極楽は遥けき程と聞きしかど つとめて至る處なり

 

 

伊勢の神宮 御神餞調整所の早場米収穫

 

 

 

 

     極楽は遥けき程と聞きしかど つとめて至る處なり

 

         『存在が花してる』  明恵とともに 我ら生きんとす

 

 

 

   世界中を旅していると、先ず言語に困る方が殆どだろうと思うが、実は言語などそれほど大きな問題ではない。それは何とかなるものだからで、しばらく滞在していると、生活に困らない程度は直ぐ覚えてしまうからでもある。海外で最も困惑し身につけるまで行かないこと、それは何かと問えば、率直に言って各国によって異なる宗教の問題である。有史以来宗教の問題は根深く深刻である。特に海外での宗教体験で、日本人が最も驚くことはどの方向を向いても一神教の世界だからである。その一神教の世界に馴染めるかどうかが、海外での活躍、或いは活動の成否を問われることとなる。最も古いユダヤ教では唯一神ヤハウエであり、キリスト教では父と精霊とイエスの三位一体が唯一神である。イスラーム教ではムハンマドは単なる預言者に過ぎず、偶像崇拝を徹底して排除し、アッラーフが唯一絶対神である。それぞれの宗教は長い年月を掛けて分離したり、解釈が新しくなったりしながら、互いに持つその排他性によって、悲惨な宗教戦争が繰り返されて来た。イスラームも派生した根源からスンナ派とシーア派に別れ、ただ言っておきたいことがあるが、イスラーム教は決して危険な宗教ではない。9,11以降の差別的な見方はこの際排除すべきである。どの原理主義にも正確さかということは殆ど無意味であるように思われてならない。原理主義とはどの原理主義でも政治的で戦闘的で妥協性がなく排他的にしか過ぎないからである。イスラームの村で旅人としてどんなに厚遇して戴いたことがあったか。アメリカ・CIAの職員で、タルムード(ユダヤ教の聖典の一種)に心酔し、唯一の正義は武力であるなどと、僕を震撼させたこともあった。15世紀以降マルティン・ルターの宗教改革によってプロテスタントが派生したわけだが、大英帝国の或る侯爵のお宅で、プロテスタントともカトリックとも受け取られイギリス国教会の由緒も伺ったことがあった。今ここで各宗教について論ずるつもりはない。ただ言えることは、一旦海外に出ると、複雑な中にも必ず白か黒か、はっきりとモノ申すべき場面に多く出逢う。これが常に、日本人には過酷に付き纏ってくるのである。従ってある程度の宗教的知識やその習慣などを勉強しておくことが必須であろう。いずれにせよ世界中の旅は様々な宗教への旅路でもあった。そして僕は、資金と言う化け物の存在を知った。最も豊かな資金力はユダヤ・マネーで、次いで産油国のオイル・マネー、第三に意外にもインド・マネーであった。新興国・中国のマネーやマネーを意のままに操っているようなアメリカのマネーや、世界の経済を牛耳っている一方の旗頭を、馬鹿丸出しにして自ら誇示する日本マネーは脆弱で論外であることも。ただ偏に理解出来たことは、自らの国家・日本について余りにも知らなかったと言うことであった。取り分け自らを顧み、深く沈殿する何モノかを掴んで海外渡航を一旦終えた。

 それでも僕は考える。自由と不自由、平等と不平等、善と悪、権利と義務、使用者とされる者、征服者と抑圧を受ける者、或いは父性本能と母性本能、陽と陰などなど、世の中では一つだけの価値観だけではやっていけないことだらけであった。無論、意識的無意識的に関わらず日本人は多くの神々の中にDNAとして組み込まれて育っている。畢竟、二者択一には慣れていない。禅の言葉に、「両頭截断して、一剣天に依って凄まじ」という言葉があるが、これはまさしくそれを言っているのであり、白とか黒とか、そういう相対的な認識の仕方を、寧ろ戒めている言葉なのである。白でもあり黒でもあると同時に白でもないし黒でもない・・・・そのような絶対的な認識に立つべきだとの教えである。こういう絶対的な認識の仕方から行くと、白か黒かという区別ができないのは、近代科学では勿論、それが白か黒かを区別しないとなればやっていけないのではないか、そう危惧される方が多いだろう。その白黒をはっきりさせる思考の延長線上にキリスト教などの一神教があるのであり、だが本来、存在というものはそんなものではなかろうと考えられる。存在というものは、白とか黒とかという相対的な認識を超越したものであり、白との関係性や黒との関係性そのものが問題なのであるだろう。 

   近代科学は、普遍性を求めるあまり、あらゆる存在の明確な区別、言い換えれば関係性の截断が必要であった。だが我が国の「華厳宗」は、そうした近代科学の原理とは全く違うことをやってのけていたのであり、近代科学が否定した関係性をより深く重視することに他ならない。全関係の総和としての存在というもの、それは名前のつけようがないから「無」と言わざるを得ないが、華厳宗ではそれを「挙体性起(きょたいしょうき)」と言っている。生け花というものは、存在が、「挙体性起(きょたいしょうき)」する最もいい形を求めるものであり、そういう意味で、「存在が花している」のである。又「両頭截断(せつだん)」と言う言葉も白か黒かと言う二元論的な論理を極めて厳しく戒めていることも決して忘れてはならないだろう。こうした日本文化の根本的存在論からしてみると、存在の現れとしてそこに花があるからあるのである。すべてのものは存在から出てきた。言うなれば、存在が花して来たと言っても過言ではない。僕たちのDNAにはそうした確信があることを忘れるべきではない。そこからしか西洋文化と日本文化の共生の必要性があり、今後僕たち日本人はそうした矛盾システムの線上を生きていかなければならないのだろう。ここに忘れるべきではない人に、武家社会源流の旅の行き着いた先に、明恵(みょうえ)がいるのではないかと考えられる。河合隼雄さんの名著・「明恵 夢を生きる」(京都松柏社)を読んで、「挙体性起(きょたいしょうき)や「両頭截断(せつだん)」を今更ながらに深く読み解かなければならないものだと確信する。

 ≪華厳思想の究極は、法界縁起にあると言われる。この法界という語は簡単には説明し切れないが、「望月仏教大辞典」に拠ると、様々な意味が書かれている。そのなかの、「華厳教学では」という項を質すと、「<現実のありのままの世界>と<それをそのようにあらしめているもの>との二つの相即的に表現する言葉として用いられる。云々となっている。(註;相即的とは、相が二つ以上のものの関係性を言い、即はぴったりくっついている様を言っているので、相即的は、相対的な関係にあるいくつかのものを、本来はひとつであると理解することにある。そんな理解の仕方を言っている)  法界はまず出発点として、<現実のありのままの世界>であるが、<それをそのようにあらしめているもの>は何かを考え出すことによって、その意味合いが変わってくる。それを華厳思想では、事法界理法界など四種の法界の体系に組織化している。事法界は僕たちが普通に体験している<現実のありのままの世界>であり、そこではそれぞれの事物が明確に他と区別されて自立的に存在している。これは「華厳的な言い方をすれば、事物は互いに礙(さまた)げ合うと言う事。AにはAの本性があり、BにはB独自の性格があって、AとBとはそれによってはっきり区別され、混同を許さない」という状態である。

 承久三年(1221年)に起こった承久の乱、更にそれに続く一連の出来事は、わが国の歴史上において画期的なことであり、「革命的」と称することもできる。三人の上皇の配流に続いて、朝廷領の没収、守護・地頭制の強化があり、乱後11年目には、それまで日本を支配していた律令制度に代わるものとして、幕府が「貞永式目」を制定したのである。このことは、今まで形式的にしろ朝廷が保っていた権力の中枢としての座が幕府に移ったという事実のみならず、「貞永式目」と言う法そのものの内容、及びそれを支える思想が極めて画期的であったと言う意味でも、「革命的」なことであった。さて、承久三年の乱は、幕府軍の勝利によって、瞬く間に終わってしまったが、このとき明恵は、朝廷側の武士や公卿などの未亡人を躊躇うことなく高山寺に匿った。『伝記』に拠ると、このために怒った鎌倉武士は、明恵を捕らえ、六波羅探題・北条泰時のところに引っ立てて行ったと言う。明恵はすべて覚悟の上であったので、泰然自若として、明恵にとっては敵味方なく、気の毒な人を助けるのは当然のことであると述べ、「是、政道の為に難義なる事に候はば、即時に愚僧が首をはねらるべし」と言い切ったと言う。泰時はもともと明恵を尊敬していた為に、大いに恐縮して詑びると共に、むしろ、明恵の教えを受けようとしたようだった。承久の乱後に北条泰時が制定した「貞永式目」は、我が法制史上極めて画期的なものがあり、明治憲法に至るまで、長期間に亘って我が国を支える有効な「法」として活用されることになったのである。

 明恵の説く「あるべきやうわ」の本質は、この「貞永式目」のなかに生かされ、それは後々まで日本人の生活のなかに生きて来たのである。

 「あるべきやうわ」について、河合隼雄の次のような見解を紹介しておきたい。≪『明恵は、「阿留辺幾夜宇和(あるべきやうわ)」について、「此の世に有るべきように有ろうとする」ことが大切であると明言している。これは、当時急激に力を得てきた法然の考えに対するアンチテーゼとして提出されたものと思われる。従って、この言に続いて、現世のことはどうであっても後生だけ助かればいいなどと説いている経典はない、と言い切っているのである。このような例に接すると、日本人としてはすぐに「あるがまま」という言葉に結びつけたくなるが、わざわざ「あるべき」と、「べし」という語が付されているところに、意味があると感じらてならない。このような日々の「もの」とのかかわりは、すなわち「こころ」の在り様につながるのであり、それらをおろそかにせずになし切ることに、「あるべきやうわ」の生き方があると思われる。そこには強い意志の力が必要であり、単純に「あるがままに」というのとは異なるものがあることを知るべきである。明恵が「あるべきやうに」とせずに、「あるべきやうわ」としていることは、「あるべきやうに」生きるというのではなく、時により事により、その時その場において「あるべきやうとは何か」という問いかけを行ない、その答えを生きようとしなさいとする、極めて実存的な生き方を提唱しているように思われる。それでは、「阿留辺幾夜宇和(あるべきやうわ)」という明恵の実存的な生き方を支える華厳哲学とはどのようなものであったろうか。ここではほんの要点のみ紹介したい。華厳哲学については、井筒俊彦の「事事無礙・理事無礙(上)・・・存在解体のあと・・・」(思想33号、岩波書店、1985年)などによって明らかである。事法界は、われわれが普通に体験している『現実のありのままの世界』である。そこでは、それぞれの事物は明確に他と区別されて自立的に存在している。事物は互いに礙(さまた)げ合うということである。AにはAの本性があり、BにはB独自の性格があって、AとBとはそれによってはっきり区別され、混同を許さない。この境位が真に覚知された時、禅ではそれを『無一物』とか『無』とか呼ぶ」のであるが、華厳の術語によると、このようにして見られた世界が「理法界」ということになる。「事法界」においては、ものとものとの区別がある。「AをAたらしめ、AをBから区別し、Bとは相異する何かであらしめる存在論的原理を、仏教の術語では<自性(じしょう)>(svabhava)」と言う。ところが、「理法界」においては、ものの区別がなくなるので「自性」が否定されてしまう。つまり、自性は実在するものではなく、「妄念」にすぎないものになってしまうのである。これは井筒の言葉によると、「存在解体プロセスの、一応の、終点です」ということになる。実際に「華厳経」を見ると、一切が無自性で虚空のようなものであることが、繰り返し説かれている。この絶対的に空化された世界は、いわゆる何もないという意味での無や空ではなく、無限に「有」の可能性を秘めているものである。つまり、理法界の「空」は、「無」と「有」の微妙な両義性をはらんでいる。したがって、「無限の存在可能性である<理>は、一種の力動的、形而上的創造力として、永遠に、不断に、至るところ、無数の現象的形態に自己分節していく。・・・・・<空>(<理>)の、このような現われ方を、華厳哲学の術語で<性起>と」呼ぶのである。華厳哲学において、「性起」の意味を理解することは重要であるが、「一番大切な点は、それが挙体「性起」である」ことだと井筒は主張する。「つまり『理』は、いかなる場合でも、常に必ず、その全体を挙げて『事』的に顕現する、と言うこと。だから、およそ我々の経験世界にあるといわれる一切の事物、そのひとつ一つが、『理』をそっくりそのまま体現している」のである。「『理』はなんの障礙(さまたげ)もなしに『事』のなかに透入して、結局は『事』そのものであり、反対に『事』はなんの障礙もなしに『理』を体現し、結局は『理』そのものである、と。「挙体性起」などという言葉をきくと、明恵が石を愛し、島に手紙を出しなどしたりした行為がよく理解できるのである。ひとつひとつのものを「理」の挙体性起として見る、明恵はそのような心境に達して、この世界の事物に接していたのであろう。ある一つのものの存在に全宇宙が参与しているのであり、ある特定のものがそれだけで個として存在することは絶対にあり得ず、「常にすべてのものが、同時に、全体的に現起するのです。事物のこのような存在実相を、華厳哲学は『縁起』といいます。『縁起』は、『性起』とならんで、華厳哲学の中枢的概念であります」ということになる。・・・・(中略)・・・・つまり、ものが性起するとき、どれかの要素が「有力」的に現起し、それが主となって、「無力」的に現起したものは従となる。すなわち「主伴」の論理である。しかし、ここで大切なことは、「無力」な要素は見えないと言っても、それは普通の人間の場合であり、仏や菩薩には、もちろん「無力」な要素も見えるのである。この両方が見える人を、井筒は「複眼の士」と呼んでいるが、「複眼の士」の目には「常に必ず、存在の<無力>の構成要素を、残りなく、不可視の暗闇から引き出してきて、いかなくものをも、<有力><無力>両側面において見ることができるのです。このような状態で見られた存在世界の風景を叙して、華厳は、あらゆるものが深い三昧のうちにある、というのであります」。これが華厳における「事事無礙」の法界である、と。ふと一匹の黒犬を見る。それが足にまとわりついてくるとき、「この犬を年来飼っていたのだ」と明恵は直覚する。言ってみれば、すべての人はその心の中に黒犬を飼っているのだが、それに気づく人と気づかない人とが居るだけなのである。この犬は自分の犬だと気づくこと、それは「無力」の要素の存在に気づくことに他ならない。≫ 以上、河合隼雄著・「明恵 夢を生きる」(1987年)の勉強からである。 

 そんな意味から申せば、果てしなく続く多くの紛争への関与と解決への糸口は、日本人が、その資質として持っているのではなかろうかと、ふぅ~っと考えられてならない。何故なら一神教の宗教紛争こそ、その根底にあるからであり、そうなる為には日本人が更なる努力と勉強をし、確たる信念と信条を持ち、世界平和への道を策定し歩めるのではなかろうかと思える。日本人はもっともっと更なる自信を持って努力すべきであろう。 

 海外は、殆どと言っていいほど一神教の世界に満ちているが、僕たち日本人にはどうもそれが馴染めないように思えてならない。日本にある八百万の神々も大きく分けられて三種類ほどで、「稲魂さま」と「氏神さま」と「祖霊さま」になるだろう。天台密教の比叡山は坂本の日吉大社で守られ、叡山とともに京の都を守護している。真言密教でも、空海が根本道場を築く時、許しを請うた丹生都比売神社が天野の里にある。空海は1200年前開創時に、この神社に参り許しを得たのだが、1700年前からこの社があった。当然蔵王権現や葛城山系や熊野三社も真言宗のお膝元で守護し守護されている間柄である。日本に入って来た佛教は、土着の神道とよく調和しお互い合い観違えるほどの関係であった。如何にもそこが日本的とも言えそうだが、取り分け密教の秘儀こそ神道の奥義に迫るものであったのだろう。最近政界は無論のこと、経済界でも二元論が大きく報じられ論じられているが、一方的なようで、堪らない気がしてならない。とっくの昔、経済の世界では二元論、つまり消費者と経営者、資本論と社会主義などと言う貧相な論理は、既に全く古びたものであるに違いないと当然分かっている筈だ。資本主義世界でも社会主義的方法が当然のように導入されており、社会主義若しくは共産主義の世界でも資本主義の方法や論理が導入されているではないかと。従って果たして日本には二大政党制が根付くことになるだろうか。無理矢理に、二大政党制にすることもなかろうと。二大政党制とは、どうも一神論の世界にあるように思えてならないのは僕だけだろうか。目先の喧伝文句だけに頼って、また民衆もそれを信じたりして、あってはならないことが起こりうる可能性が見えて来るのは、僕が心配性のためだろうか。少なくとも最低五十年、いやいや最低でも百年の永きに亘る論理や将来の可能性が普通に議論なされないと、人も物も、そしてすべてが先細りになってしまうのは明白で、危険性を孕んでいるからでもありそうである。

 もう仕事には行けない。赤ちゃんは今か今かと言う状態にあり、妻からひと時も目を離せないのである。僕も妻の分娩に立ち会うことにしているが、こうして河合隼雄著・『明恵 夢を生きる』を携え、これを、時折来る陣痛で苦しむ妻の傍でブログの記事として書いている。まだ分娩室に移る状態ではないと言うらしいが、時折酷く苦しんでいる来てるのに、でもそれは間違いなく僕自身の苦しみでもあった。そして生まれ来る我が子の誕生をひたすらに待ちに待っているが、我が子とともに、僕も妻も、一生涯勉強して行くことになるだろう。もう間もなく産まれ来る我が子へ、ゲーテの『ファウスト』から幾篇か取り上げ、これをあなたが誕生する前祝いと致しましょう。直ぐそこのあなたへ!

 

  ◆ 人間は常に迷っている。迷っている間は常に何かを求めている。(ファウスト)

  ◆ 性に合わない人たちとつきあってこそ、・・・誰とぶつかってもびくともしないようになるわけだ。(エッカーマン/ゲーテとの対話)

  ◆ 今日出来ないようなら、明日もだめだ。一日だって無駄に過ごしてはいけない。(ファウスト)

  ◆ 心の底から出たものでなければ、けっして心から心へ伝わるはずがない。(ファウスト)

  ◆ 常に努力するものを われわれは救うことができる。(ファウスト)

  ◆ この世界を奥の奥で動かしているもは何か。・・・(ファウスト)

  ◆ 消極的にせよ、積極的にせよ、不満は大変な労力である。(ゲーテの言葉)

  ◆ 私の時間を短くするものは何か?活動! 私の時間を絶えがたいほど長くするものは何か?怠惰!(西東詩集)

  ◆ 人間は、なんと知ることの早く、おこなうことの遅い生き物だろう! (「イタリア紀行」ナポリ、1789年3月17日)

  ◆ 何事も延期するな なんじの一生は不断の実行であれ。(ウィルヘルム・マイステルの遍歴時代)

  ◆ 活動(行動)だけが恐怖と心配を追い払う。(ゲーテの言葉)

  ◆ 一歩一歩がゴールであり、一歩が一歩としての価値を持たなければならない。(ゲーテとの対話)

  ◆ こころが開いている時だけ、この世は美しい。(ゲーテ、格言詩)

 

嵐山上空より愛宕山を望む

嵐山上空より愛宕山を遥拝す <安産祈願として>

 

 

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極楽は遥けき程と聞きしかど つとめて至る處なり への4件のフィードバック

  1. 道草 より:

    たまさか早朝に散歩していますと、ふと名も知らぬ鮮やかにも美しい一輪の花に出会うことが、時にはあります。周囲に人の気配はまるで無く、まだ陽は昇り切らずにいるのか、遠く東の山の端に僅かな明るさが増し始めています。私はじっと静かに地上に佇みます。緩やかな風が、柔かく頬を撫でるかの様に流れて来ます。同時に道端の花も心持ちゆらりと揺れる。私も花も同じ地面に立っている。同じ風を受けている。折から明るさを増し始めた同じ陽光に照らされている。私と花は、どちらも命ある存在なのか。現に、私も花も生きている。いつからの生命なのか。ずっと昔、記憶に無い頃から、私も花もこの大地を通して繋がっているのかも知れない。「あんたは、ここで花やってましたか。僕は、ずっと人間やってますねん」。生きとし生けるものに、何だか囁き掛けたくなる。そなん時間がふとあるかの様に、硯水亭さんの文章を読んで思えて来ました。「生死不二」   坂村真民しんに生きることはしんに死することだ生死は不二なのだ

  2. 良枝 より:

    そうなんですよねぇ。生まれそうで生まれない。しかも、それが実際の体の痛みを伴うものだから。大変なんですよねぇ。私は明恵は専門的には読めませんでした。コチラには取り上げられていないのですが、仏教にとって光の概念はとても重要です。きっと、どの宗派を掘り下げてもぶち当たるとは思いますが、ことのほか華厳は凄くって、まぶしすぎて手が付けられませんでした とても美しい書物なのですが・・・。 苦笑「仏光」「鏡」「玉」「光明」と、いろいろな書き方をされますが、それらは全て光ですから、混乱します。光は往来するし、直進するし、一点から放たれるわけではないし、と、反射させて考えているうちに頭の中が光で埋め尽くされちゃいます。それそのものが存在でもあり、関係性でもあり。赤ちゃんはそんな光の海に飛び出してきますね。実に勇敢です。ところで、影は光るものなのでしょうか。日本文化は闇に寛容ですよね。

  3. 文殊 より:

    道草先生 まったくこの存在って何なんでしょうか。僕はいつも考えられてなりません。生まれて来たからには必ず死ぬのは分かっていても、僕だけはそうならないんじゃないかとか、勝手気侭なものです。歴史上、いつも二つの争い、二つの融合が多かったように思えてなりませぬ。僕たち日本人の文化には、そうした数の論理は極めて少ないように思えるのです。そこらにあるものすべてが存在しているのであって、そこにないものは観た目にはないのでしょう。でも目に見えないモノでもあると堅く信じるのが日本人の特性です。いい国に生まれたなぁと実感する瞬間です。先生の、朝のお散歩も、いつお伺いしても爽やかな空気感を感じられて、嬉しくなることが多いんですよ。きっと先生には深い心根があるのだと信じます。 坂村眞民先生の詩を有難う御座いました。まさに生死は一体であります。あざなえる縄のようなものでしょう。泡沫に近いこの現世だからこそ、一瞬の煌きに、すべてを賭けて生きているのだと考えます。今度の選挙の結果が気に入らなくて仕方がありません。何も二大政党など無理をしなくてもいいものと考えるからです。僕は、◎澤次期幹事長を全く信用しておりません。選挙専用のくだんの「政治屋」でしかなく、真の「政治家」ではないと思えるからでありますが、民主党が勝って偶にはこんなことがあってもいいと考えていますが、数の論理は旧態依然として生きていることに憮然としました。そこを真実書きたかった趣旨で御座いました。目先のことではなく、もっと先のことを見据える政治家が育って欲しいと念願しています。お粗末さまで御座いました。そして、いつもながら先生!有難う御座いました!

  4. 文殊 より:

        りんこしゃん 当然佛教にも光と影がありますね。 紀元前六、五世紀の古代インドの王子であったゴータマ・シッタルダから創立された佛教は、東漢(後漢のこと)の明帝の時代、つまり永平十年(紀元67年)に洛陽に渡来して、中国では最初の佛教寺院である白馬寺が建てられた。したがって中国の最初の仏教寺院ということになるわけです。項(うなじ)に日の光を具えた佛が夢に現われ、その満月の如き顔(かんばせ)が輝きわたってからは、洛陽の開陽門に白毫の佛像を荘厳し、御陵に紺髪の佛のお姿を描くことになり、それ以来、人びとは競って佛に帰依し、かくてその信仰は中国に広まっていったようです。時代が下って晋の代の永嘉年間(307~312)にはまだ四十二だけであったのですが、その後大いなる魏の天下となって、洛陽に都を定めてからは、その崇信はいよいよ遍(あまね)く、教えはますます盛んとなったようです。中国での最初の佛教布教のキーワードは佛の光にあったと考えられます。 日本では特に文字などではっきりといつも口にされたのは、浄土信仰があった時ではなかったでしょうか。特に一遍上人は「無辺の功徳衆生の心に入ると信ずる心は、是(これ)即ち無辺光仏の徳なり」と説かれました。つまり一切分け隔てなくすべての衆生に功徳あらんと信ずることができたなら、それはすでに人間を超えた無辺光仏(阿弥陀如来)の徳だとおっしゃる。それほどに、無辺の功徳を願うことは難しいのですが、功徳と光は一体だったのでありましょう。 但し初期の佛教においては、光は黄金が主流でなかったかと考えます。初期の佛典では、ブッダを修飾するのに黄金で比喩することはあっても、光明で修飾することはなかったように思われます。初期の佛典を編述した上座部の佛教には、光明思想はなかったといっても誤りではないでしょう。上座部の分派に属する経典に、いま舎衛城の大僧院に滞在される「われわれの師」(ブッダ)は、純金の塊さながらで、精錬された黄金に似て、純金のように清らかであると。そうまで記していますが、また上座部の系統をひくセイロンやビルマの佛教では、佛像を黄金で飾りたてるのが普通でありましょう。 光背と言い、日本では光が最も重要な様式とされました。黄金で光り輝くのを民衆は観て観じて、そうして地獄に落ちないようにしなければと考えたのかと存じます。我が愛読書・「梁塵秘抄」は後鳥羽法王がへんじられたものですが、あのように政争に明け暮れ、権謀術策の渦中の人が、佛に帰依する人々の哀切や戯れ歌や男女の機微や子を思う親の心情を切々と詠ったものを集められましたが、あの法王も、一縷の光に光明を観たのでしょうね。 天台密教の始祖・最澄も又、根本中堂に、永遠の御光が三個でしたか、英々と続いて光っておりますが、あれを観るたびに、僕は涙を禁じ得ません。そこまでの熱意を感じられるからですが、最澄こそ、影の部分を重要視し、一隅を照らすという信念が生まれたものでしょう。過去多くの大阿闍梨さまを生んで来た千日廻峰も、最澄が考えた「闇」への独特な考え方ではなかったでしょうか。 りんこしゃんと、いつもこんな話をするのが、僕は大好きです。今日も有難う御座いました!

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