『猫のしっぽ カエルの手』 (Vol 6~Vol 7)  京都大原 ベニシアの手づくり暮らし

 

キッチンの一部    ベニシアさん  紫蘇ジュース

 

 

 

                    『猫のしっぽ カエルの手』 (Vol 6 ~ Vol 7 )

            京都・大原 ベニシアの手づくり暮らし

 

 

 

         Vol 6    古き良き友

 

 静かな山音に、賑やかな鳥の鳴き声が朝を告げる、京都大原の朝。イギリス生まれのベニシアさんが日本に来てから37年、大原に越してから早や13年。廃屋同然だった築100年の古民家をひと目で惚れ、家族総掛かりで自分たちの思うように大改装し、今では気持ちいい毎日を手に入れた。朝、「正ぃ!御飯出来たよ~」とのベニシアさんの2階の正さんを呼ぶ。「コーヒー作ってくれへん」と畳み掛けると、夫。正さんはまるで哲学者のような風貌をして素直に応える。悠仁君も元気いっぱいの様子だ。朝の食卓は今日もそれぞれの一日が始まる。Have a Good Day!!悠仁君の朝のお出掛け、無論学校にである。ここに越して来た時は僅か2歳。でも今では立派な高校生、行ってきまぁ~すと元気に出掛けてしまった。この成長が嬉しくもありちょっぴり寂しくもあるベニシアさん。青春時代を迎えた息子の成長に合わせ庭の植物たちもグンと成長をする。家事を片付け終えたベニシアさんの今日は英語学校の日(週2回)。靴選び、でもいつも同じ靴、いつも歩く靴を選ぶ。ベニシアさんが京都に英会話学校を開いたのは31年前。百万遍の交差点の直ぐ近く。今でも週に二度授業を受け持っている。学校のある百万遍は学生の町華やかし。ちょっと中に入ると閑静な住宅街。以前住んでいた場所が学校のある場所で、大原に移り住むまでは馴染みの町で銭湯屋さんなんかもある。玄関に「Venetias INT English School」の名前が光って見える。ユニオンジャックの旗も掛けてあった。文字通り路地裏の一軒屋がすべてだった。和室を改装した教室で楽しい授業が始まっている。その途中お茶が運ばれて来る。「今日もお茶はレモン・ハーブ・ティーにしましょう、レモン・バームとレモン・バーベナとレモン・グラース!それぞれお取りになって!」と得意顔でハーブ・ティーを振る舞うベニシアさん。自分でハーブを育てるようになったのは、こうして生徒さんたちに振る舞うためだった。生きた英語を身につけるのは子供が言葉を覚えるように、先ず英語の言葉を耳で慣らすこと、次にリラックスした雰囲気で英語のおしゃべりを楽しむこと。それにはハーブティーはまさに打って付けの小道具となっている。その場の雰囲気はまるでイギリスのティー・タイムとそっくり。楽しい授業を終えると、向かった先は学校の近くにある知恩寺(知恩院ではない、そこまで大きくはないが、法然上人所縁の御寺で、上人の御廟がある)で、月一回ある手づくり市はお目当てだ。狭い境内では既に熱気がムンムンとしていた。自分で作った物を自分たちで売る。手づくりで始められたこの市も近年凄い人気が出て、毎回抽選となっていて、前回出ていたお店が再び出ることがない場合がある。そんな市も今年で、23年目を迎えた。ベニシアさんが最も楽しみにしている市である。凡そ400軒のお店が軒を連ね大盛況だ。お洒落なベニシアさんのファッションの震源地はまさにここにあった。古着や古染などをパッチワークのようにして再デザインし素敵な洋服に仕立て直しているお店が出ていた。ベニシアさんの個性的なデザインと素材の良さは古い物を新たにリメークされた物だった。月の始めは梅小路公園のほうだが、ベニシアさんが通っているのは毎月半ばにある知恩寺さんでの手づくり市のことで、一般人には隠れ観光コースとして特別に有名である。手づくりはベニシアさんの基本コンセプト。だから応援しているし、ここで知り合った人が如何に多いことだろう。それが知恩寺さんに通う最大の理由で、ちょっと歩けば叡山鉄道元田中駅近くに夫・正さんの経営する「カレーの名店・DiDi」が直ぐ近くにある。

 今日はフラフラと歩きながら古い友人を訪ねる。竹下晃朗さん(87歳)で、20年前からのお知り合いとなっているそうだ。彼は、何でも手づくりしてしまう凄い達人中の達人なのである。

 

     「Venetia’s Friends」 (石窯パンを作る)

 ベニシアさんが日本一美味しいと惚れ込む竹下さんのパン、そのこだわりは小麦粉にあった。岩手の農家から直送して貰っている。取り寄せた小麦粉は強力粉ではなく、中力粉にあった。その粒を竹下さん発明の自慢の石臼で挽く。石臼を廻すスピードが最も大事なポイントで、小麦を挽くスピードがあがったら熱を帯びて来るからゆっくりと廻す。然も臼に入れる小麦の分量まで細心の注意で徐々に差し入れる。これらの微妙な関係は手仕事に限ると言う。廻る臼が早いと熱を帯び、香りが飛んでしまうのだ。だからこの遅さが問題。竹下さんのパン作りは飽くまで趣味の世界でも、その精神が大切。ただ一つ、美味しいパンが食べたいとの一念で、この50年研究を重ねて来た。本職は機械エンジニア、だからこの部屋は厨房と言うより寧ろ実験室の有様。4時間掛かって挽いた2㌔の粉。小麦本来の味にこだわり、麦の殻もすべて入った全粒粉を使う。他に加えるのは塩とイースト菌だけ、仕上げにオリーブ・オイルを少量。たったそれだけ。昔ながらの素朴なパンだ。シンプルがいいらしい。強力粉を使えば確かにホワホワなパンが出来るが、決して美味しいとは思わないと言う。まぁ研究してやっているうちにこうなっちゃったんだぁと笑う竹下さん。竹下さんをここまで夢中にさせたのは強烈な思い出があった。それは幼児体験で、オーストラリアで育った竹下さんにずっと忘れられなかったパンの味だった。永いブランクはあっても、その味覚だけは舌に残っていた。「英語はすっかり忘れちゃったけど、パンの味だけは残りましたねぇ」と笑いこける。大正10年、竹下さんの父は洋食器メーカーに勤めていた。一家あげてのオーストラリア赴任。竹下さんはシドニー生まれで、6歳まで暮らしていた。その時毎朝食べたブラウンブレッドの味が竹下少年の舌に刻みこまれた。あの味をもう一度。大人になるにつれ更にその思いが強くなって来た。記憶の中の味を追い求める竹下さんのパン作り。試行錯誤だらけで、すべてが独学だった。そして遂に辿り着いた独自のスタイル。発酵は低音でひと晩掛ける。パン生地は出来るだけいじらず、回数を減らす。生地に触る時は優しく、成型する手数を少なくすると、何と豊かな風味になった。形の大きい小さいにこだわらない。一つ一つ丸めたパンを焼く。石窯は勿論竹下製。海外の資料を探し、自分で図面を引き、何度も何度も挑戦して仕上がった自慢の石窯である。この窯は竹下さんの良き相棒。エプロンに「老師煖手 ROCINANTE」の文字が書いてある。窯がドンキホーテとすれば、竹下さんはロシナンテと言うことになる。一緒になって夢を追い続けて来たのだろう。自慢の石窯にパンを入れて、しばらくすると強い勢いの水蒸気を中に噴射する。何と言う荒業。竹下式ロシナンテ操縦術だと嘯く。窯の温度はあっと言う間に300度まで達していた。これを噴射させることによって、外はかりっと、中はしっとりと仕上がると言う。石窯に入れること、凡そ20分。竹下さんの理想のパンが出来上がった。野性的なパン、それを首を永くしてベニシアさんが待っている。すごぉ~~く美味しいらしい。竹下さんとベニシアさんの対話、子供の頃これだったわね、スチームのあるなしでは火の通りが違うね、本当にパンのもとの味だm、おの、御飯で言えばオニギリのような感じかなぁ、パンは生きているのね、これを戴くと一層元気が出るとベニシアさん。ちょっと食べてもお腹がいっぱいになるそうである。竹下さんが幼い頃食べたパン、それは時を経て、家族や友達を元気にする発見があり、よりよい関係が育つ。それはモノとの付き合いと同じだとベニシアさんは考える。

 

     「Venetia’s Essay」 (生活はアートだ)

 「生き方暮らし方はひとりひとりが創り出す芸術作品である。わたしは骨董市や古道具屋さんを訪ね、日本の古い宝物を探すのが好きです。自然の素材で作られた日本の工芸品の美しさといったら!熟練した職人たちの心が伝わります。昔はどの家でも普通に使っていた籠や木桶や火鉢・・・・・・・。そう言う古いものを今の暮らしに、どう活かすか、センスが大いに問われるところです。古いものをかっこよく!!」

 古いものと長く付き合うには手入れが欠かせない。「年一回か二回ぐらいは蜜蝋のワックスで手入れしないと、古さが進んだり割れたりするから、だからこのワックスにする」と言うベニシアさん。更に「中にはラベンダーのスパイスも入れているから、虫除けにもなりますし、部屋全体の香りがラベンダーになりますから、凄くいい香りが漂っていいのです。やっぱり人が作った物を手入れし大事にしないと、せっかく頑張って、こんな立派な箪笥など、それがずっと誰かに使って欲しいでしょう」と。Lavender Beeswax Furniture Polish!亜麻仁油に蜜蝋を入れて更にラベンダーのスパイスを効かす。古い家具を労わるようにラベンダーと蜜蝋のワックス、これからも長いお付き合いになりますよう!

 

      「Venetia’s Gardening Diary」

  「昨日は遅くまで陽射しが強かったので、夕方、たっぷりと水撒きをしました。ボリジの青い花を見つけました。夏の花の苗を植える時が来たようです。庭仕事をするだけで、余裕のなかった気持ちがゆったり落ち着きます。草花を育てることは幸せを育てることなのです」

 春の夕暮れ、美しい大原の、深い青紫色に変わりつつある山々。そんな風景を眺めて、ベニシアさん、お茶で一服。手づくり市で買ったカップに、疲労回復効果があるセージのハーブティー。ゆっくり飲みほしながら、ゆるりと心も身体もすぅ~~っと軽くなって来た模様!

 

      <蜜蝋ワックスの作り方>

 材料;蜜蝋75g、亜麻仁油 1杯と4分の1、石鹸20g、ドライ・ラベンダー 大匙3、水1杯と2分の1カップ、ラベンダーのエッセンシャルオイル 10滴

 ① 亜麻仁油を熱し、蜜蝋を溶かす。

 ② 別の鍋で水とドライ・ラベンダーを火にかけ、20分煎じてから漉す。

 ③ ②に細かくした石鹸を溶かし、4分の3になるまで煮詰める。

 ④ ①と③を混ぜ合わせ、冷めたら、エッセンシャルオイルを垂らし、その後容器に入れておく。

 

 

ベニシアさんの絵  ベニシアさんの絵  ベニシアさんの絵

 

 

             Vol 7   風薫る庭

 

 すっきりと晴れ渡った青空に緑がまぶしい。京都大原は風薫る五月。小さな変化を重ねながら、春から夏へ。田んぼには水がひかれ、田植えも間近だ。築100年、かつて農家だった大原の古民家に暮らすベニシアさんご一家。家も庭も、手づくりを楽しんでいる。いつもの朝、ご主人さまと息子が寝ている間に、こうやって枯れた花を摘んでいると、凄く穏やかな気持ちになれる。イギリスから日本にやって来て37年、ベニシアさんは今でもこの国の四季の豊かさに驚くと言う。春夏秋冬、移ろう季節とともに、全く別な表情を見せる庭。ベニシアさんは庭づくりを通して、より深く日本の四季を感じている。「今日は雑草を採らないといけないね」と語りかける先に、若い乙女の辻典子さんが立っている。典子さんは去年ベニシアさんの英会話学校に入った生徒さんだが、とっくに、大原の朝市で知り合ったガーデニング仲間でもあった。今日は頼もしい助っ人を借りて、庭の夏仕度を整える。夏に真っ赤な花をつけるベルガモット。ベルガモット・オレンジとそっくりな香りを放つことから、その名がついた。今日のように大量に摘んだら、先ずはお風呂に入れて楽しむことにしよう。次は春の花・水仙の手入れ。来年も花を咲かせるためには球根を太らせる必要がある。水仙の葉っぱを根元からしばりあげておけば、光合成を続けて栄養を作り出す。葉は枯れて腐っても、それらの栄養素は土に戻って球根の栄養となる。綺麗な花を有難うと感謝を籠めて口に出す。庭の至るところに植えてある水仙の花。何百もある水仙の株の手入れは助っ人がいたとて、大変な重労働であった。ふと裏庭の石垣に逞しく育つお茶の木は、ベニシアさんが引越しして来る前から、そこにあった古木だ。立春から八十八日目、八十八夜は茶摘の始めとされている。日本の古い習慣にならって、ベニシアさん、お茶の新芽を摘み始める。「わたし毎日お茶を飲んでるよ」と微笑みかけるベニシアさん。実はお茶も立派なハーブだと言う。摘み取った新芽で新茶を楽しむ。大原暮らしで学んだ簡単手揉みの日本茶。

 

     「Venetia’s Herb Recipe」 (簡単手もみ茶作り)

 採ってきた新芽を蒸す。2~3分、色が変化したら蒸し終わり。蒸し時間は短めに。火からおろしたら、すばやくザルに取り、荒熱を取る。触れる程度にあっためたフライパンに、茶葉を広げ、手でもみながら、水分を飛ばしてゆく。乾くと、爽やかな香りがたってくる。乾燥で香りがたち、手でもむことで旨味が出て来るのだ。凄いいい匂い、匂いだけで何か嬉しくなる。自分で作ったから余計嬉しいのだった。茶葉から水分がなくなれば、それで完成。自家製でも簡単に出来る手もみの日本茶。部屋中に爽やかな香りに包まれる。ベニシアさん、何処で覚えたか煎茶淹れのお作法、濡れ縁で待つ典チャンに出す。お茶する二人。「何か嬉しいし美味しいねぇ」と話が弾む。「雨が降ってくると、又雑草が生えてくるのよね。こんなに綺麗にしたって言うのに」と庭を見やる。庭で摘み出したお茶を飲みながら、庭を愛でる。最高の贅沢。すると庭仕事の疲れは一気に吹き飛んで、又ひと仕事がしたくなる。

 

     「Venetia’s Gardening Essay」 (薫風)

  「今朝早くわたしは川沿いの道を自転車で走って、日曜の朝市に出かけました。五月の清々しい薫風(くんぷう)が比良山系から吹きおろします。道端の草花も、初夏のエネルギーをみなぎらせて揺れています。遠くに見える鯉幟も、人生の波に乗って泳いでいます。わたしは生きているだけで幸せだと感じました」

 初夏の陽射しに輝く大原。その美しさを散歩で満喫している。徒歩で20分も歩けば、もっと美しい庭が待っている。あの綺麗さを観るのが大好きだ。ベニシアさんお気に入りの寂光院は、山の中にひっそりと佇んでいる。六世紀、聖徳太子が建立したと伝えられている寂光院。平安末期、平家が滅亡した後、清盛の娘・建礼門院が祈りの日々を過ごしたこの寺は、平家物語の舞台にもなっている。ベニシアさん、こう言う場所に来たら、木々も穏やかだから、わたしも穏やかになって来ると言う。そんな気持ちで眺めると、びっくりするぐらい綺麗だとも。自然の中にある庭の佇まい。素敵!自然と完全に調和して溶け合っている。そして訪れる人々をも穏やかに優しくする。そんな庭の佇まいにも、この寺も数奇な運命に翻弄された。それらの運命はベニシアさんの心を鷲づかみしている。今から9年前、2000年5月、寂光院は不審火の火災によって、本堂が全焼した。庭も大きなダメージを受けた。「汀(みぎわ)の池」のほとり、立ち枯れた松ノ木は今にその悲劇を伝える。この場所を800年間見続けて来た姫小松。火をまとい焼け爛れた松ノ木は火事の4年後完全に息絶えた。そんな老木を最期まで看取った人がいる。何が枯れても尚激しい意思を持って歴史ある庭の復興と再生に全力を注いでいる。庭師の中辻英一さん(66歳)である。親子三代にわたって、ここを守って来た庭師、この人のお陰で尚も寂光院は光を放ち始めた。

 

      「Venetia’s Friends」 (庭師のこころ)

 ベニシアさんは中辻さんにゆっくりとお話を伺いたかった。「火事の時どう思われたの、もの凄いショックだったことでしょうねぇ」と。すると中辻さんは一瞬緊張した面持ちになって、「そうですねぇ、この本堂が焼けたなんてねぇ、いっそウチ(代わりに自宅が)が焼ければよかったのにとどんなに怨んだことでしょう。この本堂が焼けて、この姫小松が悲鳴を上げた時はね、それこそパニックだったんですねん。わたしの家をどんなに燃やそうかと。哀しくて哀しくてねぇ。何故この寺が燃えんならんのやと自問自答しながら、自分の親が亡くなったような気がしてしもてねぇ。死んだ姫小松も根元から伐採するのが忍び難くてねぇ、このままの幹の状態にしてあるんですわ。でも残っているとみな昔を思い出します。火災の被害に遭ったのは姫小松だけやない。樹齢200年のこの大楓も、樹の幹半分を失っていはるんです。ただ一日も長生きして欲しくて手当てしてるんですよ」と中辻さん。今も中辻さんは懸命に大楓を治療している。木は表層と表皮だけで生きている。木の芯に雨水が沁み込むとそこから腐食が進む。墨で救急処置をしておいた場所も腐りかけていた。中辻さんは大鑿(おおのみ)で、腐食部分を懸命に削り取って、そして再び殺菌効果がある墨汁を塗っていた。多分この繰り返しは続く。そして出来れば、表層が真ん中部分を包み、空洞になっても生き続けてくれることを切に願っていた。僅かな樹脈を通して枝の先まで栄養が行けば、きっと生きられる。そう信じている。昔の人の知恵で、櫻や何でも樹木には墨を塗る。この方法はどんな時代になっても変わらない。木はもともとの木には決して戻らないけれど、僅かに残った表皮が生きている以上、何が何でもお世話をし続けたいと力強い。火災から9年、数えきれないぐらい何度も治療を繰り返して来た中辻さん。木の持つ生命力と中辻さんの情熱、二つの力が合わさって大楓は今もこうして生きている。樹は喜んでいる風だった。どの緑よりも鮮やかな大楓の新緑、火事から何とかして蘇った寂光院の庭、風に揺れて美しく輝いていた。まるで歓びの歌を歌うように。中辻さんはベニシアさんをベストビューのポイントに連れて行く。汀の池の向こう側、確かにそう。まるで秘密の基地のよう。自然と折り合いをつけながら、ひと続きの自然の空間で、草木はそれぞれの生命をまっとうするのだ。それが中辻さんが思い描いた眞の愛の庭となることだろう。

 

       「Venetia’s Essay」 (庭の知恵)

 「ガーデニングは変わり行く絵を描いているようなもの。季節は流れ、木々は大きくなり、時に強い風が種を遠くまで飛ばします。歴史の中で、多くの庭は完璧な場所として発展してきました。それは心と身体を生き返らせる楽園のような場所なのです。庭造りを愛する心は、洋の東西を問わず、今も深く根付いています。でもある朝起きると、台風で庭が壊されているかも知れません。それも自然の一部なのです。だから気を落とさないで、庭と自分の人生をよりよく美しく直す機会にすればいいのです。植物の世話を通して、自然について多くを学べます。庭は神さまに一番近い場所なのですから」

 立ちどまることのない季節の中で、庭仕事も終わりなく続く。チューリップの花ともそろそろお別れ。頑張って花を咲かせてくれた分、球根はクタクタになっている。そこでひと手間。花がついていた茎を根元から切り取る。こうしておくと種をつくるという大仕事から球根を救ってやれる。次に、ご褒美!手づくりコンポストを球根の廻りにあげる。手づくり堆肥もあげて数週間、球根が元気を取り戻すのを見計らって、土から出して保管する。花は終わっても、植物の世話は終わることはない。

       <簡単手もみ茶の作り方>

 材料;茶の新芽 100g×二人分

 ① 新芽を洗わずに、二分ほど蒸す。少々色は変わる程度。

 ② ザルに上げ、冷ます。

 ③ 火傷をしない程度に暖めたフライパンで揉みながら、葉の水分を飛ばす。

 ④ 葉が乾いたら完成!

 

 ※ 寂光院の悲劇は当時、大きなショックだった私たち。ご本尊さまの後ろに壇ノ浦で海中に果てた無数の平家の武者たち。何と一万体を超えていたかと思う。古びていてちっぽけなその御像たちは段々の上に清楚に並んでいた。建礼門院のことなどを思い巡らせながらしばし平家物語の世界に浸って感極まっていたのが通例であった。錦秋の京都では寂光院の紅葉は外せなかったものだが、その後行くことすらないままになっていた。それが真新しいご本堂が築造され、往時の孤愁、かつ上品な御寺ではなくなったようだが、焼け爛れた大楓に逢いに、今年こそ是非尋ねてみたいものだと密かに思い続けている。尚大原にある小松均美術館は、画家本人が亡き主人の祖母との繋がりがあった御方で、生前数度行き来させて戴いた。特に主人が紫葉漬けの方法を教えて貰った人であり、孤高の日本画家・小松均が、亡くなってから既に20年は過ぎただろうか。画壇とは全く付き合わない人で、山形県から若干19歳で上京し、終生この大原を愛し離れることがなかった。農業をやりながら自家自生した孤高の人であった。京都の名料亭では、格別に人気の高い画家で、生前の美術年鑑では常に東山魁夷と全く同じレベルであった。値段も全く変わることがなかったが、大作「最上川」を遺している。画壇にも画商にも全く阿ることを知らない人であった。何だか懐かしいなぁ!小松均美術館にも久し振りに行ってみたいものだが、何らかの都合でしばらくは休館らしい。ならば最も多く集めていた瓢亭や菊乃井さんに事前に言っておけば、僕が立ち入る部屋に、小松均の軸物を飾ってくれることだろう。それでベニシアさんには関係のないけれど、最後にここに新しく出来た寂光院のご本尊さまを掲載させて戴くことにした。

  寂光院の新本尊さま

寂光院さま 新しいご本尊さま 珍しい後光が美しい

 

 ベニシアさんの全体記事(最初に放映された分) 『京都・大原 ベニシアさんの手づくりの四季と暮らし』

                その後連続して続いた 『猫のしっぽ カエルの手』 Vol 1 春を呼ぶ水仙

                               『猫のしっぽ カエルの手』 Vol 2 朝市の仲間たち

                               『猫のしっぽ カエルの手』 Vol 3 春の摘み草 4 春を祝う  5 陽光に誘われて

 

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