七夕の宵に、『竹取物語』を思ふ

 

 

 『穢(ケ)』をつけた短冊への思ひ! 今夕多摩川から流されると言ふが 大丈夫だろうか

 

 

 

 

              七夕の宵に、『竹取物語』を思ふ

 

 このブログでも何度も申し上げて参りましたが、七夕さまの行事はお盆の行事の一環であり、海の彼方から7月1日にやって来た七夕さまを、笹竹の神のヨリシロに憑いて戴き、人々は『穢(ケ)』を短冊に付け、7月7日にヨリシロごと流されると言うものです。謂わばお盆の行事の前段階でありました。牽牛と織姫のお話は平安時代に中国から渡って来た伝承でありまして、天の川を挟んで、牽牛と織姫が最接近をする日は、旧暦の7月7日の夜で、今年は大文字の送り火の、8月16日にあたります。でもこの二人の男女は最も近くまで接近するのですけれど、どちらとも天の川を渡ることは決してありませぬ。梶の葉を舟のオールの役に見立て、珍重するのもそのためですが、万葉集などの古歌の表現では、「棚機女(たなばたつめ)」と表現されている通り、畑作の収穫を感謝するとともに、秋の収穫を祈り、祖先の霊を祭ると言う、日本人にとって非常に大切なイベントでありました。これに先立って、女の子は髪を洗い、町家では硯を綺麗にし、神にお供えをする食器類を洗い、チガヤやマコモで作った「七夕馬」を屋根の上にあげ、祖先の霊を迎えると言った習慣があったのでした。又、お盆とともに来臨する神々のための衣づくりとして選ばれた神女が、村を離れた海辺や川っ淵、池や湖のほとりの作られた柵のことで、そこで機織を致しました。つまりこれが元来の「棚機(たなばた)」の語源になったのです。ですから本来の七夕は、お盆の行事を行うための準備期間で、その為の「祓(はらい)」や、「清め」や、「禊(みそぎ)」であったわけです。ところが万葉の時代から下った後世、佛教の影響が濃蜜になったため、お盆の行事はあたかも佛教の行事のような印象に変化して参りました。その結果なのです、七夕の行事だけポツンと離されてしまったのは。平安時代には日本の上流社会に、中国伝来の星祭りや乞巧奠(きこうでん)や、織姫・牽牛伝説に完全に飲み込まれ、オーバーラップすることとなったのでした。但し現在でも九州各地にあります宮相撲は、もともと律令時代に制定された相撲の節会から起こり、今でも秋の収穫を占うために行われています。三重県鳥羽市の洋上、周囲4キロにも満たない神島(三島由紀夫の小説「潮騒」では歌島になって、この島がモデル)では七夕さまを1日に飾り、7日には短冊を付けたまま笹竹を海に流し、海の彼方からやって来た棚機さまをお見送りすると言うものです。古来からの習慣が未だに存在しているのも事実です。

 

 

 竹林に朝日が映えて 風の歌弾み涼やかなり

 

 そうして枕をお話しした後に、愈々『竹取物語』に参りたいのですが、あまりにも唐突なので、ここらでちょっと竹のお話しを申し上げましょう。『竹取物語』にはどうしても羽衣伝説がついてまわりますが、それはオーストロネシア語諸族などや、古モンゴロイド(南方モンゴロイド)などに広く共有されているお話しですが、竹の中から生誕した説話も同様です。当然、これは竹の生育地域と重なってまいります。竹や笹はアジアが原産ですが、日本の代表的な真竹(マダケ)は南九州が原産地であるようです。そして意外なことに、竹林そのものが今のように日本全国的(但し太い孟宗竹は茨城県が北限で、北方には姫竹とか、細い竹しか生息致しません)に拡がりをみせるのは、中世後期以降のことです。それまでは多くの笹類が竹細工の素材に使われていたようで、竹は、その驚異的な生長力や、不死と見紛うほどの生命力、節間が作る不思議な空洞などから聖なる植物とされてまいりました。竹や笹が本当に聖なるものだ思われるには、120年に一度と言われる一斉開花があると無関係ではないでしょう。竹や笹は、花が咲き実が成る種子植物なのですから。但し、ご存知の通り地下茎が繁殖器官で、この植物らしくない植物であることもその聖性を高めていたものと思われます。タケノコが美味で食用であることは勿論、竹は長らく医薬としても用いられてきたものでありましょう。竹が呪力を持つ。この観念は、竹や笹が生育する地域が共有する民俗文化だったことであったはずです。神降ろしの結界を作る時、生竹を立て、注連(しめ)縄で囲むのは、現在の東南アジアなどでも広く行なわれている竹の民俗なんです。神社などの竹垣も、聖俗の境界を峻別するものでありました。竹で編んだ籠(かご)も呪具であり、籠目は「鬼の目」とも呼ばれましたが、実は邪霊の侵入を拒む聖なる目であったようです。逆も真なりで、時代劇などで設えられる刑場での竹囲みや罪人を入れる籠は、邪を封じ込める呪法であったからでしょう。

 関西地方のエビス祭や関東地方の酉の市では、本来農具である箕(み~ザルの片方が開いたような形状の竹を編んだ器)や、熊手が家福を集める呪具として売買されています。又、エビス祭や七夕祭での笹は、神の依り代でもありました。「紀記」のアメノウズメは天照大神のために手に笹を持って踊りました。能や歌舞伎、そして神楽の舞人が手にするものを採物(とりもの)と言いますが、それが笹であるなら依り代であったのです。それから、小正月のドンド焼き(左義長)祭では、三本の竹を組んで正月の松飾りなどを焼きますが、その時、大音をたてて竹が破裂するのが本来の「爆竹」です。そしてこの音と心竹の倒れ方によって、その年の神占が行なわれて来ました。さらに、バチバチと音をたて人間の罪穢れを焼き払う東大寺・二月堂のお水取りの大松明は、修二会のクライマックスを彩っておりますが、それはまさに真竹から出来ている証拠なのです。それ故に激しい炎でなければなりませんでした。もう一つ、竹で作られた櫛(くし)を取り上げましょう。イザナギがイザナミを探しに黄泉国を訪れた時、左の角髪(みずら)から櫛を抜き、それに火を灯しました。そしてそこから逃げ出す時には、右の角髪の櫛を、追ってくる黄泉醜女(よもつしこめ)の方へ投げつけました。するとそこにタカンナ(タケノコの古名)が生え、それを黄泉醜女が食べている間に、イザナギは逃げ延びたのでしたネ。実は、スサノヲも櫛の呪力でヤマタノオロチに打ち勝っています。これは神話の話ではなく、櫛が古代人にとってどれほどの聖なる力を持ったものであったのかの証明でしょう。そして例えて申せば、宮崎県で鳥居龍蔵博士によって発掘された、天下(あもり)古墳や、浄土寺山古墳の副葬品をよく見るとよいかも知れません。前者の古墳棺内には遺体が残っていて、頭部には十四本の竹櫛が挿されてありました。後者には二遺体が葬ってありますが、一体は十本、もう一体には何と三十八本の漆塗りの竹櫛が挿してあったのです。尚、他の武器などの副葬品からも、鳥居博士は、これらの古墳が古代インドネシア文化へのつがなりを持つことを指摘されておりました。先日ハイビジョン特集「私たちはどこから来たのか~日本列島人の起源」は別稿に致しますが、あの番組にも、こうした説を裏付ける記述が多かったように思われてなりません。DNA研究による日本人の起源に迫る壮大で素晴らしいものでした。沖縄県八重瀬町港川から発見された「港川人」の起源を追って、旧石器時代から縄文人から渡来帰化人への科学的考察でありましたが、ミトコンドリアDNAを駆使しなかなか説得力があり、日頃鬱積していた疑問に大いに貢献してもらいました。

 さて竹中生誕説話は東南アジアなどに広く流布していると申し上げましたが、かぐや姫伝説はそういう竹の節が作る神話空間に生まれたものと思われます。それは籠もりに他なりません。それにしても不思議なお話しでして、作者も成立した年代もはっきりしておりません。ただ原初から考えてみますに、竹の「籠もる」という字に注目して頂きましょう。竹かんむりが付いたカゴという字のことです。聖なる者は籠もりながら、何かに被い包まれて現れてまいるものです。天孫降臨のニニギ命は真床追衾(まとこおうふすま)に包まれて天降ったのでしたし、桃太郎の桃の伝説もそうでしょう。〈小さ子〉は、聖なる異界からの来訪した者であることを示す「異形」の標(しる)しであったようです。大国主の国造りを助けにガガイモの小舟で海をやって来た小さなスクナビコナがそうでありましたが、お伽噺の一寸法師や桃太郎もこの範疇に入っているのでしょう。

 

 

 『竹取物語』 十五夜昇天の場面 羽衣伝説と一致していますが 複雑多岐に渡る壮大な物語は確かでありましょう

 

 『竹取物語』は複雑な構想を帯びています。尤も困ったことには万葉集に、「竹取翁の物語」があります。巻十六ですが、ある丘で九人の天女に遭遇致しまして、翁が半生を振り返り、このような自分にも、そんなにもモテた若かりし頃があったと、長歌(3790番歌)を詠み、天女たちも一首ずつ応える歌物語となっております。これは、竹も、かぐや姫も登場しない「竹取翁の物語」なのですが、『竹取物語』とは無関係だとも学者間には言われております。しかしながら羽衣伝説の一変奏だとキッパリと申せましょう。それが「竹取翁」とくくりつけてあるだけなのかも。何だか潮の香りがするような思いがしてなりませぬ。日本人の起源を示唆しているのでしょうか。改めまして『竹取物語』の構成を検証してみましょう。

 その構成要素を分解すれば、次のように六つに分けられます。

   A.かぐや姫の誕生 (竹中生誕説話)

   B.竹取翁の長者譚 (致富長者説話)

   C.妻どい・五人の貴人の求婚 (難題求婚説話)

   D.御狩の行幸・帝の求婚譚

   E.かぐや姫の昇天 (羽衣説話)

   F.ふじの煙 (地名起源説話)

 これを更に立体的に分かるように、所要ページ数で数量化しましょう(角川文庫版の原文で算定によります)。

   A.かぐや姫の誕生      0.5頁(1%)

   B.竹取翁の長者譚      0.5頁(1%)

   C.妻どい・五人の貴人の求婚 23頁(64%)

   D.御狩の行幸・帝の求婚譚   4頁(11%)

   E.かぐや姫の昇天       7頁(19%)

   F.ふじの煙          1頁(3%)

            合計 36頁(100%)

 どうでしょうか。まず、大変いびつな構成の物語であることが一目瞭然でありましょう。ここで物語の二つの通称に引き付けて分解するとなれば、「竹取翁」が主人公の物語部分はA・Bであり、「かぐや姫」はC・D・Eになりましょう。Fは後日談であるかも知れません。物語(フィクション)にリアリティーを与え、単なる説話ではあり得ない部分は、物語の六割以上を占めて五貴人が登場するCと、残りの大部分を占め、最高の貴人であり、地上の王である天皇が登場するDおよび関連するE・Fであると想起されます。これを推察するに、最初に「A-B-E」の「竹取翁」の伝承があったのではないでしょうか。すなわち「竹中生誕-致富長者-昇天」説話であったような気がしてなりません。但し、現存の『竹取物語』と違い、Eの昇天パートはごくあっさりとしたものであったのでしょうか。そしてこの「竹取翁の物語」は、早い話が羽衣伝説であるのかも知れません。テーマは天(異界)から「女性」がやってきて、不可思議な方法で「翁」を富ませ、やがて去っていくというものです。鶴女房説話などや、羽衣伝説は、天人女房説話とも言われますように、「翁」である必然性はないのではないでしょうか。元々はもしかしたら「若者」であったかも知れないし、結婚したのかも知れない。その方が寧ろ相応しいような気がしてなりません。また「天」を「竜宮」に置き替えれば、浦島説話に近くなるようですし、紀記神話の山幸彦神話もその類の系譜に当たります。『竹取物語』の特徴は、羽衣伝説に加えての「竹中生誕」にあるようでなりませぬ。即ち、竹から生まれたことと、その小ささでありましょう。

 『竹取物語』の素材と言うか、原典と言うか(この言い方の違いは成立論に関わる重要問題です)、ともかく似たものを探す国内外への旅は江戸期以降、今も続いております。初めは外国産の翻案という考えが有力でしたし、佛典や中国史書などが探索されました。例えば『後漢書』には、今の貴州省西北にあった夜郎国の建国神話として竹から生まれた男王の話があります。一方では日本国産派には、本居宣長や柳田国男がいて、羽衣伝説や致富長者(貧者が長者になる)説話が成長して成ったと主張しています。『竹取物語』とは通称でして、それは「竹取翁の物語」とも、「かぐや姫の物語」とも呼ばれて参りました。ともあれ、十世紀成立の『大和物語』や『宇津保物語』、十一世紀成立の『栄華物語』や『狭衣物語』などには、ほぼ現存するテキストがそれ以前に成立していたことをうかがわせる引用や言及があるのです。十二世紀成立の『今昔物語集』(巻三一第33話)中にも「竹取物語」がありますが、しかしこれは現存する『竹取物語』とは少し違って、難題求婚部分が、三題(『竹取物語』は五題)であり、その探求すべき宝物も異なっています。また、昇天も十五夜ではないし、富士(不死)山信仰も出てこないのです。

 

 

 最近の本の、『竹取物語』の表紙絵

 

 実はこの論考は甚だ中途半端なものですが、ブログの記事としてあまりにも長くなりますので、結論から申し上げましょう。この物語は純粋国産ではなく、広く東南アジアから移入された多くの伝説がもとになっているものでありましょう。例えばチベットにある『斑竹姑娘』はあまりにも酷似しています。中国・四川省西北部に、アバ・チベット族自治州(チベット高原・カム地方東北端)という所がありますが、ここは竹の一大原産地の一つでありまして、稲作発祥の揚子江の上流・金沙江流域に当たります。ここの住民も又必ずしもこの地に固定的に考えることはないでしょう。又ここに伝わる民話も、彼らが独自に作り出したものとすることもないものと考えています。七夕の宵に、こんな複雑なお話しをして申し訳ありません。でも日本人の起源の問題について、この物語は巨大なマグマを潜めていそうであり、大変興味深く面白いものです。多分難題求婚話は平安朝時代の、後でとってつけたお話であったかも知れませんですネ。だって五人の貴人たちは皆実在し、天智天皇のお傍に仕えていた方ばかりなのですもの。今夜も読んで戴き、有り難う御座いました。だんだん!

 

 

 江戸時代 歌川広重が描いた七夕 素敵で なかなかいいものですね

 

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