建国記念日に思ふること

 

 

夜明け 藤原宮跡(奈良県橿原市)

 

 

 

 

建国記念日に思ふること

 

 

 

どんな国家でも建国記念日があるものだ。だが我が日本の建国記念日、つまりは「紀元節」とはいかにも怪しいものである。

神武天皇の即位と明治憲法の発布に合わせ、政治の藪の中で曖昧な議論の末、こうした重要な問題が決められていることに大いに危惧す。

そもそも「古事記」と、「日本書紀」とでは、古事記」のほうが古いと一般的に思われているが、「古事記」のほうが後に編纂されたものである。

 

江戸時代、多くの国学者が台頭し、特に本居宣長の「古事記伝」によって初めて我々が読めるように解読され、翻訳されたと言ってもいい。

本体はすべて漢文であり、漢文の中に、宣長は「和事」、或いは「やまとごころ」を発掘したのである。無論皇統一系の類も論ぜられているが、

全文漢文の中から新しい「和」を、宣長によって発見され発掘されたものであった。今日読める恩恵にあるは単に宣長のお陰なのである。

だが明治政府では、極端な神道に偏ったため「廃佛棄却」とか、最も愚劣なことがあった。更に戦中、「大和魂」とかに置き換えられ、

宣長の受難は続いた。今でもタブーであるのかも知れないが、果たしてそのままでいいのだろうか。

 

それを「魔法の森の20年」の、軍国主義のせいで、すっかり偏向せられ、宣長は完璧に利用されたのである。

良寛和尚の句、「散る櫻 残る櫻も 散る櫻」でも明らかであるだろう。戦後、左翼歴史学者によって更に更新され補強され、

宣長は寧ろ完璧に形骸化されてしまったようだ。それは宣長の意図したところと、全く違うものである。

「古事記」を読み解くことによって、そこに日本人たるアイデンテティー(自己確認)を求めたものであったはずだ。

第一、太安万侶の事績はあるが、『古事記』撰上だけは記さず、

また天武天皇ですら激賞した才人・稗田阿礼について全く記録がないことが挙げられるのではないか。

「序」たる上奏文に、阿礼の聡明ぶりや自らの苦労話を記しているのは完全に不自然であり、

「序」を上奏文形式にするのは、平安期以降のスタイルであることが間違いない。

論理的なことは、また後述の論文にしたいが、結論から申し上げて、当代最高の訓詁学者・多人長が、

奈良時代以前に遡る上代特殊仮名遣いを、完璧に再現したものと考えられるのである。

『日本書紀』や『万葉集』よりも古い書だとする証拠として、「モ」音の甲類(毛)と、乙類(母)の使い分けがよく取り上げられる。

ところが完全過ぎて逆に不自然なのである。わずか八年後に成立した『日本書紀』や、同時代頃の成立と見られる『万葉集』巻五では、

自然にも誤って混用されている。それが真実であり、それでは「古事記」とは何であろうか。

 

 『古事記』は、栄光時代の太安麻呂に仮託された。オホ氏や秦氏など新羅・加羅系氏族の栄光の原拠であり、

それは彼らを寵愛し、「日本国」を興した天武天皇を頌栄する書であったのであろう。

そしてそこにある「神話」とは、実は「天皇が日本を支配する正統性」を語ることだけを目的とした物語であった。

これを前提にして、オホ氏などの系譜が書き直されていく。そういう『古事記』を現在のような『古事記』とした読んだのは本居宣長であったのだ。

『古事記』は漢字仮名交じりの書き下し文なぞではなく、立派な漢文で、今の『古事記』は、彼の『古事記伝』中に初めて出現したのである。

宣長は『古事記』に、「古言」たる「日本語」を見つけた。この「日本語」とは、我が「日本」の固有性であり、「日本人」であり、「日本民族」であった。

つまり、宣長が定立したものとは、「日本」の底板であったと思う。

こうして宣長は、どうしようなく天皇と結び付いている「永遠の日本」を作り上げたのだろう。

 

 近代国家に、「国民」を定義することが常に求められていた。「日本人」とは何かを定義しなければならない。

このとき、近代日本は宣長の定義を採用したのだが、これが今も続く私たち日本人のアイデンティティー(自己確認)なのであろうか。

『古事記』は確かに、「永遠に天皇とともにある日本国」を定義はしている。そしてこれが『古事記』が「近代日本の聖典」である由縁でもある。

しかしそのどこにも「人間」の誕生も、「日本人」も描かれてはいないのだ。

 

そのとき、近代日本における宣長は、これが今も続くタブーである私たち日本人のアイデンティティーなのである。

『古事記』は確かに、「永遠に天皇とともにある日本国」を定義はしている。そしてこれが『古事記』が、

「近代日本の聖典」である由縁でもあったろう。しかしそのどこにも「人間」の誕生も「日本人」も描かれてはいないのがおかしい。

 改憲論議で、もはや誰も触れようとしないが、第九条以上に根本問題であるのが、

第一条から第八条まで占める天皇に関する箇条である。これは「天皇」の存在に関する問題ではなく、

実は「日本国」とは何であり、「日本人」とは何か(私たちは何者か)という問題なのである。

 

「八幡大菩薩」も、「伏見稲荷」も、渡来人が開いた信仰の、大きな存在であることから考えて見る必要もあるであろう。

無論断っておくが、私は民族主義者でもなく、天皇主義でもなく、ましてや右翼や左翼では断じてない。

先ず大切なことは実証主義であるべきだと、心底から思い至っている徒である。

 

 

 

本居宣長 やまとごころを愛でる図

 

 

広告
カテゴリー: ニュースと政治 パーマリンク

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中