をんなという大自然を生きた鈴木しづ子 奇跡の句集

 

 

 鈴木しづ子の奇跡の句集『夏みかん酢つぱしいまさら純潔など』

 

 

 

 

            をんなという大自然を生きた鈴木しづ子 奇跡の句集

 

 

 つい先ごろ、いつも大変お世話になっているHayakawaさんのブログで初めて紹介を受け知った鈴木しづ子という俳人はただものではない。Hayakawaさんが書かれた後、直ぐに恵文社一乗寺店に発注して取り寄せて読んだ。1919年に神田で生まれ、たくさんの俳句を詠んだが、53年に岐阜県各務原から失踪、杳として行方が分かっていないらしい。ご存命なら今年で90歳になられるという。だがその作品は冴え冴えとして非常に驚くものであった。私にしてみれば、種田山頭火に初めて出逢った時のようにかなり衝撃が大きいほうだ。やや興奮を抑えて、「夏みかん酢つぱしいまさら純潔など」(鈴木しづ子著 句集『春雷』 『指環』 河出書房新社刊)の帯をみると、椎名林檎さんの推薦文がある。「愛でたまへ 梅に芙蓉に 好き好きに 咲くも枯れるも きみの意志なり をんなという大自然は、誰のためともなく 在るべきものかも知れません」と。読後改めて椎名さんの跋を吟味するとなるほどと大いに頷けたのだった。それは「をんなという大自然」と書かれた部分で、上手いことを書かれるものだと感心すること頻りであった。又Hayakawaさんは自らの記事は「夏みかん酢つぱしいまさら純潔など」 (2009/8/31 記事初出)で、「句集の表題の句を初めて見たときに、心の中のふるえが辿った先にあったもの、それを手探りしながら、何だろう、この感じ、よく知っているもののような……と思いながら、その正体が分らないでいたのだが、ああ、そうだった、彼女の言葉の世界だったのだ、と納得したのだった。」と、HayakawaさんはHayakawaらしい受け取りをしておられた。どれほどHayakawaさんに感謝していることだろう。私なら、このしづ子女の見事な俳句に間違いなくはまってしまうのだった。だからこそ彼女にまつわる数多くの伝説には決してはまるまいと思う。恋人に戦死されたり、ダンサーになったり、多分散々なのだが、ちっとも卑俗さを感じさせてくれない。時は戦前から戦後のただ中である。本人はか弱い女と自嘲していたが、なになにどんな苦境にあっても決して句作から遠ざかることなく、どんなドブの中にいたとしても凛として咲く蓮の花のごとくのようである。私は彼女の俳句によって、我が魂の大いなる鎮魂を感じている。

 有り難いことに、河出書房新社版の今度の鈴木しづ子の句集は遠い過去、二度出版された分を一冊にされていることだ。無論その他数多くの俳句や短歌があるのだろうけれど、彼女の俳句を知るのに絶好の本と言わざるを得ない貴重な編集で、巻末の正津勉という詩人が書いた「鈴木しづ子というひと」など、彼女の句作の背景を知るいい案内書になっている。以下少々感じ入った句を列挙してみたい。(然し日によって好みが大きく異なるのも面白いことである)

 

 

             寒列の穹(そら)くれてゆく星の数

             凩やはやめに入れる孤りの燈

             春さむうきびしくぬぐふ玻璃の塵

             春寒や風たちやすき笹の原

             あめ霽(は)れのくぼ地の水に散るさくら

             水襞の光(か)げかぎろふや柳の芽

             嫁(ゆ)く友のくちびるちさしつばくらめ

             風にのる祭太鼓よ夜の磧

             炎天の葉智慧灼けり壕に佇つ (昭和二十年八月十五日 皇軍つひに降る)

             簾屏風風月さしのぼるけはひかな

             母恋はれ草の径ゆく天の川

             湯の中に乳房いとしく秋の風

             くちびるのかはきに耐ゆる夜ぞ長き

             年逝くや句を知りそめし花の頃

                                                      以上 句集『春雷』より

 

             ははの忌の棘美しき枳殻(きこく)かな

             すでに恋ふたつありたる雪崩かな

             紫雲英(げんげ)摘みたりあなたに投げようか

             秘め箱に紐かけておく椿かな

             まぐはひのしづかなるあめ居とりまく

             蘇枋(すはう)濃しせつないまでに好きになったいま

             流星や恋恋として喰むいちじく

             堕ちてはいけない朽ち葉ばかりの鳳仙花

             甘へるよりほかにすべなし夾竹桃

             ひと恋ひの箱根白百合手折りけり

             じれつたく玻璃の月光げさへ疎む

             娼婦またよきか熟れたる柿食(た)うぶ

             涕(な)けば済むものか春星鋭くひとつ

             指環凍つみづから破る恋の果

 

                                                     以上 句集『指環』より

 

 やっぱり夕べ自宅に帰って大正解であった。妻と子と、みんなでいられてとても嬉しい。午前中と午後5時間も神経をすり減らした。そこからやふやふ判断すれば、鈴木しづ子の失恋や自殺未満の大きく多彩な人生のできごとも、みないとおしく思えてくる。あれもこれも全部あれば、何と豊かなことなのだろうかと。そして今これを書きながらフィラデイルフィアのシティズンズ・パークで熱戦が繰り広げられている大リーグを観戦している。するとまさしく鈴木しづ子女のたくましさや生命の尊厳を、雨あられと強く感じられてならない。今も尚お元気であって欲しいと請い願う。私は時々しづ子女の句集を読むことだろう。ただそれだけのことのために!NYから新着の、来年のヤンキース・カレンダーに松井秀喜の画像が掲載されていなかった。彼の去就はどうなるのだろう。「白球の音や澄み昂らけく秋深み」、あれもありこれもありでいいのだろうな。

 

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