夏が去り、虫たちの大合唱

 

 

 木の実 アラガシ ウラジロガシ シラガシなどの木の実 何時の間にか秋来たる

 

 

 

       夏が去り、虫たちの大合唱

 

 

 当家にはカシの樹が多いが、シイの仲間でマテバシイやスダジイの実は袴(殻戸)が実に面白い。クヌギやナラカシやカシワの、ナラ類の実はもっと面白い。何だかほんわりとズボンを穿いてるようで、見ると、何だか幸せになる。三角の頂点は皆葉っぱになる部分で、養分を蓄える子葉の部分は、人だけではなく栗鼠や猿や、色んな生きものが狙っている。街には豊かな実をつける樹々が意外と多く、よくよく観察すると、何だか心が弾んで来る。街路樹もそろそろ秋の支度だろうか。僕たちに秋はやっと来た。親子四人での散歩は珍しいが、気のせいかチビたちも嬉しそうだ。買ったばかりの新しいズックが嬉しい杏。何とかオムツが取れそうな大風。地味な服装でも自然に目立つ妻。僕は相変わらず本麻の作務衣。僕だけが下駄を履いている。家内はそれがいいというものだから、殆ど下駄で通す。カランコロンと、歩道に響くけれど、妻にそれが好きなんだと言われるから、そうしている。朝の気温もすっかり秋らしくなり、冷房をつけることがなくなった。この朝の冷気は格別で、都会の朝は早い。聖心女子大のすぐ脇を通ると、どうも僕たちは目立つようである。早く通学して来た女子大生から、やたらと僕たちを眺められる。

 子供の頃、僕は夏が好きではなかった。田舎がないからだが、一人っ子で、ただ一人で過ごさなければならなかった。別荘のある連中は家族で疎開するかのごとく、家人も皆いなくなった。強いて言えば祖母の実家がないわけではないが、母親と離れ、一人で旅だつ勇気はなかったのだろう。殆ど大好きな数学を勉強して過ごしていた。偶に母に誘われ、銀座にご飯を食べに行くか日比谷で映画を観て帰るのが一番楽しみだった。新橋~横浜間の鉄道に乗り、両替商の街であった銀座は、築地の外人居留地に行くまで必ず橋を渡り銀座を通り過ぎなければならない。いつしか銀座は世界の情報が集まって来るようになった。新規の町並みが出来るようになると、新橋の花街が急速に縮小し、名残は新橋演舞場として残ったぐらいで、谷崎潤一郎が愛した新橋芸妓は戦後とくに目立って少なくなった。高橋洋服店など、所謂羅紗屋さんは何軒もあったらしいが、今ではこの店一軒ばかりで、父から教えられ、今でもこのお店でスーツを生地から見付けオーダーしている。現在のダンディな社長は、いい仕立て屋さんを育てようと張り切っていらっしゃる。

 

 

 蝉のぬけがらが葉裏にあり 杏が見つけて 大いに喜んでいた

 

 江戸時代、幕府の水甕だったのは赤坂山王地区の溜池であった。市街中、最も低いところで、湧水もあったらしい。小石川植物園や六義園や新宿御苑や浜離宮や古河庭園や、東京の古めいた公園は、その殆どが旧上屋敷か下屋敷の、武家屋敷跡である。僕たちのいる場所は、最も多く下屋敷や薬草園が多くあったところで、江戸は江戸でも街外れであったのだろう。当時の古地図を見ると面白いことばかりで、まるで藤沢周平になったような気分がする。有栖川宮記念公園は元は盛岡藩の下屋敷であったが、それ以前は赤穂藩浅野家の下屋敷であった。大石蔵之助が瑤泉院さまに暇乞いに訪れ、「南部坂雪の別れ」の場面に設定されている南部坂の話は、図書館より先で、赤坂二丁目あたりのアメリカ大使館官舎があるところである。有栖川宮記念公園の高台に、東京都立中央図書館が併設されており、僕が子供の時分から通っていた図書館がある。杏の大風もきっとお世話になることであろう。広尾商店街を歩いていると昔馴染みのご老体がお達者なのは嬉しいことで、声を掛けて戴いたり、家内やチビたちの紹介も結構楽しいものである。

 

 

 もう色づいた櫻の紅葉が落ちていた

 

 公園内で杏が見つけた蝉の抜け殻は夏の終わりを告げ、風あざみの到来というところだろうか。先日の強風で落ちたドングリの実を集める。松ぼっくりも、イネ科の大茜(オオザイ)モロコシの雑草も、背高のっぽになったヨモギも探せば至るところに秋色風見があった。櫻の葉も所々に紅葉して落ちていた。猫じゃらしを採って、娘をからかうと、むっとしてやり返す。それを見てゲラゲラ笑う息子。妻も目いっぱい楽しんでいる様子。足を鍛えなきゃと言いつつ、なかなかジョグも出来ないからと言って品川にあるスポーツ施設の会員になったが、どうやら行っていないらしい。でもこんな平凡な散歩が好きらしく、家族がもっと増えればいいねと僕の顔を見る。妻は拠点として我が家を最大に重んじているようで、仕事場に向かう時も顎を突き出して真っ直ぐ進んでいる。時々こうして一家結束する時間をとても大切にしているようである。普通のことがそのまま行けたら望外の幸せというものだろう。チビの大風は続けて何メートルも歩けないが、四人で歩ける楽しさは格別である。夕暮れ時になると我が家では虫たちの合唱の競演が始まる。そんな他愛ない秋のこと、じわじわと嬉しさがこみ上げてくる。

 

 

 鶴首の野葡萄活けてみた

 

 

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