ・ボストン郊外で被爆した米兵を永年診ているドンネル・ボードマン医師は、『ヒバクシャ・ガイドブック』なるものを発行しているが、中に非定型症候群について書かれている部分がある。「どの病例にも当て嵌まらないのが被爆の実態だ」として、低線量被爆の症状を表現し、「たった一つの特徴は<診断困難>と言うのが低線被爆の有力な証拠である。これは今日の生物全体の疫病であり、或いは終末的なものかも知れない」と、驚くべきぞっとするような証言がなされている。低線量被爆とは、間接的に体内被曝することで、戦後の日本でも数多く発生し、患者諸氏は国内に限らずアメリカやブラジルにまで人体ごと拡散されている。誤解なきように申し上げておくが、被曝者に対して一切差別はない。但し日本国内にいれば充分な治療が受けられるだろうと言う意味で言っている。無論劣化ウラン弾を莫大な数量を使用されたイラクでは言うに及ばず、テロ掃討作戦と称してフィリピンやアフガニスタンで原子力廃棄物兵器が平然と使用された。そして驚くべきことに、空中散布されたアトミック(放射性物質のミクロン単位の粒)の浮遊物は世界中を消え去ることなく遊泳することだ。最先端科学ではアトミックは、我々の遺伝子を傷つけ、最低四世代にまで悪影響を及ぼすと言う。曾孫の代まで隔世遺伝をするとされているから驚く。

 9’11以降テロとの闘いをいい口実にし、前大統領ブッシュは劣化ウラン弾まで使用して、対テロ掃討に全精力を費やして来た。まさしく戦場では米兵を含めて人体実験そのものであり、テロはそう易々と解決するとは思えない。貧困の格差と宗教的差別がある限りである。アメリカの小学校では、核爆弾を日本の無条件降伏のために使われたと教育され、高校以上では対共産主義対策だと教育され、大学ではテロとの闘いで必須だと教育を受けて来られたアメリカ国民も実に可哀想である。真実を知らされることなく、尊敬する大統領が発した言葉を鵜呑みにするしかないのか。そんな不自由な大勢なのか、驚くべきことばかりである。自由自由と全く一元的であり、日本の中央銀行にあたる日本銀行のような、アメリカの国銀「連邦準備基金」のグリーンスパン総裁は一切市場にからむことはなかった。ノーベル数学賞を戴けるほどの高水準の学者たちが一時一度にどっと金融市場にその人材が流れた。そしてその人たちが作ったシステムがあの悪名高いサブプライム問題そのものである。この度、そんな金融市場の化けの皮が思い切り剥がされた結果となり、世界同時金融危機を迎えることとなった。アメリカのドル神話が崩壊した瞬間でもあり、この際二度とこのようなことがないよう、金融市場に必要で大胆な介入をし、即刻建て直さなければならない。ドル仕立てそのものの仕組みが最早古い体質の体系であると露呈された一瞬である。社会主義の国家は資本主義国家のいい部分を取り入れ、そして逆も真なりであろう。境界線があること自体可笑しなことではなかろうか。幾ら自由とは言ってもやっていいことと、決してやってはならないことがある。何もかも見直す素晴らしいチャンスでもありうる、「Yes we can!」とね。

 再び横道に反れたようだが、あの冒頭で述べた通り、アメリカ・ワシントン州ハンフォードでは1942年からプルトニウムが製造されたが、何と1949年にはそこで人体実験さえされていたと言われている。気象観測用風船にプルトニウムなど多数の核物質を入れ、空中散布も行われた。浄化不能なハンフォードを今は完璧に隠蔽するかのように突如閉鎖されて現在に至っているが、口を漱ごうとしても殆ど無益なことである。元に戻るには46億年掛かっても不可能だとされているからだ。製造者自身が苦しむ結果となろうは何と言う因果なことであろう。2003年に公開されたドキュメンタリー映画『ヒバクシャ 世界の終わりに』(鎌仲ひとみ監督 グループ現代制作)では、永年自らが被曝者で被曝者専門の医師である肥田舜太郎医師(元広島地区軍医であった)が、ハンフォードを訪れた時の映像を捉えている。更に肥田先生は放射性物質の遺伝子を永年アメリカで研究なされた遺伝学者・市川定夫先生に問い質している場面もある。今、我々が恩恵になっている原発のことだ。青森県六ヶ所村にあるプルトニウム再生工場では全国から集められた使用済み核燃料が、ここ一箇所に集められ再生出来ると言われているが、北海道・東北四県に圧倒的多数で乳ガンや幼児異状が発生している現状を、折線グラフを前に、お二人で分析しあい確認をなされていた。驚くべきことである。64年前の出来事だけではないのだった。原発をして今も、セシウムやテクチウムやヨウ素131など核廃棄物が飄然と排出されていたのだ。あのハンフォードでは高レベル核廃棄物が何と200億㍑も存在していると言う。まさしくこれは深刻な地球温暖化問題の次元を遥かに超えていた。ハンフォード200地区は1967年に破損し、10㌧もの廃棄物は200地区から流れだし、特に酷く近くを流れ、水道水の貯水口になっているコロンビア川に地下水を通してまさに迫っているところである。

 中国もロシアもフランスもパキスタンもインドも、そして北朝鮮も核実験を繰り返して来た。イランもどうも怪しい。今や核汚染は世界的にたっぷりと広がっている。一国の利害だけに拘っている場合ではない。プルトニウムは悪の枢軸そのものだろう。集団的自衛権が自殺行為そのものに変化し遅かれ早かれいずれ、その悪の枢軸(=核物質)は僕たちの近辺にやって来るだろう。現アメリカ大統領のオバマはこの度唯一の核兵器使用国であるアメリカの同義的責任まで言及し、「核なき世界を」と言うプラハ宣言を発し、核の完全廃絶にむけ実に力強いメッセージを述べられた。集団的自衛権の本家本元であるブッシュ・ドクトリンを止めようとしている。今回の広島でも長崎でもオバマ発言が大いに歓迎されたことである。金の亡者がウヨウヨいて、金融利権と石油利権と武器利権で成り立っているような自由(?)主義国家アメリカで果たして本当に実現可能であろうか。多少の疑義を持たないでもないが、でもあのオバマ大統領の勇気ある決断に取りあえず万雷の拍手を送りたいものである。リンカーンやケネディがそうであったように、足元のテロには充分気をつけて戴きたいと心から念願してやまない。あなたが既に被曝者だとしたら、そうは思われませんか!そして後世に、核そのものや核廃棄物などの瑕疵を断じて残すべきではない。原発も今や世界では操業ストップが大勢であるのに、日本では更なる延長が決まったばかりである。エネルギー問題や食糧問題や農業漁業問題など重要課題を、今回の選挙に立っている何人かの政治家がこと細かに説明するのだろうか。いい加減なマニフェストに誤魔化されるほど一般の人々はそう馬鹿ではない。それにしても大政治家が余りにも少なくなった日本、淋しい限りに他ならない。白洲次郎は、「戦争に負けたんであって、奴隷になったわけではない」と唯一従順ならざる日本人として、往時のように大国ばかりに気を取られることを懸念した結果の言葉であった。今こそ白洲次郎に耳を傾ける時であろう。

 累々たる戦争犠牲者、原爆の計り知れない多くの犠牲者や体内被曝者や隠れ被曝者、幾百万の御霊を心から追悼し、何とか僕たちの時代において、「人類滅亡」の危機を避けなければならない。それを御霊へ堅くお誓い申し上げ、寸分の供養となるだろうか。あらばどうか、オバマ大統領を必ずお守り下さりまし!南無大師遍照金剛!

 

 今日のBGMは 夏川りみさんの定番にして名曲「涙(なだ)そうそう」です

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平和ボケ国家の核問題 1945・8 Hiroshima&Nagasaki イノチに代えて許すまじ への4件のフィードバック

  1. 道草 より:

    最近の傾向として「核を持たないと核の攻撃を受ける惧れがある。従って、核を持つべきではないか」、との持論を述べる輩(やから)が出回っております。硯水亭さんのこの堂々たる正論を読んで以て溟すべしでは、と念じます。オバマ大統領の加護を仏陀に乞い願われ、思わずその優しさにホロリとしました。下記は、世界唯一の被爆地の発する平和宣言です。この精神を風化させてはなりません。スペースを取って申し訳あれませんが、共賛の意図から転載させて戴きました。「広島平和宣言」今世紀初めての8月6日を迎え、「戦争の世紀」の生き証人であるヒロシマは、21世紀を核兵器のない、「平和と人道の世紀」にするため、全力を尽すことを宣言します。 人道とは、生きとし生けるものすべての声に耳を傾ける態度です。子どもたちを慈しみ育(はぐく)む姿勢でもあります。人類共通の未来を創(つく)るため和解を重んじ、暴力を否定し理性と良心に従って平和的な結論に至る手法でもあります。人道によってのみ核兵器の廃絶は可能になり、人道こそ核兵器の全廃後、再び核兵器を造り出さない保障でもあります。 21世紀の広島は人道都市として大きく羽ばたきたいと思います。世界中の子どもや若者にとって優しさに満ち、創造力とエネルギーの源であり、老若男女誰(だれ)にとっても憩いや寛(くつろ)ぎの「居場所」がある都市、万人のための「故郷(ふるさと)」を創(つく)りたいと考えています。 しかし、暦の上で「戦争の世紀」が終っても、自動的に「平和と人道の世紀」が訪れるわけではありません。地域紛争や内戦等の直接的暴力だけでなく、環境破壊をはじめ、言論や映像、ゲーム等、様々な形をした暴力が世界を覆い、高度の科学技術によって戦場は宇宙空間にまで広がりつつあります。 世界の指導者たちは、まず、こうした現実を謙虚に直視する必要があります。その上で、核兵器廃絶への強い意志、人類の英知の結晶である約束事を守る誠実さ、そして和解や人道を重視する勇気を持たなくてはなりません。 多くの被爆者は、そして被爆者と魂を重ねる人々は、人類の運命にまで自らの責任を感じ、岩をも貫き通す堅い意志を持って核兵器の廃絶と世界平和を求めてきました。被爆者にとって56年前の「生き地獄」は昨日のように鮮明だからです。その記憶と責任感、意志を、生きた形で若い世代に伝えることこそ、人類が21世紀を生き延び、22世紀へ虹色の橋を架けるための最も確実な第一歩です。 そのために私たちは、広い意味での平和教育の再活性化に力を入れています。特に、世界の主要大学で「広島・長崎講座」を開講するため私たちは努力を続けています。骨格になるのは、広島平和研究所等における研究実績です。事実に基づいた学問研究の成果を糧(かて)に、私たち人類は真実に近付いてきたからです。 今、広島市と長崎市で世界平和連帯都市市長会議が開催されています。21世紀、人道の担い手になる世界の都市が、真実に導かれ連帯することで核兵器の廃絶と世界平和を実現するための会議です。近い将来、この会議の加盟都市が先頭に立って世界中に「非核自治体」を広げ、最終的には地球全体を非核地帯にすることも夢ではありません。 わが国政府には、アジアのまとめ役として非核地帯の創設や信頼醸成のための具体的行動、ならびに国策として核兵器禁止条約締結の推進を期待します。同時に、世界各地に住む被爆者の果してきた役割を正当に評価し、彼らの権利を尊重し、さらなる援護策の充実を求めます。その上で、核兵器廃絶のための強い意志を持ち、憲法の前文に則(のっと)って、広島と共に「平和と人道の世紀」を創(つく)るよう、強く要請します。 21世紀最初の8月6日、私たちは今、目の前にある平和の瞬間(とき)を、21世紀にそして世界に広げることを誓い、すべての原爆犠牲者の御霊(みたま)に心から哀悼の誠を捧(ささ)げます。 2001年(平成13年)8月6日                             広島市長 秋葉忠利「長崎平和宣言」 新しい世紀を迎えた今、原爆で亡くなられた方々と、国内外のすべての戦争犠牲者のごめい福を心からお祈りし、被爆地長崎から平和への願いを世界に訴えます。  私たち長崎市民は、被爆地の声として、21世紀を核兵器のない時代にしようと訴え続けてきました。しかし地球上には今なお3万発もの核弾頭が存在し、核兵器の脅威は宇宙にまで広がろうとしています。56年前の原爆でさえ、たった一発で、一瞬にして、この地を地獄に変えました。  20世紀は、人類にとって科学技術と人権思想の大いなる進歩の世紀でした。その一方で、核兵器という人類の絶滅兵器を生み出しました。核保有国は冷戦体制が終わったあとも核兵器を手放さず、しかも最近、超核大国のなかには、核軍縮の国際的約束ごとを一方的に破棄しようとする態度が見られます。これは核兵器をなくそうとする努力を無にしようとするものであり、私たちは強く反対します。  昨年5月、NPT(核不拡散条約)再検討会議で合意された「核兵器廃絶に向けた核兵器国による明確な約束」は、単に言葉だけの約束であってはならないはずです。私たちは、その実現をせまるため、世界の人々と共に声をあげ続けます。  日本政府が被爆国として、核兵器禁止条約の締結に向けた国際会議の開催を提唱し、核兵器廃絶のため積極的役割を果たすことを求めます。そして、憲法の平和理念を守り、過去の侵略の歴史を直視することによって近隣諸国との信頼関係を築き、北東アジア非核兵器地帯の実現に努力して「核の傘」から脱却すべきです。そのためにも、「非核三原則」の法制化が必要です。  また、国内および海外の被爆者に対する援護のより一層の充実を強く求めます。56年が経過した今も、高齢化が進む被爆者の心とからだの不安や苦しみは、薄れるどころか、年を追うごとに増大しています。さらに、長崎市とその周辺の被爆未指定地域にも、同じように苦しんでいる人がいることを忘れないでください。  今、長崎では、若い人たちが平和を求めてみずから企画し、さまざまな活動に取り組み始めています。高校生の間では、核兵器廃絶を求める1万人署名の運動が繰り広げられています。このように主体的に考え、行動する若者が育っていることを私たちは誇りに思います。若い人たちが、原爆、平和、人権について世代をこえて話し合い、学ぶことができるよう、長崎市は、「ナガサキ平和学習プログラム」を創設し、平和のために積極的に行動する人材の育成につとめます。  昨年11月、日本で初めて自治体とNGOが連携して「核兵器廃絶-地球市民集会ナガサキ」が開かれました。その中で、地球市民の活動は世界を動かすことができると実感しました。私たちは、世界の草の根運動によって対人地雷全面禁止条約が結ばれたことを思い起こし、世界の都市やNGOとの連帯を強め、核兵器廃絶運動の先頭に立って進みます。  長崎は、最後の被爆地でなければなりません。ここに、私たち長崎市民は、21世紀を戦争や核兵器のない平和な世紀とするため、力の限り努力していくことを宣言します。 2001年(平成13年)8月9日                            長崎市長 伊藤 一長「にんげんをかえせ」   峠 三吉ちちをかえせ ははをかえせ としよりをかえせ こどもをかえせわたしをかえせ わたしにつながる にんげんをかえせにんげんの にんげんのよのあるかぎりくずれぬへいわを へいわをかえせ「ふらり道草Ⅴ」http://blog.livedoor.jp:80/michikusa05/ に『原爆の子』(新藤兼人監督)の記事を載せております。お立ち寄り戴ければ幸甚と存じます。

  2. 文殊 より:

         道草先生 早々とお越し戴きまして、本当にかたじけなく存じております。先生がカキコをなされた時に、今回の金融危機のことやテロとの闘いのことを書き足させて戴きました。父に、多くの先輩や身内がおりますが、皆戦地で戦死しています。ですから父は殆ど戦争のことを口にしません。本人も幸運にも行っていないからでもありましょうが、酷い哀しみから真正面から話す気になれないのでありましょう。実は僕もこんなような記事を書くのに戸惑いました。初めてですから。でもよく考えてみると、今書かなかったらいつ書けるのだろうかを思い返す度に、いつかはしっかり書かなければとよくよく決心した次第で、恥ずかしながら丸三日掛けて書かせて戴きました。正論と言っても情けないことに文章力に甚だ乏しく、書ける方はいいなぁと実感したことでありました。 憲法改正もいいでしょう、核兵器を持つのも構わないかも知れません。でもその代償を考えた時、待てよ、あの日あの時の選択と似てやしないかと深刻に悩むはずです。日本近代史は、歴史の先生の都合で、いつも最後になってしまいます。明治維新までやって、後は読んでおけよと言う言葉で終わってしまいます。恐らく今の学生たちも殆ど同じ思いをしているのでしょう。実に、このことが不幸でして、日本史の先生から詳細に知らされることは非常に稀なことであります。先生ご自身が民生であったり、全く戦後の日本の教育自体なっていなかったのではないかと判断するしかありません。僕の場合、中学から一貫した私立学校だったものですから、まだ救われました。学校自体が近代史に積極的だったからでありますが、小学校の同級生に逢うとほぼ似たような証言しか帰って参りません。情けない話であります。戦後教育の、最も恥ずべきことではないでしょうか。2:26事件や、孫文たちの共和国家建設の話なども、運良く高校で詳細に聞きました。受験とは別個に必要な事項だと今も感じられてなりません。僕の身内に、原爆の被災者がいます。人目を避けるようにして亡くなった叔父をはっきり憶えています。広島で被爆したのですが、何と陸軍で出征中のことでした。死ななかっただけで有難いというのが叔父の口癖だったように記憶しています。身内にいるかどうかではなく、核爆弾ほど邪悪なものはないと信じた時でした。多感な時期です。杏や、これから生まれ来る子供たちに、一定の責任がありましょう。このブログの副タイトルに、「千年前の日本 千年後の日本 つなぐのはあなた」と書かせて戴いておりますが、恐らく千年先まで責任は持ちかねるでしょう。でもどんなに少なくとも、50年先や100年先までは、生きている以上恩返しのつもりで、きっと責任があるのでしょう。 僕は世界各国80ヶ国は廻ったでしょうか。その都度感じることがあります。日本は優れた文化があるのに、何故猿真似をして、追随外交をしているんだろうかと不思議で不思議でなりませんでした。優れた文化を探しによく出掛けたものです。そこに本田安次先生がおられました。たくさん勉強出来ました。勉強すればするほど、やはり素晴らしい国家だと感じられてなりませんでした。一見すると、仄かに国粋主義ではないかと疑われるような気がしないでもありませんが、大切なことは決して忘れてはならず、そんな背景があって、コツコツと民俗を勉強しています。妻が出来てから尚更ウチも勉強になるからと励まされ、調子に乗ってすぐその気になっているところです。 秋葉、伊藤両市長のご主張される通りですね。改めて読ませて戴いて、感心しているところです。峠三吉先生の詩もいいですねぇ。「にんげんをかえせ」!全く仰られる通りですね。核兵器全廃まで、元気出して頑張って参りましょう!!そうそう最近、あの記事以降タイガースが強くなっていますね。ヤクルトを何とか追い越して、少なくとも決勝戦まで出て戴きたいです。タイガースがペナントを取ろうがジャイがそうなろうが、僕はどっちがなっても嬉しい限りです。今日も有難う御座いました!ペコリ!!

  3. 良枝 より:

    所々にある断定的な書き方でない、語尾の揺らぎに桜兄様の悲しみを感じました。立ち位置のない国民は一元的な教育を受けてしまった国民よりも悲しいと、あくまで自分勝手ですが、思ってしまいます。国際感覚を得ることなど決して出来ないのですから・・。このたびのヒロシマで「オバマジョリティー」という言葉を知りましたが、決してオバマ大統領をどうこうというわけではなく、なんと日本は無力なのだろうとただ、その言葉だけでとても悲しく思ったのです。麻生総理の振る舞いも何ともこじんまりと感じます。日本の総理大臣なのに。被爆国の。被爆国は日本ではないですか!民主が政権とったら靖国にはいかないといっていましたが、何でなのでしょうか。自民党が靖国参拝したからいかないのかしら・・と、実にしらけます 苦笑流石のNHKが答えを出せない代わりにひたすらドキュメンタリーを流してくれています。毎日見てますが、誰にも答えを出せない代わりに事実ばかりが積み上がっています。

  4. 文殊 より:

        りんこしゃん 長たらしい文章を読んでくださって有難う御座います。いつもならこのような文章は苦手なのですが、いつかは書かなければならないと考えて書いてしまいました。僕たち戦争を知らない世代は日本人の殆どになってしまった今、やっぱり知らんふりを出来ないようで、心苦しいようで、今日はちょうど旧の盆の迎え火ですから、東京に生まれ育った者にとって大変苦しい週間なんです。故郷がある人は意気揚々と帰って行くし、東京では新暦でお盆をするもんだから、誰もいないし、淋しい限りのお休みの日です。もう一度お盆をしようかなと偶々東京にいる時はそう思うものですね。 今日午後から、BSハイビジョンでグスタフ・クリムトの番組を観ていました。ニューヨークのノイエ・ギャラリーにある「アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像」をどうしても観たかったんです。金を多用した時期から比べ、金なしで描かれた「生と死」にも驚きました。すっかり仰天しながら観ていました。まるで旧盆で、もう一度母親が出て来そうで、ソワソワしながらです。 日本には昔から、意のままにならず、心ならずも死に行く人がおりましたが、原爆や救いや助けがないことを知って南方で戦っていた日本兵はいかに多かったことでしょう。そんな方々を鎮魂するのに、りんこしゃんのおっしゃる通り、北朝鮮の現状を馬鹿扱いで観れないのです。あれが日本だったんだと、そう思うのです。ですから今の日本での教育は絶望的な部分が多いように思われます。僕も特別オバマさんを好きではありませんが、でもこんな大胆な提言をした最初の大統領として、好悪は別にしてやはり名をあげておかなければならないでしょう。今回の広島で、麻生総理が演説をした直前に、小学生の男女がキッパリと純粋無垢にご挨拶をしたほうが遥かに感動的でした。その直後の総理の挨拶でしたからよけいに貧乏たらしく貧相に見えたものです。政局のみでのし上がって来た総理の哀しさでしょう。日本は、その情報量において圧倒的に諸外国から決定的に劣ります。それでも日本はスパイ天国でして、都内某ホテル近辺に参りますと、いるいる、ロシアからアメリカから、中国からいっぱいスパイがいます。特に中国の場合は日本商社に成りすましていますから、簡単に分からないように出来ています。その哀しみは肌身に感じてあまりあります。 僕は時間があったら必ず靖国に参ります。靖国でもネブタがあるからでもありますが、戦場に散った若い御霊を思う時、いても立ってもいられません。但し但しですよ、諸外国から言われたわけではなく、戦犯の諸氏も入っていることを納得しかねます。特に東条英機は許せません。日本から送金されなくなってから、彼は南京を中心に麻薬売買が大得意でした。どんなにたくさなんの中国人を麻薬中毒にしたことでしょう。その彼が日本に帰って来てから早速内閣に入って、愈々軍部独裁を始めてしまうのですから、僕の身内の叔父さんたちも、コイツらたちからやられたのかとそうとしか思っておりません。ですから靖国合祀は全く理解しかねます。嫌です、あんなヤツらと一緒では、死んだ人はきっと浮かばれないことでしょう。戦場に行かないで、机の上だけの作業でしたから、それも許せないのです。軍服を着ているから、何とか軍部であることは分かるのですが、彼らは戦場で散った魂を鎮魂することなど、出来ません。 唯一の原爆投下国としてアメリカは応分の負を背負っています。そこを、あんな演説をさせたのですから、やはりオバマ大統領に頑張って戴きたいと念願してやみません。まさかケネディのように暗殺などされたら、嫌ですからねぇ。もっともアメリカは昔から、ハンギング・ツリーと言って、皆でよってたかって、首吊りさせるのが得意な国家ですから、とても心配しています。 ハンフォードの風下の人びとは僕たちと同じ哀しみを抱いています。非国民扱いされているのですからねぇ。驚くことに、ここで採れたリンゴやジャガ芋が、ジュースやマックのポテトとなって流入していることです。哀しいかな、それに対してすら何も言えないでしょう、喩え民主の政権になったとしても。或いは真逆に、かえって大変になるかも知れませんね。全く色んな不安が大量に日本に流れていることですねぇ。嫌になります。簡単に買って、娘たちにあげることは困難な時代なのでしょう。食糧危機も大変ですねぇ。それでは、これから夕餉の支度に掛かります。そして食卓で、もう一度母を迎えてあげたいと思っています。今日もお越し戴いて、心から感謝申しあげます。本当に有難う御座いました!

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