歳末懐中覚書 その三 (冬 季寄せ 年木樵)

 

 

 

 美瑛 厳冬

 

 

 

 

                歳末懐中覚書 その三 (冬 季寄せ 年木樵)

 

 

 オフィスの納め、予め予定してあった忘年会。事前に何を食べたいかどこで飲みたいか、テンデバラバラで、じゃ私が予約すると言って勝手に決めた恵比寿ガーデンブレイス内の「LA TABLE de Joel Robuchon」のディナーは蓋を開けてみると、大好評でよかった。和のテイストも盛り込まれていて、さりげなく巨匠・ジョエル・ロブション氏のセンスを思わせるに充分。これでも相当カジュアルなほうだが、コンビビリアテ(懇親性)がテーマの一階フロアでの忘年会はちょうど相応しかったのかも。但しお喋りはフランス語に限定したが、途中からギブアップする者が続出し、英語でもいいことにした。皆の顔を見ながら大満足な私。お料理も美味しかったが、誰にも笑顔があったことが最も嬉しかったこと。二次会はそれぞれに任せたが、持たせた会社のマイレージ集めのカードはそれぞれのグループに分担し持たせた。私は主に経理担当の三人を招待し、赤坂の「スペインクラブのAla」へ。フラメンコのショーを見ながらお酒をたっぷり楽しんだ。どこかスペインのバル風で異国情緒が溢れていて楽しかった。何故あなただけお給料が安いのですかと尋ねられたが早い話、亡き主人が決めたルールをただの一つも崩していないのだと。主人に私利私欲など殆どなかったからで、トップの者があらゆる意味で範となれということだったと思う。事業が始まったばかり、我が収入などどうでもいいこと。結果を厳しく求め続けているからである。

 今日から主夫に専念す。妻は朝から外出している。借り受けたい図書を我がマンションにかき集めたいがためだろう。大風も杏もべったりと私にくっついているが、二人とも安らかないい顔で朝からご機嫌のようだ。それでも子守をしながらブログアップに挑戦しようと思う。快晴の今日、本来は何処か戸外に連れて行きたいものだが、昨今の風邪の流行にまだ脅えている。父から言われたトレーニングに、2キロの競歩が入っているため、杏とゆるりと散歩できないが、そんな時は叔母が実によくしてくれる。大風も杏も、叔母によく懐いているから安心だ。

 日本には宝物がいっぱいあって、でも何処にも開かれたドアがなく、若者は皆下を見て歩く。携帯メールに必死で、単語の羅列だけ。文章力がすっかり衰えている。何が「ゆとり教育」だろうか。肝心要な基本を蔑ろにし、まして英語力がなっていない。ということは国語力も落ちている何よりの証拠であるだろう。日本の宝物探しをしようにもついて来れなかったら、宝の持ち腐れである。でもそんな批判ばかりではなく、日本の宝物を断じて掘り続けなければならないことだろう。寒い冬も楽しいもので、美しい冬の季語を一つ一つ検証し垣間見るのもいいかもと思い立つ。

 

          <冬の季語 季寄せ>

 山眠る~三冬 やまねむる 眠る山とも 緑一色に覆われていた山野の草木が枯れ、木々は落葉し、一面眠っているような淋しい姿を言う。春の「山笑う」に対抗する季語だろう。「筬(おさ)音のひとつがのこり山眠る 久美子」

 鰤起し~三冬 ぶりおこし 鰤漁の最盛期に鳴る雷音 寒流と高気圧の発達により鳴る雷で 鰤漁が豊漁になる予兆とされている 「茶畑の空はるかより鰤起し 龍太」

 冬ざれ~三冬 ふゆざれ 冬の物悲しさを強調していう「ざれ」の形容で 冬に吹きすさぶ風雨を表現する 「冬され」「冬さるる」とも 「冬ざれのくちびるを吸ふ別れかな 草城」

 冴ゆる~三冬 さゆる 冴ゆ 月冴ゆる 風冴ゆる 星冴ゆる 影冴ゆる等々 冬の期間の凍るような冷たく澄みきった大気のことをいう 「さゆる夜のともし火すこし眉の剣 園女」

 ~初冬 木枯らしとも 秋から初冬にかけて吹く強い風のこと 「木がらしや目刺の残る海の色 龍之介」

 虎落笛~三冬 もがりぶえ 虎落(もがり)は中国で虎を防ぐ竹を細かく組んだ柵のことで 烈風が吹き荒れて柵に当たり まるで笛のような強弱の音をたてることをいう 「虎落笛子供遊べる声消えて 虚子」

 風花~晩冬 かざはな 冬の晴れた日 山頂の雪が風に送られて山麓にちらつく様をいう 太陽にキラキラと美しく輝く雪片をのこといい 冬には特に取り上げられる 「風花や波路のはては空青き 秋櫻子」

  更に、「名残の空(なごりのそら)」、「水涸る(みずかる)」、「御神渡(おみわたり)」、「波の花(なみのはな)」、「藪巻(やぶまき)」、「狐火(きつねび)」、「竹瓮(たつべ)」、「水餅(みずもち)」、「薬喰(くすりくい)」、「蒲団(ふとん)」、「口切(くちきり)」、「冬耕(とうこう)」、「網代(あじろ)」、「紙漉(かみすき)」、「寒晒(かんざらし)」、「風呂吹(ふろふき)」、「障子(しょうじ)」、「寒声(かんごえ)」、「すが洩り(すがもり)」、「探梅(たんばい)」、「小春(こはる)」、「三寒四温(さんかんしおん)」、「数え日(かずえび)」、「年の夜(としのよる)」、日脚伸ぶ(ひあしのぶ)」、「しばれる」、「雪起し(ゆきおこし)」、「湯ざめ(ゆざめ)」、「亥の子(いのこ)」、「十日夜(とおかんや)」、「年の市(としのいち)」、「神の旅(かみのたび)」、「神迎え(かみむかえ)」、「十夜(じゅうや)」、「臘八会(ろうはちえ)」、「凍鶴(いてづる)」、「綿虫(わたむし)」、「帰り花(かえりばな)=返り花」、などなど美しい響きの日本語がここにはある。冬の楽しみの一つだろうか。地球温暖化にともない、徐々に季語すら消えそうになっている昨今で、何と嘆かわしい極みか。年の暮れ、山に入って薪を伐り出す作業を「年木樵(としきこり)」というが、伐られた木々が井然と軒下に並び、新年に使われる意味をなし、「年木積む」とか、「年木売り」とも言われ、如何にも暮れらしい美しい響きなのだろう。「谷越しに声かけあふや年木樵 太祇」、「年木樵木の香に染みて飯食へり 普羅」など。地球温暖化とともに、いずれ美しい日本の風景が何処かに消えてなくなるのだろうか。心が寒いのが、本当に淋しいことである。

 私は歳時記という名のブログを書いているが、歳時記とは本来、中国最古の『荊楚歳時記』(原著者・宋懍~そうりん~保定年間生存=561~565年64歳没)のように、年中行事や故実を記録するものであるだろう。荊州は春秋戦国時代楚の国に位置していて、この地方を荊楚と言った。『荊楚記』は、杜公瞻(とこうせん)が詳細に注釈するように命じ、北中国のも南中国のも合わせて比較などをさせ、『荊楚歳時記』が出来上がったものである。我が国に伝えられたのは奈良時代の初頭。朝廷ではこの『荊楚歳時記』によって年中行事を定めた形跡がある。平安時代に作られた『本朝月令』も、鎌倉時代に作られた『年中行事秘抄』も、この『荊楚歳時記』を参考にして出来上がったものである。正月の食事や門松や、七草粥や、小正月の小豆粥や、雛祭も、潅仏会も、端午の節句も、七夕も、八月十五夜の月見も、皆多大にこの歳時記から影響を受けているが、我が国の土着の風俗がなかったわけでは決してない。それらを日本人らしく上手に取り入れながら、次第に年中行事として整っていったはずである。江戸時代になってから貝原益軒によって、漸く我が国独自の歳時記として『日本歳時記』(全七巻)なるものが著された。無論益軒は、『荊楚歳時記』を意識していたが、「延喜式」、「江家次第」、「西宮記」、「北山抄」など公家の有職故実や宮中の礼法を述べたのではなく、中国式歳時記が上手く溶け込んだ日本の年中行事も取り込み、民間に深く分け入ったものであった。その由来など内外の古典から引用する方法が取られた点は、荊楚のかの書と同じ手法であったと言えなくもないが、本著では更に十二ヶ月に分けて、我が国の草木、魚鳥、虫獣類の果てまで及び、その効用や薬用を紹介しているところに、『養生訓』を生んだ著者らしさが充分に伺えて余りある。その点簡便な「生活百科事典」となり、各方面に大きな影響を与えたものであった。だが最も日本的な歳時記と言えばやはり「俳諧歳時記」であるだろう。この書名は享和3年(1803)、季題2600余を集めた滝沢馬琴以来のことであり、以降これを補訂した清藍(せいらん)による『俳諧歳時記栞草(はいかいさいじきしおりぐさ)』や、明治期の中谷無涯による『新修歳時記』や、昭和8年の『俳諧歳時記』(全五巻)が出て漸く歳時記の名が定着したのである。その起源は遠く、室町時代に活躍した連歌の巨匠・飯尾宗祇が著した「白髪集」であろうことが容易に推測される。四季それぞれの「季の詞(きのことば)」を集めて整理したもので、これを「季寄(きよせ)」と言う。以後連歌の作法者には必ず「季寄」が求められ、江戸・寛永13年、立圃(りゅうほ)による初の俳諧の季寄「はなひ草」が刊行されることとなった。季寄者として特に注目されたのは北村季吟による『山の井』(慶安元年 1648)であるだろう。そしてこれを増補して出来た『増山の井』こそ、俳諧歳時記の原形をなすものである。こうした経験を経て滝沢馬琴により『俳諧歳時記』が確立していったのである。命名は勿論「日本歳時記」を意識したものだが、単なる年中行事や故実の解説ではなく、四季の草木、魚鳥、虫獣にまで及んでいたので、季語を重視する俳人たちに大きな影響を与え、作句の参考図書となったことだろう。『俳諧歳時記』は俳句を作る人には勿論のこと、日本人必携の手引き書であると同時に、私たち日本人を取り巻く自然や風俗や習慣や故事や年中行事の解説があるのであり、そのまま「生活歳時記」となりえたのだろう。

 でも文章力が圧倒的に不足する現代の若者文化では一体どうなって行くというのか。オタク文化や携帯短絡写メ文化が跋扈し、美しい季語や歌枕の世界そのものが瓦解・崩壊して行くのだろうか。ニートなんていう単語に酔っていてはならぬ。単純に勉強不足でなくて何と弁明するというのか。今はまさに戦前の精神的隠蔽体質と姑息な精神的鎖国時代以上の、痛烈な下向き精神的鎖国さ加減がバブル以後、特に酷く始まっており、イコール英語は話せない中国語は駄目だ、やれフランス語にはついてゆけないとか、圧倒的に語学力が不足し、海外に少しも門戸は開かれていないのが現状である。海外留学そのものが最近大いに減っているではないか。語学留学程度では本当の留学の範疇には入らない。海外事情を紹介するあらゆる報道機関に大いに疑問がある。国内ニュースに終始し、芸能ニュースや結婚・離婚・シャブ漬けニュースなどは全く要らぬもので、世界では今何が起きていてどう対処すればいいのか、本当に分かっているのだろうか。自分自身の立ち位置が分かっていないのではなかろうか。何故勉強しなければならないのかを含め、戦後教育のオンボロさが、誰の眼に見ても明らかだ。勝てて加えてお得意のパソコン中毒はいいとして、Googleの英文ネットで検索すれば遥かに広い視野が天と地ほどの差で広がっているというのに、無念の極みである。家族・家庭が崩壊し学級や学校が崩壊し、絆とか連帯などの言葉は死語に近く、何処へどう行こうとしているのだろう。眼を上に上げよ、大局を論じよ、根本理念に想いを致せと、憂国の気持ち、益々強くなるばかりで仕方がない。スペシャルドラマ「坂の上の雲」で観られるような、あの痛々しいばかりの青春群像の昂揚感を、今まさに是非とも思い起こす必要があるであろう。

 当ブログ 「坂の上の雲」の関連記事  「道に迷わば北斗の星を見よ 秋山好古の最晩年」

                             「不生不滅明けて鴉の三羽かな」 子規と真之と則遠と 

 

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手賀沼 野鳥博物館見学 白鷺の親鳥 後をついて行く四羽の子鷺 そしてオオバンや鴨たち 手賀沼の支流域の小川にて

 

  BGMは多夢さん作曲の「雪傘」

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