長寿の祝い~伝統としきたり

 

 

 最期まで現役であったターシャ 9月のカレンダーからの一場面 (メディア・ファクトリー社刊)

 

 

       長寿の祝い ~その伝統としきたり

 

 

 いつだったか、アメリカで言われたことがある。日本ではお年寄りと同居する習慣があっていいなぁと。ふいをつかれた僕は一瞬にして凍り付いてしまった。海外では日本人ほど、お年寄りの親とよく同居する民族はないように受け取られていて、とても光栄に思ったことである。だが昨今の日本は他の先進国なみに、如何に独り住まいのお年寄りが多いことだろうか、都市部になればなるほど多いようである。かく言う我もまた実家を飛び出して来た戦犯の一人で、見よう見まねで、ビル管理事業は楽な仕事ではないかと勘違いし、今いるような高層建築を自ら設計し建て、そこに妻と二人の子供たちと暮らしていたが、父のひと言があってから、昨日より僕たち家族全員が実家に同居することになった。一時的かどうかは分からないが、父も叔母も、遅く出来た我が孫に始終目を細めっ放しである。恐らくは父が歓んでいそうである。無論そう決める際、妻に相談したら何と嬉しいのと言う。お父様や叔母様が大好きだし、何故他者のことだけ考えて生きられるのか不思議で有難いことだと。我が父は決して帰って来いとか、いずれ同居してくれと言う懇願したことはたった一度も聞いたことがない。今回だって、家に来たほうが赤ちゃんには何かと便利じゃないかなぁとだけ、ボソリと。今月の「老人の日」が近づくにつれ、毎年ああしようこうしようと考えあぐねていたが、今年何ともまぁアッサリと意外な展開になったものだと感慨深い。中年になる人と、若いお手伝いさんが二人も実家にはいるにはいるが、広い家は確かに僕たちが収まっても充分のスペースがある。若い時分に、父に反抗していたのは一体何だったのか、今は何処かに消え去っている。

 確かに大所帯の中、じぃじやばぁばたちとで育った子のほうが、キーだけで育った子と、何処か違うように思えてならない。妻が大風に授乳している時など、叔母が杏を盛んにけしかけて遊んでいる。杏の嫉妬の行方もいい加減に終息するのかも知れないが、今朝父は、あなたたちが来てくれたお陰で、朝起きるのが楽しみになったよとポツリと呟いていた。あのビルを建てたお陰で、毎年やって来る多額の生前贈与税(後三年で終了)が何とかなっているから有難いことである。今年の15日の「老人の日」は、子供たちのお陰で我が肩の荷が何処かに行ってしまったようであり、嬉しい限りである。精々二人のご老体を、ささやかながらでも、お祝いが出来ると思うと運がいい、そしてとっても楽しみでもある。京都の実家に、妻が電話して今回の報告をしたらしい。京都にも実家とあなたたちのお部屋があるからねと言いつつ、実際はほっとしている風だったらしい。

 さてここらで日本におけるご老人方へのお祝いのしきたりをおさらいしておこう。一見複雑に思えるからである。人は誰しもがたった一度の人生を生きる。出来れば長生きしたいと言う願望があるに違いないが、残念ながら夭折される方も多く、悲惨にも自らイノチを断つ自殺者が毎年3万人を超えていると言うから、長寿になった昨今の日本でも別な意味で深刻で悲しむべき現実がある。長生き出来る人はそれだけに幸運と言うものであろうか。「老人の日」が来る度に、若い人の中には自分もあやかりたいと願うのが普通なんであろう。戦国の世はついこのあいだであった。信長が裂帛の気合で謡った「「人間五十年下天(げてん)の内を比ぶれば 夢まぼろしの如くなり 一度生を受け 滅せぬ者のあるべきか」は、謡曲『敦盛』の最後のトリの一節であるが、平均寿命が40歳ぐらいが当たり前の時代であっただろう。太平洋戦争の時も、平均寿命は50に届いていなかったそうだ。従って60まで生きた人は少数でごく稀な人であったのだろう。

 日本の年齢の数え方は中国伝来の「十干十二支」の数え方が一般的であった。それで暦年・暦日を算出していた。この十干十二支と言うのは古代中国で始まった紀年法で、年・月・日を数え記録する方法である。干とは、もとは日を表す記号で、甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸の十干からなり、一ヶ月を三旬に割って、一旬十日の各日につけられた名前であった。又、支は一年を十二ヶ月に分けた記号で、元々は植物の成長を表す文字が使われていたが、後年それが動物の名前にあてられるようになり、子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥と呼ぶようになったようである。この十干と十二支の記号を組み合わせて作られたのが「十干十二支」と言われる由縁である。略して干支(かんし)で、更に俗に言う「えと」である。干と支を順に、甲子、乙丑、丙寅・・・・・と言うように組み合わせて、癸亥まで六十の組み合わせを作り、六十一番目で最初の甲子に戻ると言うものである。因みに、十干は陰陽五行説に基づいて、木・火・土・金・水の五行、更に兄(え)と弟(と)に配分されるため、例えば「甲」は木の兄(え)、「乙」は木の弟(と)、「丙」は火の兄(え)・・・・・・と言ったように呼ばれている。従ってこれに十二支を甲子(きのえね)、乙丑(きのとうし)と言う風に読まれる。

 いずれにせよ、六十年を一サイクルとして暦法を用いられたために、六十年でその人その人の暦が元に還るのである。これを還暦と言われる。

 昔は、年齢を数え年(生まれた年を一歳とし、年が明けると二歳になる)で計算していたから、六十一歳は還暦であったが、現在では満年齢で数えられるから六十歳を還暦としている。いずれにせよ還暦になると改めて生まれた年と同じ干支になることから、赤ん坊に還った意味で、真っ赤なチャンチャンコを贈って祝う習慣が出来た。我が愛すべき歌手の加藤登紀子さんが還暦を迎えたステージで、これから満一歳と言うのと言って爆笑を誘っていたのを思い出す。この習慣はかなり古くからあったらしいが、庶民の間で一般化したのは江戸時代からである。そして還暦になると、公職や一家の家長の地位を退いて隠居生活に入ると言うのが戦前まであったらしい。今はそんな悠長な具合には行っていない。「今まで一所懸命に働いて来てご苦労様でした。これからは楽をして下さいよ」と言う意味だったのだろう。

 古代の社会では四十歳から始まって、五十歳、六十歳と、十年ごとに長寿の祝いをしたようだが、還暦の習慣が出来てそれが廃れ、十年ごとのお祝いは七十歳だけ残ったようである。中国盛唐時代の大詩人・杜甫の『曲江詩』に、「人生七十古来稀なり」と言う有名な文言が書かれてあり、稀な長寿である七十歳を祝う儀礼だけが強く印象に残り、今日でも盛んに行われているようである。

 七十歳まで生きるのさえ、かつては非常に珍しくおめでたいことであったのだから、それ以上の長寿は更に珍しく一層おめでたいことになる。それで日本人独特の智慧で、お祝いすることにしたのが次に掲げた年齢のお祝いである。即ち「喜寿」と言うのは七十七歳のお祝いのことだが、「喜」の文字を草書体に崩して書くと、七十七に見えることから「喜寿」と称してお祝いをした。その次は「傘寿(さんじゅ)」と言い、これも略字が八十と見えることから傘寿としてお祝いされる。その上は「米寿」だが、「米」の字を分解すると八十八になるところから八十八歳のお祝いとした。こうなって来ると判じ物のようなもので、米を主食とする日本人らしい発想と言えそうで、偶に「米(よね)の祝い」と言ったりもする。「卒寿」は「卒」を草書体にすると、「九十」となるからであり、九十歳のお祝いとする。但し八十八からたった二年しか経っていないために、「卒寿」のお祝いはそれほど行われていないようである。それと「傘寿」のお祝いもそうは聞いていないが、お年寄りのお祝いは毎年あってもいいくらいだろうと思う。そして「白寿」とは、九十九歳のお祝いで、「百」の字の上の「一」字を外してみると、「百引く一で、九十九となる」ことから行われるようになった。近年は白寿の方がかなり多くおられて、皆さんお元気なようだから大変結構なことである。お祝いっていっぱいあったほうがいいだろうと思われてならない。

 このようにして、色んなこじつけや判じ物や工夫などをこらして長寿のお祝いをする習慣が日本人独特の生活習慣で、絶対に世界に誇っていい行事なのである。長寿に限らず、日本人には独特な通過儀礼の年齢もある。七五三から始まって、十三歳・十九歳(女の子のみ)、二十五歳、三十三歳(女の子のみ)、四十二歳(男子のみ)、四十九歳などの年祝いもあり、長寿のほうも前掲の年齢以外に、七十三歳や八十五歳と言う年祝いもあった。又別個に古くは十三歳、二十五歳、三十七歳、六十一歳(還暦)、八十五歳、九十九歳を男女とも厄年と考えられていた時代も同様にあったようだが、厄年と年祝いが同じ年であったことが多く、面白いことに、古くはさほどこの区別の意識はなかったようである。日本人の季節感も凄いが、人の年齢に対するお祝いごとの多さも大きな特徴である。胸を張っていいことであろう。ただ一つだけ、お祝いをする若手の側からお祝いされるほうへ、お祝いするよという声掛けが大事だと言うのは言うまでもないことである。

 いつもお邪魔しているHayakawaさんのブログ「カフェと本なしでは一日もいられない」では夭折された天与の才を授かった哀しみの少女たちが多く発掘されていらっしゃるが、年齢を重ねられて一層素敵な女性もキラ星の如く数多く登場し、僕はいつも彼女のお書きになられるのを心待ちにし楽しみにしている。又道草先生の一連の道草シリーズ(代表として「ふらり道草 1」)や、ささ舟さまのブログ(「メダカのひるね」)も、短詩系文学の気鋭の旗頭でいらっしゃる木村草弥先生のブログ(「K-SOHYA POEM BLOG」)も、御年を召されていらっしゃる方だろうとご拝察申し上げるが、青々とし瑞々しい感性に満ちた記事が書かれておいでで、是非ともいつまでもこのように書き続けて戴きたいと心底から請い願っている。多分お年寄り扱いするとお叱りを受けるかも知れない方々ばかりで、感性にはきっと年齢など関係がないのかも知れない。世に多く、素敵なお婆ちゃんたちが多数紹介されているが、素敵な男性諸氏が紹介されることは割と少ない。でも実際は多分たくさんの方がおいでのことだろうとご推察申し上げている。但し少ない読書経験で恐縮だが、年齢を重ねた素敵なお爺ちゃんが登場しているは童話の世界のほうが割合多いような気がする。いずれにせよ、我が父はまだまだ山のスペシャリストで、喜寿を過ぎたのに、全くオトコの色気を失っていないようで元気いっぱいである。15日には、京都と、この家のじぃじばぁばたちに精一杯のお祝いごとをして差し上げたいもので、今の世に年金問題などがあるのだろうけれど、今まで過酷な戦前戦後を生き抜いてこられたことに対し、大いなる敬意を表したいものだと思っている。家族と言うこと、第二子が出来て尚一層大切なことだと痛感せられた。皆さまにおかれましても精々お年寄りの方々に、精一杯のお気遣いをさしあげて戴きたいものだと思いたい。僕の父は、母の分までしっかりと生ききるつもりだろう。海外の山を踏破したいらしく、一番の夢はキリマンジャロの山に登りたいとか頻りに言っている。僕も安全性に気を使いながら、父のこれからの活躍を後押ししたいと決意している。僕たち父子二人だけで登るのも夢だが、実現したらきっといいだろうなぁ!

 

 〇 年寄り叱るな行く道だ 子供叱るな来た道だ (化野念仏寺に掲げられてあった教えの一つ)

 

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長寿の祝い~伝統としきたり への4件のフィードバック

  1. 良枝 より:

    ん~、羨ましい。実は私も同居希望者なのです。私の実家は埼玉でまぁ、持ち家ですから狭いながらも何とやらですが、主人の実家は北海道ですし、しかも転勤族ですから主人の職業上、同居となるとなかなか難しくなってきます。子供のためにも、御老人と一緒に暮らすことって本当にいいことだと、私は思っています。実際、共働きの両親を持つ私は弟共々、祖母に育てられたようなものです。なにより、ご近所とのつきあい方や老いについての考え方はきっとそう言った関係によってみにつくのだと思います。私も子供ができたらできるだけ御老人の側にいたいと特に思っています。

  2. 道草 より:

    昔は大家族が当たり前でした。三世代はもちろん四世代家族も見られました。それも子供や孫の人数が多くて、まるで団体生活と呼ぶのにふさわしい構成でした。私も祖父母と暮らした経験がありますが、その生活も疎開で消滅してしまいました。夫婦と親の同居では、嫁と姑の関係が最大の問題でした。更に小姑が加われば、大変な修羅場もあったようです。団体の大家族ならそんな事に拘わっている暇も無かったのでしょうけど。狭い家で数名の生活が一番難問でした。祖父母と孫の関係はむしろ歓迎すべきもので、老人の知恵や経験を教える事が、小さい子供にとってどれだけプラスに働いたか、測り知れない場合が多いと思います。いずれにしても、同居する者達の人間性や人柄次第で、その関係は良くも悪くもなるのでしょう。私の子供時代は住居も狭くて息が詰まりそうでしたけれど、硯水亭ご実家の如き広大な屋敷なら、そんな問題は発生しないと思います。精々お爺ちゃんの知恵を子供さん達に吸収させて上げて下さい。それにしても、貴家の父上は大したものです。私などは古稀を過ぎたばかりで、まだまだ觜が黄色い段階です。矍鑠たる喜寿の爪の垢を飲ませて頂かないといけません(傘寿の説明がありませんが?)。日本では、百歳以上が4万人を超えたとのことです。そこまでは難しい(ささ舟さんは大丈夫です)でしょうけど、生きている限りは好奇心を失わず(時にはアホもしながら)にありたいものです。色々と刺激を与えて下さい。「花びら」   金子光晴空宙にちりおちる花びらよ。この手のひらにとまれ。とまつたその花びらは、ながめてゐるひまにまたどこかへ 風にはこばれて飛ぶ。愛情はうつろふもの。いのちもたまゆら。また、いかなる所有も、身辺に堰(せ)かれて しばらく止まるだけで、時がくるのを待つて、淙々と水音を立てて走り去る。『若葉』よ。その新しい血にも、出発があり、どこかしらないがゆく先がある。父も 母も 祖父母も不安げに見送るが、そのゆく先はわからない。たとひ 幼女の頭脳が、むづかしい代数問題を解かうとしてゐるにしても、ちりぎはの変化の方則はさがしあてられさうもない。花よ。できるだけ大胆に、かをりたかく咲け。そして、聡明であれ。だが、それよりももつと 嫋(たを)やかであれ。

  3. 文殊 より:

           りんこしゃん 無論全部引越しをしたわけではないんですが、当座の荷物は殆ど運び入れて、新しい生活が始まっています。りんこしゃんも埼玉だったら、ご両親さまはきっとお喜びになられることでしょう。じぃじやばぁばがなく育った子とそうでない子とは何処か違って見えるのは僕だけでしょうか。その子が何処か鷹揚な感じの子になるようで仕方ありません。 又今回は迎え入れるほうでも大喜びであったのが幸運だったのでしょう。アイツら調子いいぞと言われかねませんが、出来るだけ勉強を続けたい妻を少しでも解放してあげるのは、これしかなかったのです。父や叔母も、今後のあなたたちの希望や夢に異論はないから、その時が来るまで粛々とお手伝いさせてと言われて、何だか見透かされているような気分でした。京都の義父母たちと、父は大きく年が離れているのですが、父のほうから腰を低くしてくれていますからうまくやっていられるのでしょう。京都の義父母にも絶対的な信頼があるようです。しかも天空の中でではなく、地べたの上で育てたい意向があっさり適ったわけでそれが最高に嬉しいことなんです。いつ京都暮らししてもいいように、田舎暮らしをしてもいいように、チビのうちから鍛えたいと存じます。 若いうちには、ご老人のことは余り興味はないでしょうけれど、いつかは自分たちが行く道の彼方ですからねぇ。お互い様の気持ちは当然でしょう。その分だけ日本は先進国ではないかも知れませんが、何もかも模倣するだけじゃいけませんものね!老いの問題は現在僕たちが抱えている現実の問題に違いありませんね!今日も有難う御座いました!

  4. 文殊 より:

          道草先生 そう言えばそうです、すっかり「傘寿」を書き忘れておりました。後ほど仰る通り、本文に書き足しておきます。 過日はそうでしたね。僕の家にも年寄りがいっぱいいました。全く知らない方も寄って参りました。喧しいほどで、僕はそれがどんな意味があるのか、若い時は殆ど無理解に等しかったようです。今となってみれば後悔することばっかりで恥ずかしいです。僕も多くの智慧を授かったのではと、最近意識するようになりました。年寄りの智慧袋は何でも出て来る宝石箱のようなものでしたね。何気ないことまでたくさんあったように覚えています。妻の実家でも義兄たち二組もいるのですから、大所帯です。鉾の町から余ほど出たがらないのでしょう。子供達同士の喧嘩もよく目にしますが、それも子供の成長には欠かせないものに違いないようです。先生が仰る通り、計り知れない大きなものがあるようでなりません。 僕の父は、外交官でした。海外出張ばっかりで、面対した記憶が少ないのです。何を思ってか、父は役所を早く退官致しました。今流行りの天下りや渡りには全く無縁なんです。学生時代から剣道ひと筋であったのは知っているのですが、いつ山のぼりを始めたのか皆目検討がつきません。いずれ聞いてみようと思っているのですが、零れて来る話からすると、ベルギー大使館の勤務時代にアルプスに登ったのが最初かなぁと想像しています。 母を亡くしてから、やはり本人が堪えたのでしょう。お山にはお山の信仰があると常に父が話していることですが、あんなに厳しい山歩きですから、信仰心に目覚めるのが当然なんでしょうね。いつも速度も歩幅も一緒です。父の後についてゆくのは楽ですが、長い道のりになったら、絶対適わないでしょうね。息を切らすことなく、せっせせっせと歩いています。広尾から有楽町まで歩いて行くんですよ。驚かれたことでしょう。女遊びの道にも進まなかったし、何が楽しみか詳細は知りませんが、僕より遥かに潔癖であることだけは確かなようです。今回僕たちが同居したことを一番喜んでいるのが父です。杏を抱いたり、大風を抱っこしたりで結構忙しくしているのですが、臭い顔の一つもせず、実際に驚いています。月に一度は山登りがあるらしく、今度の山は南アルプスの聖岳だと言っていましたが、お仲間と一緒ですから安心しています。深田久弥先生終焉の地の山・茅が岳へは今年既に四度ほど登ったようです。激烈な勤務をする僕をあざ笑っていたことでしょう。でも僕ももう少し元気になったら、父と一緒に何処かの山に登ってみたいと念願しています。 道草先生は特別に色気があります。まだまだご老体には入りませんでしょう。でも15日には遠く東京からお祝いを申し述べたいと思っています。長年のご勤務はさぞかし激しく厳しいものだったことでしょう。これからです、大いに楽しみましょう。パリにいらっしゃるお二人のために、あのマンションを売ろうかと考え始めています。僕の責任ですし、お二人は実にチャーミングですから。今日もお越し戴きまして、本当に有難う御座いました!

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