「ハレ」と「ケ」 日本人の祭の原型

 

 

 

 藤島竹二 作画 『天平の面影』

 

 

 

 

                   「ハレ」と「ケ」 日本人の祭の原型

 

  二度の世界大戦を敗北したドイツに比べたら、第二次世界大戦のみによる敗北であった日本へ対する戦勝国の対応は、中でもアメリカの対応の実態はまことに寛大極まるものであったといっていい。安保条約によって日本は経済的繁栄と安全保障を手にし、冷戦後も経済的打撃は一切受けなかった。寧ろ冷戦時代、唯一経済的に成功した国家であったろうとさえ揶揄されていた。ところがあの不思議なバブルの喧騒極まる狂乱を経て、不図気付いてみると、内外環境の変化に気付き、今やその遅れはどうしようもなく決定的である。政府は訳の分からない政争を繰り返し、明らかに政治が弱体化し、日本国ももはや救い難いほどの内向き思考だけで、日本人は自信喪失して、よく「第二の敗戦」であると言われる。経済的に堕ちこぼれて行くだけではなく、戦後茫漠としながらもあったかに見えた唯一のナショナル・アイデンテティさえ完璧に喪失していたのである。そんな喪失感や不安感が今日の坂本龍馬不在とか待望論の逸る気持ちを、堂々と論じたくなるのが生来の気分であるが、先ずこの混乱した日本人像をよく観察し、自画像として凝視することから始めなければならない。第二次世界大戦末期、アメリカのフランクリン・ローズヴェルト元大統領が死去すると、ドイツのゲッペルズ宣伝相は罵詈雑言を浴びせていたが、日本の鈴木貫太郎首相は深く哀悼の意を表した。この時ドイツの偉大な文学者・トマス・マンがアメリカ亡命していて、トマス・マンは、未だ死んでいない日本人の武士道的美徳をとりわけ褒め讃えたと伝えられている。それでは武士道とは何か、又それ以前にあるだろう日本人のアイデンテティとは何ぞやを改めて冷静に紐解いてみたくなるのが早道なような気がしてならない。確かに9月2日は太平洋戦争の無条件降伏文書への調印の日であるが、長崎へ原爆が落とされた日に参戦してきたロシアが今年ウラジオストックなど方々で終戦記念日として大々的にセレモニーが行われた。由々しき問題である。57万人もの軍民あげた抑留者を過酷に扱った非情さを、私たち日本人の脳裏には決して忘れることが出来ないでいるからだ。ロシア人の精神的美徳とは何処にあるのだろう。北方四島を不法に占拠している正当性をアッピールしているに過ぎないのではなかろうか。

 さて日本人を語るとき、避けては通れない史書がある。他でもなく『古事記』であるが、『古事記』の発掘と今日私たちが読めるようにして貰ったのが本居宣長の功績であった。宣長の半生を掛けて書かれた『古事記伝』は、実に歴史的にはまだ浅い時間的経過であると言っても過言ではあるまい。『古事記』は、とある栄光時代の太安麻呂に仮託された、オホ氏や秦氏など新羅・加羅系氏族の栄光の原拠であり、それは彼らを寵愛し、「日本国」を興した天武天皇を頌栄する書であったことに間違いない。そしてそこにある「神話」とは、実は「天皇が日本を支配する正統性」を語ることだけを目的とした物語である。そしてそれを前提にして、オホ氏などの系譜が書き直されていた。そういう『古事記』を現在のような『古事記』とした読んだのが本居宣長である。『古事記』は漢字仮名交じりの書き下し文ではなく、立派な漢文であり、今の『古事記』の正体は、本居宣長の『古事記伝』中で初めて出現したものである。宣長は『古事記』に、「古言」たる「日本語」を見つけた。「やまとごころ」である。そしてこうした「日本語」とは、我が「日本」の固有性であり、「日本人」であり、「日本民族」であったと断定した。つまり宣長が見出したものとは「日本」の原型そのものであったろう。こうして宣長は、天皇と結び付いている「永遠の日本」を作り上げてしまってもいたのである。近代国家には「国民」を定義することが常に求められている。「日本人」とは何かを定義しなければならない。このとき、近代日本の焦った選択は、宣長の定義を真正面から形骸的に採用したのだ。これが今も続く私たち日本人の何処かに潜むアイデンティティー(自己確認)の原型である。『古事記』は確かに「永遠に天皇とともにある日本国」を定義はしているが、そればかりではなかろう。そしてこの『古事記』が、「近代日本の聖典」である由縁であるように曲解された。その証拠に、そこには、どこにも「人間」の誕生や、「日本人」そのものが描かれてはいないのである。

 日本を、確定的な平安前期からもっと遡らせてみよう。「日本」と「天皇」を宣言し、紀記編纂を命じた天武天皇まではひとまず可能である。それ以前は「倭(ヤマト)」と「大王」の時代となる。それでも推古天皇・聖徳太子の時代を経て、何とか応神・仁徳、それに雄略天皇の古墳時代中期(「倭の五王」の時代)まで、日本の始まりを仮に引き上げ得たとしよう。しかしここから先は真っ暗な闇なのである。ちなみに応神天皇の母は、紀記に従えば神功皇后であり、それは『魏志倭人伝』の卑弥呼のことだとの声は多いが、活躍年代に若干の差がある。すなわち、四世紀をもって日本の、つまり大王(天皇)の確たる足跡は途絶えるのである。では何故に「ニッポンは昔から日本」であるのか。私たちの「失われた輪」(ミッシング・リング)に残された鍵は二つある。「紀記」と「魏志倭人伝」である。実はこれらの鍵を使った日本の始原探究は江戸時代に始まったばかりなのであり、倭人伝の邪馬台国を、わが北九州あるいは畿内にありとしたのは新井白石である(卑弥呼を神功皇后とした)。記紀万葉こそ、対外的に発せられた正史があること、或いは天皇制の正当性を、各豪族や蝦夷や隼人に対して定義づけられたものだったに違いない。

 民俗学とは昔の研究であっても、そこは習慣・習俗の研究であるから、常に変遷するのが当たり前で、勢い鎌倉時代から始まったとか室町時代から始まったとか、うっかり断言出来ないものがある。明らかに現在に伝わったいる習慣・習俗そのものを研究する分野である。従ってより実証的となると一層慎重であらねばならない。ただ記紀万葉にも既に垣間見れる「ハレ」と「ケ」の概念はどうやら限りなく古めいていて、深い興味を抱かざるを得ない。原始宗教はアミニズムであると同時に、極めてハレかケの感覚が旺盛だからであろう。そこに原初的な日本人の感性が潜んでいるのではなかろうか。それではハレとケの概念は、どんなものだろうか。先ず注目を要するのは時間的な流れであろう。まさしく円環的時間論に基づいているものである。円環的時間論というのは、世界は始まるが、一定期間が経ったら崩壊し、再び再生するという、時間が同心円を螺旋状のように回る世界観のことである。そこには本質的な「進歩」や「発展」はない。弥生時代には無論ハレやケの感覚は備わっていたと思うが、もう一つ冒険して縄文時代まで遡れないだろうか。と、いう浪漫を、筆者は抱いてしまうのである。

 この時間的観念に対するのが直線的時間論である。世界は一度始まったらもう元には戻らず、絶えず変化していき、最後は崩壊を迎えて終わるという、一回限りの一本の時間軸が延びた世界観である。現代に棲む私たちもまた後者の時間論の呪縛の只中にあることは言うまでもない。この世界観は、実はやや特殊なものであり、ユダヤ-キリスト教の世界観(神による世界創造~終末と審判)に基づくものである。なぜ直線的時間論が特殊なものであるかと言うと、この時間論を担うキリスト教的ヨーロッパ文明が全世界を席巻するまでは、世界では円環的時間論がむしろ圧倒的であったからだ。例えば、東洋的な王朝の時間を考えてみよう。まず、王の死が世界の崩壊である。新しい王の即位は新世界の誕生、世界の再生なのである。年号とは本来そういうものとしてあった(暦年主義の「西暦」と比較されたがよかろう)。王朝の交替という、より大きな事態では、全くもって世界秩序の作り直しなのであった。

 話を少し戻すが、人間は自然の一部であり、自然とともに生きてきた。そういう人間が自然の姿を見て、また自分たち自身の有り様を顧みて、どういう世界観をもったかは自ずからで明らかであろう。世界にあるあらゆる生き物は生と死によって明滅し、子は親をまねるように生きてきた。原初的、原型的な世界観が円環的時間論にあることは間違いない。実際、直線的時間論を自明にして生きる現代人である私たちでさえ、いまでも基底的には円環的時間論を生きているのではなかろうか。時間とは世界であるが、例えば「正月」は一年という時間の始まりであるとともに、世界の誕生(再生)である。生の前には死がある。大晦日の夜の、あの何とも言えぬ時間のやり過ごし方は「死」の体験でなくて何であろうか。それが証拠に、年が明けた新年の挨拶の晴れ晴れしさはどうであろう。一年自体が、生と死をくり返しているという感覚が、ハレとケに通じる。もちろん、一日や一月も生と死をくり返している。これを天に転じれば、太陽が、そして月が生き死にし、円環的時間をくり返しているのである。私たちも、一生涯の中で絶えず生き死にしている。放っておけば、生は崩壊してしまう。生エネルギーを補充し、再生行為をくり返さねばならないのだ。これが円環的時間論に棲む人生観である。

 ではいかにして日本人は、生涯の中で生エネルギーを補充してきたのであろうか。それは祭りの日に、神から得てきたのである。祭りの日こそ晴れ(ハレ)の日である。いまでは祭りとは見せ物となったものを言うが、しかし本来は、正月や盆、節句、農耕儀礼など、神と交渉をもつ様々な機会のすべてが祭りである。すなわち、これがハレの日である。祭りの本質とは何か。神話の再演、世界の始まりの時間を神と一緒に過ごすことにある(神人饗応)。そうしてから改めて原初のエネルギーを得るのである。その具体的な象徴行為が餅(米)を食べることだ。これはただの米ではない。神に捧げる食べ物を御饌(みけ)というが、これをおすそ分けしたケ(食べ物)である。神のエネルギー源と同じものを食べることで、ケ(生エネルギー)が充満するのである。これがハレる(晴れる、張れる、春、満ち満ちる)という意味になる。なお、御酒(みき)の場合も同様であるが、この「水」は変若水(おちみず、若返り、再生の水)となる。

 さて、話は変わる。ヨーロッパには円環的時間はないのか。キリスト教の普及以前には円環的時間論のケルト・ゲルマン文明があった。実は、ヨーロッパにも円環的時間が基底的に生き続けている。マリア信仰は今世紀になってローマ教皇に認知されるまでは「異端」の教えであったが、これは古代信仰の大地母神の偽装形態(カムフラージュ)である。さらに、キリストその人の誕生日であるクリスマスは、古代以来の冬至と正月の祭であり、その復活祭(イースター)とは春分祭(春祭り)に他ならない。つまり、キリストの名を借りた伝統的伝承的な太陽祭なのである。「復活」とは太陽(一年)の再生であり世界の再生である。復活祭に先立ち、謝肉祭(カーニバル)が行なわれる。最も有名なのがリオのカーニバルであるが、ご存知の通りサンバのリズムに合わせたらんちき騒ぎである。このどこがキリスト教的なのだろうか。その本質は円環的時間論に基づく祭りなのではなかろうか。ところでブラジルとは興味深い国である。インディオの土地と人々を16世紀にポルトガル人が植民地とした国であるが、その後、アフリカから多くの黒人奴隷が移住させられた。その結果、白人、インディオ系混血人、黒人が共存する国となった歴史を持つ。彼らの共通の信仰はキリスト教であるが、特に後二者の信仰は意識せざるカムフラージュであると思われる。インディオ、黒人たちの信仰の深層にはそれぞれの円環的時間論の神話があった筈である。リオでのカーニバルの盛大さはこの抑圧された神話の噴出と考えねば説明できるものではない。再生の前には「死」がなければならない。その「死」の期間に行なわれるのがカーニバルである。そこは非日常、いや反日常の時間、人の時間ではない神の時間となる。世界の秩序が誕生する以前の混乱状態(カオス、非・反秩序)を、カーニバルとして再演しているのだ。すなわち、誕生前の世界はこうあったという神話である。そして、祭りの終わりとは、秩序(コスモス)の成立(回復)、世界の誕生(再生)を意味することとなる。

 日本にも「カーニバル」はある。祭りの中で、人の時間ではないときがそれである。ケ(日常)の正気や秩序を失うとき、人は神の世界にいる。本来の祭りのクライマックスは、酔いつぶれることである。これもカオスであり、非-人知、神に近づくことなのである。また、盆踊りもそうしたものである。郡上八幡など一晩中、踊り明かすことが神憑かりの時間なのであろう。ハレとは、日常(人の秩序)を超えた時間、神の時間である。そして、祭りとは神話の再演であり、世界の死と再生なのである。今風に翻案すれば、日本がハレの日を迎えるのか、ケのままで無為に過ごし借金大国として後世に汚名を残すのか、二者択一の節目の時代なのである。

 

 

 富士遠望 山室山の図 本居宣長

 

 

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