櫻桃浄土のめでたきは 娘・杏(アン)満一歳に

 

 

 樹齢150年の櫻桃に光るサクランボ ビッシリと実っています 何故ビニールハウスかと問えば

 雨に打たれて 陽がさすと 実の皮が割れやすくなり 商品価値がなくなるのを防ぐためと 当節盗難防止策だとか

 

 

 

櫻桃(おうとう)浄土のめでたきは

 

娘・杏(アン) 満一歳に

 

 

6月25日に、第一子、娘の杏が満一歳を迎えました。皆からお祝いをして戴きました。

この時季最も盛んなるものは、櫻桃(サクランボ)。そこで本場・山形に全員で参集し、櫻桃のもとで、

杏のお祝い会を致しました。特に、我が父が「諦めていた孫が誕生し、こんなに心豊かになれるものか」と歓んでおりました。

京都の義父母たちも、たった一人の娘に出来た孫・杏を、ことの外歓んでくれ、歓びいっぱいに炸裂しています。

父と義父は、奇跡に近くとっても仲良しで、それに義母と我が叔母と、おおはしゃぎしておりました。

二晩続けて大宴会。大いに盛り上がりました。でも本人・杏は、僕たち夫婦と静かに過ごしました。

去年、早川さん のお陰を持ちまして、杏に頂戴致しました高柳佐知子先生のサイン本も一緒に持って参りました。

あの時は、どんなに嬉しかったことでしょう、ミッフィーの本と、 「エルフさんの店」を携行しています。

あれもこれも、本当に皆さまのお陰だと心深く感謝致しております。有難う御座います。

 

 

櫻桃たち 圧倒する生命感のパワー 煌いていました 寒河江にて

 

 

四方巡る山々は、青く透き通って輝いて見えます。青い山脈とはよく言ったものです。清澄なる空気も、充分に満喫致しました。

お空は雲一つなく抜けるようで、紺碧に深く輝いて、生命あるものすべてが、その生命感で横溢しています。

こんな時季に生まれてくれた我が娘を、親馬鹿ながら誇りに思います。だってまったくその通りの輝きの季節なのですから。

初日、寒河江の櫻桃園で、サクランボ狩り。京都の親たちは無論のこと、たわわに実る実は驚天動地で、よっぽど嬉しかったのでしょう。

 

寒河江温泉の薔薇風呂に入ったり、紅花畑に行ったり、宿泊は上山近く葉山温泉の「古窯」に宿泊しました。

米沢牛のステーキや芋煮や、鮎の塩焼きや、ズンダ餅や、ダダチャマメの塩茹でや、山菜や、鯉こくなどテンコ盛りです。

特に米沢牛のシャブシャブは結局人数分の倍を食べてしまいました。お酒は出羽櫻。高畠ワインの貴婦人。お宿のほうで、気遣いをしてくれて、

杏のために、素敵なケーキをプレゼントして戴きました。お部屋代も、通常料金で思い切り素晴らしいスウィートにして戴いたり、感謝感謝!

みんな一緒に、そこで泊まりました。信じられないほどです。お湯はまったりとした癖のないいいお湯です。斎藤茂吉記念館にも行きました。

あの「たそがれ清兵衛」の真の謙譲の心こそ、モギッツァン(茂吉)に相通じるものがあるような気がしてなりませんでした。

 

 

清冽な山翳 霊峰・月山 映画村がある鶴岡から見るとギザギザな御山ですが 山形内陸部から見るとまさしく神の山 月型

 

 

 三日目、父は残雪多い朝日連峰の登山に向かいました。山形駅頭にて、岳友4人と待ち合わせです。京都の義父は故あって、急遽山形空港から一路関西空港へ向かいました。義母と叔母と、僕たち三人での五人は米沢の奥地・白布高湯温泉に移動。朝から真夏のような体感温度で、実際32度ぐらいあり、白布高湯だけは山端にある関係上、まさに別天地。涼しい山の緑の中で、遊び疲れた杏はスヤスヤと寝入っています。妻と、僕は兼続思慕の米沢市内の旅へ。今日と明日、米沢巡りです。

 米沢は謙信公所縁の土地ながら、謙信公はただ一度も来たことはありません。謙信公の御亡骸は、甲冑を着て、立てにし壺に入っており、漆を塗られたものでしたが、春日山から、会津へ。そして米沢へと、家臣とともに移動していらっしゃいました。禄高が極端に減っても家臣団は皆付いて着ました。凛とした謙信公十六ヶ条の家訓の影響が、市内の隅々に漫々と満ちています。感動の連続でした。更に実にいじらしく可愛い兼続の治水事業や灌漑用水の働き、まだ上流で細い最上川の堰塁にも、その残像がありました。そこの野辺には、風に揺れて背高のっぽの蒲公英の花がびっしり群生しています。側室を持たなかった兼続は、お船の方と仲良く睦まじく並んでお墓においででした。二人とも同じ大きさの清楚な墓墳で、絶えることのない生花が添えられてあります。そして中興の祖、上杉鷹山公の影響も溢れていました。ここ米沢は、清らかな武士の精神が充満している精神性の強い街です。潔い鷹山公、隠居した九代目に子が出来るや、さっさと家督を、自分の子ではなく、その子に託しています。様々な藩政の改革。あのジョン・F・ケネディが大統領になりたての頃、目指す指導者は誰かとの記者の問い掛けに、日本の上杉家、特にこの鷹山公だと言わしめたほどでした。武家屋敷に、ウコギを尋ねました。鯉の養殖、米沢牛の開発、米沢織、染料や医薬品や食用になる植物の繁殖、裂帛の気合での学問の奨励、武道・火縄銃の鍛錬、御能の庇護、どこもかしこも強い精神性で満ち溢れています。そこで、もう一泊します。明日も又上杉神社の宝物館である稽照殿に赴き、国宝・上杉文書(数多くの文書類を指しています)に、妻とともにタップリと浸るつもりです。この機会に、杏には悪いが、杏を叔母と義母に委ね、身重でも興味津々で元気いっぱいの妻と、吾妻連峰からの涼風を期待しつつ、ちゃんと観て勉強したいと存じおります。今日は御宿のパソコンを使っての投稿ですが、帰りましたら、又改めてユルリとご報告申し上げまする。おしょうしな!(米沢弁でサンキューの意味 京都ではおおきに 島根ではだんだん)

 

 

 兼続が禅林文庫跡に

 

兼続が蔵書を収めた禅林文庫庭内 枝垂れ梅の小さな落ち梅 拾ちゃったぁ

 

 

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