古い押し花の匂ひする女(ひと)と、当尾へ

 

 

 微笑する石佛 阿弥陀三尊磨崖佛 願主岩船寺 大工末行(まつぎょう)と 刻銘あり

 

 

 

        古い押し花の匂ひする女(ひと)と、当尾へ

        ~花あしびをもとめ 浄瑠璃寺から岩船寺~

 

 結婚する前、妻が何処でもいいから三泊しようと急に言いだすものだから、その日のうちに勢い奈良へ行った。早春だったか秋くれないの時季であったか。遠隔地へはどうも気が進まない。さりとて一箇所への連泊は避けようということになり、気の向くままに近場の奈良郊外を歩いてみたくなった。東寺を過ぎる頃、あなたから誘われたと両親に言ったと、肩をすぼめて言う妻に、可愛い仕草が見て取れる。朝粥が美味しいというたった一つの理由で先ずは奈良ホテルに投宿することに。玄関も古びて、廊下もきしむようなホテルだが、何よりも気に入るのは天井の高さ。奈良はいつ来ても心地いいと妻も言う。狭い京都での暮らしは偶には窮屈になるらしい。午後の光りが漸く柔らかくなってきた頃、私たちは早めの食事を大食堂でとった。庭の隙間から猿沢の池がホンの少し見えていて、古樹が二人を隠している風。興福寺の五重塔だけははっきりと見えた。広めの部屋は仕事をするのにどうも不都合で、何処となく所在なく落ち着かない私。でもこういう時ってのは女性のほうが妙に胆が据わるらしい。折口信夫の「死者の書」や、会津八一の「鹿鳴集」や、堀辰雄や白洲正子の話などをポンポン話し出す妻は、何とも気さくでいいやと思いつつ、彼女の話を黙って聞いていた。奮発してルームサービスでシャンパン(ピンドン)を取ると、彼女も飲むという。しばらく経つと、合歓の花のように、やや淡紅に染まった頬をした妻を見ると、何だか眉刷毛のようで、何だか古い押し花の匂ひのするような子に見えて堪らなかった。小さい時からの愛読書は「更級日記」や「伊勢物語」であったらしい。私のそれまでは殆ど海外に出て、レア・メタルやレア・アーツ関係の売買や化学原料や医療関係の株取引に忙しくしいて、国内では専ら建築設計でずっと繁忙期ばかりだったからで、読む本と言えば数字と、横文字文化の表音文字の世界ばっかりであった。もちろん偶にはウィリアム・C・フォークナーや、バルザックやスタンダールの短編集やプルーストも読まなかったわけではないが、日本文学には極めて疎かったのが本音だったろう。そんなわけで、妻の前では聞き分けのいい子になっていたと思う。妻は珍しく遅くまで起きて、私の酔いが廻るのを手伝ってくれた。彼女は東大寺で夜八時に鳴る鐘の音(初夜~そや~の鐘)が鳴り響いてもずっとお喋りをして楽しんでいた。まるで秘するが花の帯をハラリと解くかのように。普段は自宅でも大學でも殆ど無口なのに、古典文学から薫る匂ひだろうか、妻から発せられる古びた押し花のような香りなのだろうか。何の押し花かも検討がつかないが、やがて私はいい薫りで朦朧となり、いつしか妻の胸の中にすぅ~っと入っていった。

 奈良の朝はいい。静かな部屋の中で爽やかに目覚めた。正式な結納はまだであったが、妻の実家から結婚の許可がおりた途端、もう新妻の顔になっているから可笑しい。前日頼んでおいた茶色の茶粥を食べながら、今日は歩き日和だねといい、どこに行こうかということに。堀辰雄が愛した花あしびの御寺・浄瑠璃寺へ行き、そこから岩船寺に行くハイキングはどう?と妻がいうので、早めにチェックアウトし、この夜の宿として電話してあった四季亭に向かった。そこに荷物を置いてから、バス停へ。朝十時前のバスに乗る。辺りは美しい鄙びた景色。柔らかな夜の気配を抱きながら、私たちは黙って過ごしバスに揺られていた。たった30分もしないうちに、狭い道のなか浄瑠璃寺に到着す。道標に沿って歩くと、やがて浄瑠璃寺へ。確か萩の花や薄の穂があったかも知れん。ウッカリすると通り過ぎてしまいそうな浄瑠璃寺の山門は堀辰雄の描いた「大和路~浄瑠璃寺」にもあったが、何故か花あしびや七本のも柿の木は見えなかった。既に枯れて幾年も過ぎたのだろうと思えたが、浄池を見て、左右対称に立つ三重塔と阿弥陀堂の対比が面白い。地元ではこの御寺を九体寺と呼んでいるらしいが、薄暗い阿弥陀堂の堂内に入ると圧巻。大きな阿弥陀様が九体も鎮座していた。受付で言われた通り、御本尊の直ぐ脇にある吉祥天女が開闢されていた。小さな御佛さまだが、頬がふっくらとして、何とも愛らしく大きく見える。間違いなく、この御寺は平安後期の造営された当時のまま、ふくよかな香りが充満し漂っていた。堀辰雄の「大和路~浄瑠璃寺」には馬酔木の花のことを「どこか犯しがたい気品がある。それでいて、どうにでもしてそれを手折って、ちょっと人に見せたいような、いじらしい風情をした花だ」と表現してある。

 

 

 浄瑠璃寺の九体阿弥陀佛 御本尊左脇に 吉祥天女さまがいらっしゃった

 

 浄池の廻りを静かに手をとって散策する。堀辰雄が描く柿の木や花あしびは確かなかったような気がする。でも堂々と立つ伽藍に惚れ惚れしながら見つめていた。佇まいが酷くいいのである。阿弥陀堂が浄土なのだろう。此岸は池の反対側にある三重塔だろうか。目映いほど鮮やかな色彩の塔の居住まい。一つも欠けることがなく、一つも余計なものがない一堂伽藍で、私は境内の反対側から亡き主人ばりの絵を夢中になって描いた。如何にも下手糞であるが、悠久の時を楽しむように、妻はまんじりともせず境内を悠々と歩いて楽しんでいた。

 

 

 

 

 上は我がパステル画による阿弥陀堂 下が写真による阿弥陀堂

 

 

 多分ゆったりと二時間はいただろうか。さてそろそろ本命の石佛巡りをしましょうという妻の声で、惜しみながら美しい御時の雰囲気を醸しだす御寺を後にした。狭い村のなかを歩いて行くと岩船寺へと道標が見える。何故岩船寺から来なかったか、妻がいうには岩船寺からだと、急坂が大変だからだという。確かに岩船寺への参道へ行くと、直ぐに急峻な坂道へ出た。竹林の風がサワサワとしていて気持ちいい。奈良駅で買った柿の葉寿司を二人で静かに開ける。ペットボトルのお茶が身体の芯にしみわたる。小枝の先から燦々と照る光りは私たちを自ずから慶賀してくれている様子。一陣の風が吹き渡り、又再び坂を歩き始める。何か視線のようなモノを感じ、不図振り向けば不動明王の磨崖佛が。

 

 

 

 竹藪の坂道の奥に屹立していた尊大なる不動明王尊像(磨崖佛)

 

 

 あっと小声をあげ、私はその御尊像と対峙する。光りの明滅が彼岸とも此岸とも言えない摩訶不思議な空気感が漂う。よく見ると、花崗岩の岩肌に「弘安十年亥丁三月二拾八日於岩船寺僧○○○造立」と読める。この年号は蒙古襲来の六年後のことだと妻の解説つき。既に岩船寺の寺内に入っているのだという。石佛たちはそこらじゅうにあり、これら石佛に何やら神佛混交の匂いさえ感じてくる。このお不動さまには敵国撃退の願文でもあったのだろうか。岩船寺は真言密教の御寺であるが、承久の乱後、哀れにも兵火に遭い、すっかり消失してしまったが、元々は聖武天皇の勅願によって建立された大寺であったという。道理で大きな境内に違いないが、本堂はどうなっているのだろうと気が急かされた。そこで妻がいうには、これら多くの石佛さんは大工末行(まつぎょう)という帰化人の作だと。南都が平重衡によって焼かれた後、南都東大寺などの復興のために南宋から招かれた御仁にて、京田辺市の法泉寺に十三重石塔があり、それらは数少なく散見される程度だが、中々の石佛美術史を飾っているのだという。更に下って行くと、「右浄瑠璃寺、左三尊阿弥陀、みろくの辻」と書かれた道標があった。ここを境に、奈良から笠置街道・伊賀伊勢へと通じる古道だと説明される。何気なく次々に説明出来る妻に心強く思えた。うら若い女性がよく勉強したものだと改めて感服した。更に進んで行くと、畑の中、山上中腹に驚くべき巨岩がせせり出ている。近づいてよく見ると、何と磨崖佛阿弥陀三尊像ではないか。よくよくご機嫌のご様子で、三尊とも心から笑っていらっしゃる。中央の御佛は阿弥陀如来坐像で、定印を結んでおられる。座高80cmほど。向かって右は観音菩薩坐像で、この御佛も笑っていらっしゃった。向かって左は勢至菩薩坐像だろうか、蓮台に座って、この御佛も心から笑っているようである。何とも長閑な光景の中、人っ子一人いない静寂の中に私たちはいた。私たちもつられて微笑したままどのくらいいたのだろう。どの御佛も心底から笑っていらっしゃった御姿にすっかり魅せられ、時が経つのを忘れ、そこに二人では佇んでいた。その御三尊とは巻頭の写真の微笑佛である。そこの足許を見てという妻の問い掛けに、先ほど這い上がって来た土の階段の中途に、もう一体の小さな石佛が草陰に隠れるようにしてあった。遂最近までお隠れになっていらっしゃった御佛で、通称を「眠り地蔵さま」だという。どの御佛さまへも深々と頭を垂れ、佛道を成ぜむと、我発心し祈り給うた。

 

 

 

 上が磨崖佛阿弥陀三尊像の全体 左下にある通称「眠り地蔵尊像」 最近まで叢の中にお隠れになっていたという

 

 そこにどのくらいいたのだろう。二人は沈黙したままでも、どんなにか充足感があったのだろうか。阿弥陀さまの御前で二人してじっと佇んでいた。晴れやかな旅路。美しい長閑な光景。何一つもいらなかった。欲しくもなかった。満ち足りていた。そろそろ歩き始める。漸くやっとこさ岩船寺に到着。山門を潜ると、何とまぁ瀟洒な佇まいだろうか。浄瑠璃寺の半分もない境内だが、「花の寺」としても名高いようで、櫻爛漫たる時季や、紫陽花の頃や、紅葉の頃か、嫌そうではない。秋の初めの今時分であったと、そう思い出した。私たちを出迎えてくれたのは秋名菊だった筈と。

 

 本堂前にある秋明菊(貴船菊ともいう) 秋の到来を告げていた

 

 

 御本尊阿弥陀如来坐像、四天王立像、普賢菩薩騎象像、十一面観音菩薩像、薬師如来坐像、菅原道真像、弁財天像など、諸佛・諸天尊像が瀟洒な空間に居住まいし、まことに見事な大寺の風貌を感ぜられた。秋紅葉の時もいいですよと仰るご住職さまが直々に受付にいらっしゃった。私は古色蒼然たる岩船寺の印寡を頂戴したくなり、図々しくも揮毫をお願いしてみた。そしたら直ぐにいいですよと仰られて、堂々たる筆捌きで、「開一華五葉」と印字して戴いた。曰く「いっかごようひらく」と。「一輪の華が開くということは、生命の根源である地・水・火・風・空の五要素によって開いています。人間も万物の支えによって生かされているのです。その自覚をもって日々を過ごしたいものですね」とにこやかに仰って戴いた。何とも言えぬ感動を覚えた。堂内にはその他、最も奥に三重塔がキリリと立っていなさる。五輪石塔や、十三石塔や、石室不動明王や、厄除け地蔵菩薩さまや、目を瞑るとまことに大きな御寺が網膜の中に現出せられた。当然寺の外にある幾多の石佛群も想像の範疇に入る。江戸時代の御寺の縁起によると、聖武天皇が夢想によって、大和国鳴川善根寺に籠居していた行基菩薩さまに、一宇の阿弥陀堂を草創させたのが始まりであったらしい。弘法大師の姉の子である智泉大徳が伝法灌頂して、新たに報恩院を建てさせたとある。その後嵯峨天皇がこの智泉大徳に勅して皇孫誕生を祈願させたところ、霊験があらたかに、無事皇孫が誕生したのだという。その子は後の仁明天皇で、この恩顧に報い、広大な寺領を授け、皇后本願寺となって、弘仁四年(813年)に岩船寺として改められたと言われている。寺院の方々の立ち居振る舞いや、岩船寺の願主と書かれた多くの石佛群の壮大さを想像するに、容易に馥郁とした往時が偲ばれてならなかった。深く御礼を申し上げ、岩船寺を去ろうとした時、ちょうど村の方が来ていらっしゃっていて、よかったら奈良市内まで所用があるのでついでに送りますからと、軽自動車に乗せて戴いた。妻の身長は176cm、私の身長は185cmで、縮こまって座る私たちを見て、運転して下さっている御方から笑われたり驚かれなどしながら、しばし岩船村落のことや丘陵地帯に点在する石佛たちに話題が弾んだ。ちょうど日が落ちんとする時刻、直接四季亭まで送って下さった。何という魔法の一日だったのだろうと。春日大社一の鳥居脇にある奈良公園・四季亭で三階にたった一つだけある部屋・観月の間に落ち着いた。我が愛する部屋でもある。軸物は西大寺住職の堂々たる書。そして食事時久し振りに逢う女将のご挨拶などを受け、奈良・唐招提寺近くで焼かれた赤膚焼きの器で心行くまで懐石料理を楽しんだ。その夜、確か月は出ていなかったかも。会津八一先生の歌、「ゆめどのはしづかなるかなものもひにこもりていまもましますがごと」や、「義疏(ぎそ)のふでたまたまおきてゆふかげにおりたたしけむこれのふるには」など鹿鳴集歌を吟じ、いにしえのものおもひを蘇りさせたくなるほど、静かな、再び二人だけの夜。妻に何故当尾は京都府なのに京都の匂いがしないけど、どうしてと質問する。妻は東大寺や法隆寺の学僧たちが、この地を好んで必死に佛教の本義を勉強したためだから南都の薫りがプンプンなのえと。更に当尾を塔尾とも古来から呼ばれていたともいう。冷酒を交わしながら、妻の古い押し花のような薫りとは、何の花の押し花なのだろうかなぁと考えた。ラベンダーのような強い香りでは断じてない。酔いが程よく廻った頃、そうかぁと思い出した。足利義正の銀閣寺、あの銀沙壇脇にある国宝・東求堂に密やかにある香木の、幽かな薫りではなかろうかと思われた一瞬、妻の顔を見やった。そして可笑しいことに、その瞬間、相対して微笑佛のように妻が微笑みかけるものだから、咄嗟に目線が宙に浮いた。それから正対して透き通るような妻の肌をしみじみと見つめ直した。心地いい疲れが二人を包む。宇佐八幡宮を本宮とする六郷満山の石佛も、臼杵の磨崖佛も、その多くの石佛たちは何故神佛混交の古い薫りが漂うのだろうかと、その夜二人して興奮気味に長いこと話していただろうか。折角だからと、高野槇で出来た大きな木風呂に二人で浸かった時も、妙なのだが、議論のしっ放しであったことをよく記憶している。浄瑠璃寺から岩船寺まで、たった2キロの道程。それを丸一日を掛けたスローな散策の終わりは、確かに我が妻になる自覚が、彼女に現れ出ていたに相違ない。忙しさしか知らなかった男にはどんなにか救われたような思いがして、嬉しかったことだろう。

 

 

 岩船寺住職の揮毫 「開一華五葉(いっかごようひらく)

 

<ご参照に>世の中は広いもので、ネットで検索致しますと、「当尾の里の寺と石仏」がヒットしました。ご興味のある方はこちらもどうぞご覧あれ!

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