天女 天空駆けるが如き 鈴鹿・白子の不断櫻

 

 

 左 ご参考までに「真如堂の冬櫻」    中央と右 「白子の不断櫻」

 

 

 

 

          天女 天空駆けるが如き 鈴鹿・白子の不断櫻

 

 今度の旅は慌しいものでした。いつものように名古屋駅から近鉄特急に乗り換えする際に、たいてい感じことがあります。これから故郷へ向かうような、そんなどこか懐かしい気持ちを抱いでいるのです。そうなってからもう何年経ったでしょうか。そして近鉄特急の旅は、鳥羽から出航する神島行きの定期航路から始まって、賢島にもどれだけ通ったことでしょう。無論伊勢の神宮においては言うまでもありません。更に本居宣長がこよなく愛した伊勢松坂。小高い丘にある奥津墓にも何度も訪れ、歌を詠んだこともあります。

 紀伊半島一帯は民俗の宝庫でもありましたが、ただ本日は近鉄特急を利用しないで、急行に乗車し、近鉄四日市を過ぎ、津の手前、白子駅で下車し、ここからタクシーを利用して鼓ケ浦駅まで行くことに致しました。鈴鹿市南部に位置する鼓ケ浦の白子山子安観音さまに向かうためです。ここに咲く不断櫻を観るためですが、鼓ケ浦駅からほど近いところ仁王門があり、その左手へと入ります。すると本堂の直ぐ傍に、気品に満ちた櫻、あっ咲いていらっしゃる。寒空の中に、パラパラと飛天する天女のように、いつになく凛として咲いています。返り花とか帰り花とかの季語が御座いますが、櫻の植物専門学にはそのような言葉は存在致しません。冬に咲く花すべてを総称して「返り花」とするのでしょうか。勿論春しか咲かない櫻が、温暖の差が十度以上あってひょっとしたら春が来たかなと勘違いをし狂い咲きをする春の櫻は確かに御座います。でもそれは冬に咲く櫻の一割も満たない櫻ですから、そんな場合、奥ゆかしき花、或いは侘び寂びた花、はっとするをかしき花として、帰り花(返り花)と呼ばれ、歌人たちに盛んに歌に詠まれたのでしょう。西行の『山家集・上 冬部』に、「山ざくら初雪ふれば咲きにけり吉野は里に冬籠れども」とあり、昔も櫻の狂い咲きがあったようです。

 でもここの不断櫻の花は断じて違います。落葉高木で、幹は直立しています。若芽は常時出ておりまして、花序は3~4枚で、散房状で、やや紅をさした白色です。葉の表は濃緑色ですが、裏葉は白色を帯びています。寒い時季に咲くのを本懐として、10月から来年5月ぐらいまでコツコツと咲きます。国の天然記念物(大正12年=1923年指定)でもありまして、葉も冬なのに緑色の葉をつけ、いかにもいじらしく咲いているのです。今年一月、26歳で亡くなられました歌人・笹井宏之さんの歌に、こんな歌もあります。「十月の桜のような顔をして釣具屋のおじさんが寝ている」。瑞々しい感性の、人間性あたたかな数々の歌に、胸がしめつけられる思いが致しますが、夭折なされた笹井(ブログ名 些細)さん(筆名 筒井)のご冥福を改めてお祈り申し上げます。

 更に何でもこの御寺の略縁起には「人皇45代聖武天皇の御時、この浦に時々鼓の音あり、怪しきまゝ網を下しけるに鼓に乗り観世音の尊像上らせ玉ふ。このよし帝聞召し、伽藍御建立ありて勅願寺となりぬ。この浦をいまに鼓ヶ浦という。御本尊は殊に慈悲深く、難産の憂いを救い、子孫長久を守らせ玉ふ、故に子安観音と崇がむ」とあります。当寺のご開山は、聖武天皇の天平勝宝年間(750~757)に、勅を奉じた藤原不比等が建立したと伝えられ、道證上人の開創によるといわれています。また、ご本尊は妊婦の安産にご霊徳があり「白子の子安観音」と称されたようです。奈良東大寺旧記には、「天平二十庚午年、帝命舎人令建伊勢観世音寺筑紫分流也。舎人不智法育田地而建立寺舎人罰重々遂幽閉大堂(天平20年は戊子につき、天平2年の庚午か)」とあり、また、弘安3年(1280)には上の文に注記して、「伊勢庵芸郡栗真観音寺なり。四時不絶花櫻を以て名あり。朱印百余石」ともある古くから霊験の顕著な名刹として広く知られていました。室町時代には正親町天皇の綸旨を賜り勅願寺となり寺領も給され、付属の僧坊も20余を数える大名刹となりました。でも残念ながら、戦国の世に一時寺勢は衰えたのでしたが、元和3年(1617)徳川幕府から「伊勢国河曲郡江島村乃内参拾石」の寺領を支給され、紀州徳川家からも高4石5斗の免除を受けました。また、江戸時代を通じて寺内に苗字帯刀の寺侍を置くことを許されるなど、手厚い庇護を受けておりました。(『神戸平原地方郷土史・後編』より)。そしてこの境内には国指定の天然記念物「不断櫻」があるのです。

 この櫻は四季の半分、花の絶えることなく真冬にこそ開花致します。古くから櫻の葉を安産守り札に添え、葉面の表裏により胎児の男女を占いました。そして更に重要なことは、この不断櫻の葉の虫食いの文様から、この地の名産「伊勢型紙」が考案され生まれたといわれています。そう言えば、旧伊勢街道沿いにある御寺の近辺には古くから伊勢型紙の伝統のお店が今でも多く御座います。そしてこの不断櫻は本堂の火災の影響や何度も危機的状況がありましたが、その都度何度も親株からひこばえが出て、延々と命を繋ぎ、今日に至っているのです。名実ともに不朽不滅の素晴らしい櫻なのです。「よう咲いてくれたなぁ」と、私は今年もこの不断櫻に出会い、この場をユルリと伊勢の神宮へ静かに去るのでした。

 (尚京都市左京区にある実光院の庭園の真ん中に、同じような不断櫻が咲いておりますが、この櫻を中心にお庭が構成されているように思われてなりません。それと、滋賀県甲良町の西明寺山門脇にある不断櫻も、樹齢が何と250年にもなる老樹で、秋・冬・春と絶え間なく咲き続いています. 本堂は十二将神を安置し総檜造りの三重塔が境内に並んでおり、 不断櫻の原木は山門脇に保護され、孫木あたりが庭園で育成されているようです)

 また子安観音さまの不断櫻を詠んだ俳句に、次のような方々が俳句を詠まれています。

       宗祇発句

       冬咲くはかなみよもきかぬそさくらかな

       宋長発句

       花いへば葉さへふゆなきさくらかな

       紹巴発句

       後ぞ見む春はこと木のながめ哉

       いかなる謂にか、此寺家村に懐妊の女腹帯せずとなり。古今難産なしと也。

 

  本日は「大雪」につき、櫻灯路の記事・「大雪 こと納め 針供養」をご参照賜りたし!

  及び当ブログの、「こと納め」と「こと始め」をご参照賜りたく!

 

 今日のBGMは平原綾香の楽曲 テレビ映画「優しい時間」の主題歌・『明日』

広告
カテゴリー: パーマリンク

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中