名付けの難しさ  産みの苦しさ 責任

 

山田寺仏頭     天上大風   

清新な山田寺佛頭                                 良寛さんの凧絵としての走り書き

 

 

 

                          名付けの難しさ 産みの苦しさ 責任

 

  妻から与えられた宿題は存外難しいものだった。我が息子に「風」の字が入れよとは、苦衷、困惑。火曜日に、早くも妻は我が子とともに退院する。それで本当に大丈夫かと心配せざるを得ないが、権威ある先生のお墨つきである。渋々ながら、それを受け取らざるを得ない。そう言えば、出産までの間が永かったかも。妻のひと言がよぎる。退院まで京都の義父母がいる。出来ればその間に決めたいものだが、ゆるい感じでゆっくりつけたい希望がないわけではない。でも必死に「風」の字を漁って調べてみた。普通名から固有名から雅名や古語にいたるまで「風」の名称を調べあげた。古語に詳しい妻のほうが遥かに勝っているとは分かっていても、我決意をし、義父母にとりあえず提示することにした。我が子の名前をつけるにも難しさと、それを産む苦しさがついてまわる。そして何よりも親としての責任がありそうである。「いじめ」に合うだろうかとか、大き過ぎないかとか、あれやこれやと考えた末、何とか何種類か考えるに及んだ。子は親を選べないが、本能的に子が親を選んだのかも知れない。名こそ、親の勝手でつけるもので、でもつけざるを得ないんだろう。

  実は、僕たちの結婚は年の差があり、良寛と貞心尼との差(40歳)ほどではないが、その半分以下は間違いない。でも何処かに済まない思いがないわけではない。そのことを改めて義父母に言うと、カラカラと笑われた。最初から分かっていたし、それを娘が自ら大丈夫だと信念で私たちを先ず説得してから結婚が決まったことを。それでも僕は何となく、言い知れぬ自己疎外感を感じた。これって何だろうか。でもどうしようもない。今更と思う。エイヤ~~ッと名付け、周囲に相談はするものの、最後は妻と二人で決めることにした。以下「風」と言う字の大半だろうか。

  あいの風、青嵐(あおあらし)、あおぎた(青北風)、煽(あおち)、暴(あかしま)風、暴(あからしま)風 暴風。秋風、秋台風風、悪風、朝嵐、朝風、朝東風(あさごち)、朝戸風、明日香風、仇の風、あなじ(乾風)  冬に近畿以西で吹く、船の航行を妨げる強い北西季節風。あなぜ。あなし。油風(あぶらかぜ)、油まじ、油まぜ、雨(あま)つ風、天つ風、雨(あめ)風、雨台風、風あゆ、嵐、嵐の風、(あらしま)風、家風(いえかぜ)、家の風、韋駄天台風、いなさ、いぶき、色風、岩おこし、陰風、海風、浦風、浦山風、上(うわ)風、永祚の風、煙嵐、追い風、順風、追風(おいて)、大風、荻風、沖つ風、おぼせ、颪(おろし)、筑波おろし、那須おろし、赤城おろし、六甲おろし、オロマップ、温風、海軟風、海風、海軟風、回風、つむじ風、凱風、そよ風、花信風、風台風、火風、神風、空風、空っ風、空風、雁渡(かりわたし)、あおぎた(青北風)、川風、河原風、寒風、季節風、北風、逆風、向かい風、強風、狂風、暁風、金風、秋風、西風、葛の裏風、下り(京から下る夏の季節風/逆は上のぼり),颶風,黒南風(くろはえ),薫風,軽風,勁風、恵風、黄雀風、恒信風、貿易風、光風、好風、恒風、業風、小風、そよ風、こがらし(凩、木枯し)、はしり、黒風、つむじ風、俗風、東風(こち)、穀風、谷風、梅東風(うめごち)、桜東風(さくらごち)、雲雀東風(ひばりごち)、木の下風、木の芽風、佐保(さお)風、朔風、砂塵嵐、砂嵐、小夜嵐、夜風、浚いの風、山風、地嵐、潮干風、潮風、塩風。、鹿の角落とし、疾風、科戸(しなと)の風、しまき(風巻)、霜風、秋風、秋嵐、しゆたらべ、春風、順風、松風、商風、白南風(しろはえ、しらはえ)、信風、神風、晨風、陣風、疾風、塵風、隙間風、涼風、袖風、砂嵐、西風、清風、風、腥風、青嵐、晴嵐、関風、旋風、つむじ風、つじ風、袖の羽風、そよ風、微風、大風、強風、台風(颱風)、高西風(たかにし)、卓越風、常風、だし、出し風(山形県庄内地方の清川だし、新潟県北部の荒川だし、北海道後志支庁寿都(すっつ)の寿都のだし風など)、太刀風、竜巻、谷風、束風、玉風、暖風、長風、筑波東北風(つくばならい)、辻風、旋風、つむじ風、旋風、強東風(つよごち)、手風、天狗風、天風、東風、通り風、時つ風、順風、都市風、突風、流し、茅花(つばな)流し、波風、ならい、ならい風、軟風、難風、鳰(にお)の浦風、にし、熱風、野風、野分き、野分の南風(のわきのはえ)、南風(はえ)、葉風、羽風、刃風、太刀風、爆風、初秋風、初嵐、初風、初秋風、初瀬風、花嵐、鼻嵐、花風、浜風、浦風、はやち、はやて(疾風)、しっぷう、陣風、春嵐、春の嵐、春疾風、春一番、二番、春三番、春風、春疾風(はるはやて)、春荒(しゅんこう、はるあれ)、東風、ひかた、悲風、微風、飄風、平野風(ひらのかぜ)、ビル風、広戸風、便風、順風、舞台風、へつかぜ(辺つ風)、便風(びんぷう)、貿易風、暴風、帆風、北風、朔風、星の入東風(ほしのいりこち)、盆東風(ぼんごち)、舞い風、まじ(真風)、櫻まじ、油まじ、まぜ、松風、松籟、まとも(真艫)、魔風(まかぜ)、まつぼり風(へそくり風)、豆台風、港風、みなみ、南東風(みなみごち)、向かい風、逆風、向こう風、猛風、八重の潮風、矢風、山颪(やまおろし)、山風、山下風、山背、夕嵐、夕風、雄風、夕下風、夕山風、雪嵐、雪風、夜嵐、夜風、横風、横しま風、四方の嵐、夜半の嵐、嵐気、陸風、陸軟風、涼風、緑風、薫風、冷風、烈風、若葉風、和風などなど。

  調べてみると、風だけでも相当な名称がある。土地柄・方角・歴史・愛着・土着と様々な風が変化に富んであるもので改めて感心し、日本語の多彩さと日本人の感性に痛く驚いた。でも単純に、妻は、吹き渡る風に執着があるらしい。多分、あの新婚旅行で舞った「越中八尾の風の盆」が、特別な愛着を注ぎ足しているのだろう。それでも僕は、良寛と貞心尼の「はちすの露」に拘っていた。70歳の良寛と30歳の貞心尼の年の差の淡い恋心は、無茶苦茶に素敵で、いつも心奪われる。僕は良寛さんの心底に、全くほど遠く脂ぎって情けない無為のオトコだが、憧れだけが酷く強いものがありそうだ。良寛が日頃嫌いなものと言えば、「書家の書、歌詠みの歌、料理人の料理」と言って憚らなかった心根を、それとなく尊敬してやまないからでもある。貞心尼が最期を看取って極楽往生し果てた和尚の幸せそうな顔を、ささやかに想像出来る。僕は、妻との間にだって、そんな清らかさを感じてたいものだと夢見ていた。子供らから凧絵に所望された良寛さんから書かれた「天上大風」の字をこよなく愛する。僕の勝手な解釈だが、「天上」には日本神道の『清明の思想=(いつも新しく生き直す力)』を感じられてならない。無論反論は承知の上だ。「大風」には、佛陀の慈悲そのものがあり動かし難い。「天上大風」には、いつでも新鮮に生き返る柔軟さと、佛陀のゆかしさを、勝手に思いめぐらせている。僕はそんな願いを込めて我が子に名をつけた。親馬鹿チャンリンもいいところかも。

  そうして僕たちは我が長男につけた名前は、「大風(たいふう)」。つまるところ良寛さんの書、「天上大風」から戴いたのだった。風に悪い風もあればいい風もある。我が長男がいいも悪いも、何かを乗り越えて、この名前をどんなカタチで結実し結露し、結局のところ我が名とするか、半分は本人自身に任せようと思う。責任と言う意味では親子は半々かも知れん。その字の意味、良寛さんの意図は、「佛の慈悲」の意だと言われる。こうなると親の責任に大なるものがあるだろうが、「大風(たいふう)」を提唱し、義父母にやや失笑を買われたが、何と妻が大賛成してくれたのだった。愛称は無論「ターちゃん」、その場にいた皆さんが何とか納得してくれたようである。良寛さんにそんな事情を伝えたら、最初大笑いをされ、でもいいだろうと仰られるかも知れない。そして、いい「風」にするか、何でもない普通の「風」にするか、悪い「風」にするか、息子本人の努力次第だろうと、少々気まずい思いをしながらつけてしまった。責任の半分を息子に背負ってもらいたいと思う。出来れば和尚の言う「御佛の慈悲」に辿り着いて欲しいものだと念願しつつ。「M(マゾの意味ではない 当家のイニシャルのMで)・大風(たいふう)!」 ぅうん、それでいい、それでベストとして決めた妻が言った。「天上」には神道の『清明の思想』、そんな意味を良寛さんは殆ど考えもしなかっただろうが、僕たちは敢えてこの意図の誤釈を選択した。親心、同時に我が子が責任をまっとうして欲しいのである。あああ今夜は眠れそうにない。「大風(たいふう)のターちゃん」が、明日の午後に当家に初お出ましになり、それを見届けて、京都の義父母たちは帰って行く。そうして僕たちの眞新しい生活が始まろうとしている。今、妙にドキドキしているのが本当だ。

 

CIMG4740 の補正

 

CIMG4742 の補正

 

CIMG4751 の補正

 

CIMG4748 の補正

 

院内を散歩していたら 偶然頭の上にコツンと団栗が落ちて来た 「椎の樹のドングリ」 

遅くなって申し訳ないが、僕も「道団栗」に加わろう、この子の根っこになれるように!そこに大風が吹き渡りますように!

広尾の実家は手狭で無理だが 白金の別宅は 芝が多い庭なのでピッタリで 大きく育つであろう!

 

  今日のBGMは 坂本龍一の『戦場のメリークリスマス』

広告
カテゴリー: メモリー パーマリンク

名付けの難しさ  産みの苦しさ 責任 への6件のフィードバック

  1. 道草 より:

    「大風君」。大らかで男らしくて素敵な名前ではないですか。「ター君」と呼べばなお可愛くて、奥様も思わす抱きしめたくなられることでしょう。                         良寛さんと言えば、小学校4年生の学芸会で「りょうかんさま」と言う劇をしました。私が良寛和尚になったのですが、母に衣装を縫ってもらいました。下の袴は母の黒いモンペを縫い直してくれて、まるで小坊主でした。劇中のセリフに、部屋の畳を突き抜けて頭を出した竹の子を村の子供らに見せて、和尚が「竹の子にご飯粒が付いているだろう。竹の子ご飯だよ」と言います。子供らは「ご飯の中に竹の子が入っているのが、竹の子ご飯ですよ」と言い返します。しかし、和尚は「いや、竹の子にご飯粒の付いているのが、竹の子ご飯だよ」と。その後、子供達が帰って、良寛さんはご飯でも炊こうかな、と井戸端に立ち、向うの山から昇って来る月を見て「ああ、きれいなお月様」と、いつまでも見とれている場面で羃が降りました。良寛和尚の視点は世の中の枠に捉われない、自然体そのものなのだ、と晩年に気が付いたことでした。大風君もその様に大きくなってほしいものです。きっとなるでしよう。  良寛の昨で好きな詩があります。「君看双眼色(きみみよそうがんのいろ)不語似無憂(かたらざるはうれいにたり)」 。これは大燈国師の「千峯雨霽露光冷(せんぽうあめはれて、ろこうすさまじ)」を受けて作られたものです。国師の句は、見渡す限りの山々の一本一本の木の葉が、今上がったばかりの雨の湿り気を帯びて爽やかに、涼やかに静かな光を発している。つまり、雨が降れば濡れる、霽れれば光る。あるがままのの自然の世界です。 良寛の詩は、双眼とは千峯のこと。大らかな世界が開かれている。双眼は人の眼ではない。自然全体が双眼なのだ。語っていないのではない、不語という語りをしているのだ。千の峯々はそうやって昼も夜も語っている。「無憂」とは「至福」そのものの姿に似ている。大いなるもの、その全体を指し示すことは出来ない。しかし確かに存在するのである。との意味だと読んだことがあります。「大風」の意味にも、何かこの世界に通じる自然の大きさを感じます。ターくんが大きく成長されることを願ってやみません。一息つかれたお父さんには、道団の一員として活躍されることを期待しています。「風」   坂村真民ともにあゆめば風ひかる

  2. 良枝 より:

    いやぁ、大仕事を終えられましたね。たいふぅ君ですか。ふぅと言う音がとても気持ちいいですねぇ。中国語で発音してもとても気持ちのいい響きです。ダーフォンですね。このfengの発音、日本人にはちょっとかわった発音に感じますがとても美しい響きだと思います。いい音ですねぇ 笑

  3. (Kazane) より:

    わ~、本当に “ 風 ” の入った名前に決定したのですね。大風君! きっと心の大きな男の子になることでしょう♪ふふふ、ちょっと “ 風 ” つながりが嬉しい私です^^大風君、今日は家でどんな風を感じているのでしょうか。これから、様々な風に出会い、自分もたくさんの風をまき散らし…。素敵な人生を歩んでいくことでしょう。私からも、柔らかな風を贈ります♪

  4. 文殊 より:

           道草先生 いえ、少々恥ずかしいのですが、敢えて大きなイメージにしてみました。当家は伝統的に、「R」の字がつくのですが、R太郎では何とも面白くなく、あれこれ考えるうちに、良寛さんのこの書が浮かび、それ以外は全く浮かびませんでした。上記の通りひと通り考え尽くしたのですが、何とも微妙でして。又このような名前をつけると、良寛さんに甚だ悪いと思ったのですが、ただ「慈悲」の心を持つオトコらしいオトコに育って欲しいという一念です。今ユニセックス全盛の折です。男性は半ば虚勢されたようで、居たたまれません。女性は男性化している傾向もあると思うのですが、男性の女性化ほど許せぬものはないと常時思い続けていました。きっといつか、この子は何て名前をつけたんだと抗議するかも知れませんが、綿々とここに至った経緯を話して聞かせたいと存じます。 先生が良寛さんのお芝居ですか。なるほどいいかも知れませんね。きっと人生の中でも大変な思い出となって、先生の人格をさえ創造していることでしょう。何とも微笑ましく読ませて戴きました。曹洞宗の禅坊主には凄い方が多いですね。只管に禅に打ち込む僧が羨ましくもあります。一度永平寺で参禅したことがあったのですが、やはり座禅は頗るいいものでした。あんなカタチで、いつも禅をしているような心地になれたら、どんなに凄いことでしょう。 天空の部屋にいると、自然を説いているのが馬鹿馬鹿しくなります。嘘八百のような気になるからです。子供たちも地べたで育てたいものだとカネガネ考えております。妻は東京は勉強する環境としてベストだと感じているらしいのですが、一度お話があった伊勢の斎王発掘調査チームの一員とならないかと、淡い希望を抱いています。国立大学からのお誘いもあり、いずれ妻とはきちんと話をしなければならないでしょう。今日午後自宅に、赤ちゃんと一緒に帰って来ましたが、まだ寝ているべきかと思い、赤ちゃんのお世話だけ御願いして、既に休んでいます。杏は、初めて知りましたが、新しい赤ちゃんに少々嫉妬気味です。これまで以上の愛情をたっぷり掛けてあげたいと思っています。 僕も、どうにかしてポケドン・グループに入りたいと希望しています。偶々頭上に団栗が落ちて来たのが幸いだったのでしょう。グループの最下座で大人しくしておりますから、どうかよろしく御願い申し上げます。たくさん取りました。多分300個ぐらいでしょう。殆ど白金の家に植えてみたいと考えています。よろしく御願い申し上げます!

  5. 文殊 より:

        りんこしゃん まさしく「ダーフオン」ですね。こせこせしたオトコにだけはなって欲しくなくてこんな大きな響きの名前をつけてしまいました。京都の義父母も最後は折れてくれましたが、僕の父は、普段から山登りしているものですから、大きな風って、イノチ取りにもなるし、逆な場合もあるとしみじみと語っておりました。印象的でした。 良寛和尚の心根が、分かるようになるためには幾旅も旅をしなくてはならないでしょう。如何にもオトコらしく成長して欲しい一念です。天上とは本来別な意味があるらしいのですが、我が国の神道の本来である「清明の思想」の片棒を担いで欲しい欲もありました。やはりオトコでしょうか、元気いっぱいに泣いてばかりいます。杏の時と聊か趣きを異にしています。泣き止むのは疲れが出ないと泣き止まないようで、しばらくは妻は自分の仕事にかかれないかも知れません。でも彼女も、とっくに覚悟しているようで、ペースが掴めるまでは子育てに専念したいと申しています。今は、娘と二人きりです。娘と、今夜から一緒に休もうと思っています。これはこれで凄く楽しみです。 杏の顔は、僕似で、性格は妻似です。反対に大風は顔は妻似で、性格は僕似になるでしょう。正反対なようです。火の燃えるようなオトコになるはずです。僕たち夫婦の相性はそういい夫婦ではありませんが、不思議なことに、極端に相性が悪いもの同士ほどうまく行くようで、大宗教家のご夫妻は殆どが大凶です。多分それを克服するのでしょうね。僕たちは大凶ではないのですが、火と水の関係です。幾ら冷えた水であっても、熱すれば沸騰してくるようです。熱いオトコの僕と、冷静な妻はちょうどいいのかも知れませんネ! 今日もおいで戴きまして、本当に有難う御座います。写真ですが、妻の写真だけ削除させて戴きました。ちらりと見られたからでもありますが、どうせ出して戴けるなら、目隠しは嫌ですよというのが彼女の弁でした。反省することしきりであります。本当に有難う御座いました!これから娘との楽しいひとときです。嬉しいです。しばらくは独占出来るでしょう!

  6. 文殊 より:

          風音さま 済みません、風を少々汚したようでして、先ず謝罪致します。道理で先ほどから爽やかな風が来ると思ったら、やっぱり風音さんでしたか。今夜は爽やかというより、まじに寒いですね。僕の屋上ガーデンはすっかり秋です。 亡き主人は「風は友、雲はライバル 雨は恋人」といつも言っていました。そんな影響もあったのでしょうね。すっかり風に、それも大風にしてしまって、僕たち二人で何とも不思議な感覚でいます。多分成長過程で、何故こんなと大風から言われるのは必定でありましょう。風ってあんまりだとか、でもきっとオトコらしいオトコに成長してもらって、姉・杏も、妻をも守って行くオトコになって欲しいものです。まだまだ顔がクチャクチャで、お猿さんのようですが、不思議ですねぇ、日々人相が変わるのですから。顔は妻似ですから、多分イケメンになるのではないかと思われるのですが、顔で勝負するようなオトコであって欲しくなく、飽くまでも男性のアドレナリンをバンバン出してもらって、いいオトコに成長して欲しいものだと思っています。ただ少々心配なのは、娘・杏が何かつまはじきされているような気になっています。おっぱいの分捕り合戦をしています。でも僕が、杏の大好きな桃をシェイクしてあげたので、少しは持ち直しています。男子厨房に入るべき←これが男児の本分です。意識せずとも自然に身体が反応して、僕と肩を並べて調理する日を夢見ています。杏はお姉ちゃんとは言え、女子ですから、大風は杏を守るべく成長して行くことを強く望んでいます。 妻は大風と既に休んでいます。僕は、まだ杏と起きていますが、しばらくは杏と楽しい日々が続きそうで楽しみです。先日松本であったサイトウ・キネン音楽フェスティバルの録画を撮っており、明日以降妻に聞かせてあげようと思っています。僕と二人で、ウィーンで毎年あるニューイヤァーコンサートを聴きに行くのが妻の夢なんですが、そんなに先には延ばさないで、なるべく早く妻の希望をかなえてあげたいと考えています。先日の「ブラームス交響曲第二番」は凄く感動しました、明日以降感動で溢れていた小澤征爾の凄さに改めて感動し感激しました。フルトベングラー方式ではなく、やはりカラヤンの強い影響を感じました。あのような熱いオトコに、大風がなってくれればいいのですが。無論僕を遥かに追い越して行けばいいと! 今夜も、本当に有難う御座いました。またユルリと行かせて戴きます。有難う御座いました!

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中