百花為誰咲

 

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百花為誰咲

 

 

櫻を追い掛け、花の旅が続き、漸く帰宅して、アプリコットとバニラと薔薇の花びらをあわせた茶をユルリと飲む。

講演会もそろそろ終了で、新しく始まる事業も、今や遅しと待っているようだ。準備は万端整っているらしい。

東京の櫻は、今日が満開で、満開の日にはどんなに風が強くとも雨が降ろうとも、花は一弁も散らない習性を持つ。

そうして誰が為に花は咲くのだろう。花だいこんの濃い紫の花も、花韮の淡紫の花も、花蘇芳も、御簾の内も、山吹や土佐水木も、

百花繚乱たる花の宴。菫の花や姫踊子草や嫁菜や芥子名も、海棠や二輪草だって今にも咲きそうである。

この分では東京の櫻は、6日には猛烈な花吹雪になることだろう。

 

大伴家持の春は物憂いものであった。万葉仮名は大層面白く、

記紀も併せ、日本文化黎明期における青春時代の瑞々しさと痛々しさを感じざるを得ない。

「義士」の万葉仮名は、かの書聖「王羲之」から、「手師」としされ、即ち「てし」だと詠みきったのは、

伊勢・松坂山中、山櫻のもと奥津城に眠る本居宣長であった。明治の御世も日本の痛々しい青春時代であった。

戦後日本は全く価値観が異なる民主主義により、やや強引に、より多様化し複雑化した青春時代かも知れない。

但し精神の荒廃と、危ういブレと空洞化、日本文化のほころびが否めない現状で、いつ果てるともなく続く。

年間140時間も通常授業の少ない「ゆとり教育時代」がやっと去り、目の前にいる塾生たちは、この「ゆとり教育」の犠牲者ばかりだ。

もはや青春時代ではなく、成熟期を迎えなければならない時に入っていても可笑しくないのに。だから迷いは一切ない。

 

日本文化や歴史を徹底的に再分析し、評価し直して、初めて西洋文化の象徴である民主主義を受容出来ることになる。

滅び行く象徴が、「やまとごころ」の日本文化ではなく、あらゆる面で新しい創造の原点が日本文化であるに違いないのだから。

爛漫と咲く櫻の花を静かに見つつ、一段と決意を強めているところである。

 

大伴家持 「春愁三歌」

「春の野に 霞たなびき うら悲し この夕影(ゆふかげ)に うぐいす鳴くも」 (巻十九 四二九○)

「わが屋戸(やと)の いささ群竹(むれたけ)吹く風の 音のかそけく(幽の意) この夕べかも」 (巻十九 四二九一)

「うらうらに 照れる春日にひばりあがり 心悲しも ひとりし思へば」 (巻十九 四二九二)

だが、華やかな春景色に愁いを感応した家持の歌、三首目の左注に、

「春の日遅々として 鶬鶊(ひばり) 正に啼く」とあり、確かな希みを書き添えている。

愁いは、疫病神を退散とさせる鎮花祭の、「やすらい花」とともに流し、心して前進しよう。

 

 

 

 

 遷都1300年の「やまと櫻紀行」 

左より 大宇陀の又兵衛櫻 櫻井・瀧蔵神社の権現櫻 同じく櫻井・満願寺の八講櫻

 

 

3月27日表千家の「利休忌」、同28日に裏千家の「利休忌」、30日に奈良薬師寺・花供会式のその日、

旧暦でいう「涅槃会」で、満月であった。翌31日は阪南の弘川寺で、希望通り「願はくば花の下にて~」と、若き西行が詠った忌日である。

奈良を中心に名木を数多く廻ったが、京都府立植物園と半木の道の櫻もなかなかの風情であった。今宵、諏訪大社の御柱祭りの報を聞きつつ、

激しい気象変動の中、然も仕事がら甚だ繁忙時季であっても、花遍路の旅はまだまだ続きそうである。

 

 

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