BONSAI  そして父の山歩きテスト

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明けはじめた高尾の山から 今日は晴れるだろうと父の言い

 

 

 

        BONSAI そして父の山歩きテスト

 

 

 今朝早く起きて、お粥さん作りをしようとしていたら、父がこれから山に行くぞというので、父のいう通り、訳の分からぬまま登山靴を履き、ザックを背負って家を出た。未だ明けやらぬ暗い朝。後を叔母に託して、父が運転する車は一路高尾山へ。今日はRの体力テストなんだと説明する父。スイスイ通れる暗がりの道は実に気持ちいい。歩道の紅葉や銀杏あり山桃あり、中にはナナカマド数本が街路樹になっている区域もあるではないか。日々、朝になり、こうしてリセットできることが何よりも嬉しい。高尾のケーブルに乗るのかと思いきや、下から歩くという。駐車場に置いてから歩き出す僕ら。父の後からついて行く。一歩一歩実に正確だ。しかも驚くことに、80歳にもなろうとする父の足は若さに溢れている。特に前に出る足よりキックする足が正確でパワフルであった。父は雪が降らないうちに、深田久弥終焉の山・茅ヶ岳に連れて行くと言っていたから、てっきり前もってその準備でもあるのかと思いきや、何とその前に行けるかどうか、体力のテストを課すというものだった。先ずは準備体操、父の体操は如何にも古臭そう。それに従って同じようにやった。父のザックには、前日作り置いたオニギリや菓子やチーズや水や雨合羽などの二人分、何ともまぁ用意周到で、まさか僕の分まであるとは思わなかった。見るからに僕のほうが遥かに軽装だ。しかも準備運動は殆ど手抜きがない。そして向かったのは稲荷山コース(見晴らし台コース)で、全長3,1km。帰りは1号線(表参道コースで 3,8km)を降りて来ると説明される。たかが高尾山ぐらいだろう何でもないや。内心僕は自信があった。何だって小学校の時にこの山に登っているのだから。今はあの当時の印象とはまるで違って、辺りには霊気のような清浄な空気に満ち溢れ、父とこうして歩く歓びに満ち足り、僕の心はどこか躍動しているようだった。でも何かが違う。父の歩きと僕の足はまるで違うのだ。僕のは多分身体全体が上下運動したり左右にブレがあるのだろうか。然も父には殆どブレもなければ、規則正しい歩幅や歩数は全く変わることがないし如何にも軽そう。山腹の半分ぐらいに来たら稲荷山展望台(396m)があった。そこで給水した時、漸く太陽が目線まで上り始め、眼下に高尾か立川か、遠く新宿か大都会が開けて見えていた。全身から既に汗が滴り落ちている。ところが父の顔を見ると汗一つかいた様子は見えない。どうしてこうも差が出るのだろうかと、やや焦って来る。登り始めて小一時間半を過ぎた。山頂はまだ先だという。必死に父の背中を追う。周囲を楽しむ余裕すら既になくなっていた。真上に低い雲が垂れ込め、高尾の御山もご信仰の山なのだろう。今回ミシュランで三ツ星がついたばかりだ。僕にはあれやこれやと雑念が多い。正確に歩幅を刻むことに専念したいが、父を見ると、どうもそうはなっていないらしい。それにしても父の背中は大きい。やっと山頂(599m)に着いた。汗びっしょりの僕に、父はいいから見せろと言い、両足のソックスを外して見せた。筋肉の硬直状態を見ているのか。それから何と血圧計まで取り出して計った。上が188、下が112。高いとひと言。父も計った。父のは上が140、下が85でほぼ平常値。大ショックを受けた。それから山頂付近に建つ高尾ビジターセンターに立ち寄り、朝食にした。父は何も言わず黙々と食べ楽しそうにしいた。再度血圧を測った後、さぁ観光客が大勢来るから早く降りるぞという掛け声で、僕たち親子は薬王院へ真っ直ぐに下った。その下りだが、登る時のような足の使い方ではない。父の足は登りも下りも変化が全くなしで、徐々に晴れ上がって来た高尾の風情を楽しんでいる風。僕は下りのほうが圧倒的に辛かった。下りる重圧から逃れられないのだ。一気に薬王院に着いた頃はヘロヘロの状態で、「どうだ、仏舎利塔から浄心門を潜って右に折れると、野草園がある、そこでも見るか」との問い掛けに、返事をしたのだろうか。妙に太腿の筋肉が笑っているように悲鳴を上げていた。ちょうどそこにケーブルカーの高尾山駅があったのだが、「これに乗って降りるか」との父の要請に首を振ったのだけは憶えている。展望台や高尾山駅や、リフトの山上駅を横目に見て、既に必死になって歩いた。僅かなブナの黄葉や山もみじの紅葉が見えたが、さらりと見遣ることしか出来なかった。リフトの脇から始まる長い下り坂は特にきつく酷く、父から何度も休めと指示された。給水を取り、両足を少しでも投げ出し、ハンカチで大汗を拭った。一時間少々で下り道を終えただろうか、麓の清滝駅で全行程を終えた。5時半から登り始め、休憩を入れて全部で約4時間。登山道の付近には五万という数の方々が待っていた。帰りの車の中で、父は、「山登りにはまだだなぁ、難しい。意外と体力がついてないね。大きな手術があったからね。だから明日から私が準備するトレーニング・メニューを毎日こなすかい」。僕は頷くのがやっとこさだった。父は我が子がよほど情けない男だと思ったに違いない。

 

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  盆栽は手が掛かるらしい。水遣りもそうだが、余分な根を取って新しい養分を与える植え替えがあったり、害虫駆除や、時には景色を整えるために色んな工夫もあるらしい。当家には殆どが松が多かったが、父の代から落葉樹や花樹や実物の樹が多くなって、今では合計で120鉢を超える。戦争で大半を失ったが、でも戦災時に焼け爛れた松も幾つか生きている。曽祖父が特に可愛がっていた焼夷弾を受けた松が未だに生きているのだ。中には樹齢二百数十年の老樹も生きている。それも戦争で受けた傷跡は今や一つの景色となり、父はそれはそれは大事に育てている。長い間、山歩きで面倒を見れない時は、武蔵小金井からわざわざ植木屋さんがやって来てくれていつもお世話を欠かさない。それでも地上から80cmという盆棚の高さの鉄則は決して曲げず、家の中に取り込むのは数鉢のみお正月の三が日だけ、いつもは殆どが戸外である。それでも晴れがましいお正月には、今年の樹はこれだとか、選ぶのも父の楽しみな筈だろう。見ていると本当に手が掛かるようである。昨日は「小雪」につき、分厚い透明なビニール・シート(雪囲い用)の屋根を設置するのを手伝わされた。父をよく観ていると、楽隠居している風では全くない。いつも必ず何かやっていなければ気がすまぬようである。我が小さな盆栽園での盆栽の基礎知識も、林業の精神や基本も実は中身は同じなのかもしれない。父の手動きを見るだけで、あれこれ教えない父でも、見るだけで結構勉強になるものである。今日は「勤労感謝の日」。父は情けない僕を慮って、せっせとメニュー作り(体幹作りとか?)をしているのだろうか。妻は当然別宅で一人お勉強で、僕は疲労しきった身体に鞭打って、杏や大風と縹渺と遊ぶ。

 

 

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