立冬 とおかんや 亥の子餅

 

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 亥の子餅(いのこもち) 玄猪(げんちょ)とも言う 旧暦10月最初の猪の日に餅を搗いて贈与する習慣があり 収穫感謝とともに

 大豆・小豆・ササゲ・栗・柿・胡麻・糖(あめ)の七種を雑ぜて製造し 猪は12匹の子を生むことから婦人の多産を祈る意味でもあった

 

 

 

 

           立冬 とおかんや 亥の子餅

 

 

 西洋では10月31日にハロウィーン(諸聖人の日の旧称"All Hallows"のeve(前夜祭)から、Halloweenと呼ばれている)がある。スピルバーグ監督の映画『E・T』が流行ってから、日本でも「オタク」(現在世界共通語となりつつある)文化と相俟って爆発的に行われるようになった。JR・川崎駅前でのハロウィーンは特に有名であり、商店街の思惑と合致して、奇抜な服装をした人たちで溢れかえり大騒ぎとなるのであるが、外国人と一緒になって電車の中でまで暴れるのはどうかと疑っている。ハロウィーンの祭りはそもそもヨーロッパ原住民の一つであるケルト民族の、日本で言うならば言わばお盆のような行事であった。カトリックの諸聖人の日(万聖節)の前の晩(10月31日)に行われているが、本来はキリスト教にも関係のない日で、当時信仰のなかったケルト民族がローマ・カトリックからの懐柔策として、樹に宿る精霊を認めて貰ってから一般化されるようになった。この日ケルトのご先祖や精霊たちが光臨なされ、農民の暮らしの中にある収穫物への感謝の心と一緒になって、先祖参りと感謝祭と一緒になったことであり、奇抜な服装は、京都・祇園祭りで言うなら悪い「疫神さま」を祀らうことによってご機嫌を取りお帰り願うご神事とよく似ていて、悪魔祓いと同時に精霊迎えなどの意味がある。そんな服装をした子供たちが「Trick or treat!(お菓子をくんなきゃ、悪戯するぞ)」と叫びながら家々を廻り、お菓子を集め楽しい一日を過ごす。又迎え火のようにして焚く篝火はやがて放火事件の多発に発展したために、已む無く収穫したての黄色いカボチャに目や鼻や口をくり貫き、その中に蝋燭の火を点したものであった。基本的にキリスト教の、信仰に関する祭祀の一つではなく、ケルトの民びとの土着の民俗行事で、古くから続いた伝統行事であった。

 更にこの前後に感謝祭(Thanksgiving day)が北米やカナダで行われている習慣があるが、これはハロウィーンとは無関係であり、割と新しい習慣である。七面鳥の日で(Turkey Day)と呼んだりもする。アメリカでは11月の第4木曜日、カナダでは10月の第2月曜日になっていて、メーンディッシュとなる七面鳥にとっては大変な厄日であろう。この行事はイギリスからメイフラワー号でマサチューセッツ州の植民地に移住したピルグリムファーザーズが最初に果たした収穫を記念する行事であると広く信じられている。だが実際に、ピルグリムがプリマスに到着した1620年は大変に冬が厳しく、大勢の餓死者や病人を出した。その時近隣に住んでいた北米先住民ワンパノアグ族の手助けによって何とか生き延びることが出来たわけであった。そうして翌年の秋は、特別に収穫が多かったがために、ピルグリムファーザーズはワンパノアグ族を招待し、神の恵みに感謝して共にご馳走をいただいたことが始まりであったようで、しかし入植者も先住民族も、それぞれに秋の収穫を祝う伝統を持っており、この年のこの両者の食事会は特に感謝祭とされてはいなかった。プリマス植民地で最初に祝われた翌年の1623年の感謝祭こそ、食事会というよりもむしろ教会で礼拝を行い、神に収穫の感謝を捧げる極めて強く宗教的な意味合があって、それが現在の感謝祭の原型となった模様である。

 ところで我が日本では感謝祭なるお祭りがあるのだろうか。それは無論のことあるのである。伊勢の神宮で、毎年天照大神に捧げられる神嘗祭(かんなめさい)が先ず第一にあげられるだろう。その約一ヵ月後(11月23日 勤労感謝の日)にある新嘗祭(にいなめさい)は、天照大神に捧げられたご神饌を、天皇自ら戴く行事であり、皇太子から新しく天皇になられた御年に行われる新嘗祭を、大嘗祭(おおなめさい)と言われている。いずれにせよ日本人にとって最も大切な五穀を神に捧げ戴く行事で、感謝祭そのものである。天皇以下の臣民が新しいお米を戴く時は、この新嘗祭が終了しなければ戴くことは一切なかった。春先に、神社の境内に田んぼに見たて注連縄によって仕切られた場所で一年の農耕行事を模倣し予祝(よしゅく=予めお祝いをする)する田遊び(たあそび)、実際の田植えの時期に田んぼの中で行われ、賑やかな鳴り物入りで、田の神に捧げられるご神事は御田植神事(おたうえしんじ)と言われ、多くの地方で数多く行われている。田んぼのドロを掛け合う泥んこ祭りや、田植えの際、ササラや太鼓や笛などの音楽などを鳴らし賑やかに踊りながら花田植をする行事もこの範疇に入れてもよかろうと思う。先人は皆お田植えの際に、豊年を祈り豊穣を願ったのであったので、そのすべての括りとして、収穫の儀礼があるのは当然のことであったろう。

 旧8月15日の「仲秋の名月」は一般的には「芋名月」と呼ばれ、収穫感謝祭の一つであろうし、旧9月13日の「十三夜」だって、「豆名月」とか「栗名月」と呼ばれて、五穀豊穣への感謝の表現の一つであっただろう。山形地方に残る芋煮会は、北前船を下りた「直会(なおらい=最後のご苦労さん会)」によるところが多いので、単純に収穫感謝祭とは言えない部分もあろうが、各地に残る殆どの秋の行事には、こうした要素を必ず含んでいるものだと言っても過言ではない。地方地方を細かく調べてみればみるほど、驚くほどの多く感謝祭が存在しているのだ。様々にカタチを替えてだが、神への感謝の御心は自然な流れに相違ないのだろう。 

 

とうかんや

 子供たちが藁鉄砲を作り 各家ゝを周り 棒たたきをする 帰りにお菓子やお金などのお駄賃を貰って帰る

 

 関東から信越地方に掛けて「とおかんや」という行事が方々に残っているが、「とおかんや」とは「十日夜」のことで、旧10月10日の夜の意味である。これこそが日本式ハロウィーンで、子供たちを中心にした収穫感謝祭である。邸内にいるモグラやネズミを槌(藁鉄砲=幼い者は年長者に作って貰う)で叩く意味で、

       と~おかんや~ とおかんや~ 10日の晩のワラ鉄砲~
       う~んとうって~ うちのめせ~ ど~んとうって~ うちのめせ~
       ぼたもちくっても とおかんや~ めんめんくっても とおかんや~
       と~おかんや~ とおかんや~

 と、童歌風な歌を歌いながら廻るのである。この童歌は地方によって若干違い、色々な童歌がある。場所によっては「とおかんや とおかんや イネコノぼたもち 生でもいいから練れたら持ってこい!」と牡丹餅を催促するのである。近年では殆どボタ餅が多いらしいが、大切な豊作物を食べ荒らすネズミやモグラなどを追い払うため、この時期の大根は地面の上から少し飛び出しているので、地面を叩くと更に飛び出して抜きやすくなるからでもある。子どもたちはモグラの出そうなところや畑の近くへ行ってパンパン、ポンポンと藁鉄砲を打ち鳴らし、又子どもたちのもう一つの楽しみは牡丹餅が食べられること、お婆ちゃんやお母さんたちが心を籠めて作ってくれた牡丹餅の味は、神仏に供えて(これは稲子さまに供えるとも言われています)から戴くために、余計に美味しいのだろう。そのために、「とおかんや とおかんや イネコのぼたもち 生でもいいから持ってこい!」と、子どもたちは大張り切りで家々を回って歩くのだ。 家によってはお金やお菓子なども戴けるから、この日は楽しみでならないのだろう。Halloweenで、"Trick or treat!" と言われお供物としてお菓子をあげる。子供たちのお祭りは世界共通の習慣ではなかろうか。"treat"とはご馳走さまの意味も入っており、子供でなくても、"Trick"と答えてしまいそうであるのだから。ハロウィーンの"Trick or treat!"は、「とおかんやのわらでっぽう(十日夜の藁鉄砲)」となるのであろう。魔女の扮装は魔除けの意味であり、魔女も精霊も同時に供養されるというわけである。最近の若者の馬鹿騒ぎは何の意味も分からず、そして価値もなく、単なるオタク文化ではなかろうか。

 

とうかんや

藁で作った鉄砲 中に茗荷を入れると何故か音がよくなる

 

 又近畿から西日本の方面には「亥の子餅」の習慣があるが、これも東日本の「とおかんや」と同じ意味ではなかろうか。旧暦10月の亥の日に行う刈上げの行事で、東日本の十日夜(とおかんや)と相対応して,西日本に多くみられるもので,2月の春亥の子と10月と両方祝う地方もあるようだが,10月の玄の日を重くみる傾向が強い。なぜ十月亥の月の亥の日を選ぶのかはっきりしないが,中国の俗信によれば亥の日の亥の刻に餅を食えば無病であるということがある。又、亥の子餅の意味は豕(いのこ)が多くの子を産むので,とくに女の人がこの日に餅を贈りあい祝うのだと言われている。『平家物語』では亥の子は「ゑ(え)のこ」と訓じられているところから,エノコログサが狗の子の草(犬の尾の形をした草)であるように,本来亥の子は狗の子であったとする俗説もある。そうしてこちらも亥の子突きといって,子供たちが石や藁束で地面を突いて廻り,家々から牡丹餅やお菓子を貰う習慣になっている。「とおかんや」と同じで、石を使う例も多く,丸い石に綱をつけたもので,その名をゴウリレ石と呼ぶ地方もあり,神降臨の意味をもたせているのだろう。亥の子突き(搗き)は子供組が一切を主宰する行事の例が多い。

 

おはぎ

牡丹餅 黄な粉 粒餡 濾し餡 子供たちのとっては大変な楽しみであろう

 

 又別な場所での「亥の子」の用具は、亥の子石と呼ばれ、これを注連縄で括る。「亥の子石」には「カブ大根型」と「トボシ柿型」とがある。行事の一週間ほど前から、海水などで洗い清められ、石の表面を、研ぎへらした瓦の破片などでこする。このとき、一同は禊(みそぎ)の意味で水浴びをしていたが、現在はなくなっているようだ。石につける注連縄は、普通の縄よりも大きめに作られ、注連縄で石のくびれた所を括り、その縄に、参加する子供の数だけ、約2mぐらいの縄を結び付ける。亥の子石を突け(搗け)ば地面が凹むから、その凹みに御幣(ごへい)の紙片を入れる。最近では舗装された所が多くなったので厚く藁を敷いたり、石を地面につけないよう工夫しているらしい。

 亥の子唄の歌詞もあり、搗く場所または地域によって多少の違いがあるが、「いーのこ亥の子亥の子餅ちゃつかんもな(亥の子餅を搗かない者は)角んはいた(角の生えた)子産め さんよさ さんよさ しめたか こいもどせ ぼーんのようにつくものは きょうは天竺わがちょうにしとつや(一つや)二つやよいものの みっつかついたら もうよかろう やっさんこいこい芋じゃくし」などと唄う。

       又商店の前では、
       「商売繁盛するように(三回繰り返す)いーのこ亥の子~」

       料理屋の前では、
       「せんこ(線香)のあがるように(三回繰り返す)いーのこ亥の子~」

       サラリーマンや無職者の家の前では、
       「えびすさんが舞い込むよーに(三回繰り返す)いーのこ亥の子~」

       子供のない家の前では、
       「ぼん(男子)がでーてくるように(三回繰り返す)いーのこ亥の子~」
       と、声をそろえて元気良く唄い、なかなか微笑ましいものがある。

 そうして亥の子の日に、亥の子搗きに参加する子供達が一同に集まり会食をする。ちょっと前までは、座元と呼ばれる家で、一切準備・接待をしていたが、今では随分変わって来ているようだ。日本での収穫感謝祭は農耕稲作が盛んになった弥生時代には既に見られたようである。 この時代から豊作祈願の春の祭りと収穫後に感謝をささげる秋の祭りが中心的な存在で、5月は「さおり(田植えのはじめに田の神を迎える行事)」と「さのぼりさなぶり(田植を終え田の神を送る行事)」が行われ、田の神に関する秋の行事は、旧暦10月10日(とおかんや)に行われる「刈り上げ」であり、「刈り上げ」の時は田の神が田んぼを去る時に行われるもので、「十日夜(とおかんや、とおかんや)」や「亥の子(いのこ)」など日本全国に様々な形態が今でもみられる。こうした行事は家単位や村単位で行われるもので、田の神も家に迎えて山に帰る場合や来春まで家に居る場合など様々な形態があるようである。 日本全国にみられるこのような習慣は、ごく自然に、天然自然の神々に感謝するといった農村文化の良さが色濃く表しているように思える。

 特に、奥能登のアエノコト神事の場合はお供え物を準備して家に田の神を迎えるだけでなく、ご馳走の品目を一つ一つ説明をし、姿カタチのない田の神をあたかも見えているように、手を引いての入浴などをさせる、滅茶苦茶ご丁寧なお接待が行われる可笑しくも厳粛な行事である。 ここでは田の神と農民との距離が大変近く、自然への感謝と畏敬の念が手に取るように分かるようで堪らなく素敵な行事ではなかろうか。

 

亥の子餅

亥の子餅

 

 勢い海外の文化を模倣したりドップリと浸かるのではなく、日本にも同じような文化はないか、或いは軽薄に流されていないか、海外の新しい習慣を取り入れる場合、輝かしく営々と続く日本文化に照らし合わせ、充分比較し検証したらいいと思う。日本には日本独特の、まだまだ捨てられない素晴らしい文化が存在するのだから。しかも世界には類例のないものまで数多くある。大いに誇っていいのだろう。尤もそんな軽薄さもいかにも日本的と言えそうであるが、今週金曜日の7日に、愈々木枯らしの吹きすさぶ立冬(りっとう)である。札幌や青森から平地での初雪の報も届いた。11月7日の立冬の日は旧暦の10月10日である。「とおかんや」の日で、しかも丁度、霜月に入って最初の猪の日である。とおかんやと亥の子の日が一緒にやって来る。日本古来の民俗の文化に、ひと頻り思いを馳せてもよさそうなものである。

 

      今日のBGMは 平原綾香が歌う『Jupiter』

 

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立冬 とおかんや 亥の子餅 への7件のフィードバック

  1. 良枝 より:

    こんばんわ。りんこです。
    今はおばま、昨日は小室
    そして一昨日はたもがみ。
    毎日いろんな情報が飛びますね。
    この世界は広いのだか、狭いのだか、
    笑っていいような、それは苦笑いのような・・ 笑
    国家が諸君のために何をしてくれるかを問うな
    諸君が国家に何をなし得るかを問いたまえ。
    ケネディのこの言葉が印象に残っていると
    塩爺は言う。(今日の読売新聞朝刊)
    日本哲学って学問は存在していない。
    金融危機のさなかに
    日本人は自国のものづくりの力を
    信じることができずに狼狽える。
    なんだか、軽薄さもここまできわまると
    もののあわれでしょうか 笑
    尤もそんな軽薄さもいかにも日本的と言えそうである
    とは、確かに。
    私もそう思います 苦笑

  2. 道草 より:

    「新嘗祭」が「勤労感謝の日」となってから、祭日という感覚から遠くなったようです。昔から十五夜、十三夜、そして十日夜の三日間が晴れると良い事があるとされているそうですが、そんな伝承を知る者は少なくなっているのでしよう。硯水亭さんの薀蓄を堪能させて戴きました。明日は立冬。時雨の季節でもあります。このところ秋晴れが続いている京都ですが、明日当たりは天気は崩れそうとの予報です。(Gさん、頑張ってますネ。小さい声で言いますが・・・)。
    「秋の写真」   西脇順三郎
    十一月の初めに歩く朝の孤独のためにこの一生のたくらみを記するだけのことだ都にただ一つ生き残っているこの武蔵野の門をくぐってみるとひとりの監視人以外に人間らしいものはなにもなかった今日は小鳥の巣のコンクールがある日だったがまだ一人もそうした少年芸術家の青い坊主頭が来ていないあの大工たちが村芝居をしたアーデンの森のように椎の古木が故園のめぐりにギザギザに茂っていたとなりに住んでいるハナメガネの葉巻をすっている大臣(おとど)もまだねむってるらしいがむくの木でみえないのだ地獄の季節か曲った路の垣根から黄色い菊が頭を出して咲いているこんなことは我々の世界にはないことだしかし千万の実が枝についているががまずみの実は藪の中で紅(べに)の不動のように燃えていた秋の写真秋の女の写真デュアメルの奥さんに読んで貰うものがないのはこまったことだくもつたカメラの中へこぼれるのはぼけ いいぎり くさぎまゆみ うばら へくそかずらさねかずら実の色 女のせつない色の歴史歴史はくりかえされるのだ

  3. 文殊 より:

              りんこさま
     本当にねぇ、連日嫌なニュースが続いています。だから僕は三面記事は読まないようにしているんです。警官がパトカーの中でHしちゃったとか、学校の教師がまだ幼い少女に悪戯をしたとか、ホテルに連れ込んで猥褻な行為をしたとか、とかく幼い子供たちが毒牙に狙われているかと思えば、僕にも幼い娘がいることですから、気が気ではありません。
     
     戦後間もなく崩壊した古き良き日本は、民主主義のせいでしょうが、これって型通りなのが、果たして日本にはあっているのでしょうか。封建主義(後から命名された)時代でも、戦前の隣組の時代でも、もっと言うなら、あの小泉八雲が松江にいた時分の日本はほぼ無くなりつつあるのでしょう。ポトマック川に、日本の櫻の植樹をした大きな功績を果たしたシドモア女史は、日露戦争後の捕虜の取り扱いを取材に来た方でした。愛媛・松山にあるロシア人の捕虜収容所を見学され、大事に取り扱われている捕虜と管理する軍隊と双方に凄い感動を受けたのでした。日本には、音に聞こえた武士道があったとね。まだ武家社会の色が濃く残っていたからでしょう。
     
     彼女のお陰で、ポトマック川に日本の櫻が植樹されましたが、晩年彼女は不遇でして、一旦スイスに彼女の遺骨が埋葬されるのですが、彼女の功績をよく知る方々から、遺骨を日本に持ち帰って来られて、既に日本で埋葬されていたお母様とお兄様のお墓がある横浜の外人墓地へようやく埋葬されたのでしたね。今年の春、そのお墓の場所にグランドピアノを持ちこんでアンジェラ・アキさんが弾き語りをされました。記憶に新しいと思われますが、ホントに感動的でした。日本にだって、いっぱい美徳があったのに、今はそうした精神文化が廃れ、アメリカの悪い部分の後追いをしているような気がしてなりません。
     
     僕は嘆いてばかりいずに、まだまだある古き良き日本の発掘に情熱を注ぎ込みたいと念願しています。ピストルの許可が認められていないだけで、アメリカの冷徹な非道な部分をも模倣しているのでしょう。アホらしくて、小室なんか、なりあがり者の顛末なんて全く興味がありません。同じように、日本人が海外から入って来る文物を、もし組み入れるなら、上代神道時代に、仏教を取り入れ、神道と仏教を融合させるような、そんな壮大さがあれば又別に面白いことになるでしょう。
     
     りんこしゃん!今日もお付き合い願いまして、ホンに有難うさんね、だんだん!
     

  4. 文殊 より:

              道草先生
     祝日の決め方が可笑しいことは言うまでもありませんが、例えば我が愛する芭蕉忌だって、時雨忌というぐらいですから、当然新暦ではなく時雨がやって来る旧暦でするのが本当なことではないでしょうか。元禄7年10月12日ですから、本来は、今年なら11月9日(旧暦10月12日)に行われて然るべきでしょう。時雨は旧暦10月の異称でもあったのですから。大阪・御堂筋の広い道路の小脇に、彼の辞世の句として石碑が立っています。そこが花屋仁左衛門の宿屋があった場所であったのでしょうね。「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」 芭蕉にしてみれば未だ旅の途中だったののかもしれません、僅か51年の生涯だったなんて全く信じられないのです。
     
     こうして旧暦と新暦の差を出来るだけ正確に検証して、本来は行われるべきでしょう。最も可笑しいのは日曜と祝祭日の相関関係で決まったと思われる成人式です。2000年に施行されたハッピーマンデー法が諸悪の根源になる日が来ないとも限りませんですね。
     
     成人式は元々あった行事です。成人を祝う風習は古来からありました。男子は、髪を結い冠または烏帽子をつけ、服装を改め成人したことを周囲に示しました。また、幼名から烏帽子名に改名する風習も盛んでした(元服・烏帽子〔えぼし〕式)。女子の場合は"裳"という腰から下にまとう衣服を身に付ける裳着〔もぎ〕、髪を結い上げる髪上〔かみあげ〕、歯を黒く染める鉄漿〔かね〕(お歯黒)付けを成人の儀礼としました。一方貴族のように位の高い人々のみにとどまらず、各地の村々でも村人たちが定めた成人の儀式が行われていました。しかしそれは、現在のようにある一定の年齢(20歳)を越えれば成人といった年齢基準ではなく、例えば「1日に60キロの柴を刈って12キロ売り歩けたら一人前の男である」など、年齢に関係なくその行為が出来れば成人として認めるといったものでした。これらの儀式は成年式・成女式などと呼ばれていましたが、明治以降一部の地域を除き、衰退してゆきました。明治以降になると、男子は兵役につく義務を課せられました。兵役につくためには徴兵検査を受ける必要があり、この徴兵検査が成人式の意味をもち、成人式制定のきっかけとなりました。戦後、兵役の義務がなくなり、1948年の"国民の祝日に関する法律"によって「成人の日」は正式な祝日と定められたものだったのです。ハッピーマンデーによって毎年成人式の日取りが変化し、しかも20歳で成人だなんて、どこかチャッチャラ可笑しいように思われてなりません。20歳になったらタバコをやめようとか、中学時代からHを覚えて今更ねぇとか、身体は大きく発達し、20歳が成人でなくてもいいのではないかとさえ思っています。18歳かなんかでも、当然選挙権も与えるべきでありましょう。毎年変わる祝祭日に、荒れない青年はいないのではないでしょうか。まぁどっちにせよ、時の為政者の権力とご都合で、どんなことも変化して行くのが世の常でありましょうけれど。
     
     西脇順三郎の詩に籠められたアーデンという女性やフランスの科学者デュアメルのご妻女など、詩のヒントをちゃんと準備されていて、大変素敵な詩に仕上がっていますね。感心しました。有難う御座いました!だんだん!
     

  5. 文殊 より:

            道草先生
     
     せっかく先生からコッショリと、Gのことをおっしゃって戴いたのに、お返事もせず、大変に失礼致しました。何やら頑張っているようですが、是非Tさんの若手の成長を心から期待致します。秋の季節は鍛えるのに絶好な大事な時でありましょう。今回も、勝負は時の運!大事なのは勝負もさることながら、いかに真剣に闘い、飯や酒より大事に思って下さる熱心なお客様の熱意に、どのような真剣さで応えるかでありましょう。今夜も主力より若手に期待しています。観れたらいいのですが。ホンマに、おおきに!だんだん!
     

  6. (Kazane) より:

    こんばんは。今日もキレイな青空が広がりましたね。
    まだおふたりの残り香を感じながら、過ごされているでしょうか…。杏ちゃん、ミルクのような香りではなく、草団子のような香りなのですか! 意外です(^^) >勢い海外の文化を模倣したりドップリと浸かるのではなく 本当ですね。本来の意味はどこへやら、という感じで取り入れられているものが多いですものね。
    今年は、クリスマスのイルミネーションも、随分早くから各所で見かけます。
    何だか、逆に季節感を損なっている気さえしてしまいます。
    パリに行かれるまでに、体調、良くなられるといいですね。硯水亭さんがパリに行かれている間、私はこちらで紅葉狩りを♪小石川植物園にも足を運びたいな…と思っています☆

  7. 文殊 より:

             風音さま
     こんにちは!済みません、気付くのが遅かったのか、あああああ、馬鹿馬鹿!ホントに失礼を致しました。このところまぁまぁのお天気でしたのに、今朝からぐづついて京都も雨です。午後遅くになれば止むらしいんですが、杏と二人っきりですから、よしと致しましょう。ママは学会に出掛けたようです。そうなんですよ、何故かしらねど、あんまりミルクの匂いがしないんです。最近おっきなウンチをするからでしょうか。何故か草団子!生まれた時から既に倍になりました。アンヨが大きいので、きっとママのように背高のっぽになるかもねぇ。走るのが大好きみたいな感じです。よくアンヨをグングン動かしています。
     
     何だかね、大雑把になっているようで堪りませんね。若い子たちの会話を聞いていると、恐ろしく語彙が少ないですね。僕なんかも親からすれば、まだまだだと言われそうですが、こんな僕たちからしても、語彙も感性もみんな貧困なような気がして、逆に可哀想だとさえ思っちゃいますね。はっきりと四季がある日本では、季節の移り変わりがどんなに美しいか、有難いと心から感謝しているのですが、どうも現在の子たちは季節の移り変わりなんて、殆ど興味がないくらいですね。僅かにファッションに生きているのでしょうか。まぁそれでもいいですがね。もうちょっと気付いて欲しいものだと感じています。
     
     今月の勤労感謝の日だって、日本人にとっては大切な新嘗祭の日なのに、いつの間にか全く隠されてしまっています。一年の疲弊した精神にカツを入れに来てくれる花祭りの神々はクリスマスイルミネーションのデコレーションの中に埋まっています。今年のハロウイーンも馬鹿騒ぎでした。海外の派手な行事の模倣をしたがるなんて、どうしても浮薄な印象をぬぐいきれません。どこか哀しいことです。でも少数でも、和的なモノを少しでも関心を持って行くことが大事なことでしょう。
     
     今日は腰痛を押してやって来ました。僕の試験薬は頭の中の痛みを感じる神経をただ麻痺させるためだけの薬です。痛みがなくなったら、せめて水泳をして身体を鍛えたいと考えています。そうして身体のバランスがよくなる状態にして行けばきっと痛みもなくなり全快になるのでしょう。18日の最終診断で、今回のパリ行きが許されるかどうかが決まります。でもお蔭様で治験のせいでしょう、痛みが次第に和らいで来ています。今日もおいで戴きまして有難う御座いました!
     

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