同意と正義

 

 

 キツネノカミソリとハゼランとラベンダーと

 

 

 

               同意と正義

 

 

 私は或るお約束をしながら、或る若いご夫妻に対し、現在大きな罪を犯している。彼らの留学に一定額の援助をするという約束であったが、その間を取り持つ人物と重大な諍いが出来てしまって、未だに履行出来ていない。幾らネット上でのことであっても、或いは口頭での約束であっても、それらは一種の契約に違いないし、約束は守らなければならない。その約束自体を、私は別にちゃんと考えていたが、私の想像を遥かに超え、中間にいるそのお方が各ネットのコメント欄で大騒ぎを始めたことから諍いが始まったのである。履行するのが遅いということ、イライラして待っているということを、彼が書き易い女性ブログ中心に書き始めた。私が実現に向け、どんなに苦心惨憺しているか、他を思い遣る心が皆無で、私は酷く驚いてしまって、深手を負った。東京には化け物のような大金持ちが幾らでもいる。私もそれらの方々と同じ人種だと判断された結果なのだろうか。このところの貸家賃料の下げ続けた結果でもあったが、私がそれまでに準備出来た彼らに対するお約束の金額が少し及ばなかった。八割は用意出来たが、どうしても今年の、父からの生前贈与分の税金が予想外に高く、アレコレ思案し工面している最中だった。私は決して感情的にキレたわけではない。よく考えてみると、どうしても中間にいる彼らの父親の所業が断じて赦せなかった。こんなに苦渋し難渋しているのに、勝手ばかり言っているのかと愕然としてならなかった。然も片務的なこの約束で、我が結論を待つ以外に何の方法があるのだろう。

 というのも、彼に対して過去二年間、普通では買えないような高額な日本酒を贈り続けた。須藤酒造の『花薫光(かくんこう)』などは一升二万円でも買えない代物である。安いものでも出羽櫻酒造の『雪漫々(ゆきまんまん)』で、一万円で二升は買えない。富山・銀盤グループの『米の芯(こめのしん)』だって、そこらのサラリーマンでは普段飲めるものではない。二年間にわたり、ほぼ三週間おきに贈り続けた(一回につき二升~三升)のだが、或る日、ブログに対する彼のコメントから、私は驚き、ピタリと贈答酒を送るのを止めてしまった。どうしてそうなったのだろうと、多分今でもご本人はチットも分かっていないだろう。つまりこうだ。一般的に契約とは、一種の『哲学的同意』があってなされるものである。アリストテレスの言う倫理観に基づくものでもあろう。然しだ、常識的に言っても先ずあり得ないだろうことを、平気の平左で受け取るようになっていた。受け取るのがアタリキシャリキであるかのように。それは私のブログにコメントを書く代償のような言い草であった。私は愕然とし、この無償の行為を止める切っ掛けになった。二年間で送った総金額だって相当なものである。いや金額の話などどうでもいい。この時無言の、阿吽の信頼の糸がプツリと音を立てて切れてしまったのだった。私の言う『哲学的同意』とは代償など全く存在しないものでしかあり得ない。寧ろ無傷で無償の交流でしかない筈であり、だがその、あり得べき倫理観に基づいた『哲学的同意』の部分が、ガラガラポンと音を立てて崩れ去った瞬間だった。そうか、この方の正体とはかくなる卑俗なものであったかと、聊か驚いてしまい、急激に我が意が引いてしまったのだ。

 お約束の対象の方は、その方の次女さんである。彼は、今でも毎回必死に多くのコメント欄に、他人の創作である詩人の詩とともにコメントが書かれているから、鋭い方はお分かりだろう。お気楽なものである。そして次女さんたちは年に一度パリから京都まで帰って来るそうである。そんなお金があったなら、とっくにニューヨークでも何処でも行けそうなものであろう。次女が哀れと、事情を何も知らない他の方のブログに、それこそ無関係の女性陣に同情を頻りに買い続けている。密かにメールを送るは、直接逢った場合は誰彼なく直談判をし、ブログ上で私へのムラハチブに強要するはで、本人が知らなくても、いずれは知れることになるだろうことも殆ど判別出来ていない。幼児以下の知能である。恐ろしく無作法な方と、無言の同意と言う契約をしたもんだと我ながら呆れて嘆いたことだ。そこで私はバッサリと、この話しを打ち切ったのだ。正義の上から私のほうが圧倒的に不利であろうが、あれから数ヶ月経った今でも、得意のコメント欄中心にタラタラと文句を零している彼の風体を読むにつけ、正義に反してまで採った我が結論に、聊かの不備もないと断ぜざるを得なかった。私は心の底から彼を嫌いになった。我が霊感が働いて教えて戴く無くとも、文章を読めばピタリと分かることがある。それは「四柱推命」「易学」「気学」からであり、そこから判断し彼の運気をみると、間違いなく「八白土星」の星廻りで、リーダーシップがあり、明るく聡明で繊細な神経の持ち主だが、最も忌むべきことは彼の持つ大いなるハッタリ性が根源にあることが分かる。跡継ぎ運からも遠い。更に彼の誕生月日まで分かればもっと詳しく分かる筈だ。つまり今までの人生で我侭放題しながら、自身の奥様をどんなに泣かせてきたのだろう。殆どの現役の時はそれで通してきたのである。娘たちに対する彼の深謀遠慮は、彼の人生の今までの贖罪でしかなく、本当に次女を思うならば、他人に頼らず、敢然と断酒し僅かながらでも仕送りするのは本筋であろう。馬鹿も休み休みにし、タイガース応援で大酒を飲みながら熱狂している場合ではないだろうが、好きなことでも決して止められる筈はないのが本来の人の親である。先ず己が大事であるというのは、『哲学的同意』は決して成り立たない。試しに彼のブログを明けてご覧あれ。全部開けられるのに、凡そ10分も掛かる。たった一つ壁紙の交換だけで、それがスッキリ解消し、信仰深い彼の読者にとってどんなに楽になることだろうか、ご存知の筈なのに何もしやしない。無論余計なお世話だが、恐らく重厚感を出すためであろう。日々のブログも全く変わり映えしない。古語らしい文言を駆使し風格を出そうと躍起だけで、戦時中疎開をしていた第二の故郷に思いを馳せているに過ぎない。つまり思い出だけに生きているのだ。でも待てよ、私はそれすら信じていない。悪い意味での私小説でしかないとキッパリと断じたい。だが同じ京北町で頑張っておられるF氏こそ日々ご努力され、前進し、全く澱みがない。朴訥な文章もそうだが、彼の生き様が如何にもそうである。幾つになっても今日より明日前進する彼こそ真に尊敬するに値する人だ。一途な彼の周辺におられる方々も又ハッタリ性がない。羨ましいほどの御仁である。

 そもそも契約には相互便益性が存在するのが普通である。私が彼に求めた便益性とは、真に自律性に富み、そこに根差した彼自身の誠実さだけであった。一方的便益享受の契約でも、何らかの彼自身が負う自律した完璧な倫理観が必要であっただろう。何も始まらない前に、然もネットで愚痴を言い始めた時、この契約は怒涛の如く瓦解した。挙句の果てに、直接逢った方には口頭で、私と付き合わないように言ったり、契約不履行を非難したり、次女へ対する同情を誘うのに忙しかったし、アレコレ聞くも哀れの極みであった。あちこちに送った、私を中傷するメールでやった酷い非難もそのいい例である。これは明らかに自己中心的な功利主義者であるばかりでなく、下手をしたら独善的偏見に満ちた独断主義であった為だろう。要するに倫理観に基づいた自律性を求めるには完全な無理があったのだ。他律性、然も、悪性の、仮想社会でのコミュニストでしかなかったことが、そこで判然とした。このご老体は既に創造的原点から遠く去っている遺物に過ぎないし、残りの人生を、誤魔化しが利く相手とだけ、ネットという仮想空間での中毒患者で終わろうとしている。哀れで可哀想の極みである。

 然れども私は彼の次女ご夫妻に対し、大変な失礼や無礼を続けているのに変わりはない。私には果たさねばならない私の自律的義務がある。その中身は日本教とでも言うべき和の衿持から出たものである。そこで今まで殆ど手法として存在しなかった、直接彼らご夫妻と改めて交信しようと思う。お約束の金額は今年中に揃うだろう。でも現在超円高だから、今直ぐにでもユーロや米ドルに換算すれば、ほぼ目標に近い金額になる筈だ。もし改めて、お互いにお互いの信義が結べたら、早速私は実行しよう。但し金額はそうであっても、ニューヨークでの生活は一年間だけ、出来たらサンタフェにある私の別宅に住み続け、創作活動に没頭して欲しいのである。あのジョージア・オキーフだってサンタフェが拠点であったばかりではなく、多くの若い芸術家が静かに住み活発で、意欲的に創作に励んでいるからである。紅い日干し煉瓦の家で、閑静な町は標高2000mにあり、アメリカ人にとっても一種のステータスとなっているからである。決して過不足はない筈だが、場所の紹介と提供はそれしか出来ない。後はお二人で存分に検討し判断されたらよかろう。芸術を志すご夫妻の創造的な意見や見解や、ご自身たちの衿持とは何だろうか、はっきり仰って戴いて、私が持つ世界観と倫理観と摺り合わせる必要が絶対条件になることも敢えて書かせて戴こう。本来個人的な遣り取りの行為がこうして公になったのは、他でもない、あなたたちの父君の所業がそうさせたもので、是非赦されよ。では連絡を待っています。尚父君からのメールはすべて迷惑メールと処理してあるから、今後一切彼とは無関係であることも赦されよ。戦争前の国民的熱狂が一つの我が国民が持つ戦争犯罪の一つだが、タイガース応援もそれと似たようなもので、あの応援団は大嫌いである。大リーグ観客にもブーイングがあったり野次はあるが、選手のプレーそのものを楽しんでいる。加熱するリーグ戦にあたって、あの狂気に満ちたファン心理に何を言っても無駄だろう。だから彼が別にどんな応援の仕方をしようが構わないし、死ぬまで酒を飲み続けるのも私には全く関係がない。そんな爺さんとは無関係者として今後の交渉にあたることにしている。モスクワより少しは涼しいようなパリのあなたへ、セーヌ河畔に今年も海辺のリゾートが出現したであろうか。あなた方のメールの受け入れは已然としてそのままにしてある由。

 また本記事を公にすることを2,3日思い悩んだ。でも手段はこれしかないように思えてならなかった。それと言うのも、今後彼が出没するブログには一切の私のコメントは差し控えるべきだろうと思うと、その悔しさと淋しさと哀しさと、そしてその大なる覚悟と、更に暗黙の了解である正義と、一方的に恣意的にやられた不本意な論理が残存する。このブログでは皆さんに公開してあるコメント欄に、彼の大いなる反論を待っている。私のブログはコメントの多さを自慢するものでは絶対にない。『櫻灯路』の時の、亡き主人は常に20人以上のコメント者があり可哀想でならなかった。私のブログは、私がひたすらに書き慣れようとする文章の練習の意味が多いのであって、それでいいのであると信じている。こうして決断出来たのは、脱落した筈の、櫻塾の三人組が夏休み終了前に帰って来てくれたのも大きいのかも。無限の可能性に富む若い人に拍手!

 

 

 役目を終えた酸漿

 

広告
カテゴリー: メモリー パーマリンク

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中