The Cats of Mirikitani (ミリキタニの猫)

 

 

 ジミー・ツトム・ミリキタニ 彼が描いた猫 ツールレイクの亡き男の子に捧げるかのように 星条旗の横を歩くジミー

 

 

 

                         The Cats of Mirikitani (ミリキタニの猫)

 

 

 ソーホーの入り口の路上で、真冬であろうが、雨の日であろうが、ひたすら絵を描くホームレスの日本人老画家がいる。猫の絵を買った縁で知り合いになったリンダ・ハッテンドーフという女流監督と知り合ったのが、このドキュメンタリー映画「ミリキタニの猫」を製作する大きな契機となった。彼の名はジミー・ツトム・ミリキタニ。1920年6月15日生まれで、カリフォルニア州サクラメントが出生地の日系二世だった。3歳のときに父の故郷である広島にやって来て、18歳まで日本の教育を受けた。父親から海軍兵学校へ行けと言われた時、毅然として断わり、私は芸術家だと反撥。直ちに生まれ故郷である自由の大地・アメリカに。18歳の時、1957年に再びアメリカに帰国したのだが、画家で身を立てる大志を抱いていた彼を待っていたのは、日本人強制収容所であった。この映画はビデオ・カメラを駆使して撮ったリンダ・ハッテンドーフ監督と出会った日系人画家が、過去の60年を取り戻して行く過程を記録した感動の大作だ。たった76分の映画でも、映像として撮った延べの時間は実に20000時間を遥かに超えると言う。最初からこうなるという確信がなかったハッテンドーフ監督だったが、徐々に話して行くうちに、これはどうしても映像として残しておかなければという確信を得たという。彼女の助けを借り、見違えるように伸びやかな人生を取り戻して行くミリキタニ。かくしてこの映画は世界各国で、映画賞受賞が相次ぎ、圧倒的な支持を受けるまでになった。孤高のスピリットを抱き、イマジュネーション豊かな絵を描き続けるミリキタニの姿を通して、戦争と平和について深々と考えさせられる貴重な映画と言えるだろう。製作・監督・撮影はリンダ・ハッテンドーフ、製作・撮影はマサ・ヨシカワ、音楽も実にいい、音楽担当はジョエル・グッドマン。出演は無論ジミー・ツトム・ミリキタニで、最後に出て来るお姉さんのカズコさんと、サンフランシスコ在住の日系詩人ジャニス・、ミリキタニ。そして最後の字幕に出ていたのはジミーの飼い猫となった捨て猫のスティンキーの名前。2006年東京国際映画祭において、(日本映画・ある視点)部門最優秀作品賞受賞作で、明日の朝8時半から再びシネフィル・イマジカで再放送される。どうかこの記事とご縁ができ、是非御覧戴きたい一作であり、世の中にはよくよく素晴らしい出来の映画があったものである。又ハッテンドーフ監督と、広島原爆記念日にやって来たミリキタニは、あの式典で何と「仰げば尊し」を声高に歌って周囲を驚かせたのは、2007年8月6日の広島・原爆記念日のことである。以下ざっとこの映画に出ていた彼の言葉を取り上げてみた。

 ミリキタニとは日本名で、三力谷と書くらしいが珍しい名前で、彼の言を借りれば、950年続いた高潔なる武士の家系であったという。場面は2001年1月、真冬のニューヨーク。分厚いアノラックに身を包んだ一人の老画家が路上生活をしている。ここはソーホーの入り口。韓国人のボスのお店の前を借りて寝起きし路上で生活していた。彼は絵を買わない限り決してお金を受け取らないんだという周辺住民の証言。自ら決して物乞いなどしないアーティストであった。それでも何か欲しいかとリンダが尋ねると、ミルクティが欲しいと。但し一杯65セントがミリキタニというと50セントになるからと。雪のちらつく宵だった。

 3歳で日本の広島に行き、18歳で日本軍兵士になることを拒んだ彼は、一路生まれ故郷の自由の大地アメリカへ。オークランドの叔父が大きな洗濯屋を営んでいたので、そこで仕事を求める。画家は何でもしなくちゃねと。一生懸命に働いで、ある程度の資産も持ったが、シアトルの姉の所へ行く。釣り好きの姉の夫と遊ぶ楽しい日々。だが25歳の時、あの忌々しい日米戦争が始まる。白人のガキから日本と戦争になったよ、お前はどうするんだと悪態をつかれるが、「俺が始めたんじゃない。俺はアメリカ生まれだ」と食って掛かったが、時既に遅しで、ただ日本人であるからとの理由で、姉などとともに強制収容所へ。ジミーは姉と離れ離れに収容されることに。そして全財産の没収。何一つなく、カリフォルニアのツール・レイクへ移送され、そこで3年半を過ごすことになる。その時、市民権放棄を迫られたジミーは激しく反撥するものの、放棄手続きにアッサリとサインをしてしまう。10人のうち7人はサインしたという。そしてここには18、800人の日系人が入れられていたが、何とこの中で700人が呆気なく亡くなっている。環境は最悪だったからだ。全米の各地にあった日本人強制収容所で12万人に及ぶ日本人たちが強制収容された。市民権を失ったジミーが行くアテなどない。戦争が終わっても、お前らは収容所に入っておれとワシントンからわざわざ言いに来たという。ジミーは合計5年間の収容所生活をした。ツールレイクにいる時幼い坊主がいて、「兄ちゃん兄ちゃん」と慕ってくれた猫好きの男の子は、ジミーによく日本の猫の絵を欲しがったという。そうしてその子は亡くなってしまい、このキャッスル・ロック・マウンテンが聳え立つ砂漠の中に、この子は眠っている。いつしか必ず訪れ弔ってあげなければとジミーはいつもそう考えていた。

 同年9月11日、ワールド・トレード・センターがオサマ・ビン・ラディン一派からテロ攻撃をされ、崩れ行くビルをただ眺めるだけのニューヨーク市民。「アメリカは広島・長崎に原爆を落とし数百万人の命を奪っておいて、それが正義で、我々のテロは悪事なのか」とオサマの演説が流れ、同時にブッシュ大統領が戦争を煽る発言もテレビで流されていた。そんな中、市内には有毒ガスが発生していても、それでも淡々として絵に没頭するジミー。「昔と何一つ変わっちゃいない。戦争はいけない。たった5分で壊滅する。ピース!ピース!」と叫ぶジミー。咳き込むそんなジミーを見かねて、リンダは自宅に非難するように誘う。それからリンダとの生活が始まる。

 「社会保障?そんなものは要らない。戦争の時、全部持って行きやがったんだ。パスポートまで持っていったそんなアメリカはクソだ。そんな国の社会保障など要るものか。あり得ないったって、全部没収して行きやがったんだ。そんなアメリカは今に路頭に迷う人間がいっぱいできて、きっと路上で皆が死ぬだろうよ。ワシに構わんでくれ。ワシは180人に絵を売ったアーティストだ。そこらにいる商業アートとはわけが違う。市民権などアメリカのは要らん。日本のパスポートはどこでも通じる。美術大国の日本は凄いパワーがあるんだ。日本人は美しい心を持っている。鬼でも悪魔でもない。広島には原爆はなかったもの。広島名物の柿の絵をよく描くが、あの色は原爆の色なんだ。恐ろしい原爆。それで今や日本とアメリカの立場は逆転してるじゃないか。可哀想なアメリカ。来年はホームレスが10万人に増え、家も仕事も失って路上で死ぬことになるんだ。くたばるぜプア・アメリカ。ドンドン破滅に向かっている」などと意気軒昂なジミー。

 それでも心配したリンダが社会保障制度に着目。調べるうちに、何と1959年に市民権が復活していた。法務省の電文によると、「貴殿の市民権放棄の法的根拠はなく、無効と結論づけられました」と。でも全米を放浪しながら、仕事を替え、そうして1952年にはニューヨークに来ていて、所在不明につき知る由もなかったのだ。リンダの進めに応じ、法務省に、市民権などの既得権復活へジミーの文章、「私はツールレイクに収容された日系画家である。特別審査の下で改めて釈放を御願いします。私は自由世界において、生涯絵画に捧げる志しです。姉や親戚に会うために、この国に来ました。そして東洋と西洋を融合した新しい絵画を拓く。そんな大志を抱いて出生国に戻りました。収容所での長期拘留生活は全く無意味です。」ときっぱりと。ジミーの市民権はリンダという応援者のもとに回復したのだった。

 それにしても描く絵は悲嘆の日々を送ったツールレイクと広島の柿と猫と原爆と、唯一広島で生き残ったという鯉の絵が多く繰り返し繰り返し描いている。撮影当時、齢81歳にして、健康そのもの。日本民族としての強い誇りとプライド、これが彼を支えていたのだった。記憶力も半端ではない。今のアメリカをまるで予言でもしているかのように、ジミーの言葉は重い。

 そして漸く孤独から救われ、ジミー82歳の誕生日に、あのツールレイクに行く基金が集められた。バスで移動するジミー。あの懐かしいキャッスル・ロック・マウンテンが見えて来る。在りし日の坊主のの霊にお花を手向けるジミー。それでもあの懐かしい山のスケッチは欠かさなかった。反骨のスピリットと日本人である誇りを失うことが決してないジミーは、「教えてくれ、我が家に帰る道を」と書かれたツールレイクの落書きに、「今日は気分がいい、皆が分かってくれたから。もう怒っていない。通り過ぎるだけだ。思い出の亡霊たちはワシに優しかった。Good Bye!」と後にする。

 この映画を通して、やはり絵画はハートで描くものだと改めて教えてもらったようなものだ。映画の最後に、姉のカズコさんや姪のジャニス・ミリキタニさんなどが出て来て、ほっとして観終わった。映画全篇に出て来る美しい絵画をご紹介したいのが山々だが、青年時代まで日本画家であったのが嘘みたい。晴れ晴れとした色調に満ち、どの絵も生命感が躍動していた。ミリキタニは一生涯画家を通すと。そして最期の息が止まるまで描き続けると胸を張っていた。今でもご健在のようである。既に90歳になられていらっしゃるのだろうか。今週オバマ大統領が来日する。丸一日しかいない大統領の日程で、美しく蘇った広島、あの原爆記念館を観る機会はないのだろうか。原爆を落とせと、あの9,11のテロの後、各地でイスラム系の店舗やアラブ系の人々が襲われ、多数の建造物が破壊され瓦解された。平気で、車には「アトミック・ボンブ!原爆を投下せよ!」と書かれていて、この映画の映像は、その愚かさを雄弁に物語っていた。いかなる戦争にも反対のジミーの絵を是非観て戴きたい、皆さまには明朝の再放送を是非御覧戴きたいものである。

 

 

  

 長嶺総領事ご夫妻と談笑するジミー・ツトム・ミリキタニ

 

 

 

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