Apprivoiser サン=テグジュベリと妻コンスエロの愛の軌跡

                 

         img158 バラの回想 星の王子さま

 

 

 

                         Apprivoiser  サン=テグジュベリと妻コンスエロの愛の軌跡

 

 

 『星の王子さま』の中に出て来るように、コルシカ島から独軍に対し偵察飛行に飛び立ったサン=テグジュベリ(1900~1944)の最期は、永年砂漠のど真ん中に墜落したものと思われていた。ところがマルセイユ沖リュー島付近で、1998年9月にキラキラ光るブレスレッドが漁師の網に引っ掛かって、何とそこにはAntoine de Saint-Exupéry(Consuero)と刻印のされた銀のブレスレッドであった。米仏間の様々な問題を乗り越え、遂にその5年後に飛行機の製造元であるロッキード社から飛行機の残骸が引き上げられ、その機体に残る製造番号から正式にサン=テグジュベリが操縦していた飛行機であることが認定された。そして今年3月、独軍の元パイロットのホルスト・リッパート氏が永年の沈黙を破って、「永い間彼があの撃墜した飛行機を操縦していなかったことを願った。独軍パイロットも皆彼の飛行小説のファンだったからである。もし彼だと知っていたら撃たなかったことでしょう。罪悪感は決して消し去れないのだ」と。

 この銀のブレスレッドにはサン=テグジュベリの名前の次に括弧して妻コンスエロの名前が刻印されている。ここにサン=テグジュベリの本心が隠されているのだが、最初にサン=テグジュベリの伝記を出版した女性は、ネリー・ド・ヴォギュエという女流作家で、ピエール・シュヴリエという男性の名前でサン = テグジュペリの伝記を 書いている。サン= テグジュペリとは最後10年の付き合いがあったサン=テグジュベリの愛人でした。フランス人ならみんな知っている事実だが、ヴォギュエは伝記の中でたった2行だけコンスエロのことを書いている。3度目の結婚であったコンスエロは徹底的に嫌われ、嫉妬もあったかも知れないが、「サンテックス(サン=テグジュベリの愛称)に紙屑みたいに捨てられたのよ」と。リヨンのカトリック教貴族であったサン家では、中南米のエルサルバドル出身のスペイン人であったコンスエロをよくは思わなかったし、フランス人気質もコンスエロの出自を認めなかったようである。従ってたった一人の妻の名前が一切隠されて来た経緯があったのだ。あんなに激しく愛し合った夫婦であったのに。そしてサンテックスと出逢った時は激しい恋であったし、サンテックスが郵便飛行をしていたパイロット時代のことであった。26歳で文壇デビューしたサンテックスは、30歳でこのコンスエロと結婚をしているが、結婚後、小説『夜間飛行』が発表されるや、サン=テグジュベリの名前が一躍有名になり、二人の関係が危うくなって来るのだった。もともと少年時代にはリヨンのサンモールレマンス城に住んでいた貴族であったわけだし、その上お金が入って来ると、南仏のグラースからパリに転居し、社交界で華々しい脚光を浴び稀代の寵児となったようである。サンテックスの周囲には多くの女性が集まり、帰りが夜明けになることもしばしばであって、転居先のホテル・リュテシアでは、いつしか二人は上下階を隔てて住むようになっていた。ところが6年前、グラースで、コンスエロの元秘書マルティネス氏の自宅2階から、13年間に渉る熱烈なラブレターが大量に発見された。去年二人の熱烈な愛の往復書簡がフランスで『サン=テグジュベリ 愛の伝説」として出版されると一転し、『星の王子さま』に出て来る薔薇はコンスエロがモデルに他ならないというのが現在定着している一般的な見方になったのである。

 

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 左の古ぼけた本は、僕が中学に入ったばかりの頃、母が流暢なフランス語で読んでくれた『星の王子さま』であり、右側の本は最近仕入れた岩波書店の新しい本で、翻訳者は内藤濯である。母のは身振り手振りの解説つきで、実に楽しかった。母の解説がなかったら、多分チンプンカンプンであったろうと思う。母からは「心で見なくちゃ、物事はよく見えないってことさ、肝心なことは眼に見えないんだよ」と何百回も教えられたから、それだけは深くインプットされている。つまりこの本は児童書とは言えない部分が多くあって、児童書の体裁を借りた大人向けのファンタスティックな本ではないだろうか。実際僕が大学に入ってから読んだ時は全文が政治色の濃いストーリーに思えた。バオバブの三本の樹はヒットラー政権であったしムッソリーニ政権であったし東条英機政権の三本柱に読めた。22歳年上の友人レオン・ヴェルト氏に献ずる形で出版されているのも、フランスの片田舎に隠れ住んでいる友人はユダヤ人で、ナチスに対抗してのことだろうと思えた。又自分の体面を保つことに汲々とするはイングランドに、賞賛の言葉しか耳に入らない自惚れ屋は独裁政権に、酒を飲む事を恥じ、それを忘れるために酒を飲む呑み助にはフランス国民に、夜空の星の所有権を主張し、その数の勘定に日々を費やす実業家(絵本、新訳の一部ではビジネスマン)はアメリカ人に、1分に1回自転するため、1分ごとにガス灯の点火や消火を行なっている点燈夫にスペイン人に、そして自分の机を離れたこともないという地理学者はスイス人に思えた。今考えると全く馬鹿馬鹿しく当たっていない比喩であるのだが、サンテックスがアメリカ亡命中に、彼を対米友好大使に任命したフランスのヴィシー政権はドイツ寄りの政権でフランスの恥であろうと思えてならなかった。ところが近年、あの星に忘れて来た一輪の薔薇は何の比喩なのか、考えても考えても分からなかった。年齢を重ねるにつれ、その薔薇の存在が大きくなり気掛かりで気掛かりでならなかった。

 この夏、コンスエロとの書簡集『サン=テグジュベリ 愛の伝説』と、コンスエロ自身が書いた『バラの回想』を読む機会があり、今まで解けなかった謎が一気に爆発的に読めたようで晴れ晴れした気分になったものである。『バラの回想』というのは強烈な皮肉にもきこえる本でコンスエロは、サン=テクジュペリの一方的な見方をことごとくひっくり返して見せている。つれなかったのは、夫の方なのだ。妻を置いてきぼりにして飛行機に乗り浮気を繰り返す。にも関わらず、妻に甘え、事故に逢ったり病気になったりすると直ぐにコンスエロを呼び出す。自分は愛人を持っているのに、妻には貞淑さを要求し、ストーカーのようにつけ回している。尤もコンスエロ自身人のことは言えない。情熱的な女であるコンスエロは、色んな男に一目惚れをくりかえし、そのたびにサン=テクジュペリの元を去ろうとするのだが、最後の瞬間に思い直す。だから、このドラマは「どっちもどっち」とした方がいいかもしれない内容であるが、コンスエロのサンテックスに対する愛が明らかにたっぷりと満ちていた。

 それにしても『星の王子さま』は全編孤独感に漂っている。愛するコンスエロは今どこで何をしているのか、サンテックスは肉体の全部から発する熱烈な愛のラブレターや電報を送る。一方コンスエロもあなたなしではどうにもならない孤独感をしたためる。ふと見ると、この二人はピッタリと似た者同士で、激しく完璧な愛を求めるがために、逆に別な方向に出向いたことが際立っていたのがよく分かる。その二人の思考回路が全くよく似ていることに気付く。二人の愛の旅は何だったのだろうか。キツネの寓話に代表されるように、それは人と人の絆を求め探す旅ではなかったのだろうか。その結晶が『星の王子さま』ではなかったか。大空の自由な天地を愛し、たった一輪の薔薇を限りなく愛したサン=テグジュベリ。14年の間に、別居が5年、そして最期の2年も離れ離れ。苦しかった愛の軌跡であったのだろう。

 『星の王子さま』はニューヨークで書かれている。マンハッタンから車で1時間。昔富豪が住んでいたベヴィン・ハウス(コンスエロは星の王子さまの家と名づけている)はコンスエロが見つけた。サンテックスが初めてそこを見た時はまるでベルサイユ宮殿ではないかと歓んだと言う。この雑木林の中の白い家で『星の王子さま』が書かれた。1941年アメリカがヨーロッパ戦線に参戦し、サンテックスも気が気ではなかったのではなかろうか。1943年ニューヨークで英文と仏文で『星の王子さま』が出版された初版の後、一ヶ月と満たない時にサン=テグジュベリは決心する。愛する者のために、僕は戦争に行くと。そして平和や、僕を愛する者のために、僕は銃弾を受けに行く。誠実・純真・忠実、心のこもった仕事を守るために。たくさんの薔薇があっても、たった一本の薔薇のために死ねるんだと。コンスエロは泣いて頼む。行かないで!だがサン=テグジュベリの決心は固かった。偵察機には銃弾が一切なかった。やられたらやられっ放しである。そうしてコルシカ島から南仏に向け飛び立ったサン=テグジュベリの飛行機はプッツリと音信不通になり一切帰ることはなかった。『星の王子さま』は今の僕なら完全な愛の物語であると断言出来る。Un voyage spirituel sans fin!失った時間を取り戻す心の旅が、この美しい物語のすべてではなかっただろうか。1944年コンスエロと別れたまま、サンテックスはマルセイユの沖の海中に果てたのであった。「心で見なくっちゃ、物事はよく見えないってことさ、肝心なことは眼には見えないんだよ!」

 

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Apprivoiser サン=テグジュベリと妻コンスエロの愛の軌跡 への8件のフィードバック

  1. 道草 より:

    私がこの有名な物語を読んだのは、随分と昔のことでした。確か、中学校の図書室で借りて帰路の山道を歩きながら読んだ記憶があります。しかし、内容はまるで理解出来ず、少しも面白くなかった記憶があります。何か複雑な寓話に富んだ物語だとは思いましたものの、それっきりで過ぎてしまいました。今回の硯水亭Ⅱさんの読後感を読ませて頂き、成る程そういうことだったのか、とお恥ずかしながら聊か遅きには失しましたが改めて納得させて戴いた次第です。私達は日々生きているに当って、一体何の為に生きているのか、自分の存在理由は何なのか、などとそれ程も意識せずに暮しております(私だけかも知れませんが)。しかし、ある年齢に達しますと、己の人生は何だったのか、とふと考えることもあることはあります(遅い、と言われればそれまでですが)。そんな時、この作者の『人間の大地』ですか、「たとえどれほどささやかなものであろうと、自分の役割に気付いたとき、はじめて私たちは幸福になるだろう。そのとき初めて、私達は平和に生き、平和に死ぬことが出来るだろう。なぜなら、生に意味を与えるものは、死にも意味を与えるからだ」。確かこんな言葉を切に噛み締めることもあります。作者が『星の王子さま』で、「ぼくは、ぼくのバラの花に責任がある…」と言わせているのも、例え小さな事でも自分の役割を誠実に果たそう。そこにこそ自分の生きていく意味がある。と言いたいのでしょうか。その「バラの花」は硯水亭Ⅱさんの解釈のように、自分の真に愛した人のことなのでしょう。母上が何百回と解かれた「心で見なくちゃ、物事はよく見えないってことさ、肝心なことは眼に見えないんだよ」は、いみじくも作者は「この世界を平和にしたいと思ったら、目を閉じるだけでよかった」(『夢をみる言葉』)に通じるのでしよう。時には靜かに目を閉じて考えることの大切さを、しみじみと教えらたことでした。

  2. ただ今カフェで読書中 より:

    硯水亭様
     
    こんにちは。
    『星の王子様』には思い出があります。パリジェンヌのEとパリのカフェでおしゃべりしていたとき、彼女が自分のことを「ユニーク」と言ったのです。彼女は、一人っ子という意味で、ユニークという単語を使ったのでした。
    その時に私は、英訳で読んだ『星の王子様』の中で、同じような「ユニーク」の使われ方がしていたことを思い出しました。つまり、かけがえのないもの、という意味で、ユニークという単語が使われていたのでした。
    でも、流暢なフランス語で、それも身振り手振りの解説つきで読んでくださっただなんて、何てすてきなお母さまでしょう。かけがえのない思い出ですね。
    『サン=テグジュベリ 愛の伝説』も『バラの回想』も私はまだ読んだことがありません。是非読んでみたいと思います。
    どうもありがとうございました。

  3. 文殊 より:

                      道草先生
     これはどうだ、あれはどうなのだと様々に考えると、なかなか難しい本ですよね。例えば5億何千万という数字が出て参りますが、母の話ですと、当時世界大戦に加わった人の数だというのです。みんな意味があって、それを解き明かす楽しみがあるのよって。『星の王子さま』のバラには4つのトゲがありますが、母の解釈はドイツ軍の鍵十字ではないかと。でもおかしいわぁ、多分奥さんのコンスエロに4つの何か秘密めいたものがあるかも知れないわねとも。王子さまはバラとのいさかいの結果、旅をしながら地球にやってくるのですが、最後キツネと友達になって、キツネから大切なことを教えられます。中でもバラを愛するようにと。そう言えば前半部分に出て来る「花=バラ」との話は、今読むとコンスエロとの確執や愛や誤解などと読み取れますね。それが長いんです。7章から9章までの花の話はコンスエロではないかと想像しています。何と言いましても27章ある物語で、実に17章もバラのお話が出て来るのですから、バラは何かとはっきりさせたいですね。そこが今回の記事の重要な部分でした。僕は妻コンスエロであると断じましたが、多分そう間違ってはいないでしょう。キツネが別れ際に、絆の話をします。「もう一度バラに会いに行くといいよ」と。王子さまも僕のバラなんだよと言います。それでキツネの秘密の話になるんですね。「心で見なければよく見えてこない。大切なものは眼には見えないんだよ」と。王子さまは失った時間の大きさに気づきます。と、そんな解釈で考えると、第二次世界大戦の荒波の中、必死で愛し合う夫婦の絆が、この物語の本質ではないでしょうか。42歳のサンテックスは僕の身体はボロボロなんだよ、飛行服さえ満足に自分で着れないんだからと。そうしてそれでも行くと決断し、43歳で戦争に出て行ったんでしたね。残酷な夫婦の終わりです。それを覚悟していたのでしょうか。何だかサンテックスの死は覚悟の自殺のように思えて仕方がないんですよ。コンスエロに宛てた最期の手紙は涙で濡れていました。一行ごとに眼鏡を拭いて書いたようです。最期に星たちに私たちを見守って下さいと。「夜になったら、星をながめておくれよ。ぼくんちは、とてもちっぽけだから、どこにぼくの星があるのか、きみに見せるわけにはいかないんだ。だけどそのほうがいいよ。きみは、ぼくの星を、星のうちの、どれか一つだと思ってながめるからね。すると、きみは、どの星も、ながめるのがすきになるよ。星がみんなすきになるわけさ」と王子さまは言います。この一文は、僕の母親が死んだ時、夜空に向かっていつも泣いていた一番大きな根拠になった文章でした。年齢に応じて、多分様々に読み方が違って来るのでしょうね。今日も有難う御座いました。
     

  4. 文殊 より:

              Hayakawaさま
     
     コンスエロの証言によりますと、サンテックスは非常に寡作な人で、それというのも経験上のことしか書けないからだと。生前の作は7作、亡くなってから発表されたのは7作。でも今でもフランスで最も人気がある作家で、今でも6000万部以上も売れているようです。但しフランスで発行されたこの本に出て来るサンテックスの水彩画はフランス版に原画としては御座いません。すべてNYから発行された淡い色彩の絵、約50点ほど実作の絵ですが、こちらが本物なんです。フランス人好みにするために、トレーシングをして絵を描き移し、派手な色彩の絵を挿絵としたのでしょう。今現在は使われていないようですが、サンテックス直筆の絵派水彩で、淡い色調が特徴です。小説家や詩人などにベヴィン・ハウスに集まってもらって、ポーズをお願いして描かれた絵らしいです。冒頭の部分に砂漠の中のぼくがいましたね、あれも実体験の経験上の文章だったらしいのです。そしてこの『星の王子さま』は最も遅い筆で、たった一枚を書き上げるのに、100枚は破り捨てたと言っています。連日真夜中まで掛かって、夜中にコンスエロを時々起こしてスクランブルエッグを子供みたいに言い出す始末だから、ついに仲違いをしてしまって、最後の数頁はハミルトンというNYの愛人宅で仕上げられたと言われています。それでもこの可笑しな夫婦はどんなに離れていても、そしてお互いが何をやっていても、激しく求め合う不思議なカップルでした。『サン=テグジュベリ 愛の伝説』は(アラン・ヴィルコンドレ 鳥取絹子 訳 岩波書店邦訳)があります。『バラの回想』(文芸春秋社刊 香川由利子邦訳)がありますが、『サン=テグジュベリ 愛の伝説』は凄いです。『星の王子さま』の内幕を読んでいるようで素晴らしいです。手紙を公表したのはこの本の著者でアランさんですが、フランスでは最も有名なサンテックス研究者です。
     
     コンスエロは長いこと、NYに留まるのですが、帰った自宅は二人のもともとの自宅であるグラースでした。グラースと言えば南仏の薔薇栽培で有名な場所で、特に薔薇の香水はすべてここで作られているのです。どうです、何か象徴的ではありませんか。コンスエロの元秘書であったホセ・マルチネスさんが未だにコンスエロのここの自宅を管理しています。永い間、悪妻と評判の高かったコンスエロは今後は益々もっと正確な見方に変化して行くでしょう。
     
     あはははは!母は可笑しいでしょう。天真爛漫で、明るい人でした。お嫁に来て2年目で、父の実母の介護をやり、僕の世話と祖母の世話で大変だったと思います。父は海外出張が多くいつ帰ってくるか分からないビジネスマンでしたから、8年間祖母の面倒を見ました。祖母が亡くなった時。でも自宅で逝かせるおkとが出来てよかったわぁと明るく微笑む人でした。モリエールの脚本を読むためにフランス語を、チェホフを読むためにロシア語を、シェイクスピアを読むために英語を、みんな芝居がらみでした。多分本人は熊井明子さんのように書きたかったのか、現役復帰して役者でもやりたかったのか。そろそろHayakawaさん宛に、僕の母のことを書きましょうね。まだ先のことですが、今日もおいで戴き有難う御座いました!
     

  5. Unknown より:

    こんにちは。私も二冊の『星の王子さま』を持っています。一つはフランス語版、一つは硯水亭さんと同じ岩波書店のものです。フランス語版の方は大学時代に買ったもの。それを読みたくて第二外国語をフランス語にしたのですが、結局無理でした。流暢に読まれたお母様は素晴らしいですね!
     
    『星の王子さま』との初めての出会いは中学一年生の時で、学校の図書館で借りました。夏休みの宿題の読書感想文を書くために。何の本を選んでも自由でしたが、何故この本にしたのかは覚えていません。自分が育てた朝顔の花と薔薇の花とを比べて感想を書いた記憶はあるのですけれど。のちにこの薔薇は恋人ではないかと思うようになりましたが、その時には想像もつきませんでした。
     
    岩波書店のものは高校生の時、おこづかいで買いました。その絵が大好きで、いつでも手元において観たかったためです。内容については中学生の時より深く読めるようになってはいましたが、いまひとつ分からない感じも・・・それは今でもそうですが、分からないままに、絵と詩のような文章とが一体となった大好きな一つの世界です。
     
    近くの小さな動物公園にフェネックギツネがいるんです。可愛らしいのですが、いつ見に行っても、たいがいお昼寝しています。

  6. 文殊 より:

           夕ひばりさま
     
     母は幼少の頃から色んな外国語を習っていました。フランス語では御茶ノ水のアテネ・フランセが彼女の大好きな庭だったように思います。僕も小学校の時からアテネ・フランセに通いました。母の場合、自らの趣味というか仕事というか、徹底していました。モーパッサンの短編小説が彼女が一番大好きでした。父とは演劇の先輩後輩の間柄らしいです。僕は大きくなり、建築学部に通っていていました。その時分の死んだ遠い母を思い出し、アテネ・フランセにちょこっと通ったぐらいです。母のは本当に流暢な素敵なフランス語でした。母は外国語は感性を磨く、絶対にいいよと僕に言っていました。今になり何となく分かって参ります。この『星の王子さま』も大切な母との思い出です。母も随分読み込んでいましたが、母はコンスエロの存在を殆ど知りませんでした。勿論正妻がいるとは分かっていたのですが、これほど重大な要素をサンテックスに提供していた人だって知らなかったことでしょう。もっともコンスエロはサン=テグジュベリを「アントワーヌ」としか呼んでいませんが、主観ですが彼女が愛した人は間違いなくサン=テグジュベリたった一人以外はいませんでしょう。夫に負けずにシュールリアリズムの画家たちと浮気もしましたが、やっぱり彼女は可愛い人です。サンテックスの元に帰って行きました。本当に激しい恋だったのです。僕の家内とは全く違った性格で少しは安心していますが、僕の冷静な妻とは雲泥の差です。中身は熱い子なんですが。
     
     色んな読み方がありますが、ご自分の年代を相応するように変化して行くのが自然でしょう。僕の場合、この小説は現在「愛の物語」と捉えています。でも多分又変化して行くのでしょう。そのぐらいこの小説の持っている重みが違います。数字も何の意味があるんだろうといつも考えます。でも最期に夜空の大きさが僕なんだよと言って星の王子さまは去って行きます。そこが僕にとっては特別な救いを感じるのでありますが、やっぱり一枚の原稿を書くのに100枚の原稿を破棄していた事実は大変なものです。毎回つらっと書いてしまう僕のブログとは違い、やっぱり100倍の努力を持って、サンテックスを考えて見る必要がありそうです。今日もおいで戴き有難う御座いました!
     

  7. (Kazane) より:

    硯水亭さんが、音楽にも気を遣われているのが、とてもよくわかりました!私のブログへのお返事にも書いたのですが、私、いつもパソコンのサウンド設定をミュート状態にしたままなんです。
    なので、せっかくの音楽、今まで聴いていなかったのです。失礼しました。これからは、音楽とともに硯水亭さんの文章を読ませていただく楽しみが増えました。 硯水亭さんのお母様、フランス語で星の王子さまを読まれていたなんて、素晴らしいですね。
    私も、星の王子さまは何度か、読み返しています。もちろん、日本語です!「心で見なくっちゃ、物事はよく見えないってことさ、肝心なことは眼には見えないんだよ!」 これは、私も好きな言葉です。久しぶりに取り出して、読み返してみようと思います☆

  8. 文殊 より:

            風音さま
     
     うあ~~~~!初めてです。このブログのBGMを話題に出してもらったのは。何年も音楽を掛けて来たのですが、たった一度も話題になりませんでした。結構気をつかっていたのですよ。クラシックでは大好きなChopinなんか、歌手ではコブクロや小田和正や井上陽水や夏川りみなど、季節感を表現するのにTAMさんのオリジナル楽曲などを主に。記事の内容になかなかぴったりとは行きませんが、どことなくそれを邪魔しない程度に盛り上げる形にしています。一度ぐらいどう聞かれているのか、お伺いしてみたかったのです。風音さんに強要するようなことになってしまって、どうも済みません。許してくださいね。
     
     母の外国語の勉強スタイルの最も多かったスタイルは、映画を観て気に入った映画のセリフをよく覚えるところがありましたねぇ。一番早く覚えられるというのが母の持論でした。無論それぞれの学校に行きましたし、個人レッスンを受けていましたが、英語やイタリア語は学校時代からの延長で、ロシア語やフランス語は専門校に通って会得していたんですよ。何しろ演劇大好き人間ですから、それはそれは大袈裟な表現方法でした。祖母の介護するんでも、祖母の前でシェイクスピアを演じてみたり、モリエールやチェホフの「櫻の園」だったり、何をするんでも楽しんでやっていました。明るい性格で、まるで太陽のもとのヒマワリのような母でした。それがねぇ、交通事故に巻き込まれ、突然逝ってしまったのですから。父はよく私の仕事のせいで、ろくに構えなかったからとずっと責め続けていましたね。今でもそうですが。
     
     「星の王子さま」はサンテックスが書いた時代が1939年9月から勃発した第二次世界大戦の時代ですし、自らも飛行士で、単身アメリカに来たのも、単なるアメリカ亡命ではなく、アメリカにヨーロッパ参戦を促すために運動に来ていたんですから、その最中の作品ですので、戦争が色濃く残っています。当時コンスエロは他の若い芸術家たちと一緒に非難生活をしていた南仏オペードには大勢の人たちを面倒見ながら一見楽しそうにしていたコンスエロですが、サンテックスがいないものだから結局言い知れぬ孤独感の中にいました。ニューヨークではサンテックスがヨーロッパ戦線のために分裂していたアメリカ社会に絶望をしかかっていた時分でした。オペードのコンスエロに対し、「すべての準備は揃った、後は君がこっちに来てくれ」と五年ぶりに一緒に生活をしようと持ち掛け、コンスエロもそれに直ぐ同調しアメリカに渡り、星の王子さまを書いたベヴィン・ハウスを夫のために見つけるのでしたね。27章のうち17章も登場する薔薇のことでしょうね。王子さまが花=薔薇と諍いを起こして旅に出て来るのですが、その直後の告白はまさにコンスエロと口論した後の告白のように見えます。たくさんの薔薇があっても、僕の薔薇はたった一輪だと。キツネ君からも進められていましたね。コルシカ島から飛び立つ直前にコンスエロに出したサンテックスの手紙は印象的です。「貴女は一生死ぬまで僕の妻です。貴女を守るために飛び立ちます」と。その手紙を読んで感動で泣き崩れるコンスエロ!でもまだまだ読み足りないのでしょうね。何度読んでもその度ごとにどこか別に読めてしまうのは、このストーリーにたくさんの比喩があり奥深く、そして心の旅路的な良さであり不思議な部分でしょう。今日もおいで戴き有難う御座いました!
     

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