ターシャが逝き 輝きの季節 早や満二年

 

 

 ターシャ・テューダーが逝き 輝きの季節に まる二年のご命日の今日

 

 

 

 

       ターシャが逝き 輝きの季節 早や満二年

 

 ターシャ・テューダーさんがひっそりと逝かれてから、今日6月18日で満二年となり、早いものですネ。奇しくも6月はターシャが最も愛した輝きの季節でした。彼女ほど働き者の方を、僕は知りません。農業に、育児に、ガーディニングに、絵本や人形創りや、挿絵やクリスマスカード創りなど、生涯を通じ一貫した意欲的な生き方は、計り知れない多くの方々に素晴らしい感動を与え、きっと深い共感を持たれたことでしょう。僕たちが彼女の帰天を知ったのは、その二日後でした。これも如何にもターシャらしく謙虚で、逆に途方もなく当時の僕たちは哀しみに打ちひしがれました。今頃あのバーモント州マールボロの、30万坪の広大な敷地の中の、樹木や花々のどこかに、静謐で穏やかな四季春秋の移り変わりやたおやかさを存分にお楽しみになられておられることでしょう。「人生は苦労も多かったけど、決して捨てたもんじゃなかったわよ」と無邪気に世界に発信されながら。そう、ターシャは19世紀の古い時代に憧れ、何でも手作り生活をしました。この精神は幼少時に既に芽生えています。ヨットや飛行機の設計技術者であった父親と、肖像画家の母親の影響も大きかったのだと存じますが、ご両親の周辺に集まった多くの著名人たちとの交流も凄かったように思えてなりません。作家のマーク・トウェインや、電話を発明したベル小父さんや、数えあげたりキリがないくらい多かったのです。但しターシャは、それら著名人たちのエキスだけを取って、ターシャは若いうちから、農業に深く興味を抱きました。絵画と農業での独立と自立の道を驀進したのです。13歳の誕生日に念願の一匹の乳牛を買ってもらった時のターシャを想像する時、何故か僕たちも胸が昂ってまいるのを禁じえません。四人の子供たちの独立を確認してから、50歳を後半にしてスローライフな独り暮らしを始めるのですが、そこがターシャ終焉の地となり、地上の楽園と公言して憚らなかったマールボロの地は、僕たちにも永遠の憧れの地になっています。改めてターシャの鎮魂をお祈り申し上げます。とともに、ご遺族の方々の計らいで、亡き後もターシャの庭が見学出来るようで、歓びに堪えません。スープの冷めない距離に住む家具職人の長男セス氏や、その子・ウィンズローや、その妻・エイミーなどのご努力のせいでしょう。いつか僕も必ず行きたいと念願しています。ボストンに住む僕の友人は既に何度かお邪魔しているようで、羨ましいのですが、子供たちやお孫さんたちも普通にサラリーマンにならなかったのが奇跡にも近いことです。僕たちに、強烈なメッセージとして与えられているように思われてなりません。この「硯水亭歳時記 Ⅱ」における拙記事・『ターシャからの手紙』と、ラストインタビュー・『ターシャ・テューダー 最期の言葉』で明らかなように、最期の言葉とは「Joy!<~人生を楽しんで>」だったなんて、本当の意味で生きる勇気を頂戴出来る方だったのですから。

 ターシャが憧れた1800年代の時代まで、勤勉で謙虚な美徳が多かったようですが、我が国にも多くの失われた美徳がありました。雑誌「文芸春秋」の7月号、我が尊敬する数学者の一人である藤原正彦さんが敢えて果敢に寄稿されています。「一学究の救国論 日本国民に告ぐ」と過激に題され、真摯な提言がなされています。「自立」と「誇り」を取り戻すために、今日本人がなすべきことと副題が付されていますが、高い見地から書かれたものと推察しており、部分的には異論があるものの、情緒を重んじるいつもの先生の生真面目さが分かって大変痛快でした。著者は永く御茶の水女子大で教鞭を取られ、昨年3月まで学長も務めた方ですが、小説家・新田次郎を父に、同じく小説家・藤原ていを母に持つ、名エッセシストでもあります。現在でもミリオンセラーになっている「国家の品格」の著者でもあり、司馬遼太郎がいつも言っておられた「魔法の森の二十年~昭和初期から20年間続いた軍国主義のことを言う」の次に、戦後日本人は戦勝国、中でもアメリカによって属国とならざるを得なかった現代・日本の状況まで詳細に熱っぽく語られています。参議院選挙も近づき、各党のマニフェストがまやかし半分で出揃って来ましたが、凡そ今の政治家さまには是非ご一読願いたいものだと感じております。藤原先生の根底には、ターシャの古き善きものを尊ぶ精神とは、また別個な意味で脈々と水脈が受け継がれているように思われてなりません。そう言えば母親のていが書いた戦後の大ベストセラー「流れる星は生きている」の中身は自身のエッセイの中に時々登場して来ますが、戦後小学生だった先生が一人信州で過ごされた時の図工の先生は安野光雅で、絵の面白さや、特に数学の痛快さを教えて貰ったという逸話が残っていて、人の出逢いで決定的になるものだなぁと興味深く、そして今こそ日本人の原点に立ち返り、永い固有の日本史の根源に迫る必要がありそうです。僕は日本人特有の宗教である神仏習合の歴史を、猛勉強中でありますが、僕の選択は間違っていないんだと、改めてターシャの命日につき、考えらさせられ感じられることで、新しき創造とは古きに学んでこそあるものではないでしょうか。

 

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