春の七草

 

 

城南宮の七草神事

 

 

 

              春の七草

 

 昨日6日には七草すべてを自前で揃え、今朝のお粥さんにして戴いた。お粥さんは炊きあがったらひと塩し、七草は別にさらっと茹でておく。若狭粥にするつもりだから、濃い目の出汁に湯葉を刻んで入れて餡をつくり、その中に一緒に七草も合わせ白粥に掛けて出した。正月の暴飲・暴食に、七草粥とはちょうどいい具合の時季ものである。粥は本来羹(あつもの=汁)であったが、自前で揃えるとなると時季早尚な植物も多く難儀する。ナズナやハハコグサ、コオニタビラコなどはまだロゼット(放射線状に地べたに張りついている)の状態であるので、この季節、正確に採取するにはかなりの経験が必要である。ところが叔母がやっている家庭菜園で何と簡易ながらビニール・ハウスを建て既に自生えとして育てていた。池の水辺には芹が僅かながら顔を出していた。だから正確に揃ったのであるが、スーパーなどパックで売られているものは、中には怪しい植物が入っていなくもない。ハハコグサがチチコグサであったり、ハコベはオランダミミナグサかウシハコベであったりするからだ。南北朝時代の歌人・四辻左大臣が歌にある「「せりなずな 五形 はこべら 仏の座 すゞなすゞしろ これぞ七草」、これになぞらえスーパーでパックで売れているものはやや怪しいのが現状である。そのくらい春の七草は習慣が形や名のみになっているだろう。杏や大風には柚子ジャムを上に乗せてあげたが、大人は角餅一個をそろっと入れてあげた。若狭粥仕立には、誰も美味しいと評判であったが、何もかも中国伝来の習慣だけがあるわけではあるまい。諸説紛々としているが、これらの七草を見ていると、まさに日本古来のハーブであり、同時に日本人にもともとあった行事ではなかったかと新奇な目で見てしまうのである。

 

  <せり(芹)> 多年草で一年中見られる 美味しいのは冬から 春に掛けて出る芹が美味しい 背の高い毒芹と間違えないように 程いい野趣の香りがあって シャキシャキと実に美味しい 胡麻和え お浸し物 白和え 天麩羅などに適している

  <ナズナ(薺)> 道端に生える越年草で 成長するとペンペン草になる 芹と同様に食べるが 薬用として止血剤に使われたり 乾燥させて畳の下に置くと 虱除け(しらみよけ)にもなった

  <五形(御形)> ホウコグサとか母子草とか呼ばれている フワフワした綿毛が出る 昔の草餅はヨモギではなく この草が多く使われていた 草だけを食べることはない まずいからである

  <ハコベラ(繁縷)> はこべのことで 昔は到る所で見受けられた 茎は地面を這い 葉の先だけが斜めに延びる 芹と同様の調理がされるが 青臭い 昔は歯ぐきの止血剤に使われていた

  <仏の座(仏の座、田平子)> 紫蘇科に似たものがあるが キク科のタビラコのことである タンポポによく似ていて 秋に発芽して 初夏には枯れてしまう 和え物で食べられないこともないが まずい

  <スゞナ(菘、鈴菜)> 今日では蕪(かぶ)とされているが 貝原益軒によると「すすなは菘なり」とありどうやら 水菜や京菜であるらしい いずれにせよ普段からお目に掛かっているものばかりだ

  <スゞシロ(清白、蘿蔔)> 大根のことである 豊富にジアスターゼを含み 胃腸には持って来いだ 障子に紙を貼る前に塗布すると 糊がよく着くし はがし易くなると言われている

 

 

 春の七草

 

  『魏志』倭人伝のタネ本になっている『魏略』に描かれたのは、我が「日本」の古俗を示唆してある。だが頭なごしに「正月や四季を知らない。もっとも、きちんと春に耕し秋に収穫して一年を過ごしている」とも言う。ここには「暦」以前の「日本」があるようである。「其の俗、正歳四節を知らず。但し春耕秋収を計りて年紀と為す」。これは重要な記述で、暦の文化を持たなかった古きヒノモトビトに既に暦を予感させるに充分な民俗や習俗があったことを窺わせる。

 この太古の時間観は日本人の精神の深層にしっかりとあり、その後の中国文化の受容と古代国家による官製化、さらには欧米文化を受容してきたいま現在に至っても基本的には変わらない。新文化を表層において、あるいはより深く受け入れても精神の基底においては「日本」がある。少しばかり、その表層と深層の関について言えば、年二回の死と再生の節目を、古代朝廷は6月と12月の大祓えとした。その後、中国仏教の盂蘭盆を仏教国家として受容したが、これによっていつの間にか完全に「夏至祭」と習合し、旧7月の盆が一年の中間点として広く認識されるようになった。また、中国文化の春節(正月)と中秋が入り、中秋は秋の「満月祭」と習合してしまった。ところが日本人にとっては一年の大きな節目は二度あり、それは現在のお正月とお盆であろう。これが特別な節目(祭り、ハレ)であることは、ともに国を挙げての特別な長期休日となり、帰郷したり、神社への参詣あるいは墓参をし、お節などの特別な料理を食べ、年賀や暑中のあいさつをし、歳暮や中元の贈り物をすることなどからも理解出来る。面白いのは、それが神道、仏教という表層文化をまたがってのものだということだ。ここからも深層文化として同一だということがわかる。月見については、いまでは中秋のものだけが特別扱いされるが、もともとは毎月の満月が特別な節目(祭り、ハレ)であったはずである。旧1月15日に小正月というものがある。実は元旦の正月は官製のもので、民衆レベルでは小正月こそが正月であったのだろう。民衆レベルでは毎月の中心は満月の夜で、月見は毎月の「小さな」正月であったのだろう。そして春の七草もヒノモトビト(ヤマトビト)の習慣の名残が本来なのではなかろうかと大いに疑っている。今年は日本人の基層文化や精神的基底に深く迫る論考を多く書かせて戴きたいものである。

 

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