花塚

 

 

 八月につける来期の櫻芽(はなめ) 葉は紅葉し落葉するが 花芽は寒さにじっと耐えて春を待つ

雨や風や嵐に耐え ひたすら春の花の時季を待つこれら花芽たち この辛抱強さに教えられることのみ多い

 

 

 

            花塚

 

 当家の小さな庭の片隅に、二坪ばかりの雑草とともに花々がいつも咲く塚がある。亡き母の遺髪の他、母が愛した愛犬や小鳥や、僕が愛したアフガン犬や、代々愛玩した生命体の数々が埋められている。父は母が残した花々や小品盆栽を地植えにし塚にした。それが当家でいう花塚である。一見雑草ばっかりのように見えるが、なかなかどうして四季折々の花々を咲かせてくれる天然の花園のような、よく出来た小さな塚で、私はこの家を出て主家に入った後も、時折ここを訪れたものである。この塚を最初に創ったのが父だが、掘り返してみると様々なもので溢れていて、掘るのにしのびない。直ぐ泣けてくるからである。柿渋で染め上げられた楮の和紙に包まれた母の遺髪は、何だか今も生きているようである。1mほどこんもり高くなった花塚には、父のある種の、堅い意思があったのだろう。思えば、昭和20年3月10日の下町を中心にした米軍による絨毯爆撃は相当にに酷いものだったらしいが、ここら山の手も5月23日に焼夷弾やら機上からの撃やらの大空襲によって、私の本来の実家である白金の家が全焼した。僅かに残ったのは広尾の曽祖父たちが住んでいた宅のほうで、生き残った者たちは皆この家に身を寄せて暮らしていたようだ。戦後間もなく父は近衛兵から役所に編入勤務し、大學卒業と同時に外交畑を歩んでいる。遅い結婚であったが、うら若い母と一緒になって、白金に残った盆栽や、貴重な歴代の焼け焦げた遺品の数百点を収拾し、この広尾の家に大切に保存したらしい。そして新たに新築された年は昭和24年の春であったという。遺品には殆ど焼けた跡が決して消えていない。母との新婚時代から父は殆ど自宅には帰って来ず、場合によっては数年も帰って来ない時があったようだ。対外大使館や領事館などに勤務したためである。当家の盆栽の殆どは母が子供をあやすかのように、水遣りや剪定や植え替えなどを小まめにやっていたものらしい。然も母は当時珍しかった小品盆栽なども手掛け、それなどは日に三回も水遣りをしなければならず、従って今は武蔵小金井に引越した植木屋さんにお手伝いを依頼した模様だ。なかなか子供に恵まれず、諦め掛けた挙句に私が生まれたわけである。夫婦揃って各国を移動する慣わしが本来だが、父はどの国へも戦場に行くようなものであると言って、断固、母を連れて移動することはなかった。父は父なりの深い感慨があったのだろう。

 私が生まれて、たった十年ちょいと過ぎた頃、夏の朝顔市の帰りに、大きなトラックに轢かれ、母は即死した。上野署から連絡を受け、私は慌てふためいて役所の父に電話すると、重要な会議中だからといって、近所に住む叔父と同行し立ち会うようにとの指示であった。私にはそれが頗る情けなく思い、叔父には電話だけして、タクシーで事故現場の上野広小路まで急いで向かった。シートの下で哀れな姿で路上に横たわっている母を見て、ワァッと泣き喚いた。散々泣いた後に父も駆けつけたが、何故か泰然自若としていたことを今もってよく覚えている。粉々に砕けた自転車と右半分の顔に、車両の後輪に踏まれた青痣や窪みは決して忘れることはが出来るものではない。何処にでも自転車で行って、行動的で快活な母はその日を境にプツリと消えてしまった。どうやら夏になると毎年淋しく情けない気分になるのは、終戦記念日や原爆慰霊祭のためだけではなさそうである。父は、母の亡き後、悉く反抗した私に散々持て余していたのだろう。でも私が料理し父に食べて貰うことだけはやった。お弁当も作った。私立A中学高校を卒業し、T大學建築学部に入学すると間もなく私は家を出て、亡き主人のお父上さまの書生として一番町のお屋敷に寝泊りしていた。在学中からビル設計などをやらせて貰い有頂天のような日々を過ごしたものだが、実家の父は、遂に役所を辞め、山の仲間たちと日本全国の山歩きを始めた。孤独だったようである。外交官時代にはアルプスの山々やキリマンジャロなどの幾多の世界の名峰の山登りをしたようだが、詳細なことは分からない。口数が少なく、まるで禅坊主のような人だからである。

 主家に大きな変化があった。書生していたお父上さまや母上さまが相次いで亡くなられ、オマケにたった40歳の享年の、我が主人まで、私は失ってしまった。何ということだろう。そんな時丸善で偶然に手にした本は『The Return of the Prodigal Son~Henri.J.M.Nouwen ヘンリ・ナウエン著~』であった。レンブラントの「放蕩息子の帰郷」の絵から着想を得たナウエンの魂の遍歴の書であったが、これには痛く感銘させられた。クリスチャンでもない私だが、きっと父は私が実家に帰ることを喜び赦してくれるに違いないと確信したようなものだった。結婚前後、報告も兼ねて私と妻と父が何度か逢って、そのうちに父が相当に妻を気に入ったようである。子供に恵まれず、旦那さまを亡くしてから実家に入って来た父の妹、つまり叔母だが、叔母もまた相当にお気に入りの様子であった。父子の問題は特別な話し合いもなく、いつしか氷解したのだろうか。そして父にとって最初の孫が生まれた。そんな父が相好を崩すのは、二人の孫と遊んでいる時と、我が妻と話す時だけである。父と私は未だ何処かに打ち解けない部分があるのだろうか。きっと共通した深い哀しみを分かち合っているからであろう。父だって再婚話をすべて断っているし、母をどれほど愛していたかは、私にはよく理解し分かる話だ。母の遺体との面会の時も、火葬場で穏亡(おんぼう=お棺に火をつけたり見守る人のこと)の焚く煙の天空に上がる様をまるで幽霊のようにじっと虚空を眺めていた。静かで永く深く悲しむのが父の流儀なのだろうか。無論私にだって言い知れない哀しみに満ちていたが、父に僅かな声さえ掛け辛かった。特に我が妻に対するその可愛がりようったら、全く見たこともない表情で、私の妻が最もお気に入りで自慢の種らしい。母とは似ても似つかない妻であるが、若かりし日を思い出すからであろうか。妻から史学の話を聞く時の居すまいは、まさに驚嘆に値する。どうあっても可愛いらしく、時々妻の気に入りそうな和服や小物などを買って与えるのが、山登りや盆栽以外に、唯一の趣味であろう。妻は妻で、父を親しく呼ぶものだから、父はまるで亡き母との思い出を重ね合わせるように、信じられないぐらい快活に返事をする。京都の実家に帰ろうとしない妻を格別に慈しんでいるかのようなものである。

 

 

 愛用の作務衣と眼鏡と、ミントを挿した麦藁帽子と

 

 

  イクメンとは育児をする男性のことらしいが、我が子であれば当然のことで、私の場合、妻の事情もあってやや逸脱しているかもしれない。殆ど我が子とともに棲息している風である。妻は二つ目のドクター号獲得に奮闘しつつ、品川の我がマンションで孤軍奮闘しているが、東京大學史料編纂所の存在も大きいのだろう。神田の古本街でもいい顧客の一人になっているようで、新発見の古文書など、古書店から持ち込まれると、欣喜雀躍として喜び、私から毎月渡される小遣いの大半をそれに当てているらしい。学問を続けるのが結婚の条件でもあったのだから、当然のことのように妻の学問を最後まで支持し続ける所存。もう一人か二人の子供が欲しいと妻は強請るのだが、長女と長男がもう少し成長してからでもいいのではと私は思っている。だが父は何人でも作って貰えれば、そんな果報ものだよと頻りに妻に賛同している。処暑も過ぎたというのに、東京も猛暑日が続いている。櫻塾の後半も始まった。太陽がカンカン照りの中の花たちは皆首を項垂れ、辟易としているかのようである。子供たちに汗疹も出来ず、毎日簡易プールに浸って大騒ぎだが、杏は何故か弟と一緒に入るのは厭らしい。杏は一人天国が絶対に好きのようである。

 

 

 

 杏のお気に入りの絵本たち 「エルフさんの店」は別格にして 殆ど輸入本を親しんでいる

 

 

  ビアトリクス・ポターの絵本を原文で読み、簡単な日常語も、杏はタドタドしいが、英語で話せている。24話中、最初の「ピーター・ラビットのおはなし」と、「アヒルのジマイマのおはなし」などを特に気に入って何度でも読まされる。そして最後は高柳佐知子先生の「エルフさんの店」で、杏の満足な読書が終わる。エルフさんのお話には色んなエッセンスが入っているから面白いのだろう。更にどうかなぁと思って見せたRenee Zellweger(レニー・ゼルウィガー)主演の映画「Miss Potter(ミス・ポター)」では本に出て来る動物たちが実際に生き生きとして動く場面があるので、杏のお気に入り映画となっている。ジブリ作品も幾つか見せたが、以外に「崖の上のポニョ」は好きではなかった。何と杏は「となりのトトロ」の大ファンなのである。どっちみち動物たちが大好きで、チョコレート色したトイプードルの自分の犬の名前もお気に入りの、トトロの姉妹サツキとメイからの、メイが好きだと言い張ってメイと名付けて可愛がっている。弟の愛犬はコーギー犬だが、まだ名前はない。単にワンちゃんとだけ言って、杏は決して面倒を見ないようだ。割とそこが一途で冷淡な部分は妻似なんだろう。弟は火の出る瞬間湯沸かし器のような存在で、表情が常に変化して飽きることはない。時折ワンちゃんと遊ぶのだが、直ぐに飽きてしまう。興味がクルクル変幻して自在なのだ。いずれにせよ、それら愛犬たちは当然ながら自分たちより逸早く花塚に入れられるようになる。そうなれば、「無常」を始めて知り、切なさも初めて認識するだろう。昨日まで「はぜらん」が満開であったが、現在は白い鉄砲百合が満開になり、花塚は何かと賑々しい。我が家での花塚はそれぞれのイノチの讃歌を絶唱している。花塚には哀しみだけではなく、多くの歓びも充満しているかのようである。

 

 

 花塚付近にある紫陽花の終わり花 意外と美しい ドライフラワーにして彩色する手もあり

 

 

 盆栽苑の傍にある藪のような花塚の花たち ここに色んな哀しみや歓びが優しく埋められている

 

広告
カテゴリー: 季節の移ろいの中で パーマリンク

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中