梵音響流(ぼんのんこおる)

 

 

 芭蕉 義仲寺の翁堂内陣

 

 

 

            梵音響流(ぼんのんこおる)

      『時雨忌』にて 芭蕉と道元

 

 

 旧暦の今日につき、芭蕉翁の忌日である。山中温泉から曾良は病がもとで、身内を頼って伊勢へと行ってしまった。元禄2年の秋のことである。代わって芭蕉と同道したのは金沢で刀の研師(とぎし)をしていた北枝(ほくし)であった。二人は歌枕で有名な汐越の松に向かう。門人になりたての北枝は翁に饒舌に語りかけ、旅のよすがとしたことであろう。松原の中に、今は倒木と芭蕉翁到来の石碑と小さなお地蔵さんしかないのだが、芭蕉はよほど気に入ったことだったろう。

 「越前の境 吉崎の入江を舟に棹さして 汐越の松を尋ぬ 『よもすがら嵐に波を運ばせて 月を垂れたる汐越の松』(西行) この一首に数景(すけい)尽きたり もし一辨(べん)を加ふるものは無用の指を立つるがごとし」。こうして北枝は門人として、20日ばかりの旅の道連れをすることになった。だが途中の天龍寺から、急ぎ北枝は金沢へ帰ることになってしまう。北枝も鋭い眼光があったに違いないが、芭蕉の鋭敏な言葉への一つ一つが北枝には限りなく身につくことになったことだろう。磨きに磨き抜かれた師匠の言葉の数々であったのだから。

 「丸岡天龍寺の長老 古き因(ちなみ)あれば尋ぬ また金沢の北枝といふ者 かりそめに見送りて この所まで慕(したい)い来(きた)る 所々の風景過ぐさず思ひ続けて をりふしあはれなる作意など聞こゆ 今すでに別れに臨み ~物書きて 扇引きさく なごりかな~」と扇に書き記して 芭蕉は北枝に差し出すのだった。わざわざ扇を引き裂くとは、どのような心情であっただろうか。ただ単なる風流の道の句にあらず、人生の深淵に勇気を持って進めとの教えだったのだろうか。現物がない限り何とも言えないが、芭蕉とてよほど淋しかったに違いない。

 天龍寺の雲水から送られて、曹洞宗の大本山・永平寺へ向かうことに。「五十丁入りて 永平寺を礼す 道元禅師の御寺なり 邦幾千里を避けて かかる山陰に跡を残したまふる貴ゆゑありとかや」。永平寺は750年前、道元によって開かれた道場。10万坪の広大な境内では常時200余人の雲水が暮らす禅の道場。禅堂で、深まり行く座禅の境地。芭蕉は永平寺に何一つ残していないが、安楽は座禅にありとした道元の考えはまさに適格であった。どのくらい芭蕉はいたのだろうか。一切分かっていないが、その前後の「奥の細道」を尋ねて、芭蕉翁の心境を探ってみたい。

 おっとその前に道元は如何に修行したのか探ってみよう。永平寺は九頭竜川の最奥にあり、寒々とした中、毎年弥生三月春だまき、新人雲水を迎える。開祖・道元は、仏とは己の心の中にあり、ひたすら日常の心に無駄がないかと、きつく問いかけるもので、日本仏教界にとってはやや異色であろう。同時期に南無妙法蓮華経を唱えた日蓮や南無阿弥陀仏を唱えた法然や親鸞がいるが、己の心中にひたすら問うた人は先ずいない。道元の実践はそれは厳しいものである。雲に流れ、川の水に流れるがごとく、真の仏法者となれるよう心の旅をするのが雲水(修行者)の意味である。例えば山門の入り口に、大本山とか総本山とかの表記など一切ない。あるのは、二つの聯(れん)だけ。翻訳すると一つは、「家庭厳峻 陸老の真門より入(い)るを赦さず」、つまり永平寺の修行者は富や教養があっても決してこれを赦さないというものである。もう一つの聯は、「鎖鑰(さやく)放閑(ほうかん) さもあればあれ 善財の一歩を進め来たるに」、いつも門は開け放たれている、本当に志があれば迷わずに入れという意味であろう。修行に対する本人の自覚や覚悟が大事で、生半可な考えでは先ずここで修行するのは無理と、志の深さを求められるものである。入門するものは、必ず最初に試練がある。誰も声一つ掛けない中、ニ三時間は立たされることだろう。そうして漸く客行(かあん=先輩の雲水)がやって来て、問い詰める。長々と問い詰める客行、そうして漸く入山を許されるのだが、左手の板を叩かなければならない。「生死事大 無常迅速」とある板を。この音は初めて山門から入る新人を迎えてくれる意味だ。

 

 

 雲水像     (鎌倉・建長寺の雲水 托鉢)

 

 

 中国・寧波にある天童寺に行ってみるがいい。今、この御寺では道元を顕彰する御影が立派に掲げられ、日々お参りされているではないか。若き道元が来た時、師匠・栄西と乗った船に食糧の買い付けに来た老典座(てんぞ)と出逢っている。道元曰く、40年も禅の修業をして何故悟りを得られないのかと。典座曰く、「すべての事象に修行はある、典座とは料理人ながら、一生涯この仕事で充分禅の修業はこと足りて出来る」と。はたと感じ入った道元は、さすがに仰る通りと頻りに関心したそうである。更に後に道元はこう書き残している。「山僧聊か文字を知り 弁道を了ずることは 即ち彼の典座の大恩なり」と。40年過ぎても料理だけをする典座の心に桁外れた佛教の奥の深さを知ったことであろう。

 

 

 

 中国 寧波の天童寺における道元のご尊像の御扱い賜ふるに

 

 

 そんな厳しい修行の場である永平寺に、芭蕉は何故かひと言も発していない。今で言うなら刑務所より遥かに厳しい修行の山中の場である。洗面(せんめん)から食事から読経から座禅まで、そして寝る時だって、たった一枚の布団を三枚に畳んで二重に紐で結び、寝袋のような粗末な布団に入りて寝るばかりである。朝、起きれば早速激しい禅の修業が待っている。あの山頭火は山形・鶴岡より浴衣一つでやってきて、ここにニ三日泊まったようである。だが芭蕉翁はようとして永平寺の記録には残されていない。だが筆者は思うことあり。山頭火などと全く違って、芭蕉は道元と間違いなく無言の問答をしたに相違ないと。静かなる余白がそう物語っているのではなかろうか。確かに、完璧な求道者・道元は奇跡としか言いようがない人である。風流の極みを目指す芭蕉とは大きく違う。だが二人ともともに鋭敏な感覚を持ち合わせていた。そこに火花散る問答があって、でも人の目線に近いのはまだまだ俗人の芭蕉翁なのだろうか。

 芭蕉翁の文中深く分け入って、前後左右を見てみる必要がある。多分、山道はよっぽど心細かったのだろう。奥の細道唯一の独り旅であったのだ。道明(どうみょう=道路を照らす灯かり)だけが頼りの独り旅であった。人恋しい芭蕉であっただろう。福井34万石の人の波に、やっと安堵したはずである。芭蕉はここで等栽(とうさい)という、十余年以前江戸に尋ねて来た10歳以上年上の武士、俳諧を嗜む人に逢おうとした。当時等栽は既に隠居をしていて、非常に苦しい生活であったが、芭蕉は永平寺からの、無言の問答の疲れを開け放つように、どっと等栽にその身を託している。

 「福井は三里ばかりなれど 夕飯したためて出づるに 黄昏(たそがれ)の道たどたどし ここに等栽といふ古き隠士あり いづれの年にか 江戸に来たりて 予を尋ぬ 遥か十年(ととせ)余りなり いかにも老いさらぼひてあるにや はた死にけるにやと 人に尋ねはべれば いまだ存命して そこそこと教ふ 市中ひそかに引き入れてあやしの小家に 夕顔へちまの延(は)へかかりて 鶏頭・箒木に戸ぼそ隠す さてはこの内にこそ門をたたけば 侘しげなる女の出でて いづくよりわたりたまふ 道心の御坊にや あるじはこのあたり何某といふ者の方に行きぬ 『もし用があらば尋ねたまへ』といふ かれ妻なるべしと知る」、いやはや芭蕉も漸くして等栽と再会を果たすのだった。困窮していた等栽に、客人に出す枕さえなかった。近くの顕本寺で建てつつあったお堂のことを思い出し、枕の代わりになる木を所望している。かくして芭蕉は、この貧乏武士の家に二日も逗留した。如何にも居心地が良さそうだ。

 「昔物語にこそ かかる風情ははべれど やがて尋ね会ひて その家に二夜泊まりて 名月は敦賀の港にと旅たつ 等栽もともに送らんと裾をかしうからげて道の枝折り(しおり)と浮かれ立つ」。まるで江戸の人情話のようであろう。永平寺での体験が芭蕉をして人恋しさを増したのであった。そして仲秋の名月に胸を膨らませて、等栽とともに旅立つのである。思えば曾良、北枝、そしてこの等栽と、ただ一度も独り旅ではなかった。漂白の旅とは申せ、芭蕉は道元の道の厳しさにはよほど参ったことであったのだろう。永平寺への旅だけが独り旅であったのだ。文字に対して鋭利な感覚の芭蕉と、人生に対してただ一つも無駄を許さなかった道元の接点はかくして、無言の問答で終わったのだろう。でも何故か芭蕉翁の前後の文中に人間・芭蕉を感じられてならない。

 今日は親鸞忌、先日から法然上人のご報恩講。そして東京品川千体荒神や防府天満宮の裸坊祭。気忙しい師走を前に、日々新しい御祭りの日。しかれど我、空海、明恵に帰依するものとして、今日は敢えて芭蕉翁と道元に言及したるやいかに!敵対なぞ一切さらさらなしにて。安らけくお休みあれ!!

 

 

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