亡き母から杏への思わぬプレゼント

 

 

 亡き母から 孫・杏に対する思わぬプレゼント 杏は大喜びで 庭を散歩するにも このリュックを担ぐ

 

 

 

 

                       亡き母から杏への思わぬプレゼント

 

 

 今日真っ黒に日焼けした父がヒマラヤのトレッキングを無事に終えて帰って来た。一ヶ月ぶりの父の元気な顔を見て、どんなにほっとしたことだろう。疲労しているかと思われたが、父はそうそう、お母さんが生前創ったいものがあるんだよといって、亡き母の思い出がぎっしり詰まった幾つかの柳行李の中から、実にひょんなものを取り出し、久し振りであった我が家の一家団欒の場に引っ張り出してくれたものが、上記写真のグッズである。父は若いままの母への慕情をいつもきっと忘れないのだろう。亡き母は何処へ行くにも自転車で出掛け、日本橋・横山町や馬喰町などに、結構古着屋さんがあったんだという。一着一万円未満の今のデフレ時代の古着は全く商いにはならないだろうが、その昔はいいものも多くあったらしく、父も、母が自転車で広尾から出掛け、古着を買ってきては、父に似合うような気に入った古着を求めてはちゃんとリサイクルし、父も喜んで着て役所に着て出ていたというから驚きである。Rちゃんの後に女の子が生まれたらいいなぁと母がよく言っていたらしい。でも生まれたのは僕一人だけ。残念かな、母の希望は果たせぬままであった。そして浅草、というよりもう直ぐある入谷の朝顔市の日に、あの呆気ない自転車を巻き込む事故であっさりと他界してしまったが、母はよく手縫いをし、何でもかんでも手造りものを楽しんでいたという。

 僕は、亡き母が創ったこれらのグッズを涙を流し、どうすることもなくしみじみと味わって眺めていた。妻が「うわぁ素敵!」と言いながら、杏の小さな背中にキルティング加工されたリュックを背負わせると、何と普段大人しい杏だが、それがどんなにか喜んだことだろう。最近飼ったペット犬のチャ~君にポシェットを掛けてあげたり、大騒ぎ。それがまるで新品なのである。もう30年以上も経っているのに、全く色褪せることがない。見ると細かく繊細な刺繍が施されていて、僕はそれを見れば見るほど、母の面影、嬉しがって騒いでいる杏の姿をどうしようもなくただぼんやりと見遣っていた。歩き始めた大風に、杏がポシェットを掛けてやるのだが、こっちのほうはまるで興味がない。弟は喜怒哀楽がはっきりしていて、家では一人王様のよう、ただ何となく大風は僕に似て、杏は完全に沈着冷静な妻に似ている。僕は仏壇に飛んで行き、お母さん有り難う、貴女の孫が気に入ってくれたようだよと言い、相変わらず白百合の花が大きく活けてある花束を眺めている。父は、今夜は皆で一緒に一献やろうかと珍しく言い、妻は僕の背中に迫って、さすってくれる。母の思わぬ遺作が、こうしてつがれていることに、心から感謝し、二人の子を頼もしく抱く。

 ところで先日、無論悪戯半分に、妻と京都検定をしてみた。何とそしたら、僕のほうが遥かに獲得点数がよかった。笑いながら妻は、京都人は京都に生まれ、京都に育ったからといえ、京都の何もかもを知っているわけじゃないのえ。多分あなたの半分の点もとれないのが当たり前だと言う。京都人にとって京都は生活の場、一町四方くらいの中で細やかに、かえって濃密に習慣に従い、その場を誇りとして暮らしていること。逆にあなたのような京都通には絶対に訳が分からんことらしい。つつましい京都の人間であるのが当然で、或いは知っていても、さあ知りまへんえ、などと言ってしまっているのかも知れないとも。いいたくない時だってあるのだとも言う。たとえば、七口。三条口、東寺口、丹波口、長坂口、鞍馬口、大原口、五条橋口など、他にもあるのだが、とにかく七つのその地名は成長するにしたがって知る数が増えていった。しかしながら皆につく「口」を、なんの不思議もなく、ただ単なる地名としか考えられていないようだ。これは本当に知らなかったのだと妻は笑って言う始末。

 さてその今昔の話だが、そこで、あらためて七口の勉強をして見ると、東寺口は21日の弘法さん。思えば「口」でなく、都の正面玄関口にあり、丹波口は七条にあるから七条口とも言うらしい。丹波、丹後への出入り口でもある。長坂口は北丹波口とも。京見峠には幼い頃、あれが都の灯と言われ、発奮勉強した家内の思い出話が残っていると。三条口は家内の家のほぼ近くだが、東海道の終着点、野次さん喜多さんの話は幾度、家内の祖母から聞かされたことかと、でも特別な愛着もなければ、当たり前のことで。五条橋口は竹田口とも言い、伏見から宇治、奈良へと通じ、またそこへ帰って来る。鞍馬口は深泥が池から鞍馬、貴船、北丹波へ。謡曲「鉄輪」の女が通った道という方が理解しやすいそうだが、大原口は近江路、若狭路へと至り、また帰って来る。その道は鯖街道と。それこそ僕の大好きなブログ・Mfujinoさんの領域だが、道端の平八茶屋のとろろご飯は、壬生のかんでんでん(壬生狂言)にも通じているとも言う。思えば自然なこととして心得ていたのだろう。一つの話は縦にも横にも通い、そのつづれ錦は果てしがないと述懐する。京都のことは、ウチへテストなんかしてもらはったら、さっぱり駄目なのが当然え、分からへんことばっかりと微笑んでいる。その糸の繰り方しかわからないのが、本当の住人の京都通だと。なるほどなぁと聞きながら、育った場所や環境へと心から思いを致し、僕の母の生前の仕事、その僅かな一端に触れ、今日もまた新しき一日であったように思う。父よ、有り難う!妻よ有り難う!無論、お母さん、心から有り難う!!杏、大喜び!

 

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