吉田松蔭 高杉晋作 維新を抉じ開けた人たち

 

 

河津櫻満開 血のしたたるような真っ赤な花びらに 何を秘匿しているのだろうか

 

 

 

 

吉田松蔭・高杉晋作 維新を抉じ開けた人たち

 

 

真っ直ぐな性格の吉田松蔭、女好きで柔らかな人物で、松蔭の教えを護持し跡を追った高杉晋作

大河ドラマで、坂本竜馬だけがスポットを当てられているが、この高杉晋作の「奇兵隊」にこそ、真に幕府を抉じ開けた人たちであった。

奇兵隊は身分の差を廃止、町人・百姓も皆加わった民主的な混成軍。奇兵隊は松蔭が作った原動力として晋作は、怒涛の進軍の中でも、

松蔭の無垢な清新を信奉し護持し、若干満27歳にして肺結核で散っている。松蔭も又江戸小伝馬町で、若干満29歳に最期を遂げた。

書きたいことは山ほどあるが、松蔭の精神が明治の元勲の精神の支えとなり、晋作の叡智もまた、その限りが結集された。

今では二人とも靖国神社に祀られているが、そんなことより夭折した故人はもっともっと働きたかったに違いない。

 

松蔭の遺書は二通ある。実家に送られた最期の書状には、「親思う心にまさる親心 けふのおとずれ何ときくらん

又門弟などに書き記したものに、「身はたとひ 武蔵の野辺に朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂

松蔭の家族も皆が、松蔭のバックアップであり、高杉晋作の辞世の句も「おもしろき こともなき世を おもしろく」も放埓で逞しい。

 

あなたは早過ぎた二人の死をどのように受け止め、東京招魂社(後に靖国神社)時代から祀られている、

この二人の今に伝わる現実をどう見るだろうか。そうした奇兵隊には伊藤博文や山県有朋なども在籍し官軍となって活躍した。

そして誰もが己の最期、死に際して、人は、どんな句や詩歌を残すのだろうか。このお二人、もう少し評価されてもよいと思う。

その最期の句だけは、一切己の生き様を誤魔化しなど出来っこないことである。

 

 

 

ビルの隙間に、伸び伸びと成長する雑草たち

 

 

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