『ターシャからの手紙』と、ラストインタビュー・『ターシャ・テューダー 最後のことば』

 

 

 メディアファクトリー社刊・『ターシャからの手紙』 

 

 

 

白泉社刊・『ターシャ・テューダー 最後のことば (ラストインタビュー・「人生の冬が来たら」)』

 

 

 

南仏プロヴァンスのターシャの庭にあった白い花の絵 ターシャからのイースターカード

 尋ねて来てくれたアンが好きな花だったと覚えていて描いてくれたようです 

又この頃の作に「恋するターシャ」があり 「コーギビルのゆうかい事件」など続編もここで構想が練られました

 

 

 

 

 

       『ターシャからの手紙』と、

      ラストインタビュー・『ターシャ・テューダー 最後のことば』

 

 

 今月ターシャのイラスト入り日めくりカレンダーの言葉を毎日、その日の言葉として記事の最後に掲載してまいりました。皆さま、お楽しみ戴けたでしょうか。いつも前向きでひたすらなターシャは、クエーカー教徒でもなければアーミッシュでもありません。でもそう見られることを面白がって、ターシャの生き方や考え方に同調する人たちと、「スティルウォーター教団」なる一派を作っていました。宗教団体などでは一切ないのですが、ターシャの愉快な面白い一面ですね。ウーマンリブ華やかなりし頃、ターシャは、「私は男性も好きだし、尊敬する男性もたくさんいる。闘争的なウーマンリブには賛成できないわ」と語っていました。ターシャは1830年代の人々に共感し、パーティをやる時だって1830年~1860年代の衣装を着てくるようにとせがんで、それが見事に実現すると大はしゃぎするターシャだったんです。今日の文明という、わけも分からない巨大な魔物と、きっちりと一線を画して普通に住んだだけでしたが。

 

 

ターシャからアンに贈られたターシャ自らの手刺繍のブラウス

この写真に 私の妻もため息をついて感心して見入っていました

 

 今回、又もメディア・ファクトリー社からあっという驚きの本がプレゼントされました。『ターシャからの手紙』と題された本ですが、永年ターシャと親交があり、ターシャの本の編集に関わっていたアン・K・ベネデュースさんという、ターシャより三歳下の方が書かれた本です。作者と編集者って、こんなに中身が濃いお付き合いなのかと改めて驚くとともに、この二人の濃厚なやりとりが生き生きとして描かれています。ターシャは筆まめであったらしく、それはニューイングランドの伝統で気風だったのでしょう、プレゼントには大きく感動し、必ずお礼状を欠かしません。アンの夫は物理学者ですが、彼が大好物だったというターシャ製のポピーシードケーキがいつも届きます。アンの長男や長女とも親しくお付き合いをしていました。手紙の総数は29通ですが、ターシャが創意工夫を凝らした手刺繍のブラウスが届いてみたり、手編みのミトンを届けたり、アンの子ども用に小さな胡桃(くるみ)を割って、小っこい人形や詩の一節を書いてクルミに詰め込みプレゼントを贈ったり、たくさん出て来ます。まさに家族総出でターシャと永年お付き合いをした様子がありありとよく分かり、何よりも素敵で愉快なことはターシャ自身の、手紙の内容です。まるで「赤毛のアン」に出て来そうな、想像力豊かでワクワクするように、ウィットに飛んで心弾む手紙の内容です。まるっきり私がターシャから貰ったような、そんな錯覚すら覚えるような素敵なお手紙の数々だったのです。ターシャ64歳から86歳までの手紙が綴られていますが、一つ一つの手紙にはターシャのその時の背景やシチュエーションが、一つ一つ、アンが丁寧に解説しています。83歳を境に、その後ターシャとは電話連絡が多かったようですが、アンが最後に逢いに行ったのは2007年11月のこと、アン自身がコーギコテージを尋ねています。青い広東チャイナのティーセットでお茶を飲みながら、手製のバターミルククッキーを出してくれたと言われています。薪ストーブの傍に置かれたロッキングチェアーに座って、二人は楽しいお喋りをしたのですが、その時ターシャから出た言葉は、「今は、本当にやりたいことだけやればいいのだから、いい身分でしょう?後のことは全部、みんながやってくれるもの、絵を描いて、庭の世話をしたりして――――まさに地上の楽園よ」と。最晩年、どなたともお付き合いが少なくなった頃書かれた本が、「思うとおり歩めばいいのよ」(87歳)、「楽しみは創り出せるものよ」(88歳)、「今がいちばんいい時よ」(89歳)、「生きていることを楽しんで」(91歳)、メディアファクトリー社から連続して出された最も有名な本など、こうした貴重な時期に書かれたものでしょう。因みにこのアン(Ann)の名前の最後にはEが付きません。多分皆さんにも、「赤毛のアン」と重ね合わせて見えることでしょう。でも「赤毛のアン」はアンが54歳での炉辺荘で終わっています。リラとケネス・フォードが再会し、再び愛を誓うのでしたね。まるで赤毛のアンはリラに人生の夢の続きを託すように。息子ウォルターが戦死したり散々でした。実際のモンゴメリーだって、教師時代に激しい恋や辛い別れを経験して大変苦労し、67歳で共同墓地に入っています。今回のターシャの手紙を読むにつれ、編集者のアンと劇場に行ったりアンティーク店に行って騒いだり、印象派のマネ展を観たり、南仏に憧れたり、実際にパリに行ったり、日本に来たりしていました。あのモンゴメリーが描いた赤毛のアンの夢の続きを見ているような、そんな思いがしてなりませんのです。アン・シャーリーはターシャに乗り移り、人生を全うしたのだと強く確信したような、私の空想だったのですが。

 可笑しいのは南仏プロヴァンスのセイヤンの小村で半年過ごした時で、猫のミス・バーバスや二匹のコーギ犬やオウムのベグラー船長と一緒に行ったんです。フランスから帰った時、一番フランス語がうまかったのはオウムのベグラー船長だったっていうから可笑しいなぁ。動物たちに片っ端から名前をつけちゃうんだから。コーギ犬はターシャ曰く、コーギ犬中毒だって、うふふふふ!アイリッシュ娘って、アイリッシュ・ウルフハウンド種のヤギで、ウナちゃんのこと。この子はとっても悪戯好きで、ケーキ生地を盗んだり、さすがのターシャも参ったみたい。ラダマンサスとは唯一の雄のヌビアン種のヤギのことで、ギリシャ神話に出て来る正義の裁判官・ラダマンチュスから名付けられたようです。ヤギの堆肥を「茶色い黄金」と呼んで庭が美しく保てるのは、いっぱいいたヤギ達のウンチだと確信していたようです。子育てをしている頃に、「雀の郵便局」を作って子ども達と密接なやりとりしてたり、これも凄く面白いです。ああああ夢が広がって来ちゃうなぁ。それでね、新しく飼った猫でね、ジミーってのがいたんだけど、正式名はジェームス(ジミー)・S・ジャミーソンっていう長たらしい名前なんだけどね、利発な子でねぇ、とっても面白かった猫らしい。アンはターシャに、その事を詳細にメモするように進めたようだ。そうやって作者と編集者という立場で、あの素敵な童話の世界を構築していったのでしょう。長男・セスがいうには、母は働きづめだったとか。そして病院で死ぬのは絶対に御免だとコーギコテージに残り、あのコーギ犬のメギーと、雑草取りの名人鶏のチカホメニーが最期までついていたそうです。最期の最期まで工夫し意欲し、そうして完璧なスタイルで逝ったターシャでした。死に衣装だって、1830年代の古いアンティークの素敵な衣装だったに違いありません。本当にいつまでも素敵なターシャでした。有難うターシャ、永遠に忘れないから。

 

 

 ターシャからアンへ贈られたクリスマスプレゼントのミトン アンにとって最も大切なものとして未使用のままのようです

これだからクリスマスの準備は 9月から始まったんだと確信できます 

親しい方には思いの丈を籠めたプレゼントを一つ一つ丁寧に手づくりしていたのだから

 

 ターシャは出版社との契約ごとや雑用が大嫌いでしたから、晩年の時間をとっても大切に過ごしかったに相違ありません。世界的に一層有名になってから益々増えた雑用は、長男セスがしていたようです。それからは気楽にエンジョイできたのでしょうか。かくして引き続きご家族のコメントが読める素敵な本、 『ターシャ・テューダー 最後のことば ラストインタビュー「人生の冬が来たら」』 (白泉社刊)という本があります。雑誌MOEに連載された分をまとめられたのですが、長男セスが聞き書きをし、セス自身もセスの奥さんで人形作家であるマージョリーも、今は写真家となった孫のウィンズローも、もともとガーディニング志望だったそのお嫁さんのエイミーも、それぞれの立場からこの本に寄稿しています。たった30分で読めちゃえる本なのですが、ターシャの言葉すべてが私の心の中にトロリと溶けて行くようで、ターシャから強く励まされたのでしょう、そんな短時間に、5回も泣かされてしまいました。日本には、ターシャさんの生き方に憧れている人がたくさんいる、そのような作家や挿絵画家を目指す人にアドバイスはとの問いに、「一握りの成功者がまさしくいるけれど、でもそのようなよくある暗い見通しに落胆するのではなく、一握りの成功者になるのだという決心を強くし、一生懸命、仕事をしなければならないのです。けっして敗北を受け入れてはいけませんよ」とキッパリとアドバイスをしている。ターシャさんにとって恋愛とはの問いに、「無口な正真正銘のニューイングランド人は、個人的で私的な考えを表に出すことについて控え目なのです。私もボストン生まれでニューイングランド人です。恋が私の人生にどんな影響を与えたかについて、言葉に出して言うべきことはほとんどありません。(中略) 私の作品から想像することは出来ます。愛や恋のない世界は、人類にとって、本当に空っぽな世界なのですから」と。色々な場面で、ターシャの言葉で泣く時は必ず元気を戴いた瞬間か、激しく激励された一瞬、ターシャって何て人なのでしょう。思えばターシャは69歳の頃、憧れだった南仏のセイヤンで動物たちと一緒に半年暮らしましたが、当時既に有名人になっていたターシャが、南仏では誰もそれを知りません。それがよっぽど気に入ったはずで、でもターシャは持ち前のウィットと明るさと元気さと聡明さに、フランスの方々はまるで「サウンド・オブ・ミュージック」に出て来る「マリア」のようだわと村中の評判だったようです。これらの本をいつも手許に置いて、ターシャからの言葉に謙虚に耳を傾け、私も日々頑張ろうと思っています。

 

 

 アンに届いた数々のターシャの手紙の一通

セスの証言では ファンレターへの返事を含めて 何万通も手紙を書いたそうです 

文明の利器には 完全に無頓着でした

 

 本日で、イラスト版・カレンダーに載っていた「ターシャ 日めくりカレンダーの言葉」の掲載を終了させて戴きます。連日の更新はかなりきつかったのですが、一ヶ月間、強い意志を持ったターシャのお陰で続けられました。本当に有難うターシャ!貴女は私の心の中に、永遠に生き続けて行くでしょう。

 

 

 ターシャは死んだら必ず好きな場所に行けるといつも信じていました 今ごろは自ら育てた花々に囲まれていることでしょう

 

 

 

 

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