ゴーギャン 漂白の果てに

 

ぬくもりのある偶像

マオリの神 「死と再生の女神ヒナ」

 大作「我々は何処から来たのか 我々は何者か 我々は何処へ行くのか」の中に潜む

 

 

 

           ゴーギャン 漂白の果てに

 

 

  自宅から程近い新橋のT病院に妻を入院させて失敗したかなと思った。総合病院であるためで、どんな疫病が持ち込まれるか分からない。それでもやっぱりそこでよかったと思い直したのは、今どき流行りの新インフツエンザに対し徹底した万全の体制を取っているためである。僕まで完全な病原体であるかのように扱われ、毎度徹底した厳しいチェックを受けなければ、容易に我が妻に近づくことが許されない。そのぐらいこの病院でも深刻に、神経をピリピリと尖らせているからだろう。陣痛の間隔がまだ大分あり、自然分娩をしたい僕たちは、その時を静かに待っている。厚着をすべき時があるかと思えば、カンカン照りの日もある此の頃。今日は台風襲来の予報聞きつつ、何処となくムシッとしている。ただでさえ風邪でも引きそうな気温の激しい変化で、そんな折、妻の陣痛は入院時より次第に間隔が短くなって来ているものの、それでもまだ数日掛かるかも知れないとの医者の見解のもとで、先日土曜日病院から抜け出し、無論妻に断わりタクシーを飛ばして、お濠の反対側の、東京国立近代美術館に赴いた。朝から激しい日照りである中で、真夏が再到来したかのようであった。僕は何としてでも観たかったゴーギャン展に行った。朝も早かったせいか、それほどの混雑ではなかったが、館内はそこそこの込みようで、一点一点ゆっくり観ることが出来た。

  ゴーギャンがタヒチに行く以前の絵もあった。詳しく観ると、何と繊細な筆致なのだろうと驚嘆された。ひょっとしたらゴッホより繊細かもと。色彩は大胆に施され、絵は写実と言うより、ゴーギャンの脳内でもう一度再構成されたイメージで描かれたような、一種独特の思惟に富んだ絵が多かった。そしてゴッホと別れた後行ったタヒチ時代の絵が掲げてあった。色彩はあのタヒチの陽の光りのように明るい色彩の絵ではなかったが、それでもパリ時代より遥かに多彩で、絵の構成も豊かな喜びに溢れていた。殆どが現地の女性の絵が中心で、ゴーギャンが家族やすべてを捨ててまでやって来たタヒチの空気は似合っていたのだろうか。伸び伸びとしている風に観えるが、だが待てよ、どこか物悲しいモノを感得される。文明を忌避してやって来たのに、当時のタヒチは既に文明の牙から犯された後だったのか。ゴーギャン自身フランスの植民地主義に、手紙や文書などで徹底反対していたなぁと思い出した。ゴーギャンは中心街ではなく、島の裏側に住んでいた。でもここまでやって来て「野生」や「原初」が少しもなかったのか、彼の苦悩は消え去ることはなかったようだ。ゴーギャンの絵と直接対面し、彼とそんな遣り取りをしながら観て行く。

 

かぐわしき大地122

ゴーギャン 第一次タヒチ時代の大作 「かぐわしき大地」

 

 ふとゴーギャンの絵は印象派と一線を画しているのかもとか、意外に近代絵画のようで、今でも近代建築に楽々通じるように思い、どの絵も、現代のスケルトン状ビル壁に似合っていて、とても奥深い印象を持った。深い精神性を湛えていた。約100年以上前の人なのに、今でも立派に通じていることをいとおしく恋しくさえ思う。但しゴーギャンは天性の漂白の人である。パリで産まれたが、ゴーギャンは生まれてまもなく、一家は革命後の新政府による弾圧を恐れ南米ペルーのリマに亡命した。しかし父はポールが1歳になる前に急死。残された妻子はペルーで数年を過ごした後、1855年、フランスに帰国した。幼少期も非情で過酷で不憫な生い立ちであったと思われる。フランスに帰国後、ゴーギャンはオルレアン神学学校に通った後、1865年、17歳の時に航海士となり、南米やインドを訪れた。1868年から1871年までは海軍に在籍し、普仏戦争に参戦した。その後ゴーギャンは株式仲買人として成功し、デンマーク人のメットと結婚。ごく普通の勤め人として、五人の子供に恵まれ、趣味で日曜画家として絵を描いていた。印象派展には1880年の第5回展から出品しているものの、この頃のゴーギャンはまだ一介の日曜画家にすぎなかった。その後株式相場が大暴落して仕事に不安を覚えた瞬間、安定した生活に絶対的な保証などはないと気付き、勤めを辞め、画業に専心するのは1883年のことであった。妻があり、5人の子供に恵まれたのだが、画家としての出発は極めて遅かった。日曜画家程度だったゴーギャンは家族の大反対を押し切って、先の見えない芸術界の波浪の中に漕ぎ出して行く。それでも生来の天賦がそうさせたのだろうか。画家集団の長となって活躍していた。その後南仏アルルでゴッホと共同生活をする。だが二人の芸術への価値観が違い過ぎ、たった2ヶ月で破綻し、ゴッホの耳切り事件で終焉を迎える、そしてやって来た憧れのタヒチであったのだが、ほぼ絶望することが多かった。既にマオリ族などの原始の生活はなかったからである。それでも約2年程いて描いた期間を第一次タヒチ時代と言われているが、多くの絵を携えてパリに一躍戻るのだった。無念かなもはや妻は愛想をつかしていた。孤独なゴーギャンは必死に絵を売ろうとするが、殆ど売れず注目されることなく、失意のうちに再びタヒチに向かうのだった。タヒチで結婚していた娘も既に誰かの妻となり、ゴーギャンは常に死を意識するようになる。第二次タヒチ時代で、漂白の後にあったのもは孤独と貧困と病魔と疎外感だけであった。そうしてタヒチから1500キロ離れた絶海の孤島ヒヴァ=オア島に移り住む。死ぬことを充分意識して、そうして大作「我々は何処から来たのか 我々は何者か 我々は何処へ行くのか」が生まれた。描き上げた後、ゴーギャンは自殺を試みるが失敗に終わっている。更に奥地の島に行き、それでも余命はそう永くはなかった。最晩年の絵は、白い十字架が丘の上に立つ「女性と白馬」であったろうか。或いはゴッホとの思い出のある二枚の「向日葵」の絵だったのだろうか。白い十字架の真下、貧困と病苦に満ちたゴーギャンは僅か54年の生涯を閉じた。今自身が彫刻した「野生」と意味する<オヴィリ>の女神が、今も静かに佇んで、ゴーギャンの墓守をしている。

 

 

ゴーギャン畢生の大作「我々は何処から来たのか 我々は何者か 我々は何処へ行くのか」 縦2m 横4mほどの大画面

 

 果実を積む人 

「果実を摘む女」  大作の中に一部 『原罪イヴ』の意味だろうか

 

  僕はこの大作を目の前にして、しばらく身動きが出来なかった。西洋文明を忌避し非難し、闘い続けた孤高の画家・ゴーギャンの魂に迫れるわけではない。でも画面右の誕生から、画面中央のリンゴを摘むようなイヴなのかなぁ。現在=原罪のようであり、愛する亡くなった娘と思しき娘もいた。悪巧みをする赤い服を着た二人の女性もいる。そして最後左画面の端には老婆がいて、死を予感させているのである。この一連の絵画は何度も描かれた絵であった上、多分モデルを一切使っていないだろうと思われたが、まさしく人の一生涯のようでもあり、破滅に向かおうとしている現代の人類社会のようでもある。僕は小一時間ほどそこにじっとしていたと思う。これから産まれ来る我が子を思う。そうなのだ、人は「生老病死」の悩みを抱えつつ産まれ来るのだ。泡沫のようなたかが一瞬の人生の輝き、何が出来て、何が出来ないというのか、僕たち誰しもに命題として残ったままだろう。この絵は、異様な静謐さに満ちていた。厳粛でもあった。余分なモノは一つもなく、足すべきモノも一つもなかったような気がする。ゴーギャンが己が死と取替えっ子をしてまでも描き得た畢生の絵であったのだ。壮大なこの絵に、僕はずっと沈黙をしたまま佇んでいて、我が身を深刻に顧み、そうしてから漸く立ち上がった。病院に帰り、妻にゴーギャンの画帖を見せ、沈黙のまま二人で手を繋いで過ごした。時折陣痛が来て、それでもまだだと言われるので、ばぁばたちと待ち、ちょっぴり淋しがりやの杏の家に帰った。

 

ゴーギャン最晩年の絵「女性と白馬」 

ゴーギャン最晩年の絵 「女性と白馬」 山の上の白いクロスが見えるこの場所にゴーギャンは永眠している

 

東京国立近代美術館   CIMG4706   竹橋から大手町へ

  東京国立近代美術館            ゴーギャン展看板            竹橋毎日新聞社前から大手町へ

 

ゴーギャン展  丸の内にある多くの会社からの献金によって運営されている無料バス(二階だてのバス)運行中!

 

今日のBGMは リストの『カンパネラ』 

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ゴーギャン 漂白の果てに への2件のフィードバック

  1. 良枝 より:

    うぅ・・・ 羨ましい近代美術館 素晴らしいもはや、竹橋の写真ですら萌です・・ 笑あそこの美術館で外れることは無いのでさぞや素晴らしい展示だったのだと思います。キュレーター万歳。たまに主人の蔵書を漁って西洋哲学の本を読みますが、哲学というものが批判をベースにした学問であってもどうしてもキリストの教えはベースにせざるを得ません。それ故か、おなじく芸術家もいかに自国の文明を呪おうとどうしてもそのベースは表現に溶け出してしまいます。この絵を見る限り、彼は現世での楽園を渇望しており、現実での孤独はキリスト教特有の死後の楽園を払拭させてはくれなかったでしょう。たとえ、それが浅ましくとも。そして、それがいかに絵空事であっても。自分の生きた世界が嫌で例えタヒチに逃避したとしても結局彼はいつも同じ謎に囚われたのでしょうね。なんだか、人間らしくて素敵だと思います。奥様、もうそんな時期なんですね。はやいなぁ!元気なお子さんとはやくご対面できるとイイですね 笑

  2. 文殊 より:

          りんこしゃん そうねぇ近代美術館で外れたことがないですねぇ。久々に堪能致しました。まだ期間がありますから、お時間がありましたら、どうぞ!やっぱり現物を観るに漉したことがないと思えた瞬間でした。 最近西洋と東洋の哲学と言いますか、明恵を中心に考えています。僕が学生時代、ヴェズレーのロマネスク教会にのめりこんで、精一杯の努力し理解し得たと考えていたのですが、西洋の方々と話しを深めるにつれ、僕は間違いなく日本人だという意識が渾然と湧き上がって参りました。 日本人の宗教観と西洋のとでは余りにも隔たりがあったのです。そのうち、アッこれかぁと考えられたのは西洋の精神文化の根底に脈々とあるのは、いわずもがなキリスト教(旧教、新教含めて)と、日本の神々との違いでした。 西洋人のはイスラムを含めて一神教です。僕も幼児期にYMCAに通ったりしてましたが、どうも違うんですね。そしてよくよく考えて見ると、一神教の神さまを窮屈で、どうにも信じられませんでした。 そこへ行くと、日本の神々は先ず数が多いこと、それには万物も入っていること、始めは興味津々でしたが、僕にとっては充分理解出来るものでした。多神教とまで行かないまでも、少なくとも聊かの窮屈さを感じないで済んだのでした。 ゴーギャンも新学校に通ったぐらいで、列記としたカトリックです。でもカトリックは多くの過ちを犯して来ました。一神がゆえだと思っておりますが、ユダヤ教かた発し、キリスト教が出来、そしてイスラムが出来たのですが、それらは皆兄弟です。一神教ということと、大切なことは旧約聖書の冒頭から始まる部分がイスラムにおいても同じだということです。イエスはイスラムからしたら預言者の一人に過ぎないのですが、一方のキリスト教徒はそのように公言することを一切許さなかったのです。 ある意味で、キリスト教の三位一体だけが問題でした。そこだけがイスラムと違っているのです。プリテスタントとの戦争は日本の平安時代から続いて来ました。イスラムとの争いはあの十字軍を筆頭に様々な確執や戦闘がありました。永遠に解決など出来るものかと思っている次第ですが、だが待て!日本人の多彩で、ナイーヴで、そのままありのままを先ず認める姿勢は決して異教だと思えず、寧ろ日本人が主導して、宗教闘争の幕を閉じれないものかと輸送しています。 ゴーギャンも一種の犠牲者です。フランスやオランダやスペインやイギリスやポルトガルなど列強と呼ばれる国家が永くアジアの植民地支配をして、莫大な富を築いていったのです。ゴーギャンは先ず第一に、横暴な略奪や搾取や、現地人をチカラでねじ伏せたことへ激しい抗議を繰り返していました。きっと孤独な闘いであったのでしょう。精も根も尽きて、彼は画家としてだけではなく、総合芸術家として、痛ましく瓦解したのでした。 おっしゃる通りゴーギャンほど人間臭い人は知りません。株仲買人であった時も家族で仲良くいた時も、ゴッホと共同生活をしていた時も、いつもいつも満たされることはなかったのです。それこそ僕は西洋文明の限界を、ゴーギャン自ら知ったからであったのでしょう、と、僕は考えています。ゴーギャンの魂は私達日本人が救ってあげなければならないものとまで考えに至っています。大袈裟ですが、一神教ではもはや救済の道が閉ざされているとしたら。 赤ちゃんはいつ生まれるのでしょうねぇ。もう待ちくたびれましたが、オトコの僕にはどうすることも出来ません。せめて日々妻のもとに通って、元気をつける話をするだけです。無論分娩には立ち会うつもりで、荘厳な出来事なのですよ。今回も妻の肩を掴んでしっかりしろと檄を飛ばすつもりです。女性は偉大です。本当にあり難いです。りんこしゃんにも、きっときっとその日は来るように日々お祈りしています。牛乳と真水を毎日取り替えて、まぁ~~るいお盆の上で供養しています。女性であればどなたにでもそんな経験をし、幸せを実感する権利があるんですもの。とりあえず僕たちが先行しますが、慌てないで下さいね。僕は妻の年齢より、義母の年齢に近いのですから、妻が欲しがる以上二人して協力して頑張るつもりです。誰にでもその門戸は大きく開かれていることを信じつつ、今日も有難う御座いました!

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