紅葉 輝き 一瞬の煌き

 

 

 ニシキギ科ツリバナの真っ赤な実

 

 

 

                                     紅葉 輝き 一瞬の煌き

 

 歩いていると、一年前『治験』で、精一杯だった僕の身体に特別な感慨を抱く。完治したのだろうと、思いのほか、元気になったものである。宮城・蔵王では台風襲来のお陰で大雨になり、一日半ぐらい途方に暮れていたが、それでも山形側の蔵王まで有料道路で行けたし、何一つ言うことはなかった。どうやら今度の旅で大きな啓示を得たのかも。白神山地を皮切りに、青森のブナ林~秋田杉など小まめに聞き書きし、観て、そして美しい森のありようを探った。まだ西の山には行っていないが、今の時期のドイツより遥かに温暖な我が国の気候・風土に安堵する。西では広葉樹を多く見受けられるのだろうが、放置された林と手入れされた林に、雲泥の差があることが改めて知り、道中オフィスの者がランドクルーザーを駆使してくれて、至る処に観に行けた。温泉にもたっぷり浸かり、植物繊維たっぷりなキノコ料理は何処でも存分に出て、食卓を彩ってくれた。それでも妻が傍にいないだけで何とも淋しいのだから、情けないと思う。朝晩は必ず電話を入れ、ハキハキ応える妻とチビたちの怪しげな声を聞く。ただそれだけで満たされ、今日も行くぞとなるのだ。昨日は駒止湿原の調査、その進展具合を確認し、会津西街道を南下し、旅の最期の宿になったのは川治である。ゆるりとこれから支度を整え、裏山からスーパー林道を駆け巡って、日光・光徳牧場を抜け、戦場ヶ原に出るつもりである。日光は紅葉見物のお客でいっぱいだろうが、東大付属日光植物園(小石川植物園の分園)の分室へ用事がある。それを終えてから、一路川口市安行に至り、我がささやかな一町歩の櫻の苗場を確認し、今回の旅装を解くことにした。青森空港から車両にて、まる一週間の旅路は、走行距離約2000㌔以上になろうか。

 紅葉は一瞬の煌き。もしかしたら櫻より、紅葉のピークのほうが短いかも。目の前で、美しい紅葉から、あっという間に枯れ葉・落ち葉に変化(へんげ)してゆくのがわかる。櫻より儚いものだと思える。それだけに秋の紅葉もいとおしい。辰巳芳子さんなら、霜月には谷戸に咲くありったけの残花を集め、お独りで「花寄せ」をされることだろう。当家の庭先にある瀟洒な蹲(つくばい)に、真横に立つ山茶花の花びらがひとひらの花びらでも落ちるのだろうか。小流れに通じる小径には篠竹や熊笹もあるが、心を綺麗にする蹲に苔生していない分だけ幸いなのだろうか。だが一歩家を出ると、東京緑化運動とか提唱されているようだが、広尾も白金の街路樹もみな同じようなもので、落葉樹ではいけない、果実が実る樹はいけないとでも堅く申し合わせているようで、ドングリが生る樹など至って少ないのが直ぐ分かる。あっても精々山桃の樹ぐらいなものだろうか。緑化とは、土に葉が散り腐葉土となり、或いは小動物たちの餌にもなれるようにし、樹木全般にわたって植栽されるのが本当の緑化ではあるまいか。そんな意味から申し上げると、東京の緑化ほど偏狭で偏平足のようで、どこも可笑しい。大都会のコンクリートジャングルにケチをつけても詮方のないことであろうか。今度の旅で、どんなに多種のドングリを採取しただろうか。ドングリの殻斗(かくと~ほうし 実を包む帽子のような部分)を観察すると、どんな種類のドングリか直ぐ判別可能だ。中にはアク抜き(シイ属のスダジイかマテバシイ属のマテバシイの二種)せずに、クッキーに入れて焼ける実もあり、帰って早速試そうと思っている。しづや杏はきっと歓んで食べてくれるに違いない。

 先日自宅に電話したら、妻は今やっている最中の神田の古本市に行ってきたらしい。少々高かったけど、或る古書を購入したそうだ。値段は格安といってもかなりなものだったが、僕も嬉しくなって共に歓んだ。毎月二人で、多分200冊前後の本を購入するようだが、日々読み解くことにどれほどの歓びを覚えるだろうか。私たちはまだまだ学ぶべき途上にある。それが嬉しい。今回携帯した開口先生の文章はどうしてこうも鍛錬されて書けるのか不思議に思う。あの星野道夫さんにも無論言えるのだが、芳醇な香りがするまでに熟成された文章は、わたくしの心の底まで清めてくれそうである。前回の記事には書かなかったが、辰巳芳子先生の『庭の時間』(文化出版局版)も、荷物の中にしのばせてあった。平明な文章ながら、何と言う上質で芳醇な香り漂う本だろう。いつだったか、主人の変わりに、先生のご自宅で主催されるスープのお教室に、急遽出席させて戴いたいのちのスープ作り。あの場面をいつでもを思い出せるし、あの庭、あの先生のお人柄とお肌のぬくもりを濃厚に思い出される上質な本だ。七月に「仕込みもの」の項にある「梅仕事」が最も力点を置かれて書かれていらっしゃるだろうか。何度読んでも、先生の思いの丈が伝わってあまりある。月めくりのように仕立ててある、この心優しい本を心からいとおしくさえ思う。又来月霜月の欄にある「花寄せ」も特に素敵だった。以下その記事の後半部分である。

 

  ゆとりのある日に、山裾をひとめぐりしてはひとかかえ集め、一つの壺に、あれもこれもの花寄せを致します。

 一年を通して、私に添ってくれた花達と私だけの花寄せです。「ありがとうね」どれもこれも大切に扱い「みんな仲良くね」と申します。壺はなぜか、叔父の遺した琉球になってしまいます。年一回、若くして逝った叔父を偲ぶ心根かもしれませんが、たっぷりの花々をこの壺は安定させるのです。

 花々と私だけの花祭りは、誰も知らない私の年中行事ですけれど、夕焼けと共に、今年はいつ花を活けられるかなと心くみするのです。

 末枯れの花達ほど、いのちのことを美しく表わすものはないと思います。

 「いのち」はあってあるものです。

 

                                       辰巳芳子著 『庭の時間』 「十一月 遠き光」より抜粋

 

 このご本には貴重なお料理リシピや美しい写真や、先生のご自宅の図解や植物達の分類など満載で、どこにいてもいつでもはらりと開いて見入ってしまう。書かれた言の葉の美しさ、そして先生のぬくもりも感じ取れる貴重なご本で、わたくしにとっても多分大切な一冊となるだろう。紅葉の時季に、こんな素敵な本の携行も嬉しいもの。紅葉は瞬時の美を見せつけ、永遠に時を刻むかのように、いのちの循環へ、そして再生へと向かうのである。感傷に浸ることを断じて許さないのが本来の自然なのだろう。紅葉報告など後日。本記事は夕べと今朝にわたって書き、早めのお昼中禅寺湖畔近くの日光湯葉店にてアップしたもの。大勢の観光客を避けて、午前中に山を降り、安行に向かい、夜には我が家へ。まる一週間見ないうちに、子供たちは元気にしているだろう。きっと成長しているに違いない。

 

 

 鎌倉・谷戸のご自宅で 辰巳芳子先生 川治の旅荘で本からスキャンさせて戴く ご関係者様にお詫び申し上げます

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