雛飾り

 

 

 

早春の淡い陽だまりに 晴れやかなるお姿の 雄雛と雌雛 飾りおきしに

 

 

 

            雛飾り

              雛人形は何故早く片付けなければならないか

 

 

 バレンタイン・ディーは当家に縁遠く、それでも妻がどこらやらのコンビニで普通のチョコを買って来たらしく、父や僕に本命だと言ってくれた。甘いものが苦手な僕は、結局妻の口に入ることになり、それはそれでいい。但し何かしたい僕は、2月7日に放映されたベニシアさんの「猫のしっぽ カエルの手 Vol 27 冬の温もり」に出てきたミントゼラニュウムチョコレートケーキを、急遽作ることにしたのだが、肝心の生ミントがない。仕方なくドライミント各種を使い完成させ、トップに紅白梅をあしらってから、皆で頂いた。好評であったし、杏も結構食べてくれて嬉しかった。肩肘張って、聖バレンタインのお話をしてもしょうがないが、日本人はしなやかに多種多様な他民族文化や民俗を模倣しアレンジし伝承し受け継いで行く民族であろうと思いたい。そこで昨年、京都のじぃじやばぁばからプレゼントされた雛飾りをする。それはそれで有難いと思いながら、改めて「雛」について書き記したいを存ずる。更に毎年「お雛様」について書いて来たのだが、年々書く内容が違って見える。そこで今年は何故お雛様を早く片付けなければならないのか、はっきり書きたいと思うに至った。

 雛祭りが終わったら、早く雛人形を片付けなければ嫁に行き遅れる、と俗に言われている。片付けが下手な嫁になってしまうとか、俗信にも様々である。どうして多様なのだろうか。季節の行事というものは、歴史のあり様そのままに決して単純ではない。それは盤石であるように見えているが、実はそうではない。飢饉などや天災地変や大きな戦さによる配置換えなどによっても、その表層や基盤までが変異してしまうなど、複雑な変容を重ねてきていることに起因する。まず述べなければならないのは、いわゆる「雛祭り」が女子の祭りでも、雛人形を飾る祭りでもなかったことである。雛祭りがそうなったのは、対になる端午の節句(五月五日)が男子の祭りとされ、兜を飾り、鯉のぼりを立てるようになった時に見合っている。それが盛んになるのは室町時代以降のことで、更には江戸時代になってから現代に近い形式と意味が出来、盛んになっていったものであった。それ以前とは全く別様のものだったと言ってよい。

 

 

 雛飾り 夢物語

 

 雛祭りは五節句の一つである。五節句とは中国由来の旧暦の王朝民俗で、人日(じんじつ 一月七日)・上巳(じょうし 三月三日)・端午(たんご 五月五日)・七夕(たなばた 七月七日)・重陽(ちょうよう 九月九日)の祭日のことである。この通り奇数月日で、しかも人日以外はいわゆる「ぞろ目」の月日である。ぞろ目となったのは数遊びで、本来は二か月ごとの「季節の折り目とする祭り」であり、節句とは本来そうした意味だであったと思われる。尚上巳とは「最初の巳の日」という意味で、本来は三月三日に固定されたものではなかったが、2010年で言えば、旧暦三月の上巳は新暦四月十六日となる。季節の祭りとは何か。順調な天候の移り行きを予祝(あらかじめお祝いをする)し、天(=天気)あるいは神を言祝(ことほ)ぐものであった。つまり祭りは、豊かな農耕や漁労や狩猟など採集の収穫を祈願する感謝のお祭りであった。田の神や山の神の恵みの一部を頂くという厳粛な祭儀であった。当時は、月が満ち欠けするように、人間の生命力も満ち欠けしていた時代である。節句ごとにその生命力を振るい立たせたり、その障害を振り払ったものである。そういう季節を支配する天への、その中で生活を営む人間の祭りとして、相対的に「節句」を理解しなければならない。

 古代の日本には大祓(おおはらえ)が年に二度あった。これは「一年が二周期」である考え方で、言わば大晦日(死)と、元旦(再生)が二度あったように、六月末から七月末に各地にある「茅の輪くぐり」(夏越の神事)で、ちょうど一年の半分に当たり、祓い清めなければならなかった。更に言えば昔には、毎月、死と再生の祭りがあったものと考えられる。それが新月と満月の意味でもある。五節句はそれらの中間的な儀礼としてある。中国から伝来した民俗とされてはいるが、寧ろ民族間にわたる共通の源泉に基づく祭式文化だったと考えた方がより分かりやすいかと思う。その原型はケガレ流し(祓え)にある。生を営むことはケガレを貯め込むことでもあった。それを定期的に水に流す。禊(みそ)ぎもそういう祓えの一種である。禊ぎは身体から直接に穢れを流すが、別の何かに託して祓い流す方法もあった。その代表が人形(ひとがた)に託す方法であった。人形に自分の穢れ(病など)をこすり付け、この世ならぬ処(つまりは「あの世」ということになるのだが)に送り祓うのだ。別稿にするが、実は、道祖神の本質も、穢れをこすり付けて祓い送る人形神であった。

 上巳の節句では、ご存知の通り『万葉集』にも登場する「曲水の宴(飲)」が有名である。王朝貴族が庭園の流水に臨み、流れる杯に従って順に詩歌を詠み合ったというものである。これは、古俗の穢れ流しがソフィストケイト(洗練化)されて、詩歌競詠と結びついたものであろうことは容易に想像がつく。それでも、必要に応じて別に人形による祓え流しが行なわれていたことは、『源氏物語』の主人公・光源氏の行動として描かれている。「桃の節句」という呼び名にも、上巳の節句が厄祓いの日であることがよく表現されている。桃は、吸血鬼に対するニンニクのような聖なる果実で、魔物を追い祓うものであった。紀記神話でイザナギが黄泉国のイザナミから逃れるため、投げつけた果実は桃であったように。また、桃太郎が桃から生まれたのも、この霊力に因むものである。「桃の節句」という言葉には、春がただ桃の季節であるという以上の意味がこめられていたのだろう。上巳の節句は、多彩に変奏される「春の祭り」の一つである。月(文字通り、月の満ち欠けによるサイクル)から、年(太陽による四季のサイクル)に、つまり季節というものに重点が移ることで、春が特別視されていった。正月、節分(春分の前日)、上巳の節句などは、すべて春の到来の祭りで、すなわち新しい年の祭りである。その節目に、穢れの大きな祓え流しが行なわれたのである(大晦日・大祓、左義長、豆撒き、鬼やらい=鬼祓い、修二会、人形流しなど)。

 

 

雛飾り しきたりの中で

 

 「雛祭り」の「ひな」とは何だろうか。幼い鳥を「ひな鳥」と言う通り、小さなものへ愛おしさをこめた言葉であると思われる。そういう人形(にんぎょう)が雛人形に相違ない。現代でもそうだが、女子は人形遊びを古来より好んだらしい。それは、祓えの人形(ひとがた)とは区別されるものだったが、ヒトガタと同じように長らく紙で出来ていた。もちろん、上巳の節句とは無関係なニンギョウ遊びであった。「ひな祭り」は田舎(ヒナ)でこそ成長していったものである。長野県各地や伊豆・稲取中心に盛んに行われている「吊るし雛」がその最もいい例で、又これにはもう一つ農事の祈りを籠められているものである。特に鄙びの里では、春祭りが盛んであった。四日には野山に繰り出し、花々を摘んで遊んだ。五日には「花寄せ」と称して、雛の余韻があるうちに、野山に繰り出し、子供たちが三々五々に集まって山遊びをするものであった。今でも多くの地方にこうした行事が残っている。女子は紙人形を持って行って、川辺でも遊んだことだろう。その春祭りが終わるとき、親たちは子どもたちのことを思い、そのニンギョウをヒトガタとして穢れを、タラバス(米俵の丸いフタのこと)に乗せ、水の流れに流したのである。事実、そういう流し雛が今でも各地に数多く伝わっている。

 

 

伊豆・稲取の吊るし雛

 

 戦国時代以降から、現代に続く日本が始まる。これ以前の雛人形は単なるニンギョウ遊びである。しかし武士階級が成長し固定化するに連れて、ひな人形も変質していく。立ち姿だった紙人形が、着物を着て座るようになり、それは武家の女子の象徴となり、贈答品ともなっていく。但し、雛壇は更に遅れる。ともあれ、それは武家の男子の祭りが端午の節句に収斂していく過程と並行した出来事であったであろう。かくして、春の祭りであることを深層では理解しながらも、表層では意味が分からなくなった江戸時代にこそ、雛祭りは大いに発達することになる。武家ばかりではなく、豊かな商人たちも女子のために豪華な雛壇を持った雛人形を飾り始める。やがて町人一般にも「雛祭り」は普及していく。それでも民俗の記憶は生き続ける。それが本来流すはずのヒトガタとしてあった雛人形の記憶である。その不安が、「嫁の行き遅れ」というタブー視されて今もあるのだろう。まして一度人形になったなら、人形とて人形独自の霊魂を持つようになり、盛んに各地の御寺や神社では「人形供養」が行われている通りである。お雛さまも人形供養され、或いは流されて「穢れ」を祓わなければ意味がないのである。従って早々に片付けてしまうのは、お雛さまにとって、とても大切な伝来の意味を含むものだろう。一年中お雛さまを飾る御仁も近年多くいるようだが、ヒトガタに魂なきが如くの思いなのだろうか。或いは別個の魂が宿るものなのか。

 

 

 現代の流し雛 (紙人形を体の病やケガレの部分をつけて「ケ」を流す)

 

 

 

 流し雛 「ケ」を流し 「ハレ」を迎えるための行事

 

 

 関連記事 「灯りをつけましょ雪洞に 上巳の節句」

        「遅れて来た紙ひいな」

        「雛の日に雪降りぬ」

        「ひいな飾り」

        「河津櫻と吊るし雛」 (櫻灯路より)

        「雛祭りの伝承 その他」 (櫻灯路より)

        

広告
カテゴリー: 歳時記 パーマリンク

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中