伊勢の神宮 遷宮をつなぐ森 イノチ燦々と!

 

 

  神域の広大な神宮の森を水源とする五十鈴川 (この裏山が宮域林)

 

 

 

 

         伊勢の神宮 遷宮をつなぐ森 イノチ燦々と!

 

 

 

 神武天皇以来、凡そ1300年にわたって、20年毎に建替え続けられた式年遷宮(天武天皇の勅願によって実際は始められた)の行事ですが、茅で屋根を葺かれた檜造りの、「唯一神明造」と呼ばれる簡素で清潔なご正殿です。20年に一度のご遷宮は、常に清新であり続ける建物に、清冽な神に対する恩寵の深さが永続されて来たのです。今度の遷宮は平成25年。但し宇治橋の架け替えは、式年遷宮の4年前、つまり今年の11月初旬に終わっています。白子に行ってから、午後1時に職員5人と待ち合わせたのは近鉄伊勢市駅。簡単な伊勢ウドンを頂いた後、衣食住の守り神である豊受大御神(とようけのおおみかみ)がおいでの豊受大神宮(外宮)に先ずご参拝し、その後内宮正殿である皇大神宮(内宮)へ。簡素な鳥居をくぐり、新しくなったばかりの宇治橋を渡り、途中五十鈴川で御手洗致しました。そして太陽を神格化したといわれる天照大御神(あまてらすおおみのかみ)さまへとご参拝申し上げたのです。

 

 

 

平成25年にご遷宮されるご正殿(宮とも)

 

 これには訳がありまして、神宮の神域で檜の植林がなされているからで、私たちはその実際の場を見学させて戴こうと願っていたのですが、漸く見学の許可が適い、内宮にある神宮司庁へと向かったのでした。神宮司庁には約500人の職員の皆さまがいらっしゃって、それぞれに分担されておいでです。大宮司を頂点に、次に少宮司、そしてその下の組織に、祭儀部・奉賽部・営林部・領布部・調度部・営繕部・文教部・文化部・警衛部・財務部・総務部の11の組織から成り立っております。私たちが伺ったのはその中の営林部で、職員のメンバーは30人余。中でも宮域林の植林に直接関与している職員は20人ぐらいでしょうか。鎌倉時代に、伊勢の神宮の神域の檜はすべてが伐り尽くされたのでしたが、その後宮川の上流や紀伊の山々に分け入って檜の大木が伐採され続けました。しかしここでも400年で伐り尽くされ、江戸時代に足りなくなって、長野県と岐阜県に跨る広大な木曾山中に、神宮の御杣山を設定し、御杣山からご調達をされて来たのですが、でもこの林は全く人手が入らない天然の森ではありませんのです。江戸時代には地元の役所が、明治時代には国が管理し、戦後は神宮司庁が管理する歴史を持っていますから決して原始林ではありません。当財団の所有する山はほぼ原始の形に近い山ですが、檜の巨木も多く御座います関係上、地理的にも至極接近しておりますから何かお役に立てるはずです。前回平成5年の遷宮では、100%この木曾山中から伐採された木曾檜でありましたが、伊勢の神宮でも古来あった檜の再生を願って、既にこの100年近くに永年檜の植林が行われて参りまして、今回平成25年の式年遷宮では20%の、神宮の神域森で育てられた檜が使用されるようで、まことに慶賀に堪えないものがあります。そうした事情や現状を見学させて頂きながら、私たちにも何かご協力出来る部分があるのではないかと考えられたからに他なりません。無論、我が櫻山計画にも重要なヒントを得たいと思いました。

 何故このようなことが起きるのかと申しますと、一回のご遷宮で檜は実に1万本もの実数が必要です。ご遷宮は正殿の他、周囲を囲む摂社など全部で125社ありますが、それらもまたすべてを、正殿築造後11年間掛けて新しくされるのです。平均的に樹齢200年を経過した檜で胸高直径50〜60cmの大木が約7割ほど、棟持柱には1m ほど、樹齢500 年という巨木も用います。最大は御正殿の扉木で、一枚板でなければならず、1m20cmの大巨木が必要ですが、無念かな現在そのよう巨木は存在しないのでしょう。そして一番長いのは千木に使う13m。こうした用材も鎌倉時代までは地元の神宮の山から伐り出されていたのですが、神宮の山は、この地に天照大御神が鎮座された2000年もの昔から大御神様の御山とあがめられてきた5,500ha(5,500町歩)の広大な南面の御山でした。そして愈々木曾にも巨木が少なくなると言う危機感から、大正12年に定められた『伊勢神宮森林再生計画』によって、その後直接伊勢の神宮司庁で、伊勢神宮製檜の復活をかけて一本一本植樹をすることになった経緯です。神域森の半分に当たる2500ha(東京の世田谷区と同じ広さ)に、毎年40000本ずつ植林されているのですが、伊勢の神宮は神に捧げられるお米や野菜や果樹や魚や鮑などもすべて自給自足しています。5月伊勢の神宮の御田で、早苗植えの行事がありますが、その10日後に檜の苗床に、毎年10万粒の檜の種(直径5mm)ほど。前年神域の山の檜から採取された種)が蒔かれます。撒かれた種の上に、うっすらと土を盛り、その後柔らかい藁で保護をして発芽させるのですが、全部が全部発芽するとは限りません。早苗が出て、そこで3年間大切に育てられ、4年目に御山に植樹されるのです。でも今植樹したとしても、実際にご遷宮のご用材として使用されるのは、何と200年後だというのですから、何とも壮大な計画です。

 

 

伊勢の神宮 神域森の天然檜間伐前 これが現在ではその殆どが人工樹林に

 

 植樹は殆どが2月寒い日、まだ根っこが眠っている時季に植えられます。一日七人の作業員で約2000本の檜の苗木を植林するのが限度です。夏場最も暑い時期に檜の周囲の下草刈を、檜の苗木に傷をつけないように細心の注意を払いながら、夏場に2~3度しなければならず、職員にとっては大変な重労働のようです。但し広葉樹や針葉樹の存在も無視出来ません。繁殖力が高い広葉樹は、檜の苗木には最も脅威です。下草や広葉樹の樹が高くなったら、太陽があたらず、檜は太陽を求めて歪曲してしまうのです。ですからある程度檜の苗が成長するまで、広葉樹も下草と同様に刈り取らなければなりません。真っ直ぐに伸びきった檜になってから、更に成長の遅い檜や曲がった檜を排除する間伐を行い、立派に成長した檜の下になるようにして広葉樹が生えて来るのを待つようにしているのです。秋、紅葉の時季巨大な切り株の上に、数人の職員によって檜の枝を指し、また再生してくれとお祈りする「トブサタテ」がなされます。トブサとは「鳥総」と書き、葉の茂った木の枝をいいますが、昔、木を切り倒した時、その枝を切り倒した木の株の上や地上にこれを挿して御山の神や樹霊に奉る行事なされるのです。それから檜の天辺まで登り、檜の実生を採る作業がありますが、いずれにせよ、このお祈りは植林事業に対する安全祈願であるのでしょう。

 一枚板でなければならない正殿の扉用に、真っ直ぐにすくすく伸びた檜を特別に選び、周辺に肥料をあげ、年間5mmしか育たないのを、年間1cmまで成長が果たされたようです。それでも扉に使われるためには気が遠くなるほど待たなければなりません。樹の命を永遠に続けて行く作業は、一人の人生の力では到底無理で、千年後の日本を考えたい私たちの行動規範となるようでなりませんでした。誰にも保証されない将来の創造にイノチを託す伊勢の神宮の精神なのでしょう。しかも宇治橋の大鳥居は、遷宮により旧くなった内宮、外宮の古殿の棟持柱として再利用され、建て替えらます。古殿のその他の古材も、全国の神社の補修にわけられ、古材すべてが再利用されるわけです。

 興味深いことがあります。先ほど広葉樹が大切だと申し上げましたが、檜がある程度成長してから大きく育つ広葉樹は神域森に布団のような役目を果たします。ふかふかにスポンジのようになった落葉は、大雨の際水を驚くほど多く溜め込んでくれます。大正7年の台風襲来により集中豪雨が発生した時、五十鈴川が氾濫し、伊勢市全体に洪水が乱入。2㍍まで浸水したようですが、現在はどんなに大雨が降っても、カシ・スダジイ・ヤマモミジ・シイ・モミ・アオキ、ヤブツバキ、ヤブニッケイ、カゴノキ、シロダモ、ユズニハなどなど数多くの落葉樹が育ち、そして葉が落ち堆積し、たくさんの落葉が布団のようになり、それを防いでくれているようです。五十鈴川の上流の神域森は、言わば天然のダム湖となっているのでしょう。今では広葉樹たちが深く根をはり、どの箇所でも土砂崩れには全くならないと言われました。更に鳥類研究者を神域森に時々投入し、鳥類が何種で何羽いるのかを測定しているようですが、樹木の生態系の変化によって、森が大きく変化しつつあるのでしょう。鳥類ではアカショウビン・ヤマガラ・コゲラ・カワセミ・アオジ・メジロなど117種いたのが、この40年で44種類の鳥類が観測されたそうです。一つだけ困ったことは増え過ぎた鹿の害があるということでしたが、神域につき殺傷は難しく大変なようです。鹿の上に君臨する熊がいないからでしょうか。

 

 

伊勢の神宮内 落葉清らかなりて

 

 又、檜の伐採に際して「御杣始祭」を始めとして、多くの行事が行われますが、「御杣始祭」は、ご神体を納める器となる木を伐り出す祭儀ですから、その伐倒作業では、木が倒れる時、倒れるとは言わないで、「寝るぞ~」とかけ声をかけるのだそうです。何か微笑ましいものですね。そして神域森の目的は、造営用材の生産であることから、造営用材となる木をいかに早く太らせるかが課題となっているわけで、そこで、神域森での施業では、大樹候補木を二重ペンキ巻き表示をし、その予備軍には一重ペンキ巻き表示をして、これら候補木の周囲を強度に間伐する受光伐が中心となっているようです。昭和2年に植栽した檜造林地4.4㌶では、今年で7回目の間伐を行い、立木密度は㌶当たり260本となり、うち44本の立木が二重ペンキ巻き表示、100本が一重ペンキ巻き表示されていて、大変心強く思ったことであります。

 私たちの職員の専門家5人を森林を見学させるため、神域の森のご案内を御願いし、彼らを皇學館大学の宿所に特別に御願いして、私一人おかげ横丁通りを歩いて近鉄鳥羽線の五十鈴川駅へ。そして中川で乗り換え京都まで近鉄特急に乗り、妻の実家に向かったのです。義父母たちから相変わらず温かく迎えてくれました。夕食後、夜の祇園散策に、義父と義兄の三人で出掛けました。でも義父曰く「精進落とし」だとか。多くの貴重な示唆に富んだお話を伺ったすぐ後だったので、何故か高が冗談であっても、素直にお付き合い出来なかったのでした。

 

 伊勢の神宮 文庫前石畳の落ち紅葉 伊勢路も秋深きなり

 

 

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