立冬 柚子 水尾の里

 

 

 水尾特産の柚子 鍋には欠かせない

 

 

                立冬 柚子 水尾の里

 

 

 今日の「立冬」は温かい日になりました。明日から嵐山紅葉祭が始まるようですが、まだ薄紅葉で、八入紅葉にはほど遠いのではないでしょうか。それにしてもこの時季になりますと、愈々柚子が恋しくなって参ります。俗に、「桃栗三年、柿八年」と申しますが、その後もあるのです。「梨の馬鹿野郎十六年、柚子の大馬鹿三十年」と続きます。もっとも柚子には花柚子と実柚子の二種類がありまして、ここでいう大馬鹿とは実柚子のことで、花柚子は若木でもちゃんと早くから花が開き、実も実るのです。実柚子の実とは違いますが。

 柚子の木とどなたでもおっしゃいますが、正確に申し上げれば「柚」が木の名前で、「柚子(ゆず)」とはその果実をさしています。「ユズ」とは「柚酢(ゆず)」の意で果実が酸っぱいことから、この名ができたのでしょう。原産地は中国の四川や雲南で、風薫る五月に五弁の白い花を咲かせた柚の木は、夏から秋にかけて「青柚(あおゆ)」と呼ばれる球果をつけます。これは輪切りにして刺身に添えたり、青い皮を摩り下ろして、毛はきなどで、椀物に振り掛けたり、素麺などの薬味に致します。でも青柚はすぐ色が変わってしまいますから、そのまま保存することは適わないことでしょう。

 十月の末から十一月にかけて、銀杏や紅葉の色調が競い始める頃になると、ようやく黄柚子が姿を見せ始めます。香りは一段と冴え、色合いも鮮やかな黄色なので、ますます使い道が広くなって参ります。清浄感あふれる果実ですね。特に鍋物には欠かせない名脇役となってくれるでしょう。我が家の庭内の柚子は、出来が悪く専ら冬の間の年中行事としてお風呂用にしています。今年の冬至は12月22日ですが、我が日本では古来から、冬至の日に柚子味噌を戴く習慣があります。いつもはバスクリンなどを入れる替わりに、皆さまがたにおかれましては柚子を輪切りにしガーゼの袋に入れ、柚子風呂を頂戴することになるでしょう。

 解禁になったばかりのズワイガニはまだ特段にすっ高いものだったので、夕べ、当家ではキリタンポ鍋を致しました。鶏肉を一羽丸ごとぶつ切りにして贅沢に入れ、白菜・春菊・ブナシメジ・椎茸・長ネギ・牛蒡・人参・豆腐・糸蒟蒻など、煮えてきたら、手製のキリタンポを五本ほど、一つを三つに切り分けてから鍋に入れました。可笑しいのですが、我が家では夏場でも鍋物を時々致しますけれど、鍋奉行さまはウチの奥しゃまです。当家に来てからようやく夕べ楽しげな声を張り上げながら鍋奉行をあいつとめました。父も叔母も皆、楽しげで、やっと当家に馴染んだのかなぁと、そんな感慨深げな父の横顔を見ていました。とっても嬉しかったんです。

 さて柚子のお話にもう一度戻りましょう。柚子の産地は色々御座いますが、私どもはいつも京都の奥に位置する水尾産の柚子を発注し使用致します。秋、紅葉の折はとかく有名寺院、中でも東福寺や神護寺や嵯峨野や赤山禅院や、それこそ大勢の方々が押し掛けることでしょうが、愛宕山の西麓に位置する柚子の里・水尾の里を訪ねる方はきっと稀ではないでしょうか。秋、紅葉はやっと深い色になった時、この山里を訪れてみるのもなかなか素敵なことです。西南には山を隔てて丹波国保津村(現・亀岡市保津町)で、北は原・越畑に連なる山間渓谷にのぞんだ幽邃地で、古くは「水雄」とも称したようです。丹波国に属してもいましたが、今は京都市右京区嵯峨水尾町となっています。南の老の坂とともに山城と丹波を結ぶ交通の要衝として昔から栄えていたそうです。この水尾は柚子の里として知られているのですが、もう一つ重要なことが御座います。それは清和天皇が水尾にご仙居なされた山里でもありました。清和天皇と言えば清和源氏の祖となられた方で、その子貞純親王は臣下に下り、源性を賜り、彼の一族は繁栄して、後の世の鎌倉幕府を開いた頼朝に脈絡がはっきりと通じ、それがつとに有名でありましょう。

 水尾には清和天皇の御稜が標高300㍍の高地に御座いますが、ひっそりとしています。水尾町の中心部には浄土宗知恩院派の粟田山と号する寺があります。ここは平安時代、京都七大寺の一つ・水尾山寺があったところで、清和天皇が譲位後、元慶4年(880)に、この水尾山寺に入られたのでした。この御寺を終焉の地と定め、寺院の造営などもなされたのですが、運悪く一年もしないうちに病を得て、洛東・粟田の円覚寺に移り、その年の12月にご崩御なさいました。円覚寺は室町時代初頭まで続いていましたが、応永27年(1420)一山は消失し再建されることはありませんでした。水尾山と併称し、今ではその名だけが残っています。粟田の本堂には清和天皇の念持佛とされる薬師如来坐像が安置され、傍らに清和天皇の坐像(江戸時代のもの)や地蔵立像や観音立像などがあります。又清和天皇の第六皇子・貞純親王こそ、真正の源氏の源流でして、彼の塔は門前の一隅老松のもとにあります。その傍らには源頼義・為義・義朝など源氏一族の供養塔と言われる塔がありますが、これらも又洛東の円覚寺から移されたものでしょう。御寺東北背後には清和天皇をご祭神とする水尾の産土神であられる清和天皇社があります。部落の方々の深い信仰をもとに、清和天皇社は皇統系譜の神社に属さず、村びとの手によって今日まで伝えられてきたのでした。鬱蒼と繁れる森の中、本殿と四所神社の二社が、一つの覆屋の中にひっそりとしています。四所神社とは清和天皇のご生母・染殿皇后がご信仰された大原野神社の祭神・四柱を勧進、招請したものだったのでしょう。以前は古雅に富んだ花笠踊りがあったようですが、現在はありません。然し水尾の方々からいつの時代までも愛され続けてこられた清和天皇であったのです。

 水尾の御婦人がたは、今尚、榛(はしばみ 又はハンノキ)の木染めでできた三巾の赤前垂れを常用していらっしゃいます。天皇にご奉仕した女官たちが日常使っていた緋袴(ひばかま)の遺風を伝えたものとして、東の大原女との好対照として京洛風情の代表格になっているのでしょう。そして水尾の婦女子は早朝より背後にある愛宕社に、榛の枝を頭に戴きそれをお供えし、その後参詣者に授与する風習もあったようです。拝受された方々は各家々に運び、神棚にお供えし、「火伏せ神花」とされていたのです。榛の木は極めて香りがよく、昔から神花として用いられたのでしょう。

 柚子ごときのお話で随分飛んだお話になりましたが、柚子の名産地・水尾は山国。人工が極めて減っている超過疎地であります。一時は百戸あり千人も住んだ部落でした。幸い果樹に適した関係上、こうした柚子の生産や枇杷の生産などと、マツタケの採取が行われています。冬場薬湯として柚子湯が盛んに行われ、それを目指した観光客も多いようです。又我が尊敬する大先輩の藤野さんのブログ『北山・京の鄙の里・田舎暮らし』には、日々頑張っていらっしゃって素敵な京の鄙びの暮らしが息づいています。山国は、私たちが最も憧れる田舎暮らしの日々でありますが、憧れだけでは決して終わることはないでしょう。いずれきっと!

 

 

 

 榛(はしばみ 但しヘーゼルナッツは西洋榛のこと これは主に染料に使う)

 

 

 

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