霜降に烏瓜が御座候

カラス瓜

 

 

霜降に烏瓜が御座候!

 

 

山々が紅葉して来て、霜降を迎える。今年のように一気に秋が深まって来ると、

人里近くの垣根や林や藪の中などに、人恋しそうに、真っ赤に色付いた烏瓜をよく見掛ける。

秋風にさわと揺れる鮮やかな色のこの実の中は空洞になっていて、一見甘い果実を連想させるが食べられない。

真夏、夕方から夜に掛けて、繊細で風変わりな白い美しい花を咲かせる、多分大方の人はその花を知る由もない。

黄色い実をつけるキカラスウリもあるが、やはり真紅の方が見慣れている。何とかこれでお題に戴いた生け花は出来ないだろうか。

当社社員で、男性だけによる生け花展を開催し、会社のエントランス部分に飾ろうというものであるが、そこは捻くれ者の集まり。

ただのお題ではない。私に課せられたお題は、西行の歌で 「こころなき 身にもあはれはしられけり 鴫たつ澤の秋の夕暮れ」

この歌の幽玄さを深く解釈し、生け花にせよという難題である。例えば烏瓜に各種の蔓や廃材や薄やノコンギクのような小菊をあしらい、

長さ三メートル、奥行き二メートル 高さ制限なしの空間の大きな台を利用し表現しようというものだが、何だか怖い。

何故って、単なる生け花を離れ、やや小振りながら小宇宙の空間プロデュースしなさいと言うことだろう。 

大壷に投げ込みならどうやらこうやらカタチになるが、主人の小松古流の感性と智恵を何とか利用すべきだろうか。

実は言いだしっぺはCEOで、何と私が最初に務める栄誉を戴いた。終いにはエイヤでやる他はあるまいが、

材料は削ぎ落とせるものは極力削ぎ落としたいような気がする。先ほど一旦飲んだお酒が既に醒めてしまった。

後五日間の大いなるプレッシャー!今夜はスケッチのみで、明日から本格的に活動予定!

 

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霜降に烏瓜が御座候 への2件のフィードバック

  1. 道草 より:

    田舎で暮らしていた子供の頃は、烏瓜を「烏の枕」と呼んでいました。夜になれば、黒い烏が赤い実を枕にして眠むる姿を想像していました。父親と母親の烏は一つずつの枕、赤ちゃん達は一つの実に二匹が頭を載せて寝るんや。一家で烏瓜は何個いるんやろ。五つか六つはいるんやろなぁ・・・なんて。
    寺田虎彦の『烏瓜の花と蛾』に、「今年は烏瓜がずいぶん勢いよく繁殖した。中庭の四ツ目垣の薔薇にからみ、それから更に蔓を延ばして手近なさんごの樹を侵略し、いつの間にかとうとう樹冠の全部を占領した。それでも飽き足らずに今度は垣の反対側の楓樹までも触手をのばしてわたりを付けた。(中略)烏瓜の花は<花の骸骨>とでも言った感じのするものである。遠くから見ると吉野紙のようでもありまた一抹の煙のようである。手に取って見ると、白く軟らかく、少しの粘りと臭気のある繊維が、五葉の星形の弁の縁辺から放射し分岐して細かい網のように拡がっている。(後略)」と、秋の風情からやや遠いものの、科学者らしい細かい観察記です。私の烏瓜のイメージは、葉の落ちた橡に絡まった蔓に下った真赤な実が、二つ三つ秋陽に照らされて揺れている淋しい光景です。さて硯水亭Ⅱさんは、西行の秋の心をどの様な形で表現されますやら・・・。
     
    「野原の中には」   田村隆一
     
    花屋の花は気にいらない
    小鳥屋の小鳥も気にいらない
    詩人の詩だって気にいらない
     
    大きな野原が大好きだ
    小さな花が咲いていて
    野草の色は緑の炎
     
    夜ひらく烏瓜の花
    ガラス細工の白い花
    そのくせまっ赤な実がなって
     
    一世代は三十年
    一世紀は三世代
    野原の中には大きな木があって
     
    烏瓜の赤い実が黙ってゆらゆらゆれている
     
     
     
     

  2. 文殊 より:

          道草先生
     
     なるほど「烏の枕」とは面白い表現ですねぇ。そのほかに「玉章(たまずさ)」とか「狐の枕」とか「ごうり」とか呼ばれておりますから、名前の種類をお伺いするだけで楽しくなってまいりますね。名前の由来は烏が好んで食べるためとか、朱色の実から出た形容として「唐朱瓜」とか色々あるようです。種子は結び文に似ていることから玉章と呼ばれたのでしょう。生では、ひび、アカギレ、シモヤケに効くとか伺っています。先生の場合、特に鮮やかに思い出が残られておいででしょう。田村隆一さんは烏瓜の花を御覧になられたのでしょうね。花そのものを見事に表現されていらっしゃいますね。実にいい詩です。寺田寅彦さんの文章もなかなかのものです。さすがにと思わせますが、それを鮮やかに切り取って戴ける先生には心から感謝申し上げます。
     
     さて作品のことですが、えらいものを引き受けてしまったなぁと後悔したり、いやいややらなければと思ってみたり、実は今日も一日仕事どころではありませんでした。西行の歌を、素人の私が生け花に挑戦しようというのですから、無謀の極みですね。今日は一日細い流木探しをしておりました。備前の焼き物の欠片も、岡山に問い合わせていました。花はホンの少々で、何とか秋の夕暮れを表現出来ないかと。
     
     結局生け花では当てはまらないことが分かりました。一種の商業空間のプロデュースなんですね。空間全体を見渡して、空間から出るエネルギーをも計算に入れないといけないかも知れません。こんな風にして一日一日が過ぎて行こうとしています。制限時間がありますから、何とか成功したいのですが、余り欲はかかないことにしようと腹をくくっています。今夜は鯛刺しに銀盤を、これから飲もうと思っています。今日も、先生!有難う御座いました!

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