秋鯖・その他

 

 

 湯木貞一著 吉兆味ばなし

 

 

         秋鯖・その他

 

 秋茄子と同様に秋鯖も嫁に食わすなという意味があるらしい。昨日近所の魚屋から届いた銚子産の、丸々と太った鯖が目の前にあるので、今日は久し振りにお料理日和にしよう。実家に帰ってから、叔母やお手伝いさんがすることが多かったからだ。今日こそ自ら作った魚料理を作ろう。昭和57年、「暮らしの手帖社」から刊行された湯木貞一さんの『吉兆味ばなし』が私の手放せない愛読書になって久しい。大阪・吉兆で、あの偽装事件があった時には、どんなに酷く傷つけられたことだったろうか。無論故人となられて久しい湯木貞一さんのお怒りは想像してあまりある。

 夏場のうちは脂っ気がなく味が落ちている鯖も、こうした秋になると見るからに美味そうになる。関東近海で4月5月頃が産卵期で、産後はげっそりと痩せこけているからに美味くないに違いない。鯖は真鯖と胡麻鯖の二種。真鯖は本鯖とも言われ、秋鯖として私たちを喜ばせるのはこの真鯖のほうで、胡麻鯖はもっぱら鯖節の原料となる。関東の鯖はこれから水温む弥生三月までだが、日本海の鯖は反対で、関東の鯖の味が落ち始める三月から美味くなる。これだから鯖の旬は難しい由縁だ。「鯖の生き腐れ」といわれるぐらいに、鯖は傷みが早い。何よりも鮮度のいい活鯖を選ぶのが肝要で、新しいものは手にのせてもぐんなりと垂れ下がらず、目がぱっちりと澄んでいる。鰓(えら)の内側を見ると鮮やかに真っ赤である。こんな活きのいい鯖なら、締め鯖・昆布締め(こぶじめ)・塩焼き・味噌煮と、好きなようにして食べられる。それが面倒だったら、いっそのこと塩鯖を求めるのも一つの方法だろう。

 塩鯖といっても、昔のような「塩のたかまり」ではなく、甘塩の急速冷凍品だから結構味はいける。最近の主婦の方々はどうされているのかしらないが、塩鯖はそのまま焼いて食べるものと決め込んでいやしないだろうか。甘塩のものでも、たった一、二分水洗いをして上塩を抜くという常識がもはや常識ではなくなっているのかも。

 その点関西は塩物の活用法が上手い。大阪のバッテラも、京の鯖ずしも、吉野の柿の葉ずしも、こうして考えてみると鯖が美味いのはみんな関西である。鯖ずしの発祥は紀州・熊野の修験者ではないかと想定されている。大阪は別にして、みんな海から遠い山間の地から名物が誕生している。因みにバッテラとはポルトガル語で「ボート」の意味で、形が似ているからそう呼ばれたものだろう。大阪の「船場汁(せんばじる)」は、かつて大阪商人の中心地であった船場で、丁稚(でっち)や番頭などの使用人に食べさせた「清汁(すましじる)」のこと。上身ではなく、頭や中身などのアラを活用しや安い惣菜のことで、昨今は大根などの野菜を入れることになっているが、本来は刻み昆布を入れたものであった。船場汁を上手くやるには、頭や中身や中落ちに強めに塩をすること、さっと熱湯を通してから汁に入れること、煮る時にたくさん出るアクを徹底して取り去ること、酒を利かせ、最後に生姜汁を忘れぬこと、以上が肝要なことである。吸い口に松葉柚(まつばゆず)もあしらいたい。

 湯木さんのこの本で、所々に出て来る言葉がある。「こう書くと、なんだかたいそうなようですが、なれてしまって、高野どうふをもどすのは、こういうものだ、とおぼえてしまったら、じつはなんでもないものです」とある。つまりなれてしまえばいいことだと何度も繰り返し表現され、確かになれればなんでもないことばかりであり、言わば私たち素人を励ましてくれているのだろう。全篇実に平易な文章で、お優しいお人柄を感じられる名料理本である。ところで鯖の部分はどう書かれてあるだろうか。「秋さば四題」と題された部分に、じつに詳細に書かれてあるが、四題とは「煮るならくっつりと」、「焼き色を大切に」、「いきがよければ生ずし」、「さばずしの塩は淡く」という四題タイトルで占められている。今日は鯖ずしに挑戦!御飯はもち米を三割、前日から水につけておくとなっていたので、昨夜からもち米だけはそうしておいた。ウルチは今朝つけて、愈々開始。ふっくらと炊きあがった後、熱いうちに、合わせ酢を用いる。その量は御飯の一割ぐらい。酢一、砂糖一、それに塩三分の一の割合。無論団扇や扇風機で熱い御飯を冷ましながら切りこむように混ぜる。ねってはいけませんとあり、基本中の基本である。鯖は塩をして、小骨を毛抜きで抜く。続いて甘酢で洗ってから皮をはぐ。そこからが面白い。冷めた御飯をまきす(巻き簾)の上に、さらし布巾を置くという。同じ布巾でも使い手酢でしめらせてから、きゅっとしぼって、すだれの上に広げて鯖を置くようだ。この布巾、型に御飯を入れたら、固く締めすぎないようにするためだとある。量端を布巾の端でまきすごとぎゅっと巻くと、押し寿司器を使ってもいい塩梅になり、そう固くなることはなさそうである。そして最後に、「さばずしを食べるとき、おしょう油をつけて出しますが、さばずしの塩加減は、おしょう油がちょっとほしい、という位がいいですね。これにぜひしょうがをそえます」。如何に塩加減を大切になされていらっしゃるかが分かる。

 秋茄子は、茄子を丸のまま手もみをして、丸のまま中身をぐじゃぐじゃに柔らかくする。それから火で焼いてから、氷水につけ、皮をむく。一方漬け汁に、ニンニク・生姜・林檎の絞り汁・擦り胡麻・ラー油・オイスターソース・浅葱の微塵切り・擦り玉葱・鷹の爪の刻み、そしてベースに和のお醤油。焼きあがったら、そのタレに漬け込んで冷蔵庫で冷やしておく。最早仕込んであるが、3時間以上で出来上がり!こんな濃厚なタレでも、秋茄子の美味はまったく損なわれないし薄れないのである。

 丸々と太った江戸前の鯊(はぜ)もあったが、既にイキが下がっていたので、それは手開きにして、冷え冷えのコロモに潜らせてから、カラリと天麩羅で揚げて出そう。湯木流つけだしの基本は一、四、一。つまり味醂一を軽く煮きる。ここへ水四とカツオを入れ煮出す。そこへ濃い口醤油をたっぷり一加え、これを漉してから出すとあるが、今日の日和では湯木さんの別口のつけだしを作ってみよう。「ちり酢」である。お酒を煮きって、レモンを絞り、醤油で味をととのえ、それに唐辛子をちょっと入れる。後は、薬味に刻んだ叩き葱と大根おろしで、割合は、お酒一なら、レモン汁は二、醤油も二ぐらいか。大根おろしも、その時に混ぜてしまえばいい。これってしゃぶしゃぶのタレにも使えて重宝である。甘味のない「ちり酢」で、アツアツの天麩羅を戴くのはどうだろう!美味しい岩塩でという手もあるが、南瓜や隠元など適当な野菜も一緒に揚げよう。揚げに使う油は、無論白絞り湯と胡麻油で、両者同割にする。

 今日一日、多彩なお祭りがある。霜月は年初に備える意味が大きいからで、霜月神楽という湯立ての神楽が始まってもいいものだが、近年人がいないために新年に執り行われることが多くなった地域ばっかりで、本来からいって詰まらない。石川県能都・菅原神社の「いどり祭り」、宮崎県西都原の「西都原古墳祭」、筑波山神社秋の御座替祭り、佐世保・八幡神社の「くんち」、山口県宇部市では「宇部祭り」があるだろう。今映画で脚光を浴びている鶴岡では、「庄内百万石祭り」があるだろう。松本市の「市民祭り」もあり、平泉の中尊寺や毛越寺では、「秋の藤原祭り」が豪華・絢爛に行われることだろう。「くんち」と言えば明日から、私の大好きな町・唐津で「唐津くんち」が始まる。もう年賀状も発売され、何処となく気忙しい季節になりつつあるようだ。明日は福岡に出張である。ついでに唐津まで足を伸ばせるかどうか。

 杏はお姉ちゃまで、妻に似て大人しく一人遊びが大好き。杏の近辺に、絵の具と画用紙や木の積み木や大勢のフニャララ人形を置いてあるが、絵にならない絵を描き、結構驚かされている。私の今回の旅の間、早稲田の穴八幡で「癇封じ」をしてもらった大風は、火をふいたように泣かなくなっていた。杏は妻似で、大風は誰に似たのか非常に繊細な様子を見せている。でもお陰さまで二人とも元気いっぱい。京都のじぃじやばぁばも時々電話は欠かさない。妻も少しずつ手料理をしているらしく、叔母が見て見てというから冷蔵庫を覗くと、冷凍庫のほうにラップでやたらに小分けをしてお浸しが入れてあった。叔母が笑ったのは、銘々一人分の量ずつ包まれていたからだが、妻は日頃から何かにつけ如何に几帳面であるかのいい証拠だろう。愛する人よ、余分な(?!)気遣いはしなくてもいいんだよ!さてこれから始めるか!斎座(さいざ~中食=禅用語 禅を思いただ黙して食す 味わうことの極み)の準備にとりかかることにしよう。

 

 

 

 昨日自宅マンションから品川上空の蒼天を仰ぐ ターシャはいないかなぁ 今日はやや雲が多いが晴れ

 

 

 

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