花所望

 

 

茶事 花所望 今朝は染井吉野より一足早く満開になった江戸彼岸を

 

 

 

 

 

花所望

 

 

 

茶事には寄付から初座、懐石や濃茶、そして薄茶に、最後には後座(ござ)など、

様々なことがあり、一つ一つが精神の鍛錬の場となっているが、

今朝珍しく早起きしたての妻は元気そのもの。どう茶でもと言ったら、コクリと頷いて二人で茶席に向かった。無論まだ囲炉裏であり、

旧暦の三月二十七日は、京都・今宮神社の「やすらい花」の日にあたるだろうから、その日を「炉塞ぎ」と決めている。

27日は表千家の「利休忌」で、28日裏千家の「利休忌」であるが、当家は裏千家の家だから、ちょうど日曜日につき、

本番に懐石も出し、僅かながら客も呼んで、お接待することにしている。妻は、大きな仕事をした後の充電期間であるのだろう。

朝早くからリラックスして明るく、屹立する僕と対座する。初座も後段もあったものではない。

花入れに花がない。あっと想い薄暗い中、邸内に咲いた満開の江戸彼岸の花一枝。

妻が欲しがったわけではないが、一客一亭のうち、阿吽の呼吸でそれを求める。それが「花所望」。

キリリとした佇まいの江戸彼岸。小さい花だが美しい。丸い顎頭、いじらしいほど妻によく似合う。

炉も、炭も、何の鑑賞もなく端折って、ただお湯を炉に入れ、茶筅でかきたて、真剣勝負の一客一亭。静かな朝の香りが漂う。

花寒か、花冷か。凛とした朝の空気に、愛する妻と二人。ただ茶のやり取りの際には、

すべてがリセットされ、真っ白になり、妻が相手とは言え、一期一会の情念が漂い、ここから何もかも始まると思えた。

 

朝粥は、昨日頂き物の鯛。昆布絞めしてあったから、それぞれの椀に切り身と、若狭粥の餡と、早蕨の擂りものと。

野菜はすべて温野菜。叔母の作った野菜を美味しく頂く。何という幸せか。改めて「花所望」を想う。心の通い合いこそが「花所望」。

回し飲みをしたからこそ当然、濃茶。亭主と客の心が通いあう。

小棗がいっぺんに空っぽになるなか、僕は利休の心根に惹かれ極めたてまつらん。

おもてなしの心とは、誰に対しても同じ心であるだろう。因みに水差しだけは自作で、「鬼桶」と号す。

 

茶を出す前に、三椏の和紙に、サラサラと我妻に一筆啓上し奉る。

「山おろしの木のもと 埋む春の雪は 岩井にうくも氷とぞ見る」 (西行 山家集 112)

妻は、三重県で進む斎宮跡地の発掘現場と、皇學館大学院にしばらく通いそうである。

お互いにリスペクトすることと、信頼と、櫻の花が取り持つ縁の美が、僕たちを応援することだろう。

 

 

 

 茶杓と小棗 朝の濃茶は何よりの楽しみである

 

 

 

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