「日本」という国名

 

 

 春まだき向日大明神の篝火

 

 

 

 

              「日本」という国名

 

 お正月に国旗がはためいている光景は都会では殆ど見られなくなっている。当家では遠慮しがちに一応今年も掲げた。どの政党でも正月の初会見ぐらいは、会見者のバックに国旗が飾られてあるのだが、日本共産党だけは真っ赤な共産党旗であったのに厭きれてモノが言えなかった。自国に対し愛国心があって当然だろうが、海外に出ると始めて強く感じることで、国旗も国歌も日本人には殆ど堂々としたところがない。戦争時の屈辱的な軍国主義が後押ししたから違いないのだけれど、それにしてもスポーツなど、特に海外試合が多いサッカーだけに通じるものではないだろう。更には旗日でもあげるお宅が少なくなったような気がしてならない。もっともこちらのほうは旗日の設定が便宜的だけで実にいい加減であることによるのかも知れない。昨日は明治時代に制定された古い規格のほうの国旗制定記念日であったが、何と私たちの正式な国旗・国歌法が制定されたのは、1999(平成11年8月13日のことで、ごく最近公布されたものであるから驚く。日本の国歌「君が代」は世界最古の文言で綴られているのを大いに誇ってもよいものである。フランス国歌「ラ・マルセイユ」など、多くの国々の国歌は革命とか開放などと大変きな臭い強烈なインパクトのある文言が多く、勇ましいのが一般的であるからでもある。「君が代」は至って静謐な国歌ではないか。これに対し化石のように未だに反対している連中もおいでである。入学式や卒業式で国旗・国歌を強要されるのは、思想・信条の自由を損なうものとして反対されているらしい。あの戦争を想起させるのかも知れないが、中でも最も反対している団体が日教組で、彼らの時代錯誤は甚だしい。北朝鮮の労働党と友党関係にあった旧社会党(現社民党 共産党もいたが極左として分裂し出て行った)から、拉致被害の件は過去の戦争被害と相殺するからと言った公式発言は断じて許せない。それとこれは違うだろう!1971年から1983年まで日教組の委員長だった槙枝元文は1972年4月の「金日成誕生60周年」に際して訪朝し、同国の教育制度を絶賛した上、後任の岩井章までチェチェ思想教育に心酔し賛同していた。よく考えてみると恐ろしいことである。その槙枝元文が日教組委員長時代に出されたのが、「ゆとり教育」と「週休二日制の導入」であった。先生方の待遇改善に関してはいいとして、自らのイデオロギーが邪魔して現代日本史を教えない風潮まであるらしいから、そんなのをどうして許せるのだろうか。そう言えば公立中高等学校に通った同級生から、明治維新を終えると後の続きは読んでおけとただ言われるだけで授業を受けることはなく、日本史は決して昭和史に入らないらしい。寧ろ現代の歴史から古代へと遡ってもいいくらいかもとやや憤慨して聞いたことがある。日教組の組合歌である「緑の大地」を国歌とせよなどと言っているようだが、阿呆らしくて議論すらしたくない。あまりにも次元が低過ぎるとしか言いようがない。政党で同系統であるからか、日教組も公然と、日本の戦争犯罪が拉致被害と相殺されると言った発言があったので、私は完全に可笑しな組織だと思うように至った。もっと国民的に堂々と国旗・国歌の件を議論してよさそうなものである。二度と日教組の突き上げと、文科省や教育委員会との板挟みや軋轢で自殺なさった校長先生(広島・世羅高校)など断じて出してはならないのだが、驚くことに平成になってからも校長先生が12人も自殺してしまっているのが現状である。イデオロギーでは教育は成り立たない。それこそ実証主義的教育であるべきである。学級は15人以下の少人数主義にし、現在の三倍もの教諭を増やし、外国語はアジア一ヶ国語と、その他英語など二ヶ国語を必須にし専任の教諭を必ず置く。更には放課後の有効かつ適切にするための専任の教諭を置く。報告書など思い切って削減するためにネットを充分に活用する。情緒教育も重要だから、芸術関係に多く時間を確保する、子供手当ても結構だが、それら等々やるべきことは満載ではあるまいか。資本主義の最も悪い部分である金権主義=物質主義からたおやかに脱却しつつ、今日的時代の要請を冷静に考えて貰いたいと願ってやまない。民主主義だってロクなもんじゃない。多数派だけが伸びるとポピュリズムに陥る危険性をはらむ。少数意見が通らない仕組みになっているからだが、数だけの論理に頼るのはいい加減にして貰いたいものである。

 そこで今日は「日本」という国名の読み方にだけ焦点を絞ってを考えてみたいと思う。「ニッポン」か「ニホン」かという議論があることはあるが、しかしいずれにせよ音読みで、すなわち中国語系の読み方になっていることはそれほど意識されていないようだ。日の丸や君が代と並べて「独立国」の象徴として称揚されるべき国の名が音読みでしかないことには、少々腑抜けなような思いがしないでもない。ちなみに訓読みにするのなら「ひのもと」であり、熟語で訓読みするのなら「やまと」であるべきであろう。「日本」が国名として対外的に登場するのは八世紀初頭のことで、百済救援のため白村江で唐・新羅連合軍と戦った(663年)後の669年以来、約30年ぶりとなる702年の遣唐使のことを記録した『旧唐書』に初見される。これに少録という役職で万葉歌人・山上憶良も随行している。帰国後詠んだ歌が、

    いざ子ども 早く日本へ 大伴の御津の浜松 待ち恋ひぬらむ (山上憶良 詠む)

 で、初めて「日本」の文字を織り込んだ憶良の気持ちを、吉田孝氏は『日本の誕生』(岩波新書)で、従来「やまと」の訓を当ててきた「倭」や「大和」に替え、唐に伝えた新国名「日本」を意識して用いたと読むと書かれてある。このときの遣唐使が、国の名を「倭」から「日本」へと自ら替えたことを唐に通知したようだ。それまでは「倭」と書き、「ヲ」や「ヰ」や「ワ」と音読みされてきた経緯があった。「ヲ」は、越人の「越」(「越智」を「ヲチ」と読む)に通ずる音であり、「倭」は「ワ」という音からだろう、「和」となり、また美称として「大」の文字が載せられ、「大倭」や「大和」となって来る。その訓は言うまでもなく「やまと」、「おおやまと」であろう。「山門」や「山都」などと音訓を混ぜ込んだこじつけをせずとも、「邪馬台」(ヤマト)と発音された中心地があり、それが国名に拡張使用されたと結論づけてもいいであろう。今日問題にしたいことは、実は「倭」から「日本」への変化ではない。次の疑問を解きたいのだ。すなわち、「日本」は「にほん」とは全く読めない、ということである。例えば「日本紀」(『日本書紀』のこと)は何と読まれたのだろうか。おそらく「ニチホンギ」であり、訓で「やまとふみ」である。702年の遣唐使を日本側で記述した『続日本紀』に「日本国使」の文字があり、近年の研究(青木和夫・稲岡耕二・笹山晴生・白藤禮幸校注『続日本紀』・「新日本古典文学大系」岩波書店)によれば、当時の音を推定し、「日本」を「ニチホン」と読み下している。また、本朝最古の仏教説話集『日本霊異記』の読み下し文(出雲路修校注『日本霊異記』・「新日本古典文学大系」岩波書店)でも、発音史を踏まえた上で、「日本」は「ニチホン」と読まれている。音読みの結晶「仏典」に連なる『日本霊異記』の音読みからしてそうなのだから信用してもよいのではないだろうか。

 仏教伝来は538年ということになっている。これは仏教そのものではなく、仏典の正式な伝来の意味と見てよいであろう。直接に百済から来たのだが、その元は中国南朝である。この時代の中国語音を「呉音」と言い、日本語の仏教語は古い中国語音なのである。「日」という漢字には、「ニチ」と、「ジツ」という音がある。「ニチ」が呉音で、「ジツ」は「漢音」(名に惑わされてはならない。『漢音』とは唐時代の音)なのである。それでは日本が「日本」と自称した頃、唐人は何と発音したのだろうか。「日本」という漢字だけを差し出されれば、「ニッフォン」か、「ジッポン」であったろう。一方、現代においてよく主張される当国読みを尊重するなら、日本人は呉音の「ニチホン」を通したはずである。ところが、「チ」が促音化し「ッ」となり、それが破裂音を誘い、「ニッポン」となったのであろう。「ニチホン」がいきなり「ニホン」とはならない。「ニホン」は「ニーフォン」とも聞こえる中国語音から生じたものに違いない。戦国時代を経た17世紀初めの『日葡辞書』(日本語-ポルトガル語辞典)には、「日本」を「ニッポン」「ニフォン」、あるいは「ジッポン」と読むと記録されている。ちなみに「日本紀」も、「ニッポンギ」「ニフォンギ」とも読まれている。またある意味で「日本」を作ったのは、本居宣長である。やまとことばは濁らない清音であるとし、「日本」を「にほむ」と読むと決めつけた。宣長も自覚していたであろうが、先にも述べたように「ニホン」自体が音読みで、音読みがあくまで便宜的であるかのように触れ回ることは、逆に我が日本語を窒息させ、日本人を死に追い込むことになるのである。このことについては別稿で申し述べたい。かくして「日本」の音は「ニチホン」→「ニッポン」→「ニホン」と変遷し、今もこの二つの音読みが用いられていることになる。ただし、最後の「ニホン」には「にほむ」と読み替えられるとき、何やら倒錯された「訓読み」めいた臭いが忍び込んでしまう事実もあるのだろう。

 「日本」のいま一つの新しい「音読み」の話をしたい。即ち、「日本」はなぜ「ジャパン」(Japan)なのかと言う問題である。朝鮮語では、「日本」を「イルボン」(il-bon)と読まれる。この「イル」は朝鮮語の数「一」の「音読み」と同じ音(il)で、「日」(ニチ)の音が「一」(イチ)と聞こえたのではないかと先ず考えられていい。しかしそれより、「二」の「音読み」が、朝鮮語で「イ」(i)であり日本語では「ニ」(ni)であることに注目したい。即ち、日本語の「ニ」は朝鮮人の耳には「n」が落ち、「イ」と聞こえるということだ。もしそうなら、「ni-n=i」という式が成り立ちうるし、「nichifon-n=ichifon」、「nippon-n=ippon」となり、「ilbon」に大変近い音となる。「i」は「y」そして「j」の音に通じるわけである。現代中国語では「日本」を「ジーペン」(riben)と読む。この「r」音は、それまでの「n」音が唐代の漢音によって非鼻音化したものである。すなわち、「ni」が「ri」に変わったのだ。この「r」は巻き舌の音で、外国人には「ジ」とも聞こえるものであった。日本人は「r」音を受容できず、これが「日」の漢音である「ジツ」なのだが、ヨーロッパ人にも、「ジーフォン」や「ジッポン」と聞こえて、やがてユーラシア大陸の英語では「ジャパン」になったと考えられるのであるが、果たしてどうだろうか。今更手直ししなくともよいのではなかろうか。

 (日本の国旗は法律上、日章旗(にっしょうき)と呼ばれ、一般には日の丸(ひのまる)と呼ばれている。また日本の国歌「君が代」は音符こそ明治時代に作られたものだが、詞章は古今和歌集までさかのぼり、詠み人知らずであるとされている。賀歌とされていたり、いや挽歌であるとされたり、出自は未だ各論があって喧しい。ただ世界最古の歌であるのに間違いはない。従って、「君が代」の君とは、戦争当時じゃあるまいし特定しない方がよさそうである。短く美しい旋律は世界に誇れるものであるだろう。民主国家・日本において紅白はめでたい標であるばかりでなく、単純、明快で、私はどの海外に出掛けても日の丸の品位を大いに誇りに思っているし、また誇りある行動をしたいと念じている。2010年バンクーバーオリンピックを右翼的な民族主義では絶対なく、ピュアで単純な愛国心をもって心から応援したいものである。但しバンクーバーとの時差のことだが、バンクーバーが世界標準時との時差は-8なので、日本とは時差がある。日本はバンクーバーより17時間進んでいる。つまり、日本で2月12日午後5時の時、バンクーバーでは2月11日深夜12時となる。室内では初の開会式となる現地では2月12日夕方6時開会式だから、日本時間で13日午前11時頃からの放送となるだろう。欧州とは違って、時差があり過ぎるため、逆に真夜中の観戦はなさそうである。ちょうど野球の大リーグの試合を普通に観戦出来るように)

 

 

 時事通信社からの配信 バンクーバーで櫻開花 暖冬らしく雪不足で大丈夫だろうか (1月26日報道)

 

 ※ 実は日本から約2万本以上の櫻が贈られたバンクーバー市は海外でも屈指の櫻の名所で、市内クイーンズパークなどは最高。ダウンタウンの真ん中にあるスカイトレイン・バラード駅構内の櫻のトンネルは圧巻である。ウェスト・ベンダー通りやジャービス通りなども有名な櫻の見所となっているので、ご機会がありましたら是非どうぞ。日本から贈られた櫻は染井吉野だけではなく、山櫻・里櫻と、多種多様な八重櫻が混在して展開しているから三月から五月の初めまで花期が二ヶ月と長い。一方オリンピックでは万一雪不足になった場合、急遽会場を変更して行われるらしいからご心配ご無用と現地スタッフが語っている。この時季は特に東京と殆ど気温差がない。北のわりには暖流が流れているせいである。毎年三月下旬から四月中旬まで約10日間ぐらいの期間に「櫻祭り」があるが、飛行機上空から市内を見ると、淡い霞がかったピンク色に大気が染まり、バンクーバー市の人たちに、櫻の花は特別に愛されている。また欧米人には、ややもすると花より果実を好むようだけれど、さすがに櫻の各名所だけはどこも、櫻の花を皆さんが痛く自慢していらっしゃるようである。

 

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